王人

神田哲也(鉄骨)

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4巻

4-3

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 第二章




 翌朝――この日も、俺達は冒険者組合へ足を運んだ。
 てっきり二日酔いになるかと思ったが……大丈夫だった。値段は安くても、意外と良質な酒だったのだろうか。俺以上に飲んでいたカサシスも、まったく平気そうな顔をしている。
 まだ早朝だというのに、組合の掲示板前は依頼の品定めをする冒険者達でごった返していた。
 昨日の昼とは対照的だ。皆、条件のいい依頼を求めて朝早くからやってきたに違いない。
 俺達も負けじと、その人混みに加わる。

「なあカサシス、今日は早く終わるやつだぞ」
「わかっとるって」

 今日だけじゃない、今日以降しばらくずっと、だ。
 これから当面の間、夜は別の予定が入ることになったから。昨日みたいに、日暮れまでかかるような依頼は受けられない。
 カサシスの思いつきで始まった冒険活動。昨日の昼の時点では、正直、一日だけ付き合えばいいかと思っていた。
 だけど実際にやってみると……想像以上にエキサイティングだった。
 知らない場所に行き、知らない景色を見て、仲間と一緒に問題を解決する。まだ一回だけだから何とも言えないけど、意外と俺の性に合っている気がする。
 さすがに無期限で毎日やるわけにはいかないものの、他の予定に支障がない範囲でなら、しばらく続けてもいいと今は思っている。


 さてと……。ちょうどいい内容の依頼はあるだろうか?
 他の冒険者に交じって、掲示板の依頼を物色する。
 ――北の街道に出現した狼の討伐。南東の森にあるゴブリンの巣の殲滅せんめつ。遠方に向かう行商人の護衛。数日前から行方ゆくえがわからない飼い猫の捜索。廃屋に住み着いたカラスの群れの退治、などなど。

「うーん、なかなかいいのがあらへんなー……って、お! アラン、あれなんかどうや?」
「どれ?」

 カサシスが指差す一枚を眺める。
 ――オークの討伐。

「……あれは、だめだろ」
「何でや?」
「よく見ろって。場所が『ロメルの町』ってなってる。行くだけで半日近くかかるぞ」
「別にええやん。オーク討伐やで? 面白そうやんか」

 詳しくは知らないが、オークは敵性亜人の一種だ。ちなみに俺が何度か討伐したことのあるゴブリンも、敵性亜人に含まれる。

「よくない。なあ、もう忘れたのか? 今夜から、踊りの練習をすることになってるじゃないか」
「あ、そやったな」

 あのなあ……昨夜宿に帰ったあと、「アランには踊りの稽古が必要そうやな!」って言い出したのはお前だろう?

「忘れないでくれよ……」
「悪い悪い。じゃ、あっちは?」

 カサシスはそう言って別の依頼書を指で示す。

「うーん、あれも結構遠いな。もしかしたら、ロメルより遠いかも」
「そっかー、それはあかんな。討伐系やし、楽しめそうやけどなあ」
「やっぱりそっち系だと、遠方になりがちなんじゃないかな。……あっ、あれなんかどうだ?」

 そう言って俺が指差したのは、「ダオスタ地下道の調査」と書かれた依頼書。
 俺達は、その依頼を引き受けることにした。
 ――百年以上前に造られたという、その地下道。
 依頼者は、地下道の入り口がある土地を所有する、ダオスタの行政に携わる貴族だった。
 なんでも、昨年に前当主が他界し、遺品整理の際にこの地下道に関する資料を発見したのだとか。依頼主である現当主は、それまで地下道の存在をまったく知らなかったそうだ。
 その資料によると、先代も地下道を発見したのは晩年だったらしい。偶然入り口を見つけ、調査隊を組織して内部を調べようとしたというが……その矢先、ダオスタ周辺でちょっとした流行はやりやまいが発生し、地下道調査どころではなくなったとのこと。


   †


「なーんもなかったなあ」

 この日の調査を終えて冒険者組合へ戻る途中、カサシスが独りごちた。

「まあ、初日だし、こんなもんだろ。時間の制約だってあるんだし」

 カサシスの言うとおり、目ぼしいものは何も発見できなかった。
 今日、俺達が調べたのは、入り口の周辺のみだ。
 地下道は思った以上に道幅が広く、馬車が通れそうなほど。
 床や壁はところどころ崩れてはいるものの、崩落の危険もなさそうだった。
 入り口から階段を下りて足を踏み入れたそこは、しばらく一本道が続き、ある地点で複数の道に分岐していた。
 俺達は試しにそれらの一つに進んでみたが、道は途中でさらに枝分かれしていて、どこまで続いているか見当もつかなかった。まるでダンジョンだ。
 結局途中まで行って、この日は引き返したのだが、ダンジョンにありがちなトラップとか、危険な生物の巣とか、そういうものには遭遇しなかった。カサシスはちょっと期待していたようで、もっと奥まで進みたがっていたけど。

「依頼受けたの、俺達だけやなかったなあ」

 カサシスが呟く。そう、現地に行ってみると、俺達の他にも冒険者がいた。複数のグループが同じ依頼に申し込んだようだ。

「地下道は広いみたいだから、大勢で一気に進めたほうが効率がいいんだろ」
「まあな。しっかし、暗いし」
「地下道だからね」
「埃っぽいし」
「地下道だから」
「面白そうなもんもないし」
「まあ、まだ入り口近くしか見てないわけだし。もっと奥まで進めば、何か見つかるかもしれないよ」

 今回の依頼内容はあくまで「調査」。要するに道を調べて、地図を作成するような、どちらかというと地味な仕事だ。
 次々に敵が現れて戦闘する……というようなことをイメージしていたらしいカサシスには、さぞ退屈なことだろう。ルプスにグイ、ターブはそれなりに楽しんでいたみたいだったけど。

「……なあアラン、明日は、別の依頼にせえへん?」

 やっぱり、相当つまらなかったらしい。

「だめだよ。調査期間は一週間なんだから」
「ええやん、俺ら以外にも冒険者いるんやし……」
「だーめ。一度引き受けたんだから、最後までやらないと」
「……はあ。アランも意外と頑固やんな」
「カサシスが飽きっぽすぎるんだよ」
「まあ、否定はせんけど……」

 肩を落とすカサシス。ちょっと気の毒ではある。
 でも、他の依頼はどれも現場が遠方だったり、夜までかかるものだったりするんだからしょうがない。そもそも今夜からのダンスレッスンの発案者はカサシスなのだし。
 俺とカサシスの都合に付き合わされる形になっているグイ達三人には申し訳ないと思うが……三人とも、そこまで冒険にこだわっていないみたいだから助かった。

「まあ、そやね。一週間やし。アランの言うとおり、奥に行けばおもろいもんも見つかるかもしれんもんな」
「そうだよ。それに、こんなに大勢の人が住むダオスタで、まだ誰にも知られていない場所があるなんて、わくわくするじゃないか。もしかしたら、遺跡とか、宝物とかが見つかるかもしれないし……」
「かもな。ま、あんま期待はしてへんけど、もう少しがんばってみっかー」
「うん。でもまずがんばるのは、今夜の特訓だ。一週間で踊れるようにならないといけないんだから」

 俺はそう言って、カサシスの背中を押しながら帰り道を急ぐのだった。


   †


 ダンスの特訓は、俺達のホテルでやることになっていた。
 俺はてっきりカサシスが教えてくれるのかと思っていたのだが、「そんなわけないやん。何で男同士で踊らなあかんねん。ちゃーんと助っ人を頼んであるわ」と彼は笑って否定した。
 今、部屋には俺とカサシスの二人だけ。グイ達は、いつだったかダオスタ近くの町ニジェでやったように、ホテル内部の探検に行ってしまった。この宿はとても広く、見どころも多いみたいなので、ほぼ毎日歩き回ってもまだ見るところが残っているらしい。
 ルプスはあんまり興味がなさそうだったが、グイとターブに半ば強引に誘われて出かけていった。
 コンコン、と誰かがドアを叩く。 
 カサシスが近づいていってドアを開けると――「助っ人」が立っていた。

「えーと、こんばんは」

 どこかふてくされたような顔をしているのは、つい先日まで、剣闘大会会場で毎日顔を合わせていた女性、イライザだ。
 カサシスに招き入れられ、部屋に足を踏み入れる彼女。

「急に呼び出されて何かと思えば……踊りの練習ですって? ……何で、私なのですか?」

 敬語でカサシスに問いかける彼女。
 イライザの敬語を耳にするなんて貴重だな。俺に対してだったら、彼女の口調はもっと遠慮がないから。

「そりゃあ、アランと交流があって、この国の社交界にも詳しそうな女の子っていったら、君しかおらんやん?」
「そんなことないと思いますけど……それに、私にも都合ってものが。……いえ、いいです、大丈夫です」

 イライザは諦めたような顔をして言葉を呑み込む。
 まあ、そうは見えなくても、カサシスはドゥルアーン帝国の大貴族だ。イライザも貴族ではあるが、さすがにカサシスのところと同等の家格ではないのだろう。
 それにしても……言葉遣いもそうだが、今日の彼女は、服装もこれまでとはまったく違う。
 まあ、考えてみれば当たり前だよな。剣闘大会では貴族とはいえスタッフの一員だったから、決められた制服を着用していた。でも今日は私服。袖のない黄色いブラウスに、白のスカート、それにつばの広い帽子。
 いずれも華美ではないが上質であることがうかがえ、彼女が貴族の令嬢だと改めて実感してしまう。
 ドア近くに突っ立ったままのイライザに、カサシスが言った。

「ま、急に呼び出したのは申し訳ないと思っとる。けど、アランのためや。どうかよろしく頼むで」
「わ、わかりました」

 こちらを見るイライザ。俺はそばに行って謝った。

「突然の話でごめん、イライザ」
「別にいいわ。気にしないで。……それにしても遅いわね、あの子」
「え、何?」

 俺がそう聞いたのとほとんど同時に、廊下から慌ただしい足音が聞こえ、開けっ放しの入り口からイライザの同僚、コノリが駆け込んできた。

「あ、す、すみません! 遅くなりました!」
「あれ? コノリ!?」

 いきなり飛び込んできた彼女に、俺は驚く。

「あ……アランさん! あの、お、お……おひしゃしぶりでしゅ!」

 すぐ近くに立っていた俺と出会いがしらに顔を合わせた彼女は、見ているこっちが気の毒になるほどの混乱ぶりを見せた。
 相変わらず、おっちょこちょいというか、コノリらしいなあ。
 それとも、異国の大貴族カサシスがいるから、緊張しているのだろうか?

「はは、久しぶり。……で、どうしてコノリがここに?」
「そ、それは、えーと」

 まだ動揺しているらしいコノリ。するとイライザが代わりに答えた。
「私が誘ったの。カサシス様からの電報が家に届いた時、ちょうどこの子と一緒にいたから」 

「へー、そういうことかあ。悪いね、コノリ。よろしく頼むよ」
「は、はい! こちらこそ、よ、よろしくお願いします! あの、カサシス様も!」

 コノリはそう言って俺とカサシスに頭を下げた。
 イライザとコノリ。この二人が、プライベートでも一緒にいるなんて、正直少し驚きだ。
 大会の最中にかなり仲良くなったのは知っていたけど。

「ああ、よろしくな、コノリちゃん。で、ちょっとな、二人にお願いしたいんやけど」

 唐突にそんなことを言い始めるカサシス。イライザとコノリが首をかしげる。

「あのな、俺にも敬語なんか使わんでええで? アランと同じように接してや」

 コノリ達は顔を見合わせる。イライザが代表して言った。

「無理です」
「そないなこと言わんと、ほら、気楽に、な?」
「無理です」
「笑顔で」
「無理です」
「お願いや」
「無理です」

 ……なんか、いつか見た光景だな。
 だけど結局、イライザは首を縦に振らなかった。

「くっそー! いつか絶対『カサシス』って呼ばせたるからな!」

 よくわからない目標を掲げるカサシス。だがそんなやりとりをしているうちに、彼女達の緊張も解けてきたのだろう。二人とも、明らかに表情が柔らかくなっている。
 この調子なら、イライザが、それにコノリも、カサシスのことを呼び捨てにする日も案外近いかもしれないな。


「……それで、パーティーまで一週間しかないわけですし、そろそろ始めましょうか」

 四人で軽くお茶をして和やかな雰囲気を楽しんだあと、イライザが言った。

「そやな。じゃ、移動しよか」
「移動って、この部屋でやるんじゃないのかよ?」

 俺がカサシスに聞く。ここだってダンスくらいできる広さはある。
 呆れたような顔をして、カサシスは席を立った。

「何を言うとんのや? 踊りは雰囲気が大切なんやで」
「じゃ、どこに行くんだ?」

 にやりと笑って、下を指差すカサシス。 

「パーティー会場や」

 彼に連れられて、俺達はロビー階にある大部屋に行った。

「へえ、すごい広さだなあ」

 小さな体育館くらいありそうだ。普段はイスやテーブルが並んでいるみたいだが、今日はすべて部屋の端に寄せられている。カサシスいわく「今夜は偶然空いてた」そうだが……実際のところはわからない。

「よっしゃ、じゃあ始めよか。えーと、アランはまったくの素人しろうとなんやっけ? そしたら、まずはお手本を見せんとな。イライザちゃん」
「ええ。それじゃあ、ちゃんと見ておくのよ、アラン」

 イライザとカサシスが、フロアの中央に歩み出て向かい合う。
 急に貴族然としたカサシスは、目の前のイライザにひざまずくようにして手を差し出す。彼女が軽く一礼してその手を取り、ダンスが始まった。
 人気ひとけのないフロアに、ステップの音が響く。
 天井から下がるシャンデリアと、壁際の照明から発せられる柔らかな光が、二人を照らしている。
 開け放たれた窓からは心地よい風がそよぎ、カーテンが音もなく揺れていた。

「綺麗……」

 俺の隣で、コノリが呟いた。同感だ。
 二人のダンスは見事だった。
 自然に、滑らかに。時に静かに、時に激しく。
 決まった型があるのだろうが、初めて一緒に踊る彼らのあまりに息の合った動作に、俺は目を奪われた。
 やがて踊りを終えた二人は、体を離し、互いに見つめ合って一礼する。そして俺とコノリのほうに向き直った。
 まるで長年連れ添ったパートナーのような雰囲気を醸す二人に、俺達は力いっぱいの拍手を送る。

「ま、こんな感じやな」
「ふふ、やめてよ拍手なんて」

 熱のこもった拍手に、カサシスもイライザもちょっと照れくさそうだ。

「すごかったよ、二人とも! な、コノリ!」
「は、はい! お二人とも、とっても素敵でした!」

 拍手を止めずに答えるコノリ。キラキラと目を輝かせたその顔は、まるで憧れの王子様とお姫様を目の当たりにした少女のようだった。

「さ、じゃあ今度は……あなた達、二人の番よ」

 その台詞を聞くまでは。


「あわわわ!」
「コノリ、もっと力を抜いて」

 コノリの腰に腕を回しながら、俺はそう言ってフォローする。
 顔を真っ赤にしたコノリは、混乱の真っ只中である。
 緊張のせいもあるのだろうが、彼女は何というか……俺以上にダンスの練習が必要そうだ。
 本番まで一週間しかない中で、どうして上級者であるイライザではなく、コノリと踊っているのかというと――。

「あのね、アラン。正直、たった一週間で完璧に踊れるようになるなんて無理よ。パーティーだと、色んな相手と替わるがわる踊らなきゃいけないわけだし。でも安心して。コツがあるの。それはね、リードの仕方を覚えること。そのためには、初心者と練習したほうが手っ取り早いのよ」

 イライザにこう説明されたためだった。
 彼女が言うには、貴族のパーティーにおける踊りというものは基本的に男性がリードするので、何となくそのやり方さえつかんでしまえば、意外と相手との技術差は問題にならない……ということらしい。
 少し無理がある主張に思えたものの……まったくの初級者である俺が、さきほど素晴らしいダンスを披露したイライザと踊るのはちょっと気が引けたので、彼女の意見に従うことにした。

「コノリ、力を抜いて。大丈夫、俺に任せて……」

 俺が名前を呼んだ瞬間、ビクリと体を震わせるコノリ。

「……いいよ、コノリ。君の素敵な笑顔を、俺に見せてくれ」

 そう言いながら、俺はそっと体を離し、小柄な彼女の顔を見下ろす。
 コノリは、耳の先まで真っ赤に染め、落ち着かない様子で俺を見上げていた。
 俺がなぜこんなクサい台詞せりふを口にしたかというと……カサシスのせいである。
 さっき、踊り始める直前に俺のところにやってきた彼は、「困った時に使えるで」とドヤ顔でこの台詞を俺の耳元で囁いた。
 他にもいくつかのフレーズを教わったのだが……恥ずかしくて言いたくない。

「あ……あぅ……ひ……」

 コノリは俺を見つめたまま、何か言おうとパクパクと口を開いているが、言葉にならないらしい。
 大丈夫か? ちょっと、緊張しすぎじゃないかな?
 俺は彼女をリラックスさせようと、顔を近づけて微笑んだ。
 するとコノリは――。

「……あ……あうぅ!」

 突然、そんな叫び声を上げて、俺の胸に倒れ込んできた。

「コ、コノリ!?」

 慌てて支え、顔を見ると……とろけきった表情を浮かべて、ぐったりしている。

「あ、あの、私……もうダメですぅ~……」

 体に力が入らないのか、完全に体重を預けてくる彼女。
 俺はわけがわからなかったが、これ以上続けるのは無理そうだったので、休憩しようとコノリに伝えた。
 彼女は無言のまま、やっとのことでという感じでこくりと一度だけ頷いた。 
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