追放された無能召喚士、最弱スライムの中に双子の魔王がいました

桜塚あお華

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第3章 旅の始まりと穏やかな日常

第23話 パン屋の少女と、焼きたての幸せ

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 朝の市場通りに、パンの香ばしい香りが立ちこめていた。
 焼きたての小麦とバターの匂いに、ルーナの鼻がぴくりと反応する。

「ふわあ……!ご主人様、すごいです、あそこから信じられないくらい幸せの匂いがします!」
「はは、ルーナそれは普通に『パン屋』だよ」
「でも、ただのパンじゃないですっ!これはもう……魔法の香りです!」

 そんな調子でルーナがパンの香りに引き寄せられていると、店先から一人の少女が飛び出してきた。
 年の頃は十歳ほど、三つ編みに小麦色の肌、そして白いエプロンには小麦粉がまだ残っている。

「ね、お願い! 助けて!パン釜の精霊が、また暴れてるの!」

 ガルドが驚いて問い返す。

「……精霊、が暴れてる?」
「うん! 火の精霊!普段はおとなしいのに、今朝からずっと炎が暴走して、パンが焦げちゃって……お父さんたちも困ってて……もうどうしていいか……」

 少女の瞳には、本気の涙が滲んでいた。
 どうやら、単なるオーブンの不調ではないようだ。

「わかった。少し見せてもらってもいいかな」
「えっ、本当に!? ありがとうお兄ちゃん!」

 少女の手に引かれ、三人はパン屋の奥へと通される。

 ──パン窯の裏手。
 そこには、確かに『気配』があった。

 小さな火の玉のような存在。
 それは、直径30センチほどの、赤く燃えるような球体――火の下級精霊だ。
 だが、今はその表面が脈動するように揺れ、不安定に火花を散らしている。
 ルージュが即座に周囲の魔力の乱れを察知し、警戒の構えを見せる。

「制御不能。周囲への引火の危険あり……処理を要請しますガルド様」
「待って、ルージュ。たぶん、この子……怯えてるだけだ」

 ガルドが、そっと手を伸ばす。
 指先から、彼の持つ特殊な魔力――契約に応じる波長が柔らかく精霊に触れる。

「怖くないよ。ここにいる人たちは、みんな君のことを大事に思ってる……ねえ、ちょっとだけ話を聞かせてくれないか?」

 火の玉が一瞬、ぴたりと動きを止める。

 まるで言葉を理解したかのように、火の輝きがやや落ち着き、次第に明滅がゆるやかになる。
 ガルドは、まるで子どもをあやすような口調で続ける。

「パンを焼くの、好きだったんだよね。あの子も、お父さんたちも、君をちゃんと頼ってる……だけど、何か怖いことがあったの?」

 わずかな間。
 そして、火の精霊が小さく震えながらも、ぽつぽつと『想念』を返してきた。

 《知らない魔力が、近くを通った。熱くて、鋭くて、壊す魔力。怖かった》

 「……なるほど。たぶん近くで魔法の暴走か、誰かが強い魔力を使ったんだな」

 ガルドは静かにうなずくと、片手を火の精霊に近づけ、もう一方の手で自らの胸元を押さえる。

「ほら、これが俺の魔力だ。穏やかでぬくもりだけを持ってる……大丈夫、もう怖くないよ」

 その瞬間、精霊の炎がやさしく揺らぎふっと小さくなった。

 少女が目を見開く。

「えっ……しゃ、精霊が……おとなしくなってる!?」
「ご主人様、やっぱりすごいですっ!」

 ルーナがパンの山を抱えながら口を挟んだ。

「……そっちに夢中じゃなかったっけ?」
「もちろんパンにも夢中ですけど、ご主人様が活躍してるのは見逃しませんよ!」

 火の精霊は、最後に小さく光を瞬かせると、すっとパン釜の奥へと戻っていった。
 炎の温度も穏やかになり、パンがちょうどよく焼ける香ばしい匂いが立ち上がる。

「……すごい、本当に、ありがとう……!」

 少女がガルドの手を握る。

「精霊と、ちゃんと話せる人なんて初めて見た……あたし、小さい頃からあの子と一緒にやってきたけど、こんなふうに気持ちを通わせてくれたの、あなたが初めてだよ」
「……いや、俺は……ただ、ちょっと魔力の波長が合っただけだと思う」

 ガルドが照れくさそうに頭をかく。

 だが、ルージュはそれを横で静かに見守っていた。
 その瞳には、確かな評価の光が宿っている。

「……ガルド様の魔力は、やはり例外的な適性を示しています。対象が下級精霊であってもここまで明瞭な反応を得られるのは……異常とも言える」
「異常……じゃなくて、きっと『特別』なんですよ、ご主人様は」

 ルーナの言葉に、少女が笑顔でうなずいた。

「ほんとに、ありがとう!お礼に、焼きたてのパンを……好きなだけ、持ってって!」
「えっ! ほ、本当にいいんですかっ!?ルーナ、運命を感じました……!」

 ――そしてその日、ルーナは両手いっぱいのパンを抱えてご満悦。
 ガルドは、素直に人から「ありがとう」と言われたことの嬉しさを噛みしめていた。

(……人のために、力を使えるって、こんなに気持ちいいんだな)

 それは、追放された召喚士としてではなく。
 誰かの役に立てるただの人間として――ガルドが初めて感じた、確かな幸せの形だった。
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