誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜

山田空

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5話 

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 食後、ダイニングの食器を片づけながら、
 レオンは時折エルナの動きを見守るようにちらりと視線を向けていた。

「片づけは私がやりますから、座っていてください」

「ですが……手伝わせてください。
 何もしないのは、落ち着かなくて」

 エルナがそう言うと、レオンは少し考えるように黙り、
 やがて静かに頷いた。

「……では、お願いします」

 彼の声はいつも通り穏やかだが、
 どこか嬉しそうな色がにじんでいた。

 ふたりで食器を片づけ、
 台所に温かな食後の静けさが広がる。

 その空気の中で、レオンが口を開いた。

「さて……お話ししておきたいことが、いくつかあります」

 ダイニングに戻ると、レオンは湯気の立つお茶を淹れ、
 エルナの前にそっと置いた。

「ありがとうございます」

 エルナが礼を言うと、
 レオンは向かいに腰を下ろす。

「まず、今日の予定ですが……
 屋敷の中を案内しようと思っています。
 エルナ様が使える部屋、過ごしやすい場所……
 すべて見ていただきたい」

「はい。お願いします」

「それから……」

 レオンは少し迷ったあと、視線を落とした。

「……生活の“取り決め”について、
 いくつかお伺いしたいことがあります」

「取り決め……?」

「はい。
 とはいえ厳しい決まりを作るつもりはありません。
 ただ……お互いに気を遣いすぎて疲れてしまわないよう、
 必要最低限のことだけ話し合えればと」

 エルナは胸が温かくなった。

(気を遣わせたくないから……?
 わたしが無理をしないように、って)

 そんなことを考えてくれる人は初めてだった。

「例えばですが……」

 レオンは少しだけ視線を逸らし、言いにくそうに続けた。

「夜……眠れない時は、どうしますか」

「えっ……?」

 まさかの問いに、エルナの心臓が跳ねる。

「あ……いえ、その……昨夜のことがありましたので」

 レオンは珍しく焦ったように手を振った。

「ずっと灯りを点けて待つわけにもいきませんから……
 もし何か決めておいたほうが楽であればと思いまして」

「あ……」

(レオン……待っていてくれたんだ)

 胸の奥が、じんと熱くなる。

「……その、わたし。
 もし眠れなかったら……声を掛けてもいいですか」

 勇気を振り絞ってそう言うと、
 レオンは固まったように動きを止めた。

 そして。

「……もちろんです」

 静かに、けれど決して揺るぎない声音で言った。

「いつでも来てください。
 何時でも構いません。
 わたしが起きていられないときは……少し待っていただくことになるかもしれませんが……」

 最後だけ小さな冗談めいた言い方で、
 エルナの緊張がふっとほどけた。

「……はい。じゃあ……遠慮なく、来ます」

「それは……」

 レオンは少しだけ口元を緩めた。

「……嬉しいですね」

 その言葉に、エルナの胸がまた熱くなる。

(この人、本当に……)

 まだよく知らないはずなのに、
 どうしてこんなに心が揺れてしまうのだろう。

 落ち着かない気持ちを抱えたまま、
 エルナはそっとお茶を口に含んだ。

 優しい香りが胸を撫でていく。

「では……もうひとつ」

 レオンが言った。

「……夫婦として見られるための“表向きの距離感”についても、
 話し合っておきたいのですが」

「——っ」

 エルナの手が、ぴたりと止まった。

 “夫婦”。
 息が少しだけ詰まる。

 レオンの表情は真剣で、
 けれど決して押しつけるような色はなかった。

「もちろん、無理をさせるつもりはありません。
 ただ領民の前であまりに距離があると……
 契約が疑われる可能性があります」

「……そう、ですね」

「手を……繋ぐ程度であれば、問題ありませんか」

 エルナの頬が、ふっと熱くなった。

「て、手を……?」

「ええ。必要な時だけで構いません。
 わたしが無理に触れることはしませんし……
 あなたが嫌であれば、別の方法を考えます」

 レオンの声は穏やかで、
 その優しさが逆に胸を締めつけた。

(どうして……こんなに丁寧なの……?)

 断ればいい。
 嫌だというならそれで通る。
 なのに……。

「…………嫌では、ありません」

 気づけば、小さな声がこぼれていた。

 レオンの瞳がゆっくりと払われる。

 驚き。
 そして――ほんの少しの喜び。

「……よかった」

 その一言は、驚くほど静かで、
 でも心に深く響いた。

(レオン……嬉しそう……)

 その表情を見てしまったら、
 もう心はごまかせなかった。

 エルナは胸に手を当て、深く息を吸う。

「レオン……
 これから、よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 レオンは胸に手を当て、
 まるで誓うように静かに頭を下げた。

「必ず、あなたが息のしやすい生活にします」

 その言葉は、なぜか“誓いの言葉”のように響いた。

 契約の一年。
 ただの形だけの夫婦。

 それなのに、
 この家の空気は確かに変わっていく。

 ゆっくりと、ふたりの距離が近づき始めた。
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