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2話 一度に色々なことが起こり過ぎだと思うのよ
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身支度を整えたらすぐに執務室に来るように、と吐き捨てたクールホーン伯爵は、ベティを伴ってすぐに立ち去った。胸元と足を晒したレティシア、それに下半身を晒したカイルは慌てて互いに背を向け、着衣を整え始める。
(……大変なことになったわ。それに、まさかベティがこんなことをするなんて)
いたずら好きでサボり魔だとしても、ベティは幼少期から今まで、レティシアに良くしてくれていた。そんな彼女から突然受けた裏切りに、レティシアの心は乱れ、ぐちゃぐちゃだった。
(もしかして、出戻った私が邪魔だった? だからこんなことを?)
考えるまでもなく、レティシアが帰ってきたことにより侍女達の負担が増えることは明らかだった。しかしそれだけのことで、ベティがここまでするとも考えにくい。
「レティシア様、支度は整いましたか?」
「え、えぇ」
考え込んではいたが、レティシアの背後には背中合わせにカイルがいたわけで。ふと先程起きたことが脳裏に浮かび頬が熱を持った。
「レティシア様……先程は申し訳ありませんでした。その、取り乱してしまい……」
「薬のせいなのでしょう?」
「そうですが……あれが私の、抑え込んでいる本性なのかもしれません」
「まさか」
普段のカイルは先程の姿とは程遠く、本当に真面目な男だ。あんな強引な姿が本性な筈などないと、レティシアは信じていた。
「あなたの本性があんな……姿なわけがないわ。子供の頃からあなたを見ていた私が保証します」
「レティシア様……」
「さあ、お父様の所へ急ぎましょう。あまり待たせると、何を言われるかわかったものではないわ」
「…………俺は」
「何か言った?」
「いえ」
カイルには自覚があった──先程の姿も、自分の一部であると。隠していた汚い欲望が、媚薬によって溢れ出てしまったことも。毎夜のようにレティシアを想い一人で励んでいるのだ、先程の姿のほうが本性に近い姿なのだと。
しかしそれを悟られてしまえば、彼女が自分に近寄らなくなることは必須。家の者に知れてしまえば引き離されてしまうことは明らかだ──つい今しがた、知られてしまったのだが。
(……俺は一体どうなるのだろうな。彼女に危害が及ばなければ、それでいいのだが)
廊下を進むレティシアの後ろを、静かについて行く。彼女の背後で弾む薔薇色の髪に触れたくて、堪らなかった。
「お父様、レティシアです」
「入りなさい」
ノックの後、部屋の中からはすぐに返事があった。執務椅子に着席したままのクールホーン伯爵の顔つきは険しかった。机の脇にはしたり顔のベティが控えていた。
「……失礼します」
窓の外から雨音が聞こえる。窓掛けはしっかりと閉じられ外は見えなかったが、窓に打ちつける雨音が、静まり返った室内の静寂を破る。
「旦那様……申し訳ございませんでした」
レティシアが頭を下げるよりも早く謝罪の言葉を口にしたのはカイルであった。深く腰を折り、その表情を見て取ることは出来ない。
「私も……申し訳ありませんでした」
レティシアも同じく、腰を折る。父の近づいてくる気配に、そっと目線を横にずらした。
「カイルっ! 貴様という奴は!」
ばき、と聞いたこともない音にレティシアが顔を上げると、激昂した父がカイルの頬を殴りつけていた。普段の穏やかな様子からは想像もつかないほど顔を赤くした父は、カイルの胸元を乱暴に掴んだ。
「お父様っ!?」
「よくも私の娘に……! 育ててやった恩を忘れて……貴様は……!」
カイルは、孤児であった。カイルの父と仲の良かったクールホーン伯爵は、彼の父が亡くなった直後、カイルを引き取っていたのだ。あれから二十年──カイルはこの家で育ち、今やクールホーン家の侍従として勤める身。そんな男が大事な娘に手を出していたとなれば、伯爵が激昂しても仕方がないというもの。
「申し訳ございません……」
「謝って済むと思っているのか!」
「まさか、そんな……!」
「お前の父との約束もある。私とてお前を切り捨てたくはないが……今回は事が事だ。当面の間、地下牢で反省するんだな!」
「そんな! お待ち下さいお父様!」
カイルを庇うように踏み出したレティシアは、ドレスの裾と唇を握り締める。父に意見するなど、初めてのことであった。
「カイルは悪くないでしょう!? 悪いのは裏で謀ったベティではなくて!?」
レティシアの言葉に、ベティの眉間に皺が寄る。伯爵も、頭に上った血が下りてきたのか、少しずつ冷静な顔に戻り始めた。
「今回の件は……私がベティに頼んだのだ」
「なんですって?」
「以前ベティが教えてくれてな、お前が外に嫁ぐ前から怪しいと気になっていたのだ。急いで嫁に出したが、まさか帰ってきた途端、こんなことになるとはな。それと、ベティ……調べろとは言ったが、私はここまでしろとは言っていない」
「だ、旦那様!?」
自分の手柄だと高を括っていたベティの顔に、焦りの色が見えた。数年がかりで組み上げた計画が、少しずつ崩れてゆく。
──窓の外の雨音が強まってゆく。
「レティシア。お前も次が決まるまで謹慎しなさい。修道院に送らないだけありがたいと思いなさい」
「お父様、次とは……」
「次の結婚相手だ。早く外に出してしまった方が安心だ」
「そ……そんな……!」
レティシアの顔がサッと青ざめる。傷付き出戻った彼女にとって、父のこの言葉はあまりにも残酷だった。
「どうして……どうしてこんな、ここまでのことを……ベティ……!」
レティシアの感情の矛先がベティへと向いてしまう。普段は他人を責めるような言い方をしないレティシアであるが、混乱した状態では仕方のないことでもあった。
ベティは顔を上げ、キッ、と睨みつけるようレティシアと視線を交える。その様子を伯爵は見逃していなかった。
「あなたが嫁いで仕事が減ったと思っていたのに! 帰ってきたことでこちらは仕事は増えるし、カイルだって……!」
「カイル?」
「カイルだって……私の物にできそうだったのに!」
「……どういうこと?」
「レティシア、あなた……私の気持ちに気が付いていなかったの? 本当におめでたい人」
ベティは涙を流しながら笑い、滝のように己の思いを吐露した。子供の頃からカイルに思いを寄せていたこと、それなのにカイルはレティシアを好いているということ。レティシアが嫁いだことがチャンスだと、この計画を実行したということ。
(カイルが私を好いている……? そんな、まさか)
レティシアは三歩後ろに控えるカイルの表情を伺うことが出来ない。熱くて堪らない自分の耳は恐らくは真っ赤で、後ろのカイルからはそれが丸見えだというのに。
「ベティ、本性を出したな。お前は解雇だ。荷物をまとめて今夜中に出ていきなさい」
「そんな! 旦那様! こんな雨の中、出ていけだなんて──」
──その時。
──バリバリバリバリバリバリ!
──ドーーーーーーン!!
窓の外がピカッと光った刹那、耳を覆いたくなるような大きな音に皆は耳を塞いだ。
窓の外が、赤々と燃えていた。
(……大変なことになったわ。それに、まさかベティがこんなことをするなんて)
いたずら好きでサボり魔だとしても、ベティは幼少期から今まで、レティシアに良くしてくれていた。そんな彼女から突然受けた裏切りに、レティシアの心は乱れ、ぐちゃぐちゃだった。
(もしかして、出戻った私が邪魔だった? だからこんなことを?)
考えるまでもなく、レティシアが帰ってきたことにより侍女達の負担が増えることは明らかだった。しかしそれだけのことで、ベティがここまでするとも考えにくい。
「レティシア様、支度は整いましたか?」
「え、えぇ」
考え込んではいたが、レティシアの背後には背中合わせにカイルがいたわけで。ふと先程起きたことが脳裏に浮かび頬が熱を持った。
「レティシア様……先程は申し訳ありませんでした。その、取り乱してしまい……」
「薬のせいなのでしょう?」
「そうですが……あれが私の、抑え込んでいる本性なのかもしれません」
「まさか」
普段のカイルは先程の姿とは程遠く、本当に真面目な男だ。あんな強引な姿が本性な筈などないと、レティシアは信じていた。
「あなたの本性があんな……姿なわけがないわ。子供の頃からあなたを見ていた私が保証します」
「レティシア様……」
「さあ、お父様の所へ急ぎましょう。あまり待たせると、何を言われるかわかったものではないわ」
「…………俺は」
「何か言った?」
「いえ」
カイルには自覚があった──先程の姿も、自分の一部であると。隠していた汚い欲望が、媚薬によって溢れ出てしまったことも。毎夜のようにレティシアを想い一人で励んでいるのだ、先程の姿のほうが本性に近い姿なのだと。
しかしそれを悟られてしまえば、彼女が自分に近寄らなくなることは必須。家の者に知れてしまえば引き離されてしまうことは明らかだ──つい今しがた、知られてしまったのだが。
(……俺は一体どうなるのだろうな。彼女に危害が及ばなければ、それでいいのだが)
廊下を進むレティシアの後ろを、静かについて行く。彼女の背後で弾む薔薇色の髪に触れたくて、堪らなかった。
「お父様、レティシアです」
「入りなさい」
ノックの後、部屋の中からはすぐに返事があった。執務椅子に着席したままのクールホーン伯爵の顔つきは険しかった。机の脇にはしたり顔のベティが控えていた。
「……失礼します」
窓の外から雨音が聞こえる。窓掛けはしっかりと閉じられ外は見えなかったが、窓に打ちつける雨音が、静まり返った室内の静寂を破る。
「旦那様……申し訳ございませんでした」
レティシアが頭を下げるよりも早く謝罪の言葉を口にしたのはカイルであった。深く腰を折り、その表情を見て取ることは出来ない。
「私も……申し訳ありませんでした」
レティシアも同じく、腰を折る。父の近づいてくる気配に、そっと目線を横にずらした。
「カイルっ! 貴様という奴は!」
ばき、と聞いたこともない音にレティシアが顔を上げると、激昂した父がカイルの頬を殴りつけていた。普段の穏やかな様子からは想像もつかないほど顔を赤くした父は、カイルの胸元を乱暴に掴んだ。
「お父様っ!?」
「よくも私の娘に……! 育ててやった恩を忘れて……貴様は……!」
カイルは、孤児であった。カイルの父と仲の良かったクールホーン伯爵は、彼の父が亡くなった直後、カイルを引き取っていたのだ。あれから二十年──カイルはこの家で育ち、今やクールホーン家の侍従として勤める身。そんな男が大事な娘に手を出していたとなれば、伯爵が激昂しても仕方がないというもの。
「申し訳ございません……」
「謝って済むと思っているのか!」
「まさか、そんな……!」
「お前の父との約束もある。私とてお前を切り捨てたくはないが……今回は事が事だ。当面の間、地下牢で反省するんだな!」
「そんな! お待ち下さいお父様!」
カイルを庇うように踏み出したレティシアは、ドレスの裾と唇を握り締める。父に意見するなど、初めてのことであった。
「カイルは悪くないでしょう!? 悪いのは裏で謀ったベティではなくて!?」
レティシアの言葉に、ベティの眉間に皺が寄る。伯爵も、頭に上った血が下りてきたのか、少しずつ冷静な顔に戻り始めた。
「今回の件は……私がベティに頼んだのだ」
「なんですって?」
「以前ベティが教えてくれてな、お前が外に嫁ぐ前から怪しいと気になっていたのだ。急いで嫁に出したが、まさか帰ってきた途端、こんなことになるとはな。それと、ベティ……調べろとは言ったが、私はここまでしろとは言っていない」
「だ、旦那様!?」
自分の手柄だと高を括っていたベティの顔に、焦りの色が見えた。数年がかりで組み上げた計画が、少しずつ崩れてゆく。
──窓の外の雨音が強まってゆく。
「レティシア。お前も次が決まるまで謹慎しなさい。修道院に送らないだけありがたいと思いなさい」
「お父様、次とは……」
「次の結婚相手だ。早く外に出してしまった方が安心だ」
「そ……そんな……!」
レティシアの顔がサッと青ざめる。傷付き出戻った彼女にとって、父のこの言葉はあまりにも残酷だった。
「どうして……どうしてこんな、ここまでのことを……ベティ……!」
レティシアの感情の矛先がベティへと向いてしまう。普段は他人を責めるような言い方をしないレティシアであるが、混乱した状態では仕方のないことでもあった。
ベティは顔を上げ、キッ、と睨みつけるようレティシアと視線を交える。その様子を伯爵は見逃していなかった。
「あなたが嫁いで仕事が減ったと思っていたのに! 帰ってきたことでこちらは仕事は増えるし、カイルだって……!」
「カイル?」
「カイルだって……私の物にできそうだったのに!」
「……どういうこと?」
「レティシア、あなた……私の気持ちに気が付いていなかったの? 本当におめでたい人」
ベティは涙を流しながら笑い、滝のように己の思いを吐露した。子供の頃からカイルに思いを寄せていたこと、それなのにカイルはレティシアを好いているということ。レティシアが嫁いだことがチャンスだと、この計画を実行したということ。
(カイルが私を好いている……? そんな、まさか)
レティシアは三歩後ろに控えるカイルの表情を伺うことが出来ない。熱くて堪らない自分の耳は恐らくは真っ赤で、後ろのカイルからはそれが丸見えだというのに。
「ベティ、本性を出したな。お前は解雇だ。荷物をまとめて今夜中に出ていきなさい」
「そんな! 旦那様! こんな雨の中、出ていけだなんて──」
──その時。
──バリバリバリバリバリバリ!
──ドーーーーーーン!!
窓の外がピカッと光った刹那、耳を覆いたくなるような大きな音に皆は耳を塞いだ。
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