川野くんのセフレ

こうしき

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8話 混乱

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 ありふれた1Kのアパートだった。玄関には男物のスニーカーが二足。左手に狭いキッチン、右手にはバスルームと、恐らくはトイレへと続く扉。

 物は少ないが、散らかった部屋だった。壁際にベッドが鎮座し、部屋の真ん中には黒くて丸いテーブル。半開きの遮光カーテンの間から、街灯の明かりがほんのりと差し込んでいた。机の上と床には大量の空き缶、それに空き瓶に中途半端な料理の乗った皿。

「え! ルンバがある! 狭いのに贅沢……」
「あー。箒と塵取りで掃除してたんだけど、面倒になって買った」
「箒と塵取り……」

 こんな背の高い男が、腰を曲げて箒で掃除をしている姿を想像すると笑いが込み上げてくるというものだ。ルンバの働きがいいのか、廊下でゴミを踏むことはなく部屋の奥まで辿り着くことができた。

「おーいタクヤー起きろー」

 部屋の真ん中のテーブルに突っ伏し、一人の男がすやすやと寝息を立てていた。川野くんが肩を揺すると、ゆっくりと顔が持ち上がる。

「なに……」

 持ち上がった顔は、川野くんより幼く見えた。少し下がった眉に、優しげな瞳。

「たっくん!?」
「……なつ?」
「え、うそぉ、なんでたっくんが?」

 なっちゃんはタクヤ、と呼ばれたこの男とどうやら知り合いのようだった。聞くと、同級生だという。

「まさかたっくんがゆうりと友達なんて。驚きだよ~」
「なつが祐吏と同僚なことに驚きだよ」

 タクヤくんの隣に座ったなっちゃんは、楽しげにお喋りを始めてしまった。その隣に川野くんが座るので、私はその隣──川野くんとタクヤくんの隣に座るしかなかった。

「……」

 話に入ることが出来ず、いたたまれない。黙って酒を飲む川野くんが私にも酒を勧めるので、とりあえず一口二口と口に運ぶ。

「何飲んでるの、それ」
「ジンですよ。飲みます?」
「……じゃあ、少し」

 答えると、差し出される飲みかけのグラス。まさか飲みかけが差し出されるとは思わず驚くが、ここで断ってしまえば私だけが変に彼を意識していると告げてしまうようなもの。グラスを受け取り、少しだけ口をつけた。

「……ちょっとキツイかも」
「度数40なんで。俺、これ好きなんですよね」
「ふぅん……」

 彼の好きなものを知れた喜びを隠すように、ちびちびともう一口。顔がカッと熱くなるので、慌てて手のひらで仰いだ。

「何か腹に入れたほうがいいですよ」
「ん……じゃあ頂こうかな」
「これ自信作です。冷めてますけど」

 彼が指差すのは、ボンゴレビアンコ。にんにくの香りが気にはなるが、少しだけならと口に運んだ。

「ん、美味しい」
「でしょ」
「料理上手いのね」
「ええ、まあ」
「謙遜しないところが、あなたらしいわ」
「俺らしいって、なんですかね? 円下さんが俺の何を知ってるんです?」
「え?」

 棘のある言い方だが、これが彼の通常運転。いや……そういう風に私が思っていることすら、間違いなのかもしれない。私は、彼のことを何一つ知らないのだから。

「じゃあ、教えてよ。あなたのこと」
「うーん……身長は173センチです、体重は57キロ。O型の一人っ子です。実家に犬もいますね」
「うん」
「お酒飲むのとゲームと筋トレが好きです。あと女の子も。最近料理にハマってます」
「それで?」
「人並みに器用ですけど、人より抜きん出て得意なことはありません」
「やけに謙遜するのね」

 手の中でぬるくなってゆく缶ビールを口に含む。ぬるいビールは苦みを増していたが、彼が言葉を紡がぬ以上、私は酒を飲むことしかできないのだ。

「あと、酒には強いです」
「ふうん……」
「円下さんは弱そうですね。真っ赤ですよ」
「そんなこと……」

 飲み干した缶ビールを机に置き、気まずげに目を伏せる。なっちゃんとタクヤくんは盛り上がっているようで、箸と皿を打ち鳴らしながら何やら歌い始めた。

「これ」
「ん……ありがと」

 ここでやっとTシャツを着た川野くんは、冷蔵庫から新たに取り出した缶酎ハイを私に差し出す。まだ飲めるし、とプルトップを上げて一気に半分飲み干した。

「料理も食べて下さいね」
「うん」
「お酒もまだあるんで」
「うん……ごめん……ちょっと眠くなってきた」

 私はそのまま五秒ほど瞼を下ろした。だがその五秒ほどで眠ってしまったようで、目が覚めた時には周りに誰もいなかった。

「……何時!?」

 壁に時計はなく、スマホで確認すると22時だった。なっちゃんとタクヤくんが居ない。勿論、川野くんもだ。

「なつはタクヤが送って帰りましたよ」

 声のしたほうに顔を向ける。お風呂上がりなのか、全裸の川野くんが、そこに立っていた。
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