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6/濁った心
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昨日起きたことを引きずったまま翌日が仕事だなんて、本当に嫌気が差す。せめてもう一日休みが欲しい、なんて思ってしまうけれど、そんなことで仕事を休めるはずもない。
「真戸乃、なんか元気ないね」
「そうですか?」
「うん、なんか暗い」
入社してまだ一月も経っていないというのに、この人の観察眼には時々恐ろしくなる。
瑞河 姫季──わたしと同じ部署の、三つ年上の先輩だ。食堂で安価なまかない定食を食べ終え、オフィスに戻ろうとしたところを、長身レディに呼び止められた。
「相談乗るよ?
「迷惑じゃ……ないですか?」
「全然? 寧ろ歓迎。可愛い後輩の力になれるなら、いくらでも」
ニッとはにかむ瑞河さんは、スーツの袖を少し捲って時間を確認する。格好良い黒のG-SHOCKから顔を上げると、腰に手を当てキョロキョロと辺りを見渡した。
「休憩、あと三十分くらい。どう?」
「……お願いします」
オフィスと同じフロアの廊下を揃って進むと、片隅の窓の前で瑞河さんは足を止めた。自販機やベンチの設置されていない、無駄に広いこのスペースは、内緒話にぴったりの場所だった。
「それで、どうしたのよ」
周りに人はいないが気遣いからなのか、瑞河さんは小声で呟く。わたしもそれに倣い、小声で言葉を口にした。
「例えば……例えばですよ、瑞河さん。女の子に突然キスされたらどう思います?」
「女の子にキスされたの!?」
「興奮しないで下さい。例えばですって!」
鼻息荒く、そわそわと落ち着かない様子の瑞河さん。ひょっとして──。
「瑞河さんは、百合好きなんですか?」
「いや、BLにどっぷり浸かってる。別に百合が嫌いってわけじゃあない」
「そ、そうですか……」
「で、女の子にキスされたんじゃなけりゃ、どういう意味なのよ?」
「えっと、それは……ですね」
出来るだけ簡潔に淡々と──わたしはとおやとの関係を瑞河さんに伝えた。そして一昨日の飲み会、更にはキスについても尻すぼみになりながらだけれど、話しをした。
「えっと? 彼は女なの?」
「違いますって。そうじゃなくて……異性として意識していなかった男にキスをされて、同性にされたのと同じくらい衝撃的だったという例えです」
「なるほどね」
なんとなく腑に落ちないといった様子の瑞河さんは、腕を組むと短く溜め息を吐いた。
「本当に今まで、異性として見ていなかった?」
「それは……」
「そんな相手に急にキスをされて、戸惑った?」
「はい……」
とおやはどうだか知らないが、少なくもわたしは彼のことを恋愛対象として見ていなかった。異性として意識すらしていなかった。それなのに急にあんなことがあって。
確かに、とおやといると安心するし心地よい。それが恋愛感情なのかといわれたら、わたしにはわからなかった。
(とおやは私が知らないだけで、ちゃんと男だったんだ……)
「でもね、真戸乃。彼は男であんたとは身体のつくりも考え方も丸っきり違う。ちゃんと異性として見てあげないと可哀想だよ」
「そう、ですよね」
(男、か……)
抱き寄せられた腕は、固くて太かった。背だってあんなに伸びて、控えめな香りの香水までつけちゃって。今まで幼馴染として傍にいたのに、そんなこと、気付きもしなかった。
それにあの唇──。
(優しかったな、とおやのキス……)
「大丈夫? ぼうっとして」
瑞河さんの言葉にハッとして顔を上げると、自分の唇に指先で触れていたことに気が付いた。塗り直したばかりの口紅が、指先に付着していた。
「いえ…………あっ、そろそろ休憩終わりますよ」
スマートフォンで時間を確認すると、休憩時間終了十分前。
「そろそろ戻らないとですね」
「……ああ」
「色々とアドバイス、ありがとうございました。今度何かお礼させて下さいね」
「いいよ、気にしなくて」
指についた口紅を洗いたくて、わたしはお手洗いへと足を向ける。
「……こりゃ、抱かれたら終わりだね」
「なにか言いました?」
「……いいや」
(おかしいな、何か言ったように聴こえたんだけど)
瑞河さんとお手洗いの前で別れ、鏡の設置された手洗い場の前へと向かう。手を洗い顔を上げると、鏡に写る自分が昨日までとは全く別人に見えた。
(……あれ、電話?)
お手洗いを出た直後、わたしのスマートフォンに着信が入った。相手は────。
「真戸乃、なんか元気ないね」
「そうですか?」
「うん、なんか暗い」
入社してまだ一月も経っていないというのに、この人の観察眼には時々恐ろしくなる。
瑞河 姫季──わたしと同じ部署の、三つ年上の先輩だ。食堂で安価なまかない定食を食べ終え、オフィスに戻ろうとしたところを、長身レディに呼び止められた。
「相談乗るよ?
「迷惑じゃ……ないですか?」
「全然? 寧ろ歓迎。可愛い後輩の力になれるなら、いくらでも」
ニッとはにかむ瑞河さんは、スーツの袖を少し捲って時間を確認する。格好良い黒のG-SHOCKから顔を上げると、腰に手を当てキョロキョロと辺りを見渡した。
「休憩、あと三十分くらい。どう?」
「……お願いします」
オフィスと同じフロアの廊下を揃って進むと、片隅の窓の前で瑞河さんは足を止めた。自販機やベンチの設置されていない、無駄に広いこのスペースは、内緒話にぴったりの場所だった。
「それで、どうしたのよ」
周りに人はいないが気遣いからなのか、瑞河さんは小声で呟く。わたしもそれに倣い、小声で言葉を口にした。
「例えば……例えばですよ、瑞河さん。女の子に突然キスされたらどう思います?」
「女の子にキスされたの!?」
「興奮しないで下さい。例えばですって!」
鼻息荒く、そわそわと落ち着かない様子の瑞河さん。ひょっとして──。
「瑞河さんは、百合好きなんですか?」
「いや、BLにどっぷり浸かってる。別に百合が嫌いってわけじゃあない」
「そ、そうですか……」
「で、女の子にキスされたんじゃなけりゃ、どういう意味なのよ?」
「えっと、それは……ですね」
出来るだけ簡潔に淡々と──わたしはとおやとの関係を瑞河さんに伝えた。そして一昨日の飲み会、更にはキスについても尻すぼみになりながらだけれど、話しをした。
「えっと? 彼は女なの?」
「違いますって。そうじゃなくて……異性として意識していなかった男にキスをされて、同性にされたのと同じくらい衝撃的だったという例えです」
「なるほどね」
なんとなく腑に落ちないといった様子の瑞河さんは、腕を組むと短く溜め息を吐いた。
「本当に今まで、異性として見ていなかった?」
「それは……」
「そんな相手に急にキスをされて、戸惑った?」
「はい……」
とおやはどうだか知らないが、少なくもわたしは彼のことを恋愛対象として見ていなかった。異性として意識すらしていなかった。それなのに急にあんなことがあって。
確かに、とおやといると安心するし心地よい。それが恋愛感情なのかといわれたら、わたしにはわからなかった。
(とおやは私が知らないだけで、ちゃんと男だったんだ……)
「でもね、真戸乃。彼は男であんたとは身体のつくりも考え方も丸っきり違う。ちゃんと異性として見てあげないと可哀想だよ」
「そう、ですよね」
(男、か……)
抱き寄せられた腕は、固くて太かった。背だってあんなに伸びて、控えめな香りの香水までつけちゃって。今まで幼馴染として傍にいたのに、そんなこと、気付きもしなかった。
それにあの唇──。
(優しかったな、とおやのキス……)
「大丈夫? ぼうっとして」
瑞河さんの言葉にハッとして顔を上げると、自分の唇に指先で触れていたことに気が付いた。塗り直したばかりの口紅が、指先に付着していた。
「いえ…………あっ、そろそろ休憩終わりますよ」
スマートフォンで時間を確認すると、休憩時間終了十分前。
「そろそろ戻らないとですね」
「……ああ」
「色々とアドバイス、ありがとうございました。今度何かお礼させて下さいね」
「いいよ、気にしなくて」
指についた口紅を洗いたくて、わたしはお手洗いへと足を向ける。
「……こりゃ、抱かれたら終わりだね」
「なにか言いました?」
「……いいや」
(おかしいな、何か言ったように聴こえたんだけど)
瑞河さんとお手洗いの前で別れ、鏡の設置された手洗い場の前へと向かう。手を洗い顔を上げると、鏡に写る自分が昨日までとは全く別人に見えた。
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お手洗いを出た直後、わたしのスマートフォンに着信が入った。相手は────。
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