跪いて愛を乞い願う

橋本しら子

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 向かう方角も分からないまま、狭い道をただひたすらに駆け抜ける。背後からは得体の知れないものが迫り来る気配を感じ、その恐怖から逃れるために更に走る速度を上げた。息も絶え絶えになりながら走っているはずなのに、一向に苦しさは訪れない。
 そこでリュージは、これが夢だと気付く。久しく見ることのなかった夢は、気づいたところで覚めることなく更に続いていった。

(夢の中で夢だと気付くのも、おかしな話だな)

 夢といっても、これは過去の出来事の追体験に近いものだ。結末はきっと変わらない。
 あのとき、本来ならもっと多くの人間が逃げ惑っていた。現場は酷く混乱しており、助けを呼ぼうにも状況を把握することすら困難だった覚えがある。いくらリュージが現場で荒事には慣れている刑事であってもだ。
 この夢はそういった部分がいくらか排除され、少し脚色されているらしい。今いるのは、リュージと後ろから追ってくるもの……そして、目の前にいる子供だけだった。

「――っ! ――――!」

 子供は恐怖からなのか、その場を動こうとしない。逃げろと叫んだが、ただその場に佇んでいた。
 リュージはその子供に手を伸ばし抱き抱えて走る。本来ならば美しいのであろう薄紫色の髪はボサボサで、四肢がやせ細っている子供は、そのか細い腕でリュージの服にしがみついた。

「――――」

 あのときはなんと声を掛けただろうか。夢の中のリュージはその子供になにか声をかけていたが、その内容は思い出せなかった。

(あぁ、確か……)

 俺が守ってやるから安心しろ。そうだ、そんなことを言ったなと思い出したところで、視界が唐突に白くなっていった。

「……寝た気がしねぇなぁ」

 次に目に映った景色は、見慣れた自室の天井だった。窓から見えるのは、夜明けからまだほどない空の色。

「年取ると、早起きになって適わんな」

 そうぼやきながらも、リュージはベッドから起き上がり身支度を調えた。
 セレニア帝国領は今、短い夏が終わり秋口へと差し掛かっている。朝方はだいぶ涼しく、今が一番過ごしやすい季節と言える。室内の冷暖房など、現代とは違いエアコンなどの機器はない。そのかわりに、鉱山から採掘される魔石などがその役割を担っていた。
 帝国領のおおよそ1/3の領土が小高い山や雪原で、農業で得られるものは少ない。四季は存在すれど、夏は短く冬が長い土地柄、農作物の育成には不向きな場所だ。その辺は他国からの輸入に頼りきりになっている。その反面、魔石や鉱石の鉱山が多く存在するため、それらが主に国の収入源になっていた。
 朝から寝起きの頭で国内事情に思考が傾いてしまい、リュージは軽く頭を振って切り替える。

「非番の日まで仕事のことは考えんでもいいだろ」

 そう、今日は久々の非番なのだ。そんな日にまでわざわざ仕事のことを考えなくても良い。立場を考えればそんな無責任なことも言っていられないが、休めるときに休まなければ有事の際に動けなくなる。
 異世界に転移したあの日、帝国軍に保護されて早数十年。気がつけばその帝国軍の総帥の座に就き、周りから閣下などと御大層な呼び方をされるようになった。それにも大分慣れたが、部下への指示や現場に出て戦うことならまだしもお貴族様の相手をしなければならないのが億劫でならない。一介の庶民の出であるリュージには些か窮屈な立場ではあった。

(刑事やってた頃の方が気が楽だったな)

 毎日事件に翻弄されてはいたが、それにやり甲斐を感じていたのは事実。そのせいで家庭は上手くいかなかったが、今となっては全て良い思い出になっている。

「ホームシックじゃあるまいし……」

 夢見心地のせいか、あれこれ余計なことを思い出してしまう。これ以上余計なことを思い出してしまう前に別のことをしようと、リュージは身なりを整え自室を後にした。
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