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1巻
1-3
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「あ、そろそろ始まるみたいだよ」
ステラに言われて視線を前に向けると、照明が少しずつ消え、大講堂が暗くなり始めていた。
徐々に生徒たちの喋り声も収まっていく。
大講堂が静まり返ると、拡声魔術を使った大きな声が響いた。
「新入生。起立!」
そんな司会者の開式の言葉から入学式が始まる。それから式は来賓の挨拶や、祝辞など順調に進行していった。
「生徒会長挨拶。生徒会代表、アレク・ファン・アヴァドーラ」
「はい!」
司会者に呼ばれると、兄が舞台袖から出てきて講壇に立った。
(え……?)
そんな光景に俺は内心驚愕する。
優秀だとは聞いていたが、まさか兄が生徒会長だとは思ってもいなかった。しかし、突然そう聞いても何の違和感もないのが、生徒会長たる所以なのかもしれない。
ただ、自分の兄が生徒会長をしているとなると、違和感がなくとも少し面白く感じてしまう。
「初めまして、生徒会長、高等部二年のアレク・ファン・アヴァドーラです」
当然そんな反応は俺だけのようで、他の生徒たちはこそこそとざわつき始めた。
「あれがアレク様! 初めて本物を見たわ……!」
「まさかアレク様と同じ学院に通えるなんて!」
「アレク様、素敵すぎます!」
主に女子生徒たちが兄に羨望の眼差しを送る。王族を目にする機会などそうないため物珍しいのだろう。それに加えて誰もがイケメンと称するような美形で、しかも優しげなオーラまで纏っている。惹かれない方がおかしいというものだ。
「何か不安なことがありましたら、気軽に僕や先輩方を頼ってくださいね」
兄は綺麗にまとめて話を終える。
すると兄の挨拶が終わった途端、巨大な拍手が巻き起こった。今までの来賓やどこかの貴族の挨拶に対してのものより何十倍も大きい。王族というのもあるだろうが、これに関しては兄のカリスマ性によるところが大きいのだろう。
その後も着々と入学式は進行し、開式から一時間半ほどで全ての項目が終わった。
「以上をもちまして、入学式を閉式いたします」
司会者の締めの言葉で入学式は終了となり、生徒たちはぞろぞろと大講堂から退出していく。
俺とステラも、生徒たちが少なくなったのを見計らって席から立ち上がった。
「長かったね、入学式」
「そうだな。これからどうするんだっけ?」
「クラス分けを確認して、自分のクラスに移動。あとは各自クラスで活動する感じだね」
「クラス分けかぁ……」
「学院も実力至上主義を取り入れてるからね。クラスも入試の評価順で決まるらしいよ」
「え? 入試?」
どうやらこの国立魔術学院には入試があるらしい。俺はそんなもの一切、受けた覚えがないのだが大丈夫なのだろうか。
まぁ、父が無理やりねじ込んだとか、そんなところだろう。出来るだけ目立ちたくないため、評価が下の方であると助かるが。
するとステラは自虐的に苦笑を漏らした。
「僕は体術も魔術も弱くて、入試に合格するのもギリギリだったからEクラスかなぁ……アハハ」
「なら俺もEクラスがいいな」
「ど、どうして!?」
ステラは驚きの声を上げた。
実力至上主義の中、俺のような上を目指していない人間は不思議がられるのだ。そうでなくとも、学院に通うなら上を目指して日々鍛錬を行うのが道理だろう。
「別に俺は上を目指してないから。力の強さだけで優劣が決まる社会のルールにも賛同しかねるし」
「へぇ……ニート君って変わってるね」
「そうか?」
「あ、悪い意味じゃないんだよ! ただそうやって、もともと決まってるルールや慣習に疑問を持てる子供なんて普通いないから」
そんな話をしながら俺たちはクラス表が貼られている場所へと向かった。
その道中でトイレの看板が俺の視界に入り、あることを思い出す。そういえば、俺は入学式の間、ずっと尿意を我慢していたのだ。どれだけクラスでの活動が長くなるか分からないため、先に済ませておいた方がいいだろう。
「なぁステラ、クラス分けを見に行く前にトイレに寄っていいか?」
「うん、いいよ」
「ステラも一緒に行くか?」
「え?」
俺が何の気なしに誘ってみると、ステラは目を丸くして、その場で固まってしまった。
俺たちの間にどんよりとしたどこか気まずい空気が流れる。
ステラの表情からは先ほどまでの微笑みが消え、地面をじっと見つめていた。
ちなみに、俺はある程度の一般常識は母から教わっている。友達と一緒にトイレに行くぐらい、普通だと思っていた。だがまぁ、距離感は個人によって大きく異なる。ステラにとって俺との関係はまだそこまで進展していなかったのかもしれない。
すぐに俺は謝った。
「す、すまん、そりゃあほぼ初対面の奴とトイレなんか気まずいよな」
「ううん、違うんだ。ニート君が嫌だなんて思ってないよ。ただ……」
ステラは再び視線を落として押し黙った。
しかし今度は葛藤し、苦悩した末に何かを決断したようだった。
彼はゆっくりと重い口を開いて俺に告げた。
「僕……女なんだ」
「ん?」
ステラは俯きながら申し訳なさそうにしている。
ステラが喋っている言語は俺が知っているのと同じものだ。なのに俺はステラが告げた言葉の意味が全く分からなかった。
そんな俺を気遣ってか、ステラはもう一度説明してくれる。
「僕、男の子じゃなくて女の子なんだ」
「アハハ…………え、マジ?」
冗談だと思って一瞬笑ってみせたが、ステラの表情を見て固まってしまった。
そう言われてみれば男子生徒ではなく、女子生徒にも見えるような……
いや、見える。というかかなり可愛い女の子に見える。
「ほら、胸だってまだ小さいけど――」
「み、見せなくていいから!」
証拠を見せようとしてくれたのか、ステラは制服を胸元までたくし上げようとした。
俺は慌てて、すぐに服を下ろさせる。常識知らずなのか、天然なのか。まぁテンパっていたのだろう。
「っっっ!?」
遅れて自分の言動を理解したステラは、羞恥で顔だけでなく耳まで真っ赤に染めた。すぐに両手で自分の顔を覆うように隠したり、顔の熱を冷ますためにパタパタと扇いだりしている。
この色々な情報が混濁とした状況で俺が取るべき行動は、一つしかない。
「も、申し訳ございませんでしたあああああぁぁー!」
「え、えぇ!?」
俺は勢い良く通路の真ん中で土下座した。
そばを通る通行人の視線がかなり痛いが、今はそれどころではない。
せっかく友達になれた彼……いや、彼女の心を俺は傷つけてしまった。これぐらいの誠意で済むのなら俺はいくらでも土下座する。
「に、ニート君が謝ることじゃないよ! 間違えられそうな格好してる僕が悪いんだから!」
ステラが美少年に見えてしまう理由はいくつかある。
女性にしては珍しいほどのショートヘア。どちらにもとれる中性的な顔立ち。それにステラは、スカートではなくズボンをはいていた。
だが、そんなものは間違えて良い言い訳にはならない。
「いや、完全に俺が悪かったです! 本当にすみませんでしたあぁ!」
「ちょ、ちょっと別の場所に移動しよう! ここじゃなんだし……!」
ステラは土下座したままの俺を無理やり立たせる。
俺は彼女に腕を引っ張られながら、人気のない場所へと移動した。
その後、俺たちは静かな中庭にあるベンチに腰かける。
クラス活動に遅れないか心配だったのだが、どうやら先に新入生の保護者だけを集めた会をクラスごとに行うらしく、それまで俺たち新入生には自由時間が設けられていた。
その間、新入生は校内を散策したり、休憩をとったり、クラスメイトとの親睦を深めたり。要するに、クラス活動まではまだ時間に余裕があるということだ。
「別に僕は、女の子が好きだからこんな格好してるとか、男になりたいからとか、そういう気持ちはないんだ」
ステラは視線を地面に落としたまま唇を震わせる。
その様子は何かに怯えているようで、なおかつ何かを恐れているように見えた。
「でも、やっぱり気持ち悪いよね……」
ステラはごめんね、と諦め気味に言い捨てた。
今までこのように、誰かに真実を打ち明けた経験が何度もあったのだろう。そしてその度に誰にも自分を理解してもらえなくて、忌み嫌われた。
でなければ、ここまで希望のない濁った目を彼女がするわけがない。今回もステラは俺に軽蔑されることを恐れているのだろう。
だから俺は迷うことなくハッキリと言い切った。
「そんなことないだろ」
「え……?」
「驚きはしたけど、気持ち悪いなんてことあるわけないだろ。むしろかっこいいよ」
「――ッ!!」
どんなことであろうと、自分の信念を貫く人の姿はかっこよく、美しいものだ。
どこに気持ち悪いと感じる要素があるのか。
けれど今まで植え付けられたトラウマから、ステラは疑念が拭えないようだ。
「ほ、本気で言ってるの? 女の子なのに『僕』とか言ってるんだよ?」
「そんなの個人の自由だろ。少なくとも俺は絶対に気持ち悪いなんて思わない」
「そっか、そっか……」
ステラは軽く頷きながら、自分に言い聞かせるように言った。
俺の真剣な眼差しを受け、少しは納得してくれたようだ。
すると彼女の中で何かがふっきれたのか。それとも俺に心を許してくれたのか。
今まで固く閉ざしていた重い口を開き、奥底に隠された思いを語り始めた。
「僕ね……憧れた人がいるんだ」
ステラは過去を思い返しながら言う。
彼女の視線はどこか遠い場所に向いていた。
一度口火を切った彼女の勢いは、とどまる様子を見せない。
ステラは、俺が相槌を打つ暇もないほどに続けて語る。
「その人はね、『私』と同じ女性なんだけど凄くかっこいいんだ」
「いつもはフードを被ってるんだけど、その隙間から見える顔は凛々しくて、でもちょこんとはみ出てる長い耳は可愛くて」
「そして誰よりも強い。平気な顔で強力な魔術を何発も連続で撃つの。私は昔、そんな凄い魔術師に助けてもらったんだ」
「だから私はその人に憧れた。自分の芯は絶対に曲げない、そんな女性に――『僕』もなりたかった」
ステラは嬉しそうに続ける。
「幸いにも僕は中性的な見た目だったから、容姿からでも彼女に近づこうかなと思って」
流石に耳は長く出来なかったけどね、とステラは苦笑まじりに付け加えた。
ステラの様子を見るに、性別を間違えられることはさほど気にしていないらしい。
彼女が気にしていることはただ一つ。
そんなかっこよさに憧れる自分を受け入れてもらえるかどうかだけ。
「分かるよ。俺も似たような感じだから」
「似たような感じ?」
「俺にもいたんだ、俺に道を示してくれた師匠が」
ステラのように素晴らしいものでも、誇れるものでもないかもしれない。
けれど俺にとってあの男との出会いは、自分の中の常識の全てを覆すほどのものだった。
「周りからは蔑まれたし、反対もされた。でも家族だけは俺の味方をしてくれたんだ」
父だっていつも部屋から俺を連れ出そうとするものの、無理やり引きずりだしたことは一度もなかった。たとえ今日俺が学院に行かなくとも、父は俺を責めなかっただろう。
母はいつも俺を見守ってくれて、兄は支えてくれて。まぁ妹に関しては少し手厳しいけど。
「だから俺はここまでやってこれた。俺が俺のままでいられたんだ」
この学院に通うことにしたのも恩返しの意味を含んでいる。
家族を安心させるために、家族に感謝を伝えるために。
少しでも親孝行出来るのであればと思い、俺はあの安寧の地である王城から出た。
しかし当然、学院に通うと言っても、学院の中では引きこもりを追求させてもらう。そこに関しては俺が俺たる所以なのだから譲れはしない。
「もしかしたら、俺はステラより恵まれてるのかもしれない。でも、だからこそステラの気持ちはよく分かるし、気持ち悪いなんて絶対に思わない」
「…………」
「堂々としてたらいいんだよ。言ったろ?」
俺は戸惑うステラに微笑みかけながら言った。
「自分の芯は絶対に曲げない、そんな女性に憧れたって」
「――っ!!」
ステラはビクリと体を小さく震わせ、息をのんだ。
驚いたかと思うと、今度は彼女の瞳からどわっと涙が溢れた。
「うぅ……う、うぅ……」
「なっ!? ごめん! 言いすぎたかも」
「いや、違うんだ……うぅ……嬉しくて……今まで真実を告白しても誰にも受け入れてもらえなかったから……」
ステラは溢れ出る涙を一生懸命拭う。
しかし、その涙は止まることを知らない。
「ありがとう……ニート君」
ステラは嗚咽まじりに感謝を告げた。
青空色の瞳から零れた大粒の涙が、頬を伝っては落ちる。
そんな彼女の姿が俺にはとても美しく思えた。
ステラが泣きやむのを待ってから、俺たちはクラス表が貼られている掲示板へと向かった。
もう時間に余裕はないが、クラス活動にはぎりぎり間に合うだろう。
「ごめんね、情けないとこ見せちゃって」
ステラは涙で赤くなった目を誤魔化すようにはにかむ。
いつもくだらない魔術や便利魔道具を創っている俺だが、赤くなった目を治す魔術や魔道具は持ち合わせていなかった。
今度創ろう。絶対に。
「もうすぐ掲示板があるところに着くはずなんだけど……あっ! あれじゃない?」
ステラはそう言うと、掲示板まで駆け足で向かった。俺も彼女の後についていく。
掲示板の前に立つと、そこにはAからEまで五枚のクラス表が貼られていた。
「うわぁ、見つけるの大変そう……」
「手分けして探した方が良さそうだな」
新入生の数は百名を超す。クラス表にはぎっしりと名前が記されているため、そこから自分の名前を見つけるのは容易ではない。
なのでステラがEクラスから、俺がAクラスからと分担して順に名前を追っていく。
先に俺たちの名前を見つけたのは、下から探していたステラの方だった。
「あ、ニート君! 同じクラスだよ!」
「本当? それは良かったな!」
ステラは子供のように嬉しそうにはしゃいでいる。
彼女は手のひらをこちらに見せてきた。ハイタッチしようということなのだろう。
俺も彼女の小さな手に自分の手のひらを合わせて喜ぶ。
念のため俺もクラス表に目を通したが、間違いなく二人の名前が記されていた。
「僕、友達が一人もいないから、ニート君がいてくれて安心したよ」
「俺も内心かなりホッとしてるよ、友達一切いないし」
「えぇ!? ニート君、人当たりいいし、優しいし。いっぱい友達いそうなのに……」
どうも、十年間引きこもってる穀潰しです。
当然そんな俺に友達なんているわけもなく、話すのは家族か執事や侍女だけ。
なのに、こんなにも優しい友達が出来たのだ。もうね、感謝しかない。神様ありがとう。
「でもEクラスか……」
俺はステラと同じクラスであればどのクラスになろうとどうでもいい。
だが、ステラに関してはそうも言っていられないだろう。
彼女は自分がEクラスと知ってしまえば悲しんでしまう。そう思っていたのだが、
「僕もさっきまでは気にしてたけど、もうなんでもいいよ! これから僕たちが成長していけばいいんだから!」
ステラは小さな握りこぶしを作って、意気揚々と言った。
今の彼女の表情はさっきよりもすっきりしたように見える。
「それもそうだな。これからもよろしくな、ステラ」
「うん! 末永くよろしくね、ニート君!」
お互いに顔を見合わせ、俺たちはふっと笑い合う。
そしてともに肩を並べながらEクラスの教室へと向かった。
◆◆◆◆◆◆◆
Eクラスに着くと、教室の前には一人の男性が立っていた。その立ち振る舞いを見るに、俺たち生徒を待っているようだ。男性に近づくと、予想通り声をかけられた。
「君たちはEクラスの生徒かね?」
「はい、ステラです」
「ニートです」
俺たちが名乗ると、男性はすぐに手元の名簿に目を通していった。そして俺たちの名前を見つけてペンでチェックを入れる。
「よし、これで最後だな」と疲労感をあらわにしながら言った。それから、親の出席がなかった俺に、保護者宛ての書類を渡してくる。
「教室には入ってもいいんですか?」
ステラはそわそわしながら男性に尋ねる。新しいクラスを前に、楽しみと緊張が入り混じっているように見える。
けれど男性は首を左右に振った。
「いや、実は今日、このクラスの担任が学院に来ていなくてね。クラス活動は明日からになった。私はその連絡役みたいなものさ。悪いが、今日はこのまま帰ってくれ」
この男性が担任だと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
しかし入学式に担任が来ないというのはいかがなものか。
クラス活動が中止になるなど常識的に考えて普通ではないはずだ。隣にいるステラも怪訝そうな表情をしていた。そんな戸惑う俺たちを見て、職員の男は同情するように呟く。
「それにしても君たちも可哀そうだな。あんな奴の生徒になってしまって……」
「「え?」」
俺とステラは思わず、素っ頓狂な声を上げてしまう。
まさか学院の職員ともあろう人間からそんな言葉が出てくるとは、思ってもいなかったのだ。
「まぁ底辺のEクラスにあいつを当てるのも仕方ないか」
職員は勝手に一人で納得するように言った。その言葉から察するに、確実に良い意味ではないだろう。
「君たちもこの一年は覚悟した方が良いぞ」
そう言い残して、職員はいそいそと去っていく。担任についてもう少し詳しく聞きたかったのだが、これ以上は話してくれそうになかった。
また二人だけに戻ると、ステラは小声で俺に聞いてくる。
「もしかして僕たちの担任、ハズレなのかな?」
「まぁあの職員からしたらそうなんだろうな」
「ちょっと怖くなってきたかも……」
先ほどまで学園生活に胸を躍らせていたステラだが、今では肩を落としてしゅんとしていた。
彼女は怖い鬼教師のような先生を想像しているのだろう。
ただ、俺の予想ではあるが、あの職員の態度からしてそういう意味ではない気がする。
「初日から来てない先生だからな。怖いとか厳しいとかじゃないと思う」
「そっか……そうだよね!」
俺が説明した途端、再びステラの瞳には光が灯った。
感情の変化が実に分かりやすく面白い。本当に子犬のようだ。
「この後って、もう放課後扱いで解散だよね? ニート君はどうするの?」
「う~ん。学院に残ってもすることないしな……」
せっかくの登校初日だ。寄り道してみたいと一瞬思ったが、街で遊べるほどの耐性は、流石に外に出て一日目の俺にはついていなかった。
ステラも特に何かを提案することはなく、結局、何をするか決まらなかったので、自然にその場でお開きとなった。
俺はステラと別れたあと、トイレへと向かった。
アレクの言いつけ通り、転移魔術は人前で使わない方が良い。人気のない場所はいくつか見つけたが、万が一にも、生徒や職員に見られてはならない。
そのため、俺は下校をトイレの個室で行うことにした。
衛生面的にどうなんだ、という点については俺も思う。ってか普通に嫌だよ。でも今は仕方がない。学院に慣れたら、ゆっくり他の場所を探してみるのもいいかもしれない。
ついでに我慢していたトイレを済ませてから、俺は転移魔術を行使した。
「無の加護のもとに。創作魔術【転移】」
王城の自室に転移すると、俺は学院の制服をベッドに脱ぎ捨て、いつものゆったりとした部屋着に着替える。
その後、真っ先に部屋を出て玉座の間へと向かった。玉座の間にはその名の通り玉座があり、父の国王としての仕事場でもある。大抵の場合、父はその部屋にいるはずなので、俺は一直線に向かう。
玉座の間に着くと、俺はコンコンコンと巨大な扉をノックしてから中に入った。
この場に足を踏み入れることが出来るのは、ごく一部の人間と王族だけだ。
俺は第二王子なので当然、顔パスで入れる。
「失礼します。父上に相談があって来ました」
「おおぉ、ニートか。お前がここに来るなんて珍しいな」
玉座に座っている父は物珍しそうに俺に視線を送ってきた。
そんな父の手や膝の上にはいくつもの書類が見える。俺が入ってくるまで書類たちと睨み合っていたのだろう。
最近は他国の情勢が乱れており、いつ戦争が起きるか分からないと父は危惧していた。
それらの情報収集や改善策を練るため、最近は毎日夜通しで働いている。本当に尊敬出来る父であり、国王だ。
本来なら国王は専用の部屋で執務を行うのが普通なのだろう。しかし父はどうしてもこの玉座の間でやりたがる。
机も、書物置きも、何もない。飲食だって禁止。ただ豪勢な椅子が一つあるだけ。
そんな質素な空間だが、父曰く、ここで仕事をした方が何十倍も効率が良いらしい。調べたことがないので定かではないが。
ステラに言われて視線を前に向けると、照明が少しずつ消え、大講堂が暗くなり始めていた。
徐々に生徒たちの喋り声も収まっていく。
大講堂が静まり返ると、拡声魔術を使った大きな声が響いた。
「新入生。起立!」
そんな司会者の開式の言葉から入学式が始まる。それから式は来賓の挨拶や、祝辞など順調に進行していった。
「生徒会長挨拶。生徒会代表、アレク・ファン・アヴァドーラ」
「はい!」
司会者に呼ばれると、兄が舞台袖から出てきて講壇に立った。
(え……?)
そんな光景に俺は内心驚愕する。
優秀だとは聞いていたが、まさか兄が生徒会長だとは思ってもいなかった。しかし、突然そう聞いても何の違和感もないのが、生徒会長たる所以なのかもしれない。
ただ、自分の兄が生徒会長をしているとなると、違和感がなくとも少し面白く感じてしまう。
「初めまして、生徒会長、高等部二年のアレク・ファン・アヴァドーラです」
当然そんな反応は俺だけのようで、他の生徒たちはこそこそとざわつき始めた。
「あれがアレク様! 初めて本物を見たわ……!」
「まさかアレク様と同じ学院に通えるなんて!」
「アレク様、素敵すぎます!」
主に女子生徒たちが兄に羨望の眼差しを送る。王族を目にする機会などそうないため物珍しいのだろう。それに加えて誰もがイケメンと称するような美形で、しかも優しげなオーラまで纏っている。惹かれない方がおかしいというものだ。
「何か不安なことがありましたら、気軽に僕や先輩方を頼ってくださいね」
兄は綺麗にまとめて話を終える。
すると兄の挨拶が終わった途端、巨大な拍手が巻き起こった。今までの来賓やどこかの貴族の挨拶に対してのものより何十倍も大きい。王族というのもあるだろうが、これに関しては兄のカリスマ性によるところが大きいのだろう。
その後も着々と入学式は進行し、開式から一時間半ほどで全ての項目が終わった。
「以上をもちまして、入学式を閉式いたします」
司会者の締めの言葉で入学式は終了となり、生徒たちはぞろぞろと大講堂から退出していく。
俺とステラも、生徒たちが少なくなったのを見計らって席から立ち上がった。
「長かったね、入学式」
「そうだな。これからどうするんだっけ?」
「クラス分けを確認して、自分のクラスに移動。あとは各自クラスで活動する感じだね」
「クラス分けかぁ……」
「学院も実力至上主義を取り入れてるからね。クラスも入試の評価順で決まるらしいよ」
「え? 入試?」
どうやらこの国立魔術学院には入試があるらしい。俺はそんなもの一切、受けた覚えがないのだが大丈夫なのだろうか。
まぁ、父が無理やりねじ込んだとか、そんなところだろう。出来るだけ目立ちたくないため、評価が下の方であると助かるが。
するとステラは自虐的に苦笑を漏らした。
「僕は体術も魔術も弱くて、入試に合格するのもギリギリだったからEクラスかなぁ……アハハ」
「なら俺もEクラスがいいな」
「ど、どうして!?」
ステラは驚きの声を上げた。
実力至上主義の中、俺のような上を目指していない人間は不思議がられるのだ。そうでなくとも、学院に通うなら上を目指して日々鍛錬を行うのが道理だろう。
「別に俺は上を目指してないから。力の強さだけで優劣が決まる社会のルールにも賛同しかねるし」
「へぇ……ニート君って変わってるね」
「そうか?」
「あ、悪い意味じゃないんだよ! ただそうやって、もともと決まってるルールや慣習に疑問を持てる子供なんて普通いないから」
そんな話をしながら俺たちはクラス表が貼られている場所へと向かった。
その道中でトイレの看板が俺の視界に入り、あることを思い出す。そういえば、俺は入学式の間、ずっと尿意を我慢していたのだ。どれだけクラスでの活動が長くなるか分からないため、先に済ませておいた方がいいだろう。
「なぁステラ、クラス分けを見に行く前にトイレに寄っていいか?」
「うん、いいよ」
「ステラも一緒に行くか?」
「え?」
俺が何の気なしに誘ってみると、ステラは目を丸くして、その場で固まってしまった。
俺たちの間にどんよりとしたどこか気まずい空気が流れる。
ステラの表情からは先ほどまでの微笑みが消え、地面をじっと見つめていた。
ちなみに、俺はある程度の一般常識は母から教わっている。友達と一緒にトイレに行くぐらい、普通だと思っていた。だがまぁ、距離感は個人によって大きく異なる。ステラにとって俺との関係はまだそこまで進展していなかったのかもしれない。
すぐに俺は謝った。
「す、すまん、そりゃあほぼ初対面の奴とトイレなんか気まずいよな」
「ううん、違うんだ。ニート君が嫌だなんて思ってないよ。ただ……」
ステラは再び視線を落として押し黙った。
しかし今度は葛藤し、苦悩した末に何かを決断したようだった。
彼はゆっくりと重い口を開いて俺に告げた。
「僕……女なんだ」
「ん?」
ステラは俯きながら申し訳なさそうにしている。
ステラが喋っている言語は俺が知っているのと同じものだ。なのに俺はステラが告げた言葉の意味が全く分からなかった。
そんな俺を気遣ってか、ステラはもう一度説明してくれる。
「僕、男の子じゃなくて女の子なんだ」
「アハハ…………え、マジ?」
冗談だと思って一瞬笑ってみせたが、ステラの表情を見て固まってしまった。
そう言われてみれば男子生徒ではなく、女子生徒にも見えるような……
いや、見える。というかかなり可愛い女の子に見える。
「ほら、胸だってまだ小さいけど――」
「み、見せなくていいから!」
証拠を見せようとしてくれたのか、ステラは制服を胸元までたくし上げようとした。
俺は慌てて、すぐに服を下ろさせる。常識知らずなのか、天然なのか。まぁテンパっていたのだろう。
「っっっ!?」
遅れて自分の言動を理解したステラは、羞恥で顔だけでなく耳まで真っ赤に染めた。すぐに両手で自分の顔を覆うように隠したり、顔の熱を冷ますためにパタパタと扇いだりしている。
この色々な情報が混濁とした状況で俺が取るべき行動は、一つしかない。
「も、申し訳ございませんでしたあああああぁぁー!」
「え、えぇ!?」
俺は勢い良く通路の真ん中で土下座した。
そばを通る通行人の視線がかなり痛いが、今はそれどころではない。
せっかく友達になれた彼……いや、彼女の心を俺は傷つけてしまった。これぐらいの誠意で済むのなら俺はいくらでも土下座する。
「に、ニート君が謝ることじゃないよ! 間違えられそうな格好してる僕が悪いんだから!」
ステラが美少年に見えてしまう理由はいくつかある。
女性にしては珍しいほどのショートヘア。どちらにもとれる中性的な顔立ち。それにステラは、スカートではなくズボンをはいていた。
だが、そんなものは間違えて良い言い訳にはならない。
「いや、完全に俺が悪かったです! 本当にすみませんでしたあぁ!」
「ちょ、ちょっと別の場所に移動しよう! ここじゃなんだし……!」
ステラは土下座したままの俺を無理やり立たせる。
俺は彼女に腕を引っ張られながら、人気のない場所へと移動した。
その後、俺たちは静かな中庭にあるベンチに腰かける。
クラス活動に遅れないか心配だったのだが、どうやら先に新入生の保護者だけを集めた会をクラスごとに行うらしく、それまで俺たち新入生には自由時間が設けられていた。
その間、新入生は校内を散策したり、休憩をとったり、クラスメイトとの親睦を深めたり。要するに、クラス活動まではまだ時間に余裕があるということだ。
「別に僕は、女の子が好きだからこんな格好してるとか、男になりたいからとか、そういう気持ちはないんだ」
ステラは視線を地面に落としたまま唇を震わせる。
その様子は何かに怯えているようで、なおかつ何かを恐れているように見えた。
「でも、やっぱり気持ち悪いよね……」
ステラはごめんね、と諦め気味に言い捨てた。
今までこのように、誰かに真実を打ち明けた経験が何度もあったのだろう。そしてその度に誰にも自分を理解してもらえなくて、忌み嫌われた。
でなければ、ここまで希望のない濁った目を彼女がするわけがない。今回もステラは俺に軽蔑されることを恐れているのだろう。
だから俺は迷うことなくハッキリと言い切った。
「そんなことないだろ」
「え……?」
「驚きはしたけど、気持ち悪いなんてことあるわけないだろ。むしろかっこいいよ」
「――ッ!!」
どんなことであろうと、自分の信念を貫く人の姿はかっこよく、美しいものだ。
どこに気持ち悪いと感じる要素があるのか。
けれど今まで植え付けられたトラウマから、ステラは疑念が拭えないようだ。
「ほ、本気で言ってるの? 女の子なのに『僕』とか言ってるんだよ?」
「そんなの個人の自由だろ。少なくとも俺は絶対に気持ち悪いなんて思わない」
「そっか、そっか……」
ステラは軽く頷きながら、自分に言い聞かせるように言った。
俺の真剣な眼差しを受け、少しは納得してくれたようだ。
すると彼女の中で何かがふっきれたのか。それとも俺に心を許してくれたのか。
今まで固く閉ざしていた重い口を開き、奥底に隠された思いを語り始めた。
「僕ね……憧れた人がいるんだ」
ステラは過去を思い返しながら言う。
彼女の視線はどこか遠い場所に向いていた。
一度口火を切った彼女の勢いは、とどまる様子を見せない。
ステラは、俺が相槌を打つ暇もないほどに続けて語る。
「その人はね、『私』と同じ女性なんだけど凄くかっこいいんだ」
「いつもはフードを被ってるんだけど、その隙間から見える顔は凛々しくて、でもちょこんとはみ出てる長い耳は可愛くて」
「そして誰よりも強い。平気な顔で強力な魔術を何発も連続で撃つの。私は昔、そんな凄い魔術師に助けてもらったんだ」
「だから私はその人に憧れた。自分の芯は絶対に曲げない、そんな女性に――『僕』もなりたかった」
ステラは嬉しそうに続ける。
「幸いにも僕は中性的な見た目だったから、容姿からでも彼女に近づこうかなと思って」
流石に耳は長く出来なかったけどね、とステラは苦笑まじりに付け加えた。
ステラの様子を見るに、性別を間違えられることはさほど気にしていないらしい。
彼女が気にしていることはただ一つ。
そんなかっこよさに憧れる自分を受け入れてもらえるかどうかだけ。
「分かるよ。俺も似たような感じだから」
「似たような感じ?」
「俺にもいたんだ、俺に道を示してくれた師匠が」
ステラのように素晴らしいものでも、誇れるものでもないかもしれない。
けれど俺にとってあの男との出会いは、自分の中の常識の全てを覆すほどのものだった。
「周りからは蔑まれたし、反対もされた。でも家族だけは俺の味方をしてくれたんだ」
父だっていつも部屋から俺を連れ出そうとするものの、無理やり引きずりだしたことは一度もなかった。たとえ今日俺が学院に行かなくとも、父は俺を責めなかっただろう。
母はいつも俺を見守ってくれて、兄は支えてくれて。まぁ妹に関しては少し手厳しいけど。
「だから俺はここまでやってこれた。俺が俺のままでいられたんだ」
この学院に通うことにしたのも恩返しの意味を含んでいる。
家族を安心させるために、家族に感謝を伝えるために。
少しでも親孝行出来るのであればと思い、俺はあの安寧の地である王城から出た。
しかし当然、学院に通うと言っても、学院の中では引きこもりを追求させてもらう。そこに関しては俺が俺たる所以なのだから譲れはしない。
「もしかしたら、俺はステラより恵まれてるのかもしれない。でも、だからこそステラの気持ちはよく分かるし、気持ち悪いなんて絶対に思わない」
「…………」
「堂々としてたらいいんだよ。言ったろ?」
俺は戸惑うステラに微笑みかけながら言った。
「自分の芯は絶対に曲げない、そんな女性に憧れたって」
「――っ!!」
ステラはビクリと体を小さく震わせ、息をのんだ。
驚いたかと思うと、今度は彼女の瞳からどわっと涙が溢れた。
「うぅ……う、うぅ……」
「なっ!? ごめん! 言いすぎたかも」
「いや、違うんだ……うぅ……嬉しくて……今まで真実を告白しても誰にも受け入れてもらえなかったから……」
ステラは溢れ出る涙を一生懸命拭う。
しかし、その涙は止まることを知らない。
「ありがとう……ニート君」
ステラは嗚咽まじりに感謝を告げた。
青空色の瞳から零れた大粒の涙が、頬を伝っては落ちる。
そんな彼女の姿が俺にはとても美しく思えた。
ステラが泣きやむのを待ってから、俺たちはクラス表が貼られている掲示板へと向かった。
もう時間に余裕はないが、クラス活動にはぎりぎり間に合うだろう。
「ごめんね、情けないとこ見せちゃって」
ステラは涙で赤くなった目を誤魔化すようにはにかむ。
いつもくだらない魔術や便利魔道具を創っている俺だが、赤くなった目を治す魔術や魔道具は持ち合わせていなかった。
今度創ろう。絶対に。
「もうすぐ掲示板があるところに着くはずなんだけど……あっ! あれじゃない?」
ステラはそう言うと、掲示板まで駆け足で向かった。俺も彼女の後についていく。
掲示板の前に立つと、そこにはAからEまで五枚のクラス表が貼られていた。
「うわぁ、見つけるの大変そう……」
「手分けして探した方が良さそうだな」
新入生の数は百名を超す。クラス表にはぎっしりと名前が記されているため、そこから自分の名前を見つけるのは容易ではない。
なのでステラがEクラスから、俺がAクラスからと分担して順に名前を追っていく。
先に俺たちの名前を見つけたのは、下から探していたステラの方だった。
「あ、ニート君! 同じクラスだよ!」
「本当? それは良かったな!」
ステラは子供のように嬉しそうにはしゃいでいる。
彼女は手のひらをこちらに見せてきた。ハイタッチしようということなのだろう。
俺も彼女の小さな手に自分の手のひらを合わせて喜ぶ。
念のため俺もクラス表に目を通したが、間違いなく二人の名前が記されていた。
「僕、友達が一人もいないから、ニート君がいてくれて安心したよ」
「俺も内心かなりホッとしてるよ、友達一切いないし」
「えぇ!? ニート君、人当たりいいし、優しいし。いっぱい友達いそうなのに……」
どうも、十年間引きこもってる穀潰しです。
当然そんな俺に友達なんているわけもなく、話すのは家族か執事や侍女だけ。
なのに、こんなにも優しい友達が出来たのだ。もうね、感謝しかない。神様ありがとう。
「でもEクラスか……」
俺はステラと同じクラスであればどのクラスになろうとどうでもいい。
だが、ステラに関してはそうも言っていられないだろう。
彼女は自分がEクラスと知ってしまえば悲しんでしまう。そう思っていたのだが、
「僕もさっきまでは気にしてたけど、もうなんでもいいよ! これから僕たちが成長していけばいいんだから!」
ステラは小さな握りこぶしを作って、意気揚々と言った。
今の彼女の表情はさっきよりもすっきりしたように見える。
「それもそうだな。これからもよろしくな、ステラ」
「うん! 末永くよろしくね、ニート君!」
お互いに顔を見合わせ、俺たちはふっと笑い合う。
そしてともに肩を並べながらEクラスの教室へと向かった。
◆◆◆◆◆◆◆
Eクラスに着くと、教室の前には一人の男性が立っていた。その立ち振る舞いを見るに、俺たち生徒を待っているようだ。男性に近づくと、予想通り声をかけられた。
「君たちはEクラスの生徒かね?」
「はい、ステラです」
「ニートです」
俺たちが名乗ると、男性はすぐに手元の名簿に目を通していった。そして俺たちの名前を見つけてペンでチェックを入れる。
「よし、これで最後だな」と疲労感をあらわにしながら言った。それから、親の出席がなかった俺に、保護者宛ての書類を渡してくる。
「教室には入ってもいいんですか?」
ステラはそわそわしながら男性に尋ねる。新しいクラスを前に、楽しみと緊張が入り混じっているように見える。
けれど男性は首を左右に振った。
「いや、実は今日、このクラスの担任が学院に来ていなくてね。クラス活動は明日からになった。私はその連絡役みたいなものさ。悪いが、今日はこのまま帰ってくれ」
この男性が担任だと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
しかし入学式に担任が来ないというのはいかがなものか。
クラス活動が中止になるなど常識的に考えて普通ではないはずだ。隣にいるステラも怪訝そうな表情をしていた。そんな戸惑う俺たちを見て、職員の男は同情するように呟く。
「それにしても君たちも可哀そうだな。あんな奴の生徒になってしまって……」
「「え?」」
俺とステラは思わず、素っ頓狂な声を上げてしまう。
まさか学院の職員ともあろう人間からそんな言葉が出てくるとは、思ってもいなかったのだ。
「まぁ底辺のEクラスにあいつを当てるのも仕方ないか」
職員は勝手に一人で納得するように言った。その言葉から察するに、確実に良い意味ではないだろう。
「君たちもこの一年は覚悟した方が良いぞ」
そう言い残して、職員はいそいそと去っていく。担任についてもう少し詳しく聞きたかったのだが、これ以上は話してくれそうになかった。
また二人だけに戻ると、ステラは小声で俺に聞いてくる。
「もしかして僕たちの担任、ハズレなのかな?」
「まぁあの職員からしたらそうなんだろうな」
「ちょっと怖くなってきたかも……」
先ほどまで学園生活に胸を躍らせていたステラだが、今では肩を落としてしゅんとしていた。
彼女は怖い鬼教師のような先生を想像しているのだろう。
ただ、俺の予想ではあるが、あの職員の態度からしてそういう意味ではない気がする。
「初日から来てない先生だからな。怖いとか厳しいとかじゃないと思う」
「そっか……そうだよね!」
俺が説明した途端、再びステラの瞳には光が灯った。
感情の変化が実に分かりやすく面白い。本当に子犬のようだ。
「この後って、もう放課後扱いで解散だよね? ニート君はどうするの?」
「う~ん。学院に残ってもすることないしな……」
せっかくの登校初日だ。寄り道してみたいと一瞬思ったが、街で遊べるほどの耐性は、流石に外に出て一日目の俺にはついていなかった。
ステラも特に何かを提案することはなく、結局、何をするか決まらなかったので、自然にその場でお開きとなった。
俺はステラと別れたあと、トイレへと向かった。
アレクの言いつけ通り、転移魔術は人前で使わない方が良い。人気のない場所はいくつか見つけたが、万が一にも、生徒や職員に見られてはならない。
そのため、俺は下校をトイレの個室で行うことにした。
衛生面的にどうなんだ、という点については俺も思う。ってか普通に嫌だよ。でも今は仕方がない。学院に慣れたら、ゆっくり他の場所を探してみるのもいいかもしれない。
ついでに我慢していたトイレを済ませてから、俺は転移魔術を行使した。
「無の加護のもとに。創作魔術【転移】」
王城の自室に転移すると、俺は学院の制服をベッドに脱ぎ捨て、いつものゆったりとした部屋着に着替える。
その後、真っ先に部屋を出て玉座の間へと向かった。玉座の間にはその名の通り玉座があり、父の国王としての仕事場でもある。大抵の場合、父はその部屋にいるはずなので、俺は一直線に向かう。
玉座の間に着くと、俺はコンコンコンと巨大な扉をノックしてから中に入った。
この場に足を踏み入れることが出来るのは、ごく一部の人間と王族だけだ。
俺は第二王子なので当然、顔パスで入れる。
「失礼します。父上に相談があって来ました」
「おおぉ、ニートか。お前がここに来るなんて珍しいな」
玉座に座っている父は物珍しそうに俺に視線を送ってきた。
そんな父の手や膝の上にはいくつもの書類が見える。俺が入ってくるまで書類たちと睨み合っていたのだろう。
最近は他国の情勢が乱れており、いつ戦争が起きるか分からないと父は危惧していた。
それらの情報収集や改善策を練るため、最近は毎日夜通しで働いている。本当に尊敬出来る父であり、国王だ。
本来なら国王は専用の部屋で執務を行うのが普通なのだろう。しかし父はどうしてもこの玉座の間でやりたがる。
机も、書物置きも、何もない。飲食だって禁止。ただ豪勢な椅子が一つあるだけ。
そんな質素な空間だが、父曰く、ここで仕事をした方が何十倍も効率が良いらしい。調べたことがないので定かではないが。
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