風のフルーティスト -Canary-

蒼乃悠生

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第六章 君の一つ一つの言葉が

1 ほろ苦いチョコレート

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 コンサートが無事に終わり、ホールの出入り口まで走っていく。そこには折り畳みテーブルが設置されているのだが、そこにはお客様が持ってきてくれた花束やフラワーアレンジメント、菓子箱などが置かれていた。
 去年のコンサートと引けを取らないプレゼントの数に嬉しく思いながら、聴きに来てくれたお客様のお見送りをする。
 一人一人に感謝するように頭を下げた。穏やかな表情で帰っていくお客様を見ると、成功したんだなと安堵する。
 最後の一人まで見送ると、息をつく間もなく私達はコンサートホールから撤退の準備をする。借りている時間が一分でも過ぎてはならない。時間厳守だ。
 手早く楽器の指紋を拭き取った後、ドレスを脱皮するように素早く脱いで、紙袋に放り投げる。
 それからお気に入りの白いワンピースを被るように着た。ハイネックのホルターネック、腰のサイドに紺色のリボンの付いている。初めて店頭で見た時、一目惚れをして、わざわざお金を銀行を下ろしてまで購入したもの。
 背中のファスナーを締めるのに悪戦苦闘。可愛いところを見せるって大変だ。
 息つく間も無く、私はシャイニーケースとレースカーディガン、最後に自分のカバンを持ち、二着のドレスを詰め込んだ紙袋を両手にドアを開けた。
 ちょうどよく廊下を歩いていたそうくんに声を掛ける。まだその姿はスーツで、花束などをまとめてくれていたのだろう。花束のラミネートの端が出ている段ボールを抱えていた。
「あ! そうくん。ゴメンだけど、これも持っててくれないかなぁ」
「え⁉︎ あぁ、わかりました。じゃあ、箱の上に置いてください」
「さんきゅっ」
 ドレスの紙袋を、落ちないように段ボールの上に乗せた。申し訳ないと思ったが、時間がないので許してもらおう。
 それから、コンサートに関わり、協力してくれたスタッフに挨拶をする。
 最終確認として、使用したステージ、舞台袖、楽屋などに忘れ物がないか目視した。
 スマートフォンで時刻を確認して、白緑のレースカーディガンを羽織りながら、小走りで走った。そのまま外に出ると、予定時刻の十五時ピッタリ。
 演奏が終わってから撤退を完了するまで、ずっと走りっぱなしだったものだから、呼吸が荒い。
 大きな柱のそばには、大きめの黒ティーシャツにベージュのスラックス姿のそうくんが待ってくれていた。本番の衣装とのギャップが凄い。その攻撃力の高さといったらもう……。
「しほりさん。花束は量が多かったんで、紙袋と一緒に、近くのコンビニで郵送してもらうことにしました」
「あ、あ、ありが、とう」
 息切れしながら礼を言うと、「先に呼吸を整えますか」とそうくんは微笑む。
 些細なやり取りでも、まるで恋人の待ち合わせのような気持ちになってしまう。今回なら遅刻した彼女、みたいな設定で。
 呼吸を整えるどころじゃないが、本気で息が苦しいので整えよう。歳ってとりたくないな。
 そもそも湊くんは今日のコンサート限定の相棒なんだから!
 恋人とか思ったらダメよと、気を紛らわせる為に頭を強く横に振る。そして乱れた髪を指で整えようとした時、彼に挿してもらったままの花に気づいた。
 流石に外では取らなきゃダメかなと、それを摘んでみたけど、やはり外すのは惜しいと心底思い、そのままにする。
 花が落ちてなくてよかったな。
「邪魔なら、花、取りましょうか?」
「えぇ⁉︎ それは結構です。勿体無いし」
 掌を彼に見せて、ストップさせる。
「折角だから、お疲れ様会をしましょ」
 聞き慣れた、彼の敬語。
 そういえばそうか。コンサートが終わってしまったから。約束だもんね。
 ん? でも、さっき下の名前で呼んだよね? 名前はこれからも続けるってことなのかな。
 そう思うと、少しだけ距離が縮まった気がして嬉しかった。
「そうだね」
 呼吸が落ち着いてから、私達は駅に向かって歩く。
 駅前の広い道路は、アパート前の道路と違ってレンガ舗装された綺麗な道。歩道もしっかりあるし、ひび割れもないし、凹凸もなく、手入れが行き届いている。
「んー、やっぱりお店といったら駅前だよね。あそこのお店とかどう? 若い子に人気ってテレビで言ってた気がする」
 広い歩道を歩いていると、新しく開店したカフェを見つけた。そこを指差して訊くと、彼は首を横に振る。
「いつもの喫茶店がいいなぁ」
「いつものって?」
 甘えるようなそうくん。彼とお店に行ったことがなかったよなと記憶を遡ってみる。やはり彼と一緒に店に入った記憶はない。
「ほら、先にしほりさんがコーヒー飲んでて、俺がお店に入ったらそそくさと出て行った、あのお店」
「んんっ!」
 そうくんが彼女らしき人と入ってきた喫茶店のことか!
 そう言われて思い出し、叫び出しそうになる口をグッと閉じ、代わりに目を見開いた。
 それにしても嫌味っぽく聞こえたのは何故だろう。気のせいか。
 折角、そうくんからの指名だし、断りたくないな。
「もしかして喫茶店『マリアージュ』のこと?」
「はい。あそこなら店に長居しても良いし、それにアンケートを早く読みたいでしょ?」
 実は、コンサートで配ったパンフレットにはアンケートを挟んでいた。観客がコンサートの感想を書いてもらい、帰る際にドア付近に設置した箱に入れてもらって回収するのだ。
 勿論書いてくれない人もいるが、案外書いてくれる人は多く、そこに書かれた感想を読んで、次回のコンサートに反映していく。主に演奏についての感想が書かれていて、とても嬉しい。
「うん、やっぱり内容は気になるよね」
 我慢できないよね!
 彼に内心を読まれているのではないかと思うと、空笑いが止まらない。
 その喫茶店まで、ここから歩いて行けない範囲ではないので、私達はのんびりと向かうことにした。
「そういえば、どうしてあの時すぐにお店を出て行ったんですか?」
「そりゃあ気まずいよ……状況も状況だったし。それに……」
 この後に続く言葉を吐き出して良いものだろうかと躊躇う。だが、そうくんは黙って私の言葉を待っているので、諦めて答えることにした。
そうくん……彼女、連れてきてるんだもん」
 拗ねたつもりはないのだが、無意識に唇が尖る。
「彼女?」
 彼は片眉を寄せた。
「ほら。入店する時、隣に女の子がいたじゃん。次の日、学校に練習しに行った時だって、靴箱のところで同じ人と一緒にいたし。気まずいよ」
 更に尖る唇。
 そんな唇を隠そうと俯く。ヒールで歩道を歩くコツコツという足音がよく聴こえた。
 不意に鼻を擽る珈琲の芳しい香り。匂いに釣られて顔を上げると、そうくんと目が合った。少し嬉しそうな表情に、私はキョトンとする。
「彼女じゃないですって」
「そうなの……?」
「はい」
「……じゃあ、なんで嬉しそうなの?」
「どうしてでしょうね」
 不服そうな顔で疑問をぶつけても、彼は朗らかにするばかり。
 いつも彼は私より余裕があって大人のよう。まるで私の方が年下みたい。もっと年上っぽくしなくちゃ。
そうくん、モテそうだよね」
 周りを見渡すと、駅近くということもあって、いろいろなお店がある。珈琲の香りがした店も、豆の種類が多くて、美味いという噂のカフェだ。
 特に最近、駅前に新しくオープンしたお店が沢山あって賑わいを見せている。
 一回は行ってみたいと思う反面、行列の長さにうんざりし、行かなかったりする。それに一緒に行ってくれる暇な友人もいない。家族を持つと、どうしてこう疎遠になるんだろうね。
 華やかな服屋さんだったり、シックな靴屋さんもある。ポップで可愛らしいお店はジュース専門店。甘い匂いを漂わせているのはクレープ屋さん。
 今、前を歩く店は大人びた店内のチョコレート専門店。ああ、いいなぁ。美味しそう。生チョコとか大好物です。
「店、入ります?」
 そう言われて、ハッと我に返る。慌てて首を横に振った。
「ううん、大丈夫だよ」
 新しくて、綺麗なお店なんていっぱいあるのに、どうして古い喫茶店に行こうだなんて言うんだろう。
 決して古いものを悪く言いたいのではない。若い子ほど、新しいものに惹かれるのは自然なことだと思ってた。クラシックの良さを理解するには、もう少し大人になってからと思っていたのだが。
 そんなことを考えていると、
「やっぱり行きましょうか」
 入店するか悩んでいるように見えたのか、そうくんは笑う。
「チョコとか嫌いじゃない?」
「甘いものは好きですよ。それに、前からこの店の話は聞いてたんで気にはなってたんですけど、男一人だと入りづらくて」
「じゃあ、お姉さんが今までのお礼として奢ってあげよう!」
 今だ!
 大人っぽく見せるのは、今しかない。少しは年上っぽく振る舞いたいと思った。変に気合が入りすぎて、逆に子供っぽく見えていないか、心配にはなったが。
「別に気にしてないのに。奢ってほしくて、手伝ったわけじゃないんですから」
 何度、その言葉を聞いただろうか。本当に彼は優しい人だ。
「ダメ! タダなんて悪いし、ちゃんと奢るから! 好きなの沢山選んで!」
「わかりました。じゃ、入りましょうか」
 はいはいと言わんばかりに、中へ入るそうくん。
 なんだか私が我が儘言ったみたいな感じになってる。どうしてだろうと首を傾げながら、彼の後を追いかけた。
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