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東の空が白み始める頃、リリアンナは王都から離れた宿場町『ベルハイム』に到着していた。
愛馬(名前は『ユキチ』と命名。金貨のように輝くたてがみから)を繋ぎ、彼女は深くフードを被る。
「……ここまでくれば、ひとまずは安心でしょう」
リリアンナは荒い息を整えながら、周囲を警戒する。
追っ手の気配はない。
昨夜の『実家強襲&閃光玉脱出劇』は、我ながら見事な采配だった。
あの腹黒宰相ルーカスも、まさか公爵令嬢が閃光玉を常備しているとは思うまい。
(ふふん、私の勝ちです。さて、まずは軍資金の確保ですね)
彼女はベルハイムの中央通りにある『王立銀行』の支店へと足を向けた。
腰のポーチには、へそくりとしての現金が入っているが、これから始まる優雅な逃亡生活(スローライフ)には心許ない。
王子からふんだくった慰謝料は、すでに口座に振り込まれているはずだ。
それを引き出し、足がつかないように宝石や魔石に換金して、隣国へ高飛びする。
完璧なマネーロンダリング計画である。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
開店したばかりの銀行の窓口で、眠そうな行員が声をかけてくる。
リリアンナはフードを目深に被ったまま、偽名のキャッシュカードを差し出した。
「全額引き出しで。小切手ではなく、現金でお願いします」
「全額……ですか? 少々お待ちください」
行員が魔導端末にカードをかざす。
リリアンナは指先でカウンターをトントンと叩き、焦りを逃がした。
早く。一刻も早く金を手にして、この国を出なければ。
しかし、数秒後。
行員の顔色がサッと青ざめた。
「あ、あの……お客様?」
「なんです? 高額紙幣が不足しているなら、金貨でも構いませんよ」
「いえ、そうではなく……エラーが表示されておりまして」
「エラー?」
「はい。その……『口座凍結』の処理がなされています」
リリアンナの動きが止まった。
思考が一瞬、ホワイトアウトする。
「凍結? 何かの間違いでは? その口座は昨日開設されたばかりですよ」
「ええ、ですが……備考欄に『宰相府直轄・重要参考人指定による資産凍結』とありまして……」
「────ッ!?」
リリアンナはカウンターをバン! と叩いた。
「あの男ぉおおおおッ!!」
「ひぃっ!?」
行員が椅子から転げ落ちそうになる。
リリアンナはギリギリと歯ぎしりをした。
ルーカスだ。
あの眼鏡タヌキ、物理的な追跡だけでなく、経済的な封鎖まで仕掛けてきやがった。
「り、理由はこれだけではありません! 端末に……メッセージが届いています!」
「メッセージ? 銀行の端末にですか?」
「は、はい。読み上げます……『おはよう、リリアンナ。君が最初に銀行へ寄ることは予測済みだ。無一文の旅は辛いだろう? 大人しく戻れば、特別ボーナスを支給するよ。追伸:君のへそくりが、下着タンスの底に隠してあることも知っている』……以上です」
バキッ。
リリアンナの手の中で、銀行のカウンターの縁が砕けた。
「……お客様?」
「結構です。引き出しは諦めます」
リリアンナは地獄の底から響くような声で告げると、カードをひったくった。
「二度と! 戻るものですか!!」
彼女は嵐のように銀行を飛び出した。
通りに出ると、朝の冷気が火照った頬を冷やす。
(おのれルーカス・フォン・グランツ……! 私の行動パターンを完全に把握しているとは……!)
銀行が使えないとなると、頼れるのは手持ちのへそくり(ポーチの中身)のみ。
その額、金貨三十枚。
庶民が一年暮らせる金額ではあるが、優雅なスローライフには程遠い。
「計画変更です。まずは物資の調達。贅沢は敵……!」
リリアンナは気持ちを切り替えた。
彼女の最大の武器は、金だけではない。
悪役令嬢として培った、度胸と交渉術だ。
彼女は裏路地にある、怪しげな雑貨屋『ゴブリンの袋』へと入っていった。
薄暗い店内には、埃を被った道具が所狭しと並んでいる。
「いらっしゃい。……おや、良家のお嬢さんが何の用だい?」
店主の髭面男が、リリアンナの身なりを見て値踏みするような視線を送る。
リリアンナはフードを少し上げ、ニッコリと笑った。
ただし、目は笑っていない。
「旅の道具を一式揃えたいの。目立たない平民風の服、丈夫なブーツ、保存食、野営セット。それと、髪色を変える染料もね」
「へえ、家出かい? 訳あり商品なら高くつくぜ」
店主は意地悪く笑い、カウンターに商品を並べ始めた。
「しめて金貨五枚だ」
「高いわね」
リリアンナは即答した。
「相場の三倍よ。足元を見ないでちょうだい」
「嫌なら他をあたんな。こんな朝早くに開いてる店はウチくらいだぜ?」
「そうかしら? ……ところで店主さん。その棚にある『竜の髭』、密輸品でしょう?」
「なっ!?」
リリアンナは目ざとく違法商品を見つけ、指差した。
「王都の規制リストに入っている品物が、なぜこんな田舎の店にあるのかしら。衛兵を呼んで確認してもらいましょうか」
「お、おい待て! 冗談だろ!」
「私は急いでいるの。衛兵と話す時間と、貴方が店を畳む時間、どちらが惜しい?」
リリアンナの冷徹な脅しに、店主は脂汗を流した。
このお嬢様、カタギじゃない。
「わ、わかった! 負ける! 金貨二枚……いや、一枚でいい!」
「金貨一枚と、情報料込みでどう?」
「情報?」
「王都から来る追っ手の動き。怪しい男、特に『片眼鏡で胡散臭い笑顔の銀髪』を見かけたら、逆方向を教えること」
「……わかったよ。とんでもない客だな」
店主は溜息をつきながら、商品を袋に詰め込んだ。
リリアンナは金貨一枚をチャリンと弾き、店を出る。
(よし。最低限の装備は確保しました)
路地裏で平民風の服(地味な茶色のワンピースとエプロン)に着替え、美しい金髪を泥のような茶色に染める。
鏡に映った自分は、どこにでもいる村娘『リリー』になっていた。
「これなら宰相閣下の目も欺けるはず」
ドレスを店主に処分させ、リリアンナは再び馬上の人となった。
目指すは国境。
銀行口座は凍結されたが、私の自由への意志は凍結できない。
「見ていなさい、ルーカス。貴方の想像の斜め上を行って見せますわ!」
リリアンナは馬腹を蹴り、街道を外れて獣道へと入っていく。
正規ルートを通らない。
それこそが、彼女の生存戦略だった。
……しかし、彼女は気づいていなかった。
先ほどの雑貨屋の店主が、彼女が去った直後に、懐から通信用の魔導具を取り出したことを。
『あー、もしもし? 宰相閣下ですか? へい、例の娘さん、今ここを出ましたよ』
『ご苦労。……ふむ、茶色の髪に変装したか。可愛いだろうね』
通信の向こうで、ルーカスの楽しげな声が響く。
『代金は口座に振り込んでおいた。引き続き、監視を頼むよ』
『へいへい。毎度あり』
リリアンナの『完璧な値切り交渉』さえも、すでにルーカスの掌の上だったのである。
知らぬが仏。
元悪役令嬢リリアンナの逃避行は、完全に『泳がされている』状態だった。
それでも彼女は進む。
自由と、スローライフと、勝利(と思っているもの)を掴むために。
愛馬(名前は『ユキチ』と命名。金貨のように輝くたてがみから)を繋ぎ、彼女は深くフードを被る。
「……ここまでくれば、ひとまずは安心でしょう」
リリアンナは荒い息を整えながら、周囲を警戒する。
追っ手の気配はない。
昨夜の『実家強襲&閃光玉脱出劇』は、我ながら見事な采配だった。
あの腹黒宰相ルーカスも、まさか公爵令嬢が閃光玉を常備しているとは思うまい。
(ふふん、私の勝ちです。さて、まずは軍資金の確保ですね)
彼女はベルハイムの中央通りにある『王立銀行』の支店へと足を向けた。
腰のポーチには、へそくりとしての現金が入っているが、これから始まる優雅な逃亡生活(スローライフ)には心許ない。
王子からふんだくった慰謝料は、すでに口座に振り込まれているはずだ。
それを引き出し、足がつかないように宝石や魔石に換金して、隣国へ高飛びする。
完璧なマネーロンダリング計画である。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
開店したばかりの銀行の窓口で、眠そうな行員が声をかけてくる。
リリアンナはフードを目深に被ったまま、偽名のキャッシュカードを差し出した。
「全額引き出しで。小切手ではなく、現金でお願いします」
「全額……ですか? 少々お待ちください」
行員が魔導端末にカードをかざす。
リリアンナは指先でカウンターをトントンと叩き、焦りを逃がした。
早く。一刻も早く金を手にして、この国を出なければ。
しかし、数秒後。
行員の顔色がサッと青ざめた。
「あ、あの……お客様?」
「なんです? 高額紙幣が不足しているなら、金貨でも構いませんよ」
「いえ、そうではなく……エラーが表示されておりまして」
「エラー?」
「はい。その……『口座凍結』の処理がなされています」
リリアンナの動きが止まった。
思考が一瞬、ホワイトアウトする。
「凍結? 何かの間違いでは? その口座は昨日開設されたばかりですよ」
「ええ、ですが……備考欄に『宰相府直轄・重要参考人指定による資産凍結』とありまして……」
「────ッ!?」
リリアンナはカウンターをバン! と叩いた。
「あの男ぉおおおおッ!!」
「ひぃっ!?」
行員が椅子から転げ落ちそうになる。
リリアンナはギリギリと歯ぎしりをした。
ルーカスだ。
あの眼鏡タヌキ、物理的な追跡だけでなく、経済的な封鎖まで仕掛けてきやがった。
「り、理由はこれだけではありません! 端末に……メッセージが届いています!」
「メッセージ? 銀行の端末にですか?」
「は、はい。読み上げます……『おはよう、リリアンナ。君が最初に銀行へ寄ることは予測済みだ。無一文の旅は辛いだろう? 大人しく戻れば、特別ボーナスを支給するよ。追伸:君のへそくりが、下着タンスの底に隠してあることも知っている』……以上です」
バキッ。
リリアンナの手の中で、銀行のカウンターの縁が砕けた。
「……お客様?」
「結構です。引き出しは諦めます」
リリアンナは地獄の底から響くような声で告げると、カードをひったくった。
「二度と! 戻るものですか!!」
彼女は嵐のように銀行を飛び出した。
通りに出ると、朝の冷気が火照った頬を冷やす。
(おのれルーカス・フォン・グランツ……! 私の行動パターンを完全に把握しているとは……!)
銀行が使えないとなると、頼れるのは手持ちのへそくり(ポーチの中身)のみ。
その額、金貨三十枚。
庶民が一年暮らせる金額ではあるが、優雅なスローライフには程遠い。
「計画変更です。まずは物資の調達。贅沢は敵……!」
リリアンナは気持ちを切り替えた。
彼女の最大の武器は、金だけではない。
悪役令嬢として培った、度胸と交渉術だ。
彼女は裏路地にある、怪しげな雑貨屋『ゴブリンの袋』へと入っていった。
薄暗い店内には、埃を被った道具が所狭しと並んでいる。
「いらっしゃい。……おや、良家のお嬢さんが何の用だい?」
店主の髭面男が、リリアンナの身なりを見て値踏みするような視線を送る。
リリアンナはフードを少し上げ、ニッコリと笑った。
ただし、目は笑っていない。
「旅の道具を一式揃えたいの。目立たない平民風の服、丈夫なブーツ、保存食、野営セット。それと、髪色を変える染料もね」
「へえ、家出かい? 訳あり商品なら高くつくぜ」
店主は意地悪く笑い、カウンターに商品を並べ始めた。
「しめて金貨五枚だ」
「高いわね」
リリアンナは即答した。
「相場の三倍よ。足元を見ないでちょうだい」
「嫌なら他をあたんな。こんな朝早くに開いてる店はウチくらいだぜ?」
「そうかしら? ……ところで店主さん。その棚にある『竜の髭』、密輸品でしょう?」
「なっ!?」
リリアンナは目ざとく違法商品を見つけ、指差した。
「王都の規制リストに入っている品物が、なぜこんな田舎の店にあるのかしら。衛兵を呼んで確認してもらいましょうか」
「お、おい待て! 冗談だろ!」
「私は急いでいるの。衛兵と話す時間と、貴方が店を畳む時間、どちらが惜しい?」
リリアンナの冷徹な脅しに、店主は脂汗を流した。
このお嬢様、カタギじゃない。
「わ、わかった! 負ける! 金貨二枚……いや、一枚でいい!」
「金貨一枚と、情報料込みでどう?」
「情報?」
「王都から来る追っ手の動き。怪しい男、特に『片眼鏡で胡散臭い笑顔の銀髪』を見かけたら、逆方向を教えること」
「……わかったよ。とんでもない客だな」
店主は溜息をつきながら、商品を袋に詰め込んだ。
リリアンナは金貨一枚をチャリンと弾き、店を出る。
(よし。最低限の装備は確保しました)
路地裏で平民風の服(地味な茶色のワンピースとエプロン)に着替え、美しい金髪を泥のような茶色に染める。
鏡に映った自分は、どこにでもいる村娘『リリー』になっていた。
「これなら宰相閣下の目も欺けるはず」
ドレスを店主に処分させ、リリアンナは再び馬上の人となった。
目指すは国境。
銀行口座は凍結されたが、私の自由への意志は凍結できない。
「見ていなさい、ルーカス。貴方の想像の斜め上を行って見せますわ!」
リリアンナは馬腹を蹴り、街道を外れて獣道へと入っていく。
正規ルートを通らない。
それこそが、彼女の生存戦略だった。
……しかし、彼女は気づいていなかった。
先ほどの雑貨屋の店主が、彼女が去った直後に、懐から通信用の魔導具を取り出したことを。
『あー、もしもし? 宰相閣下ですか? へい、例の娘さん、今ここを出ましたよ』
『ご苦労。……ふむ、茶色の髪に変装したか。可愛いだろうね』
通信の向こうで、ルーカスの楽しげな声が響く。
『代金は口座に振り込んでおいた。引き続き、監視を頼むよ』
『へいへい。毎度あり』
リリアンナの『完璧な値切り交渉』さえも、すでにルーカスの掌の上だったのである。
知らぬが仏。
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