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「ふふふ……♪」
リリアンナは鼻歌交じりに、王都の大通りを歩いていた。
彼女の機嫌が良い理由は二つ。
一つは、先ほどの「婚約者面接」でガッポリ稼いだこと。
もう一つは、ミナを「お使い」に行かせたため、久しぶりに一人の時間を満喫できていることだ。
「ミナには『特売の牛肉を買い占めてきなさい』と言っておきましたし、当分は戻ってこないでしょう。今のうちに銀行へ預入をして……」
彼女が路地裏への近道を曲がった、その時だった。
ゾクリ。
背筋に冷たい気配が走り、リリアンナは足を止めた。
「……誰です?」
振り返ろうとした瞬間、背後から粗暴な手が伸び、彼女の口を塞いだ。
「んぐっ!?」
同時に、喉元にひやりとした金属の感触──ナイフが突きつけられる。
「騒ぐな。声を出せば喉を掻っ切るぞ」
耳元で響く、怨嗟に満ちた男の声。
リリアンナは抵抗せず、ゆっくりと両手を上げた。
(……強盗? いいえ、この声……聞き覚えがありますわね)
男はリリアンナを引きずり込み、誰もいない廃倉庫へと押し入った。
薄暗い倉庫の中で、男はリリアンナを突き飛ばす。
「痛っ……。乱暴ですね。私の体には高額の保険がかかっていますのよ?」
リリアンナはドレスの埃を払いながら、冷静に犯人を見上げた。
そこに立っていたのは、ボロボロの囚人服を着た、痩せこけた男だった。
血走った目、無精髭。かつての面影はないが、その顔立ちは確かに見覚えがある。
「やはり。……元・子爵のバルダー様ですね?」
「……よく覚えていたな、悪女め」
男──バルダーは、憎悪を込めてナイフを構えた。
彼はかつて、王城の備品横領を行っていた元貴族だ。
リリアンナが悪役令嬢時代に、その不正の証拠(裏帳簿)を見つけ出し、完膚なきまでに断罪して牢獄へ送った相手である。
「忘れるはずがありません。貴方が横領した金額の計算、私が徹夜でやりましたから。計算が合わなくてイライラした記憶があります」
「黙れ! 貴様のせいで私は全てを失った! 爵位も、財産も、家族も!」
「自業自得です。公金を私的流用して愛人に貢ぐなど、経営者として三流以下の振る舞いですわ」
「黙れと言っているんだ!」
バルダーが叫び、ナイフを振り回す。
普通なら悲鳴を上げて命乞いをする場面だ。
しかし、リリアンナは溜息をつき、懐中時計を取り出した。
「それで? 私を誘拐してどうするおつもりですか? 復讐? それとも身代金?」
「両方だ! 宰相に身代金を要求し、金を受け取ったら貴様を殺して、隣国へ高飛びしてやる!」
バルダーは勝ち誇ったように笑った。
「宰相は貴様に夢中らしいな? なら、言い値で払うはずだ!」
「……はぁ」
リリアンナは深く、深く溜息をついた。
その目は、凶器を持った犯人を見る目ではなく、出来の悪い部下を見る上司の目だった。
「バルダー様。……貴方、本当に計画性がありませんね」
「な、なんだと?」
「まず、身代金の要求方法です。どうやって宰相に連絡を取るつもりですか? この王都は今、警備レベルが最高潮です。手紙一通届けるのも検閲が入りますよ?」
「そ、それは……通りがかりの子供にでも持たせて……」
「不確定要素が多すぎます。それに、受け渡し場所は? 宰相は空間魔法の使い手ですよ? 場所を指定した瞬間に転移されて終わりです」
「うっ……」
「さらに言えば、隣国への高飛びルート。今は国境が封鎖されています。以前、私たちが通った時は『物理的な抜け道』を使いましたが、貴方に壁を飛び越える脚力はありますか?」
「……な、ない」
バルダーの顔から余裕が消えていく。
リリアンナは畳み掛けた。
「極めつけは、逃亡資金です。貴方、今所持金はいくらあります?」
「え? い、いや、脱獄したばかりで……」
「ゼロですね。無一文で高飛び? 馬鹿をおっしゃい。馬の手配、食料、偽造パスポート……最低でも金貨五十枚は必要です。身代金が入るまでのランニングコストはどうするんですか?」
「そ、それは……」
「計画が杜撰すぎます! だから貴方は横領ごときで足がつくんですよ!」
リリアンナの説教(コンサルティング)が始まった。
「いいですか? 犯罪にも事業計画(ビジネスプラン)が必要です。リスクヘッジ、コスト計算、撤退ラインの策定! それができていないから、貴方は人生の赤字経営から抜け出せないんです!」
「な、なんで俺が説教されてるんだ……!?」
バルダーは混乱した。
人質が怖がるどころか、自分のダメ出しをしてくるのだ。
しかも、その指摘がいちいち的確で耳が痛い。
「うるさい! うるさい! 殺してやる!」
バルダーは逆上し、ナイフを振り上げた。
論破された悔しさと焦りが、彼を暴走させる。
「死ねぇぇぇッ!!」
切っ先がリリアンナに迫る。
リリアンナは身動きが取れない。
さすがに「まずい」と思った、その時。
キィィィィィン……。
空気が、凍りついた。
物理的な温度低下ではない。
肌を刺すような、圧倒的な殺気が空間を支配したのだ。
バルダーの動きが止まる。
いや、恐怖で動けなくなったのだ。
「……おい」
地獄の底から響くような、低く、冷徹な声。
「僕の大切な資産(ひと)に、その汚い鉄屑を向けて……タダで済むと思っているのか?」
倉庫の入り口に、一人の男が立っていた。
銀色の髪。
片眼鏡。
そして、瞳には一切の光がなく、漆黒の闇よりも深い絶望を湛えている。
ルーカス・フォン・グランツ。
宰相閣下が、ご到着あそばされた。
「ひっ……!」
バルダーが悲鳴を漏らす。
ルーカスの背後では、空間が歪み、どす黒い魔力が渦を巻いている。
それはもはや人間の魔法使いではない。
神話に出てくる『魔王』そのものだった。
「ル、ルーカス……」
リリアンナが安堵の声を漏らす。
「遅いですよ。もう少しで私の服に穴が開くところでした」
「すまない、リリアンナ」
ルーカスが一瞬だけリリアンナを見て、優しく微笑む。
だが、すぐに視線をバルダーに戻すと、その表情は能面のように無機質なものに変わった。
「さて、元・子爵バルダー。……罪状を読み上げようか」
ルーカスが一歩踏み出す。
「脱獄、拉致監禁、傷害未遂。……ここまでは、法の裁きで終身刑といったところだが」
さらに一歩。
「僕の婚約者を怯えさせ(※説教していただけ)、僕の心臓を止めかけた罪。……これは、万死に値する」
「く、来るな! こいつを殺すぞ!」
バルダーが震える手でリリアンナにナイフを当てる。
「やれるものならやってごらん」
ルーカスは足を止めない。
「君がそのナイフを動かす速度より、僕が君の四肢を消滅させる速度の方が早い。試してみるかい?」
「あ、あぁ……」
バルダーの戦意が崩壊する。
勝てない。
生物としての格が違いすぎる。
「ひぃぃぃッ! 降参だ! 降参する!」
バルダーはナイフを放り投げ、その場に崩れ落ちた。
「賢明な判断だ。……もっとも、許すつもりはないけれど」
ルーカスは指を鳴らした。
「捕縛(バインド)」
見えない鎖がバルダーの体を締め上げ、宙吊りにする。
「連れて行け。……一番暗くて、湿気が多くて、ネズミの多い地下牢へ」
影から現れた暗部の兵士たちが、バルダーを回収していく。
連行されるバルダーが、最後にリリアンナを見て叫んだ。
「お、覚えてろ! いつか必ず……!」
「また脱獄するつもりですか? 次はもっとマシな事業計画を立ててからにしなさいね」
リリアンナが冷たく手を振ると、バルダーは涙目で闇へと消えていった。
倉庫に静寂が戻る。
「……怪我は?」
ルーカスが駆け寄り、リリアンナを抱きしめる。
その腕は微かに震えていた。
「ありません。ただ、少し肩が凝りました」
「よかった……。本当に、よかった……」
ルーカスはリリアンナの首筋に顔を埋め、深く息を吐いた。
いつもの余裕たっぷりの宰相ではない。
ただの、愛する人を失いかけた男の姿がそこにあった。
「君がいないと知った時、心臓が止まるかと思った。……もう二度と、僕の目の届かないところへ行かないでくれ」
「……大袈裟ですわ」
リリアンナは憎まれ口を叩こうとしたが、ルーカスの震えを感じて、言葉を飲み込んだ。
(……これでは、どっちが人質だったのかわかりませんね)
彼女はためらいがちに手を伸ばし、ルーカスの背中をポンポンと叩いた。
「大丈夫です。私は悪役令嬢ですよ? あんな三流の悪党に負けるほど、ヤワな人生は送っていません」
「そうだね。君は強い。……でも」
ルーカスは顔を上げ、リリアンナの瞳を見つめた。
「君がどれだけ強くても、僕は君を守りたい。……これは僕のエゴだ。許してくれ」
その瞳に宿る熱量に、リリアンナの心拍数が跳ね上がる。
人質になっていた時より、今の方がよほど心臓に悪い。
「……わかりました。特別に許可します」
リリアンナは顔を赤らめながら、そっぽを向いた。
「その代わり、警護費用として……」
「一生分の愛を払うよ」
「……計算が合いません」
甘い空気が流れる。
二人の距離が縮まる。
その時。
ドガァァァン!!
倉庫の壁が粉砕された。
「師匠ォォォォォッ!! ご無事ですかァァァッ!!」
粉塵の中から、両手に大量の牛肉袋を抱えたミナが飛び込んできた。
「牛肉のタイムセールが終わって戻ってきたら、師匠の気配が消えていて! 匂いを辿ってきました!」
「……ミナ。壁を壊すのは器物破損です」
「あ、旦那様もご一緒で! もしかしてデート中でしたか!?」
「……台無しだ」
ルーカスがガックリと肩を落とす。
リリアンナは苦笑しながら、二人を見比べた。
事件は解決した。
だが、この一件でルーカスの「独占欲」と「過保護」のタガが完全に外れてしまったことを、リリアンナはまだ知らなかった。
「さあ、帰りましょう。……手、離してくれませんか?」
「嫌だ。家まで抱っこして帰る」
「歩けます!」
「拒否権はないよ。……僕の可愛い人質さん」
こうして、リリアンナは王城までお姫様抱っこで運ばれるという、最大の羞恥プレイを受けることになったのである。
リリアンナは鼻歌交じりに、王都の大通りを歩いていた。
彼女の機嫌が良い理由は二つ。
一つは、先ほどの「婚約者面接」でガッポリ稼いだこと。
もう一つは、ミナを「お使い」に行かせたため、久しぶりに一人の時間を満喫できていることだ。
「ミナには『特売の牛肉を買い占めてきなさい』と言っておきましたし、当分は戻ってこないでしょう。今のうちに銀行へ預入をして……」
彼女が路地裏への近道を曲がった、その時だった。
ゾクリ。
背筋に冷たい気配が走り、リリアンナは足を止めた。
「……誰です?」
振り返ろうとした瞬間、背後から粗暴な手が伸び、彼女の口を塞いだ。
「んぐっ!?」
同時に、喉元にひやりとした金属の感触──ナイフが突きつけられる。
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耳元で響く、怨嗟に満ちた男の声。
リリアンナは抵抗せず、ゆっくりと両手を上げた。
(……強盗? いいえ、この声……聞き覚えがありますわね)
男はリリアンナを引きずり込み、誰もいない廃倉庫へと押し入った。
薄暗い倉庫の中で、男はリリアンナを突き飛ばす。
「痛っ……。乱暴ですね。私の体には高額の保険がかかっていますのよ?」
リリアンナはドレスの埃を払いながら、冷静に犯人を見上げた。
そこに立っていたのは、ボロボロの囚人服を着た、痩せこけた男だった。
血走った目、無精髭。かつての面影はないが、その顔立ちは確かに見覚えがある。
「やはり。……元・子爵のバルダー様ですね?」
「……よく覚えていたな、悪女め」
男──バルダーは、憎悪を込めてナイフを構えた。
彼はかつて、王城の備品横領を行っていた元貴族だ。
リリアンナが悪役令嬢時代に、その不正の証拠(裏帳簿)を見つけ出し、完膚なきまでに断罪して牢獄へ送った相手である。
「忘れるはずがありません。貴方が横領した金額の計算、私が徹夜でやりましたから。計算が合わなくてイライラした記憶があります」
「黙れ! 貴様のせいで私は全てを失った! 爵位も、財産も、家族も!」
「自業自得です。公金を私的流用して愛人に貢ぐなど、経営者として三流以下の振る舞いですわ」
「黙れと言っているんだ!」
バルダーが叫び、ナイフを振り回す。
普通なら悲鳴を上げて命乞いをする場面だ。
しかし、リリアンナは溜息をつき、懐中時計を取り出した。
「それで? 私を誘拐してどうするおつもりですか? 復讐? それとも身代金?」
「両方だ! 宰相に身代金を要求し、金を受け取ったら貴様を殺して、隣国へ高飛びしてやる!」
バルダーは勝ち誇ったように笑った。
「宰相は貴様に夢中らしいな? なら、言い値で払うはずだ!」
「……はぁ」
リリアンナは深く、深く溜息をついた。
その目は、凶器を持った犯人を見る目ではなく、出来の悪い部下を見る上司の目だった。
「バルダー様。……貴方、本当に計画性がありませんね」
「な、なんだと?」
「まず、身代金の要求方法です。どうやって宰相に連絡を取るつもりですか? この王都は今、警備レベルが最高潮です。手紙一通届けるのも検閲が入りますよ?」
「そ、それは……通りがかりの子供にでも持たせて……」
「不確定要素が多すぎます。それに、受け渡し場所は? 宰相は空間魔法の使い手ですよ? 場所を指定した瞬間に転移されて終わりです」
「うっ……」
「さらに言えば、隣国への高飛びルート。今は国境が封鎖されています。以前、私たちが通った時は『物理的な抜け道』を使いましたが、貴方に壁を飛び越える脚力はありますか?」
「……な、ない」
バルダーの顔から余裕が消えていく。
リリアンナは畳み掛けた。
「極めつけは、逃亡資金です。貴方、今所持金はいくらあります?」
「え? い、いや、脱獄したばかりで……」
「ゼロですね。無一文で高飛び? 馬鹿をおっしゃい。馬の手配、食料、偽造パスポート……最低でも金貨五十枚は必要です。身代金が入るまでのランニングコストはどうするんですか?」
「そ、それは……」
「計画が杜撰すぎます! だから貴方は横領ごときで足がつくんですよ!」
リリアンナの説教(コンサルティング)が始まった。
「いいですか? 犯罪にも事業計画(ビジネスプラン)が必要です。リスクヘッジ、コスト計算、撤退ラインの策定! それができていないから、貴方は人生の赤字経営から抜け出せないんです!」
「な、なんで俺が説教されてるんだ……!?」
バルダーは混乱した。
人質が怖がるどころか、自分のダメ出しをしてくるのだ。
しかも、その指摘がいちいち的確で耳が痛い。
「うるさい! うるさい! 殺してやる!」
バルダーは逆上し、ナイフを振り上げた。
論破された悔しさと焦りが、彼を暴走させる。
「死ねぇぇぇッ!!」
切っ先がリリアンナに迫る。
リリアンナは身動きが取れない。
さすがに「まずい」と思った、その時。
キィィィィィン……。
空気が、凍りついた。
物理的な温度低下ではない。
肌を刺すような、圧倒的な殺気が空間を支配したのだ。
バルダーの動きが止まる。
いや、恐怖で動けなくなったのだ。
「……おい」
地獄の底から響くような、低く、冷徹な声。
「僕の大切な資産(ひと)に、その汚い鉄屑を向けて……タダで済むと思っているのか?」
倉庫の入り口に、一人の男が立っていた。
銀色の髪。
片眼鏡。
そして、瞳には一切の光がなく、漆黒の闇よりも深い絶望を湛えている。
ルーカス・フォン・グランツ。
宰相閣下が、ご到着あそばされた。
「ひっ……!」
バルダーが悲鳴を漏らす。
ルーカスの背後では、空間が歪み、どす黒い魔力が渦を巻いている。
それはもはや人間の魔法使いではない。
神話に出てくる『魔王』そのものだった。
「ル、ルーカス……」
リリアンナが安堵の声を漏らす。
「遅いですよ。もう少しで私の服に穴が開くところでした」
「すまない、リリアンナ」
ルーカスが一瞬だけリリアンナを見て、優しく微笑む。
だが、すぐに視線をバルダーに戻すと、その表情は能面のように無機質なものに変わった。
「さて、元・子爵バルダー。……罪状を読み上げようか」
ルーカスが一歩踏み出す。
「脱獄、拉致監禁、傷害未遂。……ここまでは、法の裁きで終身刑といったところだが」
さらに一歩。
「僕の婚約者を怯えさせ(※説教していただけ)、僕の心臓を止めかけた罪。……これは、万死に値する」
「く、来るな! こいつを殺すぞ!」
バルダーが震える手でリリアンナにナイフを当てる。
「やれるものならやってごらん」
ルーカスは足を止めない。
「君がそのナイフを動かす速度より、僕が君の四肢を消滅させる速度の方が早い。試してみるかい?」
「あ、あぁ……」
バルダーの戦意が崩壊する。
勝てない。
生物としての格が違いすぎる。
「ひぃぃぃッ! 降参だ! 降参する!」
バルダーはナイフを放り投げ、その場に崩れ落ちた。
「賢明な判断だ。……もっとも、許すつもりはないけれど」
ルーカスは指を鳴らした。
「捕縛(バインド)」
見えない鎖がバルダーの体を締め上げ、宙吊りにする。
「連れて行け。……一番暗くて、湿気が多くて、ネズミの多い地下牢へ」
影から現れた暗部の兵士たちが、バルダーを回収していく。
連行されるバルダーが、最後にリリアンナを見て叫んだ。
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「また脱獄するつもりですか? 次はもっとマシな事業計画を立ててからにしなさいね」
リリアンナが冷たく手を振ると、バルダーは涙目で闇へと消えていった。
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ルーカスが駆け寄り、リリアンナを抱きしめる。
その腕は微かに震えていた。
「ありません。ただ、少し肩が凝りました」
「よかった……。本当に、よかった……」
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リリアンナは憎まれ口を叩こうとしたが、ルーカスの震えを感じて、言葉を飲み込んだ。
(……これでは、どっちが人質だったのかわかりませんね)
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その瞳に宿る熱量に、リリアンナの心拍数が跳ね上がる。
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「……わかりました。特別に許可します」
リリアンナは顔を赤らめながら、そっぽを向いた。
「その代わり、警護費用として……」
「一生分の愛を払うよ」
「……計算が合いません」
甘い空気が流れる。
二人の距離が縮まる。
その時。
ドガァァァン!!
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「あ、旦那様もご一緒で! もしかしてデート中でしたか!?」
「……台無しだ」
ルーカスがガックリと肩を落とす。
リリアンナは苦笑しながら、二人を見比べた。
事件は解決した。
だが、この一件でルーカスの「独占欲」と「過保護」のタガが完全に外れてしまったことを、リリアンナはまだ知らなかった。
「さあ、帰りましょう。……手、離してくれませんか?」
「嫌だ。家まで抱っこして帰る」
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