「ざまぁ・溺愛・大逆転」悪役令嬢は踊り明かしたい!

ちゅんりー

文字の大きさ
1 / 28

1

しおりを挟む
夜会の喧騒が、不自然に途絶えた。

まるで何かの合図があったかのように、音楽が止み、人々の視線がホールの中央へと注がれる。

その中心に立っていたのは、私の婚約者であるアラン王太子と、その腕にしがみつく小柄な男爵令嬢、ミナだった。

「タリー・ローズブレイド公爵令嬢! 僕は今日、今この時をもって、君との婚約を破棄する!」

アラン殿下の声が、高い天井に反響する。

周囲の貴族たちが息を呑む音が聞こえた。憐れみ、嘲笑、あるいは好奇心。それらの視線が、無遠慮に私の背中へと突き刺さる。

私はゆっくりと瞼を閉じ、そして開いた。

手にした極彩色の羽扇子(はねせんす)を、バサリと音を立てて開く。

「……あら。随分と大きな声を出されますのね、殿下」

私の声は震えていなかった。むしろ、ダンスホールの隅々まで響き渡るほど凛としていたはずだ。

「とぼけるな! 君がミナに行った数々の嫌がらせ、もう我慢ならないんだ!」

アラン殿下が私を指差す。その指先は怒りで震えているようだった。

「嫌がらせ、ですか?」

「そうだ! 教科書を破り、ドレスにワインをかけ、階段から突き落とそうとしただろう! すべてミナから聞いている!」

彼の腕の中で、ミナが怯えたように身を縮める。上目遣いで私を見つめるその瞳は、涙で潤んでいた。

「タリー様……どうしてそんな酷いことを……私はただ、仲良くしたかっただけなのに……」

震える声。可憐な容姿。守ってあげたくなるような儚さ。

なるほど、殿下のお好みには合致しているのだろう。地味で、慎ましく、男の庇護欲をそそる花。

対して私はどうだ。

燃えるような真紅のドレスに、派手な化粧。頭には大ぶりの宝石をあしらい、手には孔雀の羽を使った扇子。

誰よりも目立ち、誰よりも華やかであることを是としてきた。

それが王太子の隣に立つ者の務めだと信じていたからだ。

「……身に覚えがありませんわ」

私は扇子で口元を隠し、冷ややかに告げた。

「嘘をつくな!」

「嘘ではありません。そもそも、私がその方に興味を持つ理由がありませんもの」

「なんだと?」

「私は公爵家の娘として、そして次期王妃としての教育に忙殺されておりました。そのような、どこの馬の骨とも知れぬ方に構っている暇など、一秒たりともありませんわ」

私の言葉に、ミナが「ひどい……」と声を漏らす。

アラン殿下の顔が朱に染まった。

「その高慢な態度だ! 君はいつもそうだ。自分が一番で、他人を見下して、派手に着飾ることしか考えていない!」

「着飾って何が悪いのです?」

私は扇子を翻し、一歩前に進み出た。

ヒールの音が、静まり返ったホールに鋭く響く。

「王族とは、国の象徴であり太陽です。民が憧れ、仰ぎ見る存在であらねばなりません。地味で目立たない太陽など、誰が拝みますの?」

「屁理屈を言うな! 僕は、ミナのような心優しい女性こそが王妃にふさわしいと言っているんだ!」

「心優しい、ねえ」

私はチラリとミナを見た。

私の視線とぶつかった瞬間、彼女の口元が微かに歪んだのを、私は見逃さなかった。

(ああ、そういうことですの)

すべてを悟った。

彼女は計算している。か弱い被害者を演じ、愚かな王子を焚きつけ、私という邪魔者を排除しようとしているのだ。

そして、アラン殿下はまんまとその手中に落ちた。

「証拠はあるのですか?」

「証拠だと?」

「ええ。私が彼女をいじめたという証拠です。目撃者は? 突き落とそうとした現場を、誰かが見ていましたの?」

「それは……ミナが二人きりの時だったと……」

「つまり、彼女の証言だけ、ということですわね」

私は呆れてため息をついた。

「殿下。貴方は次期国王となられる方です。一方的な証言だけで人を断罪するなど、あってはならないことですわ」

「うるさい、うるさい! 僕は君のそういう、可愛げのないところが嫌いなんだ!」

アラン殿下が叫んだ。

その言葉は、理屈ではなく感情だった。

彼はただ、私が嫌いなのだ。

派手で、気が強くて、自分より背が高くて、正論ばかり言う私が。

そして、自分を立ててくれる、小さくて可愛いミナを選んだ。

ただ、それだけのこと。

私の胸の奥で、何かが冷たく砕け散った音がした。

幼い頃から受けてきた厳しい妃教育。王妃になるために費やしてきた努力。それら全てが、今この瞬間、無価値なものとして切り捨てられたのだ。

悔しくないと言えば嘘になる。

はらわたが煮え繰り返るほど腹が立っている。

けれど。

(ここで泣くなんて、三流のすることですわ)

私はタリー・ローズブレイド。

社交界の華。誰よりも気高く、美しく咲き誇る大輪の薔薇。

こんな愚かな男のために涙を流して化粧を崩すなど、私のプライドが許さない。

私はバサリと扇子を閉じ、アラン殿下に突きつけた。

「……わかりましたわ」

「え?」

「婚約破棄、謹んでお受けいたします」

予想外の返答だったのか、アラン殿下が目を丸くする。

「そ、そうか。やっと自分の罪を認める気になったか」

「いいえ。罪など認めておりません」

私は背筋を伸ばし、顎を上げて彼を見下ろした。

「貴方様が、私の輝きに耐えられなくなっただけでしょう? 隣に並ぶには、私が眩しすぎた。だから、ご自分にお似合いの、地味で可愛らしい石ころを選ばれた」

「き、貴様……!」

「お似合いですわよ、お二人は。せいぜい、二人だけの小さなお庭で、仲睦まじくおままごとをなさっていればよろしい」

言い放つと同時に、私はくるりと踵を返した。

ドレスの裾が大きく翻り、美しい弧を描く。

「待て! まだ話は終わっていないぞ!」

背後でアラン殿下が何か喚いているが、私は一度も振り返らなかった。

これ以上、あんな男の顔を見ていたら、扇子で殴りつけてしまいそうだったからだ。

(あーあ、終わっちゃった)

心の中で、乾いた笑いが漏れる。

父様は怒るだろうか。母様は悲しむだろうか。

国のための政略結婚だった。家のため、国のために、私は自分を殺して王太子妃という型に嵌まろうとしてきた。

でも、それももう終わりだ。

「道を開けなさい!」

私が声を張り上げると、人垣が波が引くように割れた。

誰もが私を遠巻きに見ている。

「可哀想に」「捨てられた女」「あんな強気な態度だから嫌われるのよ」

ひそひそとした囁き声が耳に届く。

うるさい。黙りなさい。私は可哀想なんかじゃない。

私は自由になったのだ。

あの窮屈な王宮からも、顔を合わせるたびに「もっと地味にしろ」と小言を言ってくる王妃様からも、そしてあの見る目のない愚かな元婚約者からも。

私は胸を張り、カツカツとヒールを鳴らして歩いた。

その足取りは、ダンスのステップのように軽やかでなければならない。

どんなに傷ついていても、どんなに惨めでも、私は笑っていなければならない。

それが、悪役令嬢と呼ばれた私の、最後の意地だった。

ホールの出口へ向かう途中、ふいに強烈な寒気を感じた。

視線の圧力。

それまで浴びてきた、好奇や嘲笑の視線とは明らかに質の違う、重く鋭い気配。

ふと顔を上げると、出口の扉の前に、巨大な影が立っていた。

壁のように立ちはだかる、黒い騎士服の男。

周囲の人々が避けて通るその男は、社交界で「氷の城壁」と恐れられている、辺境伯キース・ヴェルンシュタインだった。

無骨で、無口で、女っ気の一つもない、堅物中の堅物。

(……邪魔ですわね)

彼が退かなければ、私は会場から出られない。

私は足を止めず、彼に向かって一直線に歩み寄った。

「ごきげんよう、辺境伯様。そこを通していただけます?」

精一杯の強がりを込めて、私は彼を見上げた。

近くで見ると、改めてその大きさに圧倒される。岩のような体躯に、鋭い眼光。

彼は私を見下ろし、じっと動かない。

まさか、彼も私を嘲笑うつもりなのだろうか。

「婚約破棄された女になど、かける言葉もないとおっしゃるの?」

私の挑発的な言葉に、キース辺境伯の眉がぴくりと動いた。

そして、低く、腹の底に響くような声で言った。

「……違う」

「何が違いますの?」

「あんたは」

彼はそこで言葉を切り、無骨な手をゆっくりと持ち上げた。

殴られるのかと思い、私は身構えた。

しかし、その手は私の頬に触れることなく、不器用に宙を彷徨い、やがて私の目の前に差し出された。

まるで、ダンスの誘いのように。

「あんたは、泣いているのか?」

その問いかけに、私は息を止めた。

扇子を持つ指に力が入り、爪が食い込む。

泣いてなどいない。私は笑っている。完璧な笑顔を張り付かせているはずだ。

なのに、この男は。

この、氷のように冷徹だと言われる男だけが、私の仮面の下を見透かしたというのか。

ホールの中心では、未だアラン殿下たちが私の悪口を言っているのが聞こえる。

このまま一人で逃げ出せば、私は本当に「負け犬」になる。

「……泣いてなど、おりませんわ」

私は扇子を閉じ、彼の手をパチンと叩いた。

「私のプライドは、これしきのことで折れたりしませんの」

「そうか」

キース辺境伯は、短くそう答えた。

そして、信じられないことを口にした。

「なら、証明してみせろ」

「はい?」

「あんたが負けていないことを。その輝きが、あんな男の言葉一つで曇るような安いものじゃないことを」

彼は差し出した手を引っ込めなかった。

その瞳は、真っ直ぐに私を射抜いている。

そこには嘲りも、憐れみもない。ただ純粋な、熱のような色が宿っていた。

「俺と踊れ、タリー・ローズブレイド」

会場中がどよめいた。

あの堅物辺境伯が、ダンスを申し込んだ?

しかも、今まさに婚約破棄されたばかりの、傷物令嬢に?

私は呆気にとられ、しばらく彼の手を見つめていた。

けれど、次第に胸の奥から、熱いものが込み上げてくるのを感じた。

それは屈辱ではない。

この男は、私に「逃げるな」と言っているのだ。

堂々と胸を張り、最後まで美しくあれと、そう言っているのだ。

(面白いじゃない)

私はニヤリと笑った。

この状況で、私に手を差し伸べる命知らず。

その無骨な手のひらが、今はたまらなく頼もしく見えた。

「よろしいですわ」

私は扇子を腰のベルトに差し、彼の手の上に自分の手を重ねた。

「ただし、私のリードについてこられなくて、恥をかいても知りませんわよ?」

「……善処する」

音楽はない。

けれど、私の心の中では、すでに激しいリズムが鳴り響いていた。

さあ、見せてあげるわ。

アラン、ミナ。そして私を笑ったすべての人々へ。

これが、悪役令嬢タリーの、最後の、そして最高のダンスよ!
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!

ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」 それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。 挙げ句の果てに、 「用が済んだなら早く帰れっ!」 と追い返されてしまいました。 そして夜、屋敷に戻って来た夫は─── ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

処理中です...