2 / 28
2
しおりを挟む
「音楽!」
私の声がホールに響くと、指揮者がびくりと肩を跳ねさせた。
誰もが呆気にとられている。
無理もない。婚約破棄を突きつけられ、悪し様に罵られた公爵令嬢が、泣いて退場するどころか、会場で最も恐ろしい男の手を取ってダンスを始めようとしているのだから。
「な、何を……」
アラン殿下が口をパクパクさせている。
私は彼を完全に無視して、固まっている楽団へ扇子を向けた。
「聞こえなくて? ワルツよ。それも、葬式みたいな曲じゃなく、情熱的でテンポの速い曲をお願いね!」
指揮者が助けを求めるようにアラン殿下を見る。
しかし、その視線を遮るように、私の目の前の「壁」が動いた。
キース辺境伯が、ゆっくりと楽団の方へ首を巡らせる。
「……聞こえなかったのか」
地を這うような低い声。
ただそれだけで、楽団員たちの顔色が青ざめた。
「ひっ、ただちに!」
慌てふためいた指揮者がタクトを振り下ろす。
始まったのは、私の要望通りの激しいワルツ。弦楽器の音が荒々しく空気を震わせる。
「いい度胸だ」
キース辺境伯が、わずかに口角を上げたように見えた。
「行くわよ、辺境伯様。私のドレスを踏んだら、その革靴ごと足を踏み抜いて差し上げますわ!」
「……肝に銘じる」
私は彼の手を強く引き寄せ、強引にステップを踏み出した。
タン、タン、ターン!
私のリードに合わせて、キースの巨体が動く。
(重っ……!)
まるで大岩を動かしているようだ。
彼はダンスが苦手だと言われているけれど、それはリズム感がないからではない。体が大きすぎて、そして筋肉が硬すぎて、優雅な動きとは無縁だからだ。
けれど、私はタリー・ローズブレイド。
どんな暴れ馬だって乗りこなしてみせる。
「背筋を伸ばして! 視線は私だけを見る!」
「注文が多いな」
「貴方が誘ったんでしょう! 最後まで責任を持ちなさい!」
私は強気に言い放ちながら、大きく旋回した。
真紅のドレスが遠心力で大きく広がり、美しい花のように咲き誇る。
その瞬間、周囲から「おお……」という感嘆の声が漏れた。
いつもなら私が男性にエスコートされる側だ。しかし今は、私が彼を支配している。
黒い軍服のような正装に身を包んだ無骨な男と、燃えるようなドレスを纏った派手な女。
一見ミスマッチなその組み合わせは、皮肉にも「野獣と美女」のような、退廃的で強烈な魅力を放っていた。
「おい、あれを見ろよ……」
「辺境伯様があんなに動けるなんて……」
「タリー様のリード、凄まじいわね……」
さっきまで私を嘲笑っていた令嬢たちが、今は扇子で口元を隠し、熱っぽい視線を送っている。
ふん、現金なものね。
「悪くない反応だ」
キースがポツリと言った。
至近距離にある彼の顔を見上げる。無表情だが、その瞳は楽しげに細められている。
「当たり前ですわ。私が主役ですもの」
「ああ。あんたは眩しい」
不意打ちだった。
耳元で囁かれたその言葉に、私の心臓がドクリと跳ねる。
「……お世辞は結構よ」
「事実だ。あの王子には、この光が見えていなかったらしい」
彼は私の腰に回した手に力を込めた。
ぐい、と体が引き寄せられる。
これまで私がリードしていたはずが、その一瞬だけ、主導権を奪われたような感覚。
「なっ……」
「ステップが遅い。もっと速く回れるだろう?」
「挑発してくれますわね……!」
私の負けん気に火がついた。
この男、ただの堅物じゃない。
私のプライドを、魂を、煽っているのだ。
「いいでしょう! 地獄の果てまで踊り明かしますわよ!」
私はさらにテンポを上げた。
もはやワルツというより、戦いだ。
床を蹴り、回転し、視線がぶつかり合う。
汗が滲み、息が上がる。けれど、最高に気分が高揚していた。
世界の中心は、今ここにある。
私と、この無骨な男の間に。
「ふざけるな! やめろ! 音楽を止めろ!」
アラン殿下のヒステリックな怒声が聞こえた。
しかし、誰も動かない。楽団も、私たちの気迫に飲まれて演奏を止めることができないのだ。
ミナがアラン殿下の腕にしがみつき、何かを訴えているのが視界の端に見えた。
悔しそうな顔。
ざまあみなさい。貴女たちの作り出した「可哀想な婚約破棄劇」は、今ここで私が「極上のエンターテインメント」に書き換えてあげたわ!
ジャン!
最後の音が鳴り響くと同時に、キースが私を抱きとめるようにしてポーズを決めた。
静寂。
そして、割れんばかりの拍手喝采。
「ブラボー!」
「素晴らしい!」
誰かが叫んだのをきっかけに、ホール中が称賛の嵐に包まれた。
貴族たちは、スキャンダルよりも目の前の圧倒的な「美」に屈したのだ。
私は荒い息を整えながら、アラン殿下の方を振り返った。
そして、扇子をバサリと広げ、優雅に仰いでみせる。
「……ふふ。お楽しみいただけて?」
アラン殿下の顔は、茹でダコのように真っ赤だった。
「た、タリー……! 貴様、神聖な夜会でなんと破廉恥な……!」
「破廉恥? ただのダンスですわ。それとも、貴方様には少々刺激が強すぎました?」
私は挑発的な視線を送り、隣に立つキースの腕に手を絡めた。
「行きましょう、辺境伯様。ここは空気が悪くて、肌が荒れそうですわ」
「同感だ」
キースは短く答え、私をエスコートして歩き出した。
今度は私が引っ張るのではない。彼が、私を堂々と守るように導いている。
人垣が割れ、私たちは道を開けられた王者のように進む。
「待て! タリー!」
背後からアラン殿下が追いかけてこようとした。
その時だ。
キースが足を止め、振り返ることなく、肩越しに鋭い殺気を放った。
「……俺の連れに、気安く触れるな」
空気が凍りついた。
比喩ではない。物理的に温度が下がったかのような錯覚を覚えるほどの、絶対強者の威圧感。
「ひっ……」
アラン殿下が情けない声を上げて尻餅をついた。
ミナも悲鳴を上げて彼から離れる。
「行くぞ」
キースは何事もなかったかのように私に向き直り、歩き出した。
(強い……)
私は呆然としながら、彼についていくしかなかった。
王太子相手に、一歩も引かないどころか、威圧だけで黙らせてしまった。
この男、一体何者なの?
私たちはそのままホールを出て、夜風の吹き抜けるバルコニーへと向かった。
騒がしい音楽と拍手は、もう遠い。
重厚な扉が閉まり、静寂が戻ってくる。
「……はあ」
私は大きく息を吐き、手すりにもたれかかった。
流石に疲れた。
体力的にも、精神的にも。
「足、痛くないか」
キースが心配そうに覗き込んでくる。
さっきまでの魔王のような威圧感は消え、不器用な青年の顔に戻っていた。
「平気よ。伊達に毎日ヒールで鍛えていませんわ」
私は強がって見せたが、実際は足が少し震えている。
キースはそれを見逃さなかったらしい。
彼は無言で私の前に片膝をついた。
「な、何なさいますの!?」
「じっとしてろ」
彼は私の靴に手を伸ばそうとして――ふと、自分の無骨な手を止め、困ったように眉を寄せた。
「……すまん。俺の手では、その繊細な靴を壊してしまいそうだ」
その言葉があまりにも真剣で、あまりにも彼らしくて。
私は思わず吹き出してしまった。
「ふ、ふふふ! 何ですの、それ!」
「笑うな。真剣な悩みだ」
「だって、あんなに恐ろしい顔で殿下を威圧しておいて、靴一つ壊すのを怖がるなんて……ふふふ!」
笑いが止まらない。
婚約破棄されたばかりなのに。
将来は真っ暗なのに。
こんなに心から笑ったのは、いつぶりだろう。
ひとしきり笑った後、私は涙を指先で拭って、彼を見下ろした。
「ねえ、辺境伯様」
「キースでいい」
「じゃあ、キース様。……どうして私を助けたの?」
これは聞いておかなければならない。
気まぐれなのか、それとも別の意図があるのか。
キースは立ち上がり、夜空を見上げた。
「……ずっと、見ていたからだ」
「え?」
「あんたが、どれだけ虚勢を張って、どれだけ無理をして、あの場所で輝こうとしていたか。俺はずっと見ていた」
彼は視線を私に戻した。
その瞳は、夜空よりも深く、静かだった。
「あんたは派手なだけじゃない。誰よりも努力して、その『派手さ』という鎧を纏っていたんだろう?」
心臓が、早鐘を打った。
誰も気づかなかったこと。
両親でさえ、「もっと慎ましくしなさい」としか言わなかったこと。
それを、この接点すらなかった男が見抜いていたなんて。
「俺は、そんなあんたが……」
彼は言いかけて口ごもり、視線を泳がせた。
耳が赤い。
「……いや、なんでもない。とにかく、あんたが不当に貶められるのが我慢ならなかっただけだ」
(そこまで言って止めるんですの!?)
私はズッコケそうになったけれど、同時に胸が温かくなるのを感じた。
不器用な優しさ。
アラン殿下の薄っぺらい言葉とは違う、重みのある言葉。
「……変わった方ですわね」
私は扇子で口元を隠し、ニマリと笑った。
「でも、嫌いじゃありませんわ。その不器用なエスコート」
「……そうか」
「責任、取ってくださいますよね?」
「責任?」
「ええ。あんな派手に踊って、王太子に喧嘩まで売ってしまったんですもの。私、もうこの国では『悪女』決定ですわ」
私は扇子を閉じ、彼の胸元をトンと突いた。
「私の評判が地に落ちるまで付き合っていただいたんですから、最後まで面倒見ていただきませんと!」
これは賭けだ。
もし彼がここで引くようなら、それまでの男。
キースは一瞬きょとんとして、それから、今までで一番深い笑みを浮かべた。
「望むところだ。俺の領地は広すぎて寂しい。あんたくらい派手な花がないと、退屈で死にそうだったところだ」
「あら、田舎暮らしへの勧誘? 随分と急ですわね」
「嫌か?」
「いいえ」
私はバルコニーの手すりに背を預け、月に向かって扇子を掲げた。
「最高ですわ! あの堅苦しい王宮より、よほど楽しそうですもの!」
こうして、私、タリー・ローズブレイドの「悪役令嬢」としての人生は幕を閉じ――。
それ以上に刺激的で、情熱的な「辺境伯夫人(予定)」としての人生が、唐突に幕を開けたのだった。
私の声がホールに響くと、指揮者がびくりと肩を跳ねさせた。
誰もが呆気にとられている。
無理もない。婚約破棄を突きつけられ、悪し様に罵られた公爵令嬢が、泣いて退場するどころか、会場で最も恐ろしい男の手を取ってダンスを始めようとしているのだから。
「な、何を……」
アラン殿下が口をパクパクさせている。
私は彼を完全に無視して、固まっている楽団へ扇子を向けた。
「聞こえなくて? ワルツよ。それも、葬式みたいな曲じゃなく、情熱的でテンポの速い曲をお願いね!」
指揮者が助けを求めるようにアラン殿下を見る。
しかし、その視線を遮るように、私の目の前の「壁」が動いた。
キース辺境伯が、ゆっくりと楽団の方へ首を巡らせる。
「……聞こえなかったのか」
地を這うような低い声。
ただそれだけで、楽団員たちの顔色が青ざめた。
「ひっ、ただちに!」
慌てふためいた指揮者がタクトを振り下ろす。
始まったのは、私の要望通りの激しいワルツ。弦楽器の音が荒々しく空気を震わせる。
「いい度胸だ」
キース辺境伯が、わずかに口角を上げたように見えた。
「行くわよ、辺境伯様。私のドレスを踏んだら、その革靴ごと足を踏み抜いて差し上げますわ!」
「……肝に銘じる」
私は彼の手を強く引き寄せ、強引にステップを踏み出した。
タン、タン、ターン!
私のリードに合わせて、キースの巨体が動く。
(重っ……!)
まるで大岩を動かしているようだ。
彼はダンスが苦手だと言われているけれど、それはリズム感がないからではない。体が大きすぎて、そして筋肉が硬すぎて、優雅な動きとは無縁だからだ。
けれど、私はタリー・ローズブレイド。
どんな暴れ馬だって乗りこなしてみせる。
「背筋を伸ばして! 視線は私だけを見る!」
「注文が多いな」
「貴方が誘ったんでしょう! 最後まで責任を持ちなさい!」
私は強気に言い放ちながら、大きく旋回した。
真紅のドレスが遠心力で大きく広がり、美しい花のように咲き誇る。
その瞬間、周囲から「おお……」という感嘆の声が漏れた。
いつもなら私が男性にエスコートされる側だ。しかし今は、私が彼を支配している。
黒い軍服のような正装に身を包んだ無骨な男と、燃えるようなドレスを纏った派手な女。
一見ミスマッチなその組み合わせは、皮肉にも「野獣と美女」のような、退廃的で強烈な魅力を放っていた。
「おい、あれを見ろよ……」
「辺境伯様があんなに動けるなんて……」
「タリー様のリード、凄まじいわね……」
さっきまで私を嘲笑っていた令嬢たちが、今は扇子で口元を隠し、熱っぽい視線を送っている。
ふん、現金なものね。
「悪くない反応だ」
キースがポツリと言った。
至近距離にある彼の顔を見上げる。無表情だが、その瞳は楽しげに細められている。
「当たり前ですわ。私が主役ですもの」
「ああ。あんたは眩しい」
不意打ちだった。
耳元で囁かれたその言葉に、私の心臓がドクリと跳ねる。
「……お世辞は結構よ」
「事実だ。あの王子には、この光が見えていなかったらしい」
彼は私の腰に回した手に力を込めた。
ぐい、と体が引き寄せられる。
これまで私がリードしていたはずが、その一瞬だけ、主導権を奪われたような感覚。
「なっ……」
「ステップが遅い。もっと速く回れるだろう?」
「挑発してくれますわね……!」
私の負けん気に火がついた。
この男、ただの堅物じゃない。
私のプライドを、魂を、煽っているのだ。
「いいでしょう! 地獄の果てまで踊り明かしますわよ!」
私はさらにテンポを上げた。
もはやワルツというより、戦いだ。
床を蹴り、回転し、視線がぶつかり合う。
汗が滲み、息が上がる。けれど、最高に気分が高揚していた。
世界の中心は、今ここにある。
私と、この無骨な男の間に。
「ふざけるな! やめろ! 音楽を止めろ!」
アラン殿下のヒステリックな怒声が聞こえた。
しかし、誰も動かない。楽団も、私たちの気迫に飲まれて演奏を止めることができないのだ。
ミナがアラン殿下の腕にしがみつき、何かを訴えているのが視界の端に見えた。
悔しそうな顔。
ざまあみなさい。貴女たちの作り出した「可哀想な婚約破棄劇」は、今ここで私が「極上のエンターテインメント」に書き換えてあげたわ!
ジャン!
最後の音が鳴り響くと同時に、キースが私を抱きとめるようにしてポーズを決めた。
静寂。
そして、割れんばかりの拍手喝采。
「ブラボー!」
「素晴らしい!」
誰かが叫んだのをきっかけに、ホール中が称賛の嵐に包まれた。
貴族たちは、スキャンダルよりも目の前の圧倒的な「美」に屈したのだ。
私は荒い息を整えながら、アラン殿下の方を振り返った。
そして、扇子をバサリと広げ、優雅に仰いでみせる。
「……ふふ。お楽しみいただけて?」
アラン殿下の顔は、茹でダコのように真っ赤だった。
「た、タリー……! 貴様、神聖な夜会でなんと破廉恥な……!」
「破廉恥? ただのダンスですわ。それとも、貴方様には少々刺激が強すぎました?」
私は挑発的な視線を送り、隣に立つキースの腕に手を絡めた。
「行きましょう、辺境伯様。ここは空気が悪くて、肌が荒れそうですわ」
「同感だ」
キースは短く答え、私をエスコートして歩き出した。
今度は私が引っ張るのではない。彼が、私を堂々と守るように導いている。
人垣が割れ、私たちは道を開けられた王者のように進む。
「待て! タリー!」
背後からアラン殿下が追いかけてこようとした。
その時だ。
キースが足を止め、振り返ることなく、肩越しに鋭い殺気を放った。
「……俺の連れに、気安く触れるな」
空気が凍りついた。
比喩ではない。物理的に温度が下がったかのような錯覚を覚えるほどの、絶対強者の威圧感。
「ひっ……」
アラン殿下が情けない声を上げて尻餅をついた。
ミナも悲鳴を上げて彼から離れる。
「行くぞ」
キースは何事もなかったかのように私に向き直り、歩き出した。
(強い……)
私は呆然としながら、彼についていくしかなかった。
王太子相手に、一歩も引かないどころか、威圧だけで黙らせてしまった。
この男、一体何者なの?
私たちはそのままホールを出て、夜風の吹き抜けるバルコニーへと向かった。
騒がしい音楽と拍手は、もう遠い。
重厚な扉が閉まり、静寂が戻ってくる。
「……はあ」
私は大きく息を吐き、手すりにもたれかかった。
流石に疲れた。
体力的にも、精神的にも。
「足、痛くないか」
キースが心配そうに覗き込んでくる。
さっきまでの魔王のような威圧感は消え、不器用な青年の顔に戻っていた。
「平気よ。伊達に毎日ヒールで鍛えていませんわ」
私は強がって見せたが、実際は足が少し震えている。
キースはそれを見逃さなかったらしい。
彼は無言で私の前に片膝をついた。
「な、何なさいますの!?」
「じっとしてろ」
彼は私の靴に手を伸ばそうとして――ふと、自分の無骨な手を止め、困ったように眉を寄せた。
「……すまん。俺の手では、その繊細な靴を壊してしまいそうだ」
その言葉があまりにも真剣で、あまりにも彼らしくて。
私は思わず吹き出してしまった。
「ふ、ふふふ! 何ですの、それ!」
「笑うな。真剣な悩みだ」
「だって、あんなに恐ろしい顔で殿下を威圧しておいて、靴一つ壊すのを怖がるなんて……ふふふ!」
笑いが止まらない。
婚約破棄されたばかりなのに。
将来は真っ暗なのに。
こんなに心から笑ったのは、いつぶりだろう。
ひとしきり笑った後、私は涙を指先で拭って、彼を見下ろした。
「ねえ、辺境伯様」
「キースでいい」
「じゃあ、キース様。……どうして私を助けたの?」
これは聞いておかなければならない。
気まぐれなのか、それとも別の意図があるのか。
キースは立ち上がり、夜空を見上げた。
「……ずっと、見ていたからだ」
「え?」
「あんたが、どれだけ虚勢を張って、どれだけ無理をして、あの場所で輝こうとしていたか。俺はずっと見ていた」
彼は視線を私に戻した。
その瞳は、夜空よりも深く、静かだった。
「あんたは派手なだけじゃない。誰よりも努力して、その『派手さ』という鎧を纏っていたんだろう?」
心臓が、早鐘を打った。
誰も気づかなかったこと。
両親でさえ、「もっと慎ましくしなさい」としか言わなかったこと。
それを、この接点すらなかった男が見抜いていたなんて。
「俺は、そんなあんたが……」
彼は言いかけて口ごもり、視線を泳がせた。
耳が赤い。
「……いや、なんでもない。とにかく、あんたが不当に貶められるのが我慢ならなかっただけだ」
(そこまで言って止めるんですの!?)
私はズッコケそうになったけれど、同時に胸が温かくなるのを感じた。
不器用な優しさ。
アラン殿下の薄っぺらい言葉とは違う、重みのある言葉。
「……変わった方ですわね」
私は扇子で口元を隠し、ニマリと笑った。
「でも、嫌いじゃありませんわ。その不器用なエスコート」
「……そうか」
「責任、取ってくださいますよね?」
「責任?」
「ええ。あんな派手に踊って、王太子に喧嘩まで売ってしまったんですもの。私、もうこの国では『悪女』決定ですわ」
私は扇子を閉じ、彼の胸元をトンと突いた。
「私の評判が地に落ちるまで付き合っていただいたんですから、最後まで面倒見ていただきませんと!」
これは賭けだ。
もし彼がここで引くようなら、それまでの男。
キースは一瞬きょとんとして、それから、今までで一番深い笑みを浮かべた。
「望むところだ。俺の領地は広すぎて寂しい。あんたくらい派手な花がないと、退屈で死にそうだったところだ」
「あら、田舎暮らしへの勧誘? 随分と急ですわね」
「嫌か?」
「いいえ」
私はバルコニーの手すりに背を預け、月に向かって扇子を掲げた。
「最高ですわ! あの堅苦しい王宮より、よほど楽しそうですもの!」
こうして、私、タリー・ローズブレイドの「悪役令嬢」としての人生は幕を閉じ――。
それ以上に刺激的で、情熱的な「辺境伯夫人(予定)」としての人生が、唐突に幕を開けたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!
ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」
それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。
挙げ句の果てに、
「用が済んだなら早く帰れっ!」
と追い返されてしまいました。
そして夜、屋敷に戻って来た夫は───
✻ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
【完結】好きでもない私とは婚約解消してください
里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。
そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。
婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる