「ざまぁ・溺愛・大逆転」悪役令嬢は踊り明かしたい!

ちゅんりー

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「送っていく」

バルコニーから戻るなり、キース様は短くそう言った。

拒否権はないようだった。

私の腰に回された腕は、岩のように硬く、それでいて壊れ物を扱うように慎重だ。

「……よろしくてよ。公爵邸の前で王太子殿下に捨てられた女が一人で馬車を待つなんて、絵になりませんものね」

「自分を卑下するな」

「事実ですわ」

私はふんと鼻を鳴らし、彼のエスコートに身を委ねた。

会場を出ると、冷たい夜気が火照った頬を撫でる。

キース様の馬車は、彼自身と同じように黒塗りで、無骨で、飾り気のないものだった。けれど、車輪の手入れは行き届いているようで、乗り心地は悪くない。

ガタゴトと馬車が動き出すと、狭い空間に二人きりの沈黙が落ちた。

(……気まずいですわね)

さっきまでの高揚感が引いていくにつれ、事の重大さがのしかかってくる。

王太子に恥をかかせ、婚約破棄を突きつけられ、挙句の果てに「氷の城壁」と呼ばれる辺境伯と会場を脱走。

明日の社交界新聞が一面トップで書き立てるのは間違いない。

『悪役令嬢タリー、乱心!』あるいは『辺境伯、魔性の女に惑わされる!』といったところかしら。

「……寒くはないか」

沈黙を破ったのは、キース様だった。

「平気よ。このドレス、布地は少ないけれど情熱で温かいの」

私が軽口を叩くと、彼は真面目な顔で頷いた。

「そうか。だが、辺境は寒い。今のうちに寒さに慣れておいた方がいいかもしれないが……やはり風邪を引かれては困る」

彼は言うなり、自分が羽織っていた厚手の外套を脱ぎ、バサリと私に被せた。

「ちょっと! 重いですわ!」

「着ていろ。俺の匂いがつくのが嫌でなければ」

「……っ」

不意打ちのような言葉に、私は言葉を詰まらせた。

外套からは、微かに革と、冬の森のような清冽な香りがした。嫌な匂いではない。むしろ、落ち着く香りだ。

「……嫌ではありませんわ。ただ、貴方のセンスが地味すぎて、私のドレスと合わないと言いたかっただけよ」

「それは失礼した」

キース様は微かに笑ったようだった。

薄暗い車内では表情がよく見えない。けれど、その声色は驚くほど優しかった。

「タリー」

名前を呼ばれ、ドキリとする。

「俺は本気だ」

「……何がですの?」

「辺境に来いという話だ。口から出まかせで言ったわけじゃない」

彼は真っ直ぐに私を見据えていた。

「俺の領地、ヴェルンシュタインは北の果てだ。魔獣も出るし、冬は雪に閉ざされる。王都のような煌びやかな夜会もない」

「脅し文句ですの? 行きたくなくなりましたわ」

「だが、ダイヤモンドダストは美しい。オーロラも見える。それに……」

彼は少し言い淀んでから、不器用そうに続けた。

「俺の屋敷には、主人がいない。俺一人では広すぎて、寒々しい場所だ。あんたが来てくれれば、きっと城も……俺の人生も、騒がしくなるだろうと思ってな」

「騒がしく、ねえ」

私は外套に顔を埋め、くすりと笑った。

「いい口説き文句ですわ。華やかな生活を約束する、ではなく、騒がしくしてくれ、だなんて」

「俺に気の利いた台詞は期待しないでくれ」

「知っていますわ。ダンスの最中も、貴方ときたら『右』とか『回せ』とか、軍隊の号令みたいでしたもの」

「……精進する」

馬車が公爵邸の前に到着するまで、私たちはそんな軽口を叩き合った。

別れ際、彼は私の手の甲に、騎士の礼儀に則った口づけを落とした。

「また明日」

「明日? そんなすぐに会いに来るつもり?」

「ああ。鉄は熱いうちに打てと言うからな」

彼はニヤリと笑い、馬車へと戻っていった。

その背中を見送りながら、私は自分の顔が熱くなっているのを自覚せざるを得なかった。

(調子が狂いますわ……)

これが、あの「氷の城壁」?

ただの熱烈な求愛者(ストーカー)予備軍の間違いではなくて?



翌朝。

私は鳥のさえずりではなく、メイドの悲鳴で目を覚ました。

「お、お嬢様ーっ! 大変です! 大変ですわーっ!」

「……うるさいわね。朝から何事?」

私はシルクのナイトキャップを外し、不機嫌に起き上がった。

昨夜は興奮してなかなか寝付けなかったのだ。目の下に隈ができていたらどうしてくれるの。

「げ、玄関ホールが! 玄関ホールが埋まってしまいました!」

「はあ? 何に?」

「ば、薔薇です! 真紅の薔薇で!」

私は飛び起きた。

急いでガウンを羽織り、階段を駆け下りる。

そこには、異様な光景が広がっていた。

「……何ですの、これ」

広い公爵家のエントランスホールが、見渡す限りの赤い薔薇で埋め尽くされていたのだ。

花瓶に入りきらない分が床にまで溢れ、まるで薔薇の洪水のようだ。濃厚な香りが充満して、むせ返るほどである。

呆然とする使用人たちの中心で、私の父、ローズブレイド公爵が手紙を片手に震えていた。

「お、お父様?」

「タリー……! これは一体どういうことだ!?」

父様は私を見るなり、手紙を突きつけてきた。

「王家から婚約破棄の通達が来たかと思えば、今度は辺境伯からこれだ! 『娘さんを私にください』だと!? しかも『まずは友人から、結婚を前提に』などと、律儀なんだか強引なんだか分からん文面で!」

「友人から……?」

私は父様の手から手紙を奪い取った。

無骨で力強い筆跡。

『拝啓 ローズブレイド公爵閣下

 突然の非礼を詫びる。
 ご息女、タリー嬢に求婚したい。
 昨夜の彼女のダンスは、雪解けの太陽のように眩しかった。
 彼女が望むなら、世界中の宝石を買い占めてもいい。
 だが、まずは友人として、彼女の傷ついた心を癒やす時間を頂きたい。
 
 追伸
 この薔薇は彼女の色だと思ったので贈る。
 全部で一万本あるはずだ。数えてはいないが。
 
 キース・ヴェルンシュタイン』

「……バカなの?」

私は思わず呟いた。

一万本? 数えていない?

規格外にも程がある。

「タリーよ、お前、王太子の次は辺境の『氷の城壁』を誑(たぶら)かしたのか?」

父様が胃を押さえながら呻く。

「人聞きの悪いことを言わないでくださいまし。向こうが勝手に送ってきたんですわ」

「しかし、ヴェルンシュタイン辺境伯といえば、王家にも匹敵する武力と財力を持つ大貴族だ。悪い話ではないが……その、お前、王太子殿下とのことは大丈夫なのか? 何やら『いじめ』が原因だとか……」

父様の視線が痛い。

王家からの通達には、きっとあのアラン殿下とミナの捏造した罪状が並べられているのだろう。

私は扇子がないことに気づき、代わりに手近にあった薔薇を一輪掴んで構えた。

「お父様。貴方は、娘がそんなみみっちい陰湿なことをする人間だと思いまして?」

「い、いや。お前は昔から『やるなら正面から堂々と踏み潰す』タイプだったからな……」

「でしょう? これは冤罪ですわ。愚かな元婚約者が、私の輝きに目が眩んで判断力を失っただけのこと」

私は薔薇の香りを胸いっぱいに吸い込み、不敵に笑った。

「ご心配なく。売られた喧嘩は、倍の値段で買い取って差し上げますわ」

「ひぃ……お前のそういうところ、本当に母親にそっくりだ……」

父様が青ざめる横で、執事が恭しく声をかけてきた。

「お嬢様。その……この大量の薔薇、いかがいたしましょうか? 屋敷中の花瓶を総動員しても足りませんが」

「そうねえ」

私は薔薇の海を見渡した。

地味で殺風景な辺境伯の贈り物にしては、随分と派手で、情熱的だ。

「ドライフラワーにしてポプリを作りましょう。領地の民に配れば、いい香りだと喜ばれるわ」

「は、はあ。民に……?」

「ええ。それから、一番綺麗な何本かは私の部屋へ。残りは……そうね、お風呂にでも浮かべましょうか」

「薔薇風呂ですか!?」

「贅沢ですって? いいえ、これは『戦利品』ですもの。余すことなく堪能してあげないと、送り主に失礼ですわ」

私は薔薇を一輪髪に挿し、父様に向き直った。

「それよりお父様。キース様……辺境伯様への返事は、私が書きますわ」

「え、受けるのか? 本当に?」

「ええ。だって、見てみたいと思いません?」

私は手紙の文面を指でなぞった。

「『雪解けの太陽』だなんて詩的なことを言う無骨な騎士様が、私の色に染まりきった時、どんな顔をするのかを」

父様は天を仰いだ。

「……胃薬を、誰か胃薬を持ってきてくれ」

こうして、私の波乱万丈な「婚約破棄の翌日」は、薔薇の香りと共に幕を開けたのだった。

だが、もちろんこれで終わるはずがない。

ミナとアラン殿下が、私をただ野放しにしておくはずがないのだから。

(さあ、次はどんな手で来ますの?)

私は真紅の薔薇を指先で回しながら、まだ見ぬ敵の出方を想像して、楽しげに目を細めた。
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