覚えのない罪で婚約破棄、なぜか隣国の王太子に気に入られた

ちゅんりー

文字の大きさ
1 / 28

1

しおりを挟む
「マリーナ・フォン・アデレード! 貴様のような血も涙もない悪女との婚約は、今この瞬間をもって破棄させてもらう!」


華やかな卒業パーティーの会場に、王太子エドワード様の怒声が響き渡りました。


オーケストラの演奏は止まり、着飾った貴族たちが一斉にこちらを振り返ります。


その中心で、エドワード様は可憐な男爵令嬢、リリアンさんの肩を抱き寄せ、私を親の仇か何かのように睨みつけていました。


私は、手に持っていたシャンパングラスを静かに近くのテーブルへと置きました。


(……よし、来た。計算通りですわ)


私の心の中にあったのは、悲しみでも絶望でもなく、むしろ達成感に近い喜びでした。


ようやくこの「超絶ブラック婚約者」という役職から解放される。その喜びを悟られないよう、私は努めて冷静な「悪役令嬢」の仮面を維持します。


「……突然のお言葉、驚きましたわ。エドワード様。理由を伺ってもよろしいかしら?」


「白々しいぞ! 貴様が裏でリリアンに行ってきた数々の嫌がらせ、すべて証拠は上がっているんだ!」


エドワード様は、これ見よがしに数枚の紙を宙に放り投げました。


「教科書を隠し、私物を燃やし、果ては階段から突き落とそうとしただろう! リリアンは恐怖で毎晩震えていたのだぞ!」


リリアンさんは、エドワード様の胸に顔を埋めながら、わざとらしいほど肩を震わせています。


「ううっ……エドワード様、もういいのです。私が我慢すれば、それで済むことですから……っ」


「リリアン、君はなんて優しいんだ。それに引き換え、この鉄面皮の女め!」


周囲の貴族たちから、私を蔑むようなヒソヒソ声が漏れ聞こえてきます。


「まあ、あのアデレード公爵令嬢が……」
「いつも冷たい目をして、事務的なことばかり言っていたものね」
「王太子妃の座を狙って、リリアン様を亡き者にしようとしたのかしら」


……勝手なことを言ってくれます。


私は大きくため息をつき、扇子をパチンと閉じました。


「まず、一点修正させていただきますわ。リリアンさん」


私は、震える「被害者」をまっすぐに見据えました。


「あなたが『恐怖で震えていた』というその日の放課後、あなたは学園裏の茶屋で特大のイチゴパフェを完食していましたわね。領収書は私の手元に回ってきています。公費で落とそうとするのはやめていただけますか?」


「えっ……あ、あれは……その」


「それからエドワード様。私が彼女の私物を燃やしたという件ですが。その現場を目撃したとされる令息たちは、その時間に騎士団の訓練に出ていたはずです。アリバイを確認しましたか?」


エドワード様の顔が、一瞬で真っ赤になりました。


「う、うるさい! 貴様の屁理屈など聞きたくない! とにかく婚約は破棄だ! 今すぐこの場から失せろ!」


「承知いたしました」


私は深く、優雅に一礼しました。


「……え?」


「ですから、婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ。私のような『血も涙もない女』に、エドワード様の隣は荷が重すぎましたもの」


あまりにあっさりと引き下がった私に、会場全体が拍子抜けしたような空気に包まれます。


「ですが、エドワード様。一つだけ、重要な手続きが残っております」


「手続きだと? 慰謝料でも請求するつもりか! 悪いのはお前の方なんだぞ!」


「いいえ、慰謝料ではありません。……これは『清算』です」


私は背後に控えていた侍女のアンに合図を送りました。


彼女が恭しく差し出したのは、鈍い光を放つ大きな革のバインダー。


私はそれを、エドワード様の目の前で勢いよく開きました。


「これは、私が婚約者となってからの三年間、あなたの代わりに処理した公務、予算編成、および外交文書の写しです。総数、二千四百五十二件」


「な、なんだと……?」


「エドワード様が夜な夜なリリアンさんと『愛の語らい』を深めていらっしゃる間、私がどれだけの書類にサインを代行したか、ご存知ですか?」


私は流れるような動作で、一枚の請求書をバインダーから抜き取ります。


「事務代行費用、情報収集費、ならびに教育指導料。そして、今回の急な契約解除に伴う『退職金』……いえ、解決金。合計して、金貨五千枚を請求いたします」


会場がしんと静まり返りました。


金貨五千枚。それは、小規模な領地が一つ買えてしまうほどの巨額です。


「ふ、ふざけるな! 婚約者が協力するのは当然だろう!」


「『協力』の範囲を超えた実務は『労働』です。私は公爵令嬢であって、あなたの無償秘書ではありませんわ」


私は冷徹な笑みを浮かべ、一歩、エドワード様に詰め寄りました。


「もしお支払いいただけない場合は、これらの書類……エドワード様がどれだけいい加減な決済をして、私がどれだけそれを修正したかの記録を、すべて国王陛下と議会に提出いたします。王太子の地位、危うくなるかもしれませんけれど……どうなさいます?」


「くっ……お、おのれ……!」


エドワード様は、震える手で私の突きつけた書類を奪い取りました。


「わかった……払えばいいんだろう! その代わり、二度と私の前に姿を現すな!」


「ええ、もちろんですわ。これにて、私とあなたの雇用……失礼、婚約関係は完全に解消されました」


私は満足げに頷くと、宝石のように輝くティアラを頭から外しました。


それは、王家から贈られた婚約の証。


「これ、返却いたしますわ。リリアンさんにあげてくださいな。サイズが合えばいいですけれど」


私はティアラを近くの給仕が持っていたトレイに放り投げ、周囲の貴族たちを悠然と見渡しました。


「皆様、お騒がせいたしました。私はこれにて『退職』させていただきます。これからは、私の有能な元婚約者様が、お一人で立派に国を治めていかれることでしょう。……頑張ってくださいね、エドワード様」


エドワード様の顔が、みるみるうちに青ざめていくのがわかりました。


おそらく彼は、明日から自分の机に積み上がるはずの「私が処理しない書類の山」を想像すらできていないのでしょう。


私は最高の気分で、会場の扉へと向かいました。


(自由! なんて素晴らしい響きかしら!)


明日からは、朝寝坊をして、好きなだけ本を読んで、誰の尻拭いもしなくていい。


そんなバラ色の未来を想像しながら、私が会場の外へ一歩踏み出した、その時でした。


「素晴らしい交渉術だ。惚れ惚れするよ、マリーナ嬢」


柱の影から、一人の男が現れました。


夜の闇に溶け込むような漆黒の夜会服に、氷のように冷たくも美しい、青い瞳。


この国の人間ではありません。


隣国・ノイシュタット帝国の第一皇太子にして、大陸一の切れ者と謳われるラインハルト様です。


「ラインハルト様……。いつからそこに?」


「婚約破棄をガッツポーズで喜んでいるところからかな」


……見られていました。


彼は私に近づくと、その長い指先で私の手を取り、跪きました。


「マリーナ・フォン・アデレード。あのような愚かな男に君を使い潰させるのは、世界の損失だ」


ラインハルト様は、私の手の甲に熱い口づけを落とし、不敵に微笑みました。


「私の国へ来ないか? 報酬は望むままだ。もちろん、君が望むなら『王太子妃』という肩書きも、最高の条件で用意しよう」


(……あら?)


どうやら、私のセカンドライフは、思っていたよりも少しだけ忙しくなりそうです。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。

ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」 その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。

白い結婚をご希望ですか? 良いですよ。私はジャガイモと筋肉を育てますので!

松本雀
恋愛
「……いいか、エルゼ。あらかじめ言っておくが、私は君を愛するつもりはない」 「願ったり叶ったりです! 実は私、国境警備隊に幼馴染の恋人がいまして。この結婚が決まった時、二人で『体は売っても心は売らない』って涙ながらに誓い合ったんです。閣下が愛してくださらないなら、私の貞操も守られます! ありがとうございます、公爵閣下!」 「……こいびと?」 ◆ 「君を愛するつもりはない」 冷徹な公爵ギルベルトが新婚初夜に放った非情な宣告。しかし、新妻エルゼの反応は意外なものだった。 「よかった! 実は私、国境警備隊に恋人がいるんです!」 利害が一致したとばかりに秒速で就寝するエルゼ。彼女の目的は、愛なき結婚生活を隠れ蓑に、恋人への想いを込めた「究極のジャガイモ」を育てることだった! 公爵家の庭園を勝手に耕し、プロテインを肥料にするエルゼに、最初は呆れていたギルベルト。だが、彼女のあまりにフリーダムな振る舞いと、恋人への一途(?)な情熱を目の当たりにするうち、冷徹だった彼の心(と筋肉)に異変が起き始めて……!?

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

婚約破棄から50年後

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、王子が婚約者に婚約破棄を宣言した。王子は真に愛する女性と結ばれ、めでたしめでたし。 そして50年後、王子の孫の王子は、婚約破棄された女性の孫と婚約する事に。そこで明かされた婚約破棄の真実とは。

二度目の子育て~我が子を可愛がったら溺愛されました

三園 七詩
恋愛
私は一人娘の優里亜の母親だった。 優里亜は幼い頃から体が弱く病院でほとんどの時間を過ごしていた。 優里亜は本が好きでよく私にも本の話をしてくれた。 そんな優里亜の病状が悪化して幼くして亡くなってしまう。 絶望に打ちひしがれている時事件に巻き込まれ私も命を落とした。 そして気がつくと娘の優里亜が大好きだった本の世界に入り込んでいた。

婚約破棄だ!と言われ実家に帰ったら、最推しに餌付けされます

黒猫かの
恋愛
王国の第一王子クレイスから、衆人環視の中 で婚約破棄を言い渡されたローゼン侯爵令嬢ノエル。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ】悪妃は余暇を楽しむ

ごろごろみかん。
恋愛
「こちら、離縁届です。私と、離縁してくださいませ、陛下」 ある日、悪妃と名高いクレメンティーナが夫に渡したのは、離縁届だった。彼女はにっこりと笑って言う。 「先日、あなた方の真実の愛を拝見させていただきまして……有難いことに目が覚めましたわ。ですので、王妃、やめさせていただこうかと」 何せ、あれだけ見せつけてくれたのである。ショックついでに前世の記憶を取り戻して、千年の恋も瞬間冷凍された。 都合のいい女は本日で卒業。 今後は、余暇を楽しむとしましょう。 吹っ切れた悪妃は身辺整理を終えると早々に城を出て行ってしまった。

謹んで、婚約破棄をお受けいたします。

パリパリかぷちーの
恋愛
きつい目つきと素直でない性格から『悪役令嬢』と噂される公爵令嬢マーブル。彼女は、王太子ジュリアンの婚約者であったが、王子の新たな恋人である男爵令嬢クララの策略により、夜会の場で大勢の貴族たちの前で婚約を破棄されてしまう。

処理中です...