覚えのない罪で婚約破棄、なぜか隣国の王太子に気に入られた

ちゅんりー

文字の大きさ
8 / 28

8

しおりを挟む
ノイシュタット帝国の朝は、清々しい空気と、完璧に管理されたタイムスケジュールで始まります。


私の専属秘書官となったルークをはじめ、新たに配属された十名の事務官たちは、当初、私を「隣国から来た得体の知れない令嬢」として、遠巻きに見ていました。


それもそうでしょう。昨日まで敵対に近い関係だった国の、しかも「悪役令嬢」として婚約破棄された女が、いきなり帝国の中枢に座ったのですから。


「……あの、マリーナ様。本日の予定ですが、財務局からの再検討依頼が三件、それから……」


ルークが、おずおずと資料を差し出します。彼の目は、明らかに睡眠不足で充血していました。


「ルーク、その資料を見る前に、まずは顔を洗ってきなさい。それから、その左手に持っている『栄養ドリンクの空き瓶』を捨てなさい。効率が落ちていますわ」


「えっ……あ、はい。すみません、昨夜はこの資料を整理するだけで手一杯で……」


「いいですか。書類を整理するために夜を明かすのは、無能の証明ですわ。……どれ、貸してごらんなさい」


私は彼の手から資料を奪い取ると、五分で目を通しました。


「……なるほど。この輸送ルートの関税特例措置、計算式が古いままですわね。それに、ここの署名。財務局次長の筆跡ですが、普段より少し震えています。……さては、昨夜かなりお酒を飲んで適当にサインしましたわね?」


「えっ……ええっ!? そんなことまでわかるんですか!?」


「数字と筆跡は、真実を語るものですわ。……ルーク、この三件はすべて差し戻し。ただし、私が赤字で修正したこの『改善案』を添えて送りなさい。二度と手抜きはさせない、という無言の圧力を込めてね」


私がスラスラと赤ペンを走らせると、ルークは開いた口が塞がらないといった様子で書類を眺めていました。


「……信じられない。僕たちが三日かけても見つけられなかった不備を、たった数分で……」


「ルーク、感心している暇があったら、他の事務官たちを集めなさい。……今から一時間で、帝国の『全事務工程の最適化』を行いますわ」


「全事務工程……!? 一時間で、ですか!?」


「ええ。今のあなたたちの働き方は、あまりにも非効率ですもの。もっと楽をして、もっと成果を出す。それがマリーナ流・ホワイト職場改革ですわ!」


それからの三十分、私は執務室の中央に立ち、次々と指示を飛ばしました。


「そこのあなた! その書類のファイリングは時間の無駄です。色分けして魔導タグを付けなさい!」


「あなたは計算機を使わずに、この術式を起動させなさい。脳のメモリを節約するのです!」


「そこの彼女、お茶を淹れるタイミングが早すぎます。私がこの三枚の書類にサインし終えた五秒後が、最も適温ですわ!」


嵐のような一時間が過ぎた頃。


執務室の中の空気は、劇的に変わっていました。


山積みだった書類は整理され、事務官たちの動きには無駄がなくなり、驚くほど静かで、かつ迅速な空間へと変貌したのです。


「……終わりました。……えっ、本当に、今日の分の仕事が、もう終わったんですか?」


事務官の一人が、信じられないという顔で時計を見ました。まだ午前十一時です。


「ええ。午後からは自由時間ですわ。勉強するもよし、街へ遊びに行くもよし。……ただし、明日の朝九時には、完璧なコンディションで出勤すること。いいわね?」


「「「は、はい! マリーナ教祖様!!」」」


……いつの間にか、呼び方が「教祖様」に変わっていました。


彼らは今や、私を敬遠するどころか、拝むような目で見ています。


「……マリーナ、君の教育は少し過激すぎるんじゃないかな」


扉の近くで、いつの間にかラインハルト様が、壁に背を預けて笑っていました。


「ラインハルト様。見ていらしたのですか?」


「ああ。事務官たちが、まるで奇跡を見た聖者のような顔をして執務室から出ていくのを見かけてね。……君は、私の国まで作り変えてしまうつもりかい?」


「まさか。私はただ、自分の仕事をしやすくしただけですわ。……それで、ラインハルト様。本日の『重要案件』は?」


私は椅子から立ち上がり、彼に向き直りました。


ラインハルト様は、少し真剣な表情になり、一通の報告書をテーブルに置きました。


「……ベルセルク王国の経済状況が、予測を上回る速さで悪化している。エドワードが強引に徴収しようとした臨時税が、各地で暴動の火種になっているようだ」


「……あら。あの方は、まだ国民の忍耐力を『無限のリソース』だと思っていらっしゃるのね」


「さらに、エドワードは隣国……つまり我が国に対して、多額の『融資』を申し込んできた。……マリーナ、君ならどう返事をする?」


私は、報告書の内容をチラリと見ただけで、即座に答えを出しました。


「融資など不要ですわ。……それより、担保として『国境付近の鉱山利権』を要求しましょう。あそこは、私が以前から帝国の物流拠点として目を付けていた場所です」


「……利権を奪い、実質的な経済支配を進めるということか。冷徹だな、マリーナ」


ラインハルト様は、愉快そうに私の腰を引き寄せ、耳元で低く囁きました。


「だが、そういうところも……私は嫌いじゃない」


「ビジネスチャンスを逃さない。……それが、私からエドワード様への、最大限の『お返し』ですわ」


私はラインハルト様の胸に手を当て、不敵な笑みを浮かべました。


一方、その頃。ベルセルク王国の王宮では。


「マリーナぁぁぁ! なぜだ! なぜ街でパンが買えなくなっているんだ! お前がいれば、こんなことにはならなかったはずだろう!」


エドワード様の叫びが、今日も虚しく、荒れ果てた執務室に響き渡っていました。


彼の隣で、リリアンさんは「パンがないなら、お菓子を食べればいいのに……」と、どこかで聞いたような台詞を本当に呟いて、周囲の官僚たちを絶望させているのでした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。

ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」 その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。

白い結婚をご希望ですか? 良いですよ。私はジャガイモと筋肉を育てますので!

松本雀
恋愛
「……いいか、エルゼ。あらかじめ言っておくが、私は君を愛するつもりはない」 「願ったり叶ったりです! 実は私、国境警備隊に幼馴染の恋人がいまして。この結婚が決まった時、二人で『体は売っても心は売らない』って涙ながらに誓い合ったんです。閣下が愛してくださらないなら、私の貞操も守られます! ありがとうございます、公爵閣下!」 「……こいびと?」 ◆ 「君を愛するつもりはない」 冷徹な公爵ギルベルトが新婚初夜に放った非情な宣告。しかし、新妻エルゼの反応は意外なものだった。 「よかった! 実は私、国境警備隊に恋人がいるんです!」 利害が一致したとばかりに秒速で就寝するエルゼ。彼女の目的は、愛なき結婚生活を隠れ蓑に、恋人への想いを込めた「究極のジャガイモ」を育てることだった! 公爵家の庭園を勝手に耕し、プロテインを肥料にするエルゼに、最初は呆れていたギルベルト。だが、彼女のあまりにフリーダムな振る舞いと、恋人への一途(?)な情熱を目の当たりにするうち、冷徹だった彼の心(と筋肉)に異変が起き始めて……!?

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

婚約破棄から50年後

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、王子が婚約者に婚約破棄を宣言した。王子は真に愛する女性と結ばれ、めでたしめでたし。 そして50年後、王子の孫の王子は、婚約破棄された女性の孫と婚約する事に。そこで明かされた婚約破棄の真実とは。

婚約破棄だ!と言われ実家に帰ったら、最推しに餌付けされます

黒猫かの
恋愛
王国の第一王子クレイスから、衆人環視の中 で婚約破棄を言い渡されたローゼン侯爵令嬢ノエル。

二度目の子育て~我が子を可愛がったら溺愛されました

三園 七詩
恋愛
私は一人娘の優里亜の母親だった。 優里亜は幼い頃から体が弱く病院でほとんどの時間を過ごしていた。 優里亜は本が好きでよく私にも本の話をしてくれた。 そんな優里亜の病状が悪化して幼くして亡くなってしまう。 絶望に打ちひしがれている時事件に巻き込まれ私も命を落とした。 そして気がつくと娘の優里亜が大好きだった本の世界に入り込んでいた。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ】悪妃は余暇を楽しむ

ごろごろみかん。
恋愛
「こちら、離縁届です。私と、離縁してくださいませ、陛下」 ある日、悪妃と名高いクレメンティーナが夫に渡したのは、離縁届だった。彼女はにっこりと笑って言う。 「先日、あなた方の真実の愛を拝見させていただきまして……有難いことに目が覚めましたわ。ですので、王妃、やめさせていただこうかと」 何せ、あれだけ見せつけてくれたのである。ショックついでに前世の記憶を取り戻して、千年の恋も瞬間冷凍された。 都合のいい女は本日で卒業。 今後は、余暇を楽しむとしましょう。 吹っ切れた悪妃は身辺整理を終えると早々に城を出て行ってしまった。

謹んで、婚約破棄をお受けいたします。

パリパリかぷちーの
恋愛
きつい目つきと素直でない性格から『悪役令嬢』と噂される公爵令嬢マーブル。彼女は、王太子ジュリアンの婚約者であったが、王子の新たな恋人である男爵令嬢クララの策略により、夜会の場で大勢の貴族たちの前で婚約を破棄されてしまう。

処理中です...