婚約破棄。予言なんて不吉なこと、言わないでいただけます?

ちゅんりー

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「……さて、殿下。こちらが先ほど申し上げた『婚約解消合意書』の草案ですわ。どうぞ、その震える手で潔くサインをなさって」


園遊会の喧騒から離れた、王立学園の応接室。


私は、脇の下が破れたままの上着を羽織り、首元を真っ赤に腫らしたジュリアン殿下に向かって、一枚の羊皮紙を突きつけた。


「……くっ、マーリ……! 貴様、これほどの準備をいつの間に……。これでは、私の不貞がすべて事実であると認めるようなものではないか!」


「事実ですもの、認めざるを得ませんわね。……あ、リリア様。そんなところで借りてきた猫のように震えていなくて結構ですわよ。貴女のその袖口、さっきから不自然にガサガサと音がしていますわ」


部屋の隅で縮こまっていたリリア様が、びくりと肩を跳ねさせた。


「な、何のことかしら……。私はただ、殿下との清らかな愛を育んでいただけで……」


「清らかな愛にしては、その袖の中から漂う『深夜にしか開かない裏通りの酒場』特有の安っぽい煙草の匂いと、脂っこい肉料理の香りが気になりますわね」


私はリリア様に歩み寄り、彼女の右袖をじっと観察した。


「……リリア様。その袖の膨らみ、あと三秒で限界を迎えますわ。……あ、二秒。一秒。はい、重力に従いましたわね」


バサバサッ!


リリア様の広い袖口から、何枚もの折り畳まれた紙片が床にぶちまけられた。
それは、どれもハート型のシールで封をされた、いかにも趣味の悪い手紙だった。


「……これは何だ、リリア? 私以外の誰かからの手紙か?」


ジュリアン殿下が、腫れた目をしばたたかせて紙片を拾い上げる。


「あ、あああ! ダメですわ、殿下! それは……それは聖女としての祈りのメモですわ!」


「祈りのメモにしては、『今夜、いつもの裏口で待ってるぜ。愛してるよハニー』という一文は随分と情熱的ですわね。……殿下、その手紙の筆跡。一週間前に貴方がクビにした、あの素行の悪い近衛兵のものと一致しますわよ」


「なっ……ななな、なんだと……!? リリア、貴様、私というものがありながら、あの男と……!」


ジュリアン殿下の顔が、湿疹の赤さとは別の意味で真っ赤に染まった。


「ち、違いますわ! それは……その、彼を更生させるために会っていただけで……!」


「更生のために、深夜に二人きりで酒場でステーキを食べる必要はありますの? ……殿下、もう一つ。その手紙の裏を見てください。リリア様が、貴方の金庫から持ち出したと思われる『王家の印章付き白紙委任状』の隠し場所が、丁寧に図解されていますわよ」


「…………は?」


ジュリアン殿下は、呆然とした表情で手紙を裏返した。
そこには、リリア様の可愛いらしい文字で、金庫の鍵の開け方と、横領の計画がびっしりと書き込まれていた。


「……リリア……。君は、私を愛していたのではなかったのか……?」


「……あ、アハハ……。ば、バレちゃったかしら? でも、これも全部マーリ様の呪いのせいよ! 彼女が私を操って書かせたんですわ!」


リリア様はもはや開き直ったのか、凄まじい形相で私を指差した。


「呪いなら、こんなに具体的な銀行の口座番号まで書けませんわ。……殿下。これが、貴方の愛した『真の聖女』の正体ですわ。どうなさいます? これでも私を有罪にして追放なさるおつもり?」


「……い、いや……すまなかった、マーリ……。私は、なんて馬鹿なことを……」


ジュリアン殿下は、力なく椅子に崩れ落ちた。
そして、震える手でペンを握り、私が用意した合意書に、ついにサインを書き込んだ。


「……よし。これで契約成立ですわね」


私は、インクの乾いていない羊皮紙をひったくるように回収し、満足げに微笑んだ。


「師匠! お見事です! 不貞どころか国家反逆の証拠まで物理的に引きずり出すとは!」


ドアを蹴破って、セドリック様が捜査隊と共に乱入してきた。


「……セドリック様。ノックという概念は、貴方の辞書にはないのかしら。あと、リリア様の確保、お願いしますわ」


「了解しました! リリア、貴様を横領および王族欺瞞の疑いで拘束する!」


「いやあああ! 離して! 私の隠し財産がぁぁぁ!」


リリア様は、騎士たちに引きずられながら退場していった。
後に残されたのは、破れた上着で項垂れるジュリアン殿下と、勝利の女神(と周囲に思われている)私、そして。


「……ふむ。愛の終わりは、いつも物理的な証拠によってもたらされるんだね。実にいい観測データが取れたよ」


天井の梁の上で、サイラス様がゆらゆらと足を揺らしながら、熱心に手帳を書き進めていた。


「……サイラス様。貴方はあとで、私の新しい別荘の防犯システムを構築する手伝いをなさって。報酬は、私の脳のCTスキャン……もとい、似顔絵を三枚描かせてあげますわ」


「本当かい!? それは魔法の深淵に触れるよりも価値がある取引だ!」


私は、窓から差し込む夕日を眺めながら、心の中で勝利の凱歌を上げた。


(これで完璧だわ。慰謝料は通常の三倍、リリア様の横領金も私の被害補填として回収……。明日には、私は自由な隠居生活へ!)


……しかし、私の「平穏」への願いは、この熱狂的なヒーローたちによって、再び斜め上の方向へと捻じ曲げられようとしていた。
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