婚約破棄ですか? 結構です。慰謝料代わりに「魔物が湧く不毛の地」をください。

ちゅんりー

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「恥さらしめッ!!」

怒号とともに、高価な有田焼の壺が私の足元で砕け散った。

実家であるランカスター公爵家の屋敷に戻るなり、この歓迎である。

私は飛び散った破片を見下ろし、眉をひそめた。

(推定価格、金貨三十枚……もったいない。破片を集めて金継ぎすれば、骨董品として七割の価格では売れるかしら)

「聞いているのか、シスイ!」

目の前で顔を真っ赤にして怒鳴り散らしているのは、私の父、ランカスター公爵だ。

その横には、義母と義妹がハンカチで口元を押さえ、軽蔑の眼差しを向けている。

「ええ、聞いておりますお父様。声のボリュームが少々大きすぎて、鼓膜の耐久テストかと思いましたが」

「減らず口を! 王家から連絡があったぞ! 貴様、殿下との婚約を破棄されたそうだな!」

「正確には合意解約です。慰謝料代わりの資産譲渡契約も締結済みですが」

私は懐から、先ほど殿下にサインさせた書類の写しを取り出した。

父はそれをひったくり、目を通すなり鼻で笑った。

「『死の荒野』だと? あんな草一本生えない魔物の巣窟をもらって、何になるというのだ! 王家に多額の賠償金を請求するならまだしも、ゴミを押し付けられおって!」

「お父様にはゴミに見えるかもしれませんが、私には……いえ、説明しても理解不能な『投資案件』ですので」

「黙れ! これ以上、我が家の恥を晒すな!」

父は書類を机に叩きつけた。

「いいか、シスイ。我が家は代々、王家の忠実な臣下として栄えてきた。それが貴様のせいで台無しだ! 殿下に盾突くような娘は、ランカスター家には不要だ!」

来た。

予想通りの展開だ。

私は内心でガッツポーズをした。

公爵家の一員であることは、私にとって「固定費」が高すぎるのだ。

無意味な茶会への参加義務。

季節ごとに新調しなければならないドレス代。

父の顔色を伺うための精神的コスト。

それら全てを精算できる時が来た。

「つまり、私を勘当するということですね?」

「そうだ! 今すぐ出て行け! 二度とランカスターの名を名乗るな!」

「承知いたしました。では、こちらの『親族関係終了届』にサインをお願いします。すでに役所への提出用と控えは用意してあります」

私は手際よく、二枚目の書類を差し出した。

父は呆気にとられた顔をしている。

「……なんだそれは。貴様、最初から準備していたのか?」

「備えあれば憂いなし、と言いますので。さあ、ここに署名を。これで法的にも私は赤の他人。公爵家の評判に傷がつくこともありません」

父は震える手でペンを取り、殴り書きのように署名した。

「二度とその顔を見せるな! 持っていく荷物も最小限にしろ! 屋敷の物は一つたりとも持ち出し禁止だ!」

「もちろんです。身一つで結構」

私は優雅に一礼し、執務室を後にした。

背後から義母たちの「まあ、なんてふてぶてしい」「本当に可愛げのない子ね」という嘲笑が聞こえたが、雑音として処理した。

私の部屋に戻ると、すでに荷造りは終わっていた。

といっても、大きなトランクなどはない。

私の全財産は、腰につけたマジックバッグ(容量無限・防犯機能付き)の中に入っている。

ドレスや宝石類は、先週の段階ですべて売却済みだ。

今着ているのは、動きやすさを重視した特注の旅装だけ。

「お嬢様……本当に行かれるのですか?」

部屋に入ってきたのは、専属侍女のマーサだった。

彼女だけは、私の計算高い性格を知りつつも、長年仕えてくれた唯一の理解者だ。

その目には涙が浮かんでいる。

「ええ、マーサ。今までありがとう。これ、今月分の給金と、退職金代わりの特別ボーナスよ」

私は革袋を渡した。

中には相場の三倍の金貨が入っている。

「そ、そんな! 私はお金なんて……お嬢様についていきます!」

「ダメよ。これから向かうのは魔物が湧く荒野。あなたのような一般人を連れて行って、労働災害でも起きれば私の管理責任が問われるわ」

「労働……災害……?」

「それに、あなたは実家のパン屋を継ぐ予定だったでしょう? この資金で新しいオーブンを導入しなさい。初期投資さえ間違えなければ、三年で黒字化できるわ」

「お嬢様……ッ!」

マーサは泣き崩れた。

私は彼女の肩をポンと叩き、窓から外を見下ろした。

屋敷の裏門には、すでに手配しておいた馬車が待機している。

もちろん、公爵家の紋章が入った豪華な馬車ではない。

街の運送業者が使う、幌付きの荷馬車だ。

安くて頑丈。

これに限る。

「さて、行きますか」

私は誰にも見送られることなく、裏口から屋敷を出た。

夜の空気は冷たいが、不思議と寒さは感じなかった。

荷馬車の御者台に座っているのは、強面の男だ。

「おい嬢ちゃん、本当に行くのか? 『死の荒野』なんて、自殺志願者しか行かねえ場所だぞ」

「ええ、お願いします。追加料金はお支払いしますので、できるだけ急いで」

「へっ、物好きなこった。だが金払いがいなら文句はねえ」

御者が手綱を振るう。

馬車がガタゴトと動き出した。

遠ざかる公爵家の屋敷を、私は一度も振り返らなかった。

(さようなら、サンクコストの塊たち)

馬車の中で、私は膝の上に地図を広げた。

目指すは北の果て。

バルバトス辺境伯領に隣接する未開の地。

世間では「死の荒野」と呼ばれているが、私の古びた文献調査と地質学の知識によれば、あそこは大陸プレートの境界線上に位置している。

つまり、マグマだまりが近い。

(温泉……日本人の魂を揺さぶる、熱き湯の湧く場所)

あ、いけない。

「日本人」という単語が脳裏をよぎったが、それは前世の記憶とかではなく、単にそういう文献を読んだだけという設定にしておこう。

とにかく、あそこには温泉が出る。

それだけではない。

荒野に住む魔物「フレイムボア」は、肉が美味な上に、その毛皮は耐火素材として高値で売れる。

「ロックリザード」の鱗は、研磨剤の原料になる。

宝の山なのだ。

ただ、問題が一つある。

(あそこはバルバトス辺境伯領の隣……というか、ほぼ飛び地のような場所。開発を進めるには、現地の領主である辺境伯の協力が不可欠ね)

リュカ・バルバトス。

「氷の公爵」の異名を持つ、冷徹無比な武人だと聞いている。

社交界には滅多に顔を出さず、常に領地で魔物討伐に明け暮れているという噂だ。

(交渉の難易度は高そうね。でも、彼も領地の貧困に悩んでいるというデータがある。利害の一致ポイントを探れば、必ず落とせるはず)

私はニヤリと笑った。

恋愛感情?

そんな不確定要素に頼るつもりはない。

必要なのは、圧倒的な「メリット」の提示だ。

「待っていなさい、私の桃源郷。そして辺境伯。あなたを私のビジネスパートナー第一号にしてあげるわ」

馬車は闇を切り裂き、北へとひた走る。

揺れる車内で、私は今後の事業計画書(と書かれた羊皮紙)に、新たな項目を書き加えた。

『目標:年商百億。手段:魔王も裸足で逃げ出す鬼のリゾート開発』

私の第二の人生は、まだ始まったばかりだ。
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