悪役令嬢ダンキア、婚約破棄に「御意」と即答する。

ちゅんりー

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オルティス王国の王宮、陽光が降り注ぐテラス。

そこでは、優雅なティータイムが行われていた。

「はい、あーん」

「あーん」

ルーファスが差し出したフォークには、最高級のステーキ肉(一口サイズ)が刺さっている。

ダンキアはそれをパクリと口に入れた。

「ん~! 美味しいです! この弾力、噛めば噛むほど溢れる肉汁……まさに筋肉のガソリンです!」

「喜んでもらえてよかった。おかわりは山ほどあるからね」

ルーファスは微笑みながら、自身は紅茶を啜った。

平和だ。

小鳥のさえずりと、ダンキアが肉を咀嚼する音だけが響く穏やかな午後。

しかし、テーブルの上に置かれた新聞の見出しは、決して穏やかではなかった。

『アルカディア王国、行政機能麻痺により国家存亡の危機!?』

『書類の山に埋もれる王宮、公務員たちが次々と過労で倒れる』

『クラーク王太子、ストレスで胃潰瘍か』

ダンキアはステーキを飲み込み、その記事を覗き込んだ。

「あらら。私の故郷、大変なことになっていますね」

「他人事だね」

「他人事ですもの。もう関係ありませんから」

ダンキアは次の肉を催促するように口を開けた。

「でも不思議ですね。私がいた頃は、こんなことはありませんでしたのに」

「それはそうだろうね。……君が全部やっていたから」

ルーファスは苦笑した。

彼は独自の調査網で、アルカディア王国の内情を把握していた。

そして知ってしまったのだ。

『悪役令嬢』と呼ばれたダンキアが、実は国の心臓部をたった一人で動かしていたという事実を。

***

一方その頃、アルカディア王国の王宮執務室。

そこは地獄と化していた。

「殿下ぁぁぁぁ!! こちらの決裁書類、まだですかぁぁぁ!!」

「予算案の承認印がありません! 建設ギルドがストライキを起こしました!」

「隣国からの苦情状が処理されていません! 戦争になりますよ!」

怒号が飛び交う中、クラーク王太子は書類の雪崩に埋もれていた。

「う、うるさぁぁぁい!! 今やっている! やっているのだ!」

彼は血走った目でペンを動かしていた。

だが、その手は震え、文字はミミズがのたうち回ったようになっている。

「な、なんなのだこれは……! 次から次へと……! 湧いてくるのか!?」

目の前には、天井まで届きそうな書類の塔が十本ほど林立している。

朝から晩まで必死にサインし続けても、塔は一ミリも減らない。

むしろ増えている。

「以前は……以前はこんなに多くなかったはずだ!」

クラークが叫ぶと、宰相が冷ややかな目で見下ろした。

「いいえ、殿下。仕事量は以前と変わりません」

「嘘をつけ! 私が遊んでいても、夕方には机の上は綺麗だったぞ!」

「それは、ダンキア様が処理されていたからです」

「は……?」

クラークの手が止まる。

「ダンキア? あの女がか? 馬鹿な、あいつはただお茶を飲んでいただけだろ!」

「殿下の目が節穴だっただけです」

宰相は淡々と事実を告げた。

「ダンキア様は、殿下が『休憩だ』と言ってサボっている間に、殿下の倍速……いえ、百倍速で書類を処理されていました」

「百倍速……?」

「はい。私も一度だけ目撃したことがあります」

宰相は遠い目をした。

回想――。

ある日の執務室。

クラークが昼寝をしている横で、ダンキアは山積みの書類に向かっていた。

『ふんっ!』

彼女の両手は残像と化していた。

シュバババババババッ!!

右手のペンが高速で走り、左手の印鑑が機関銃のように叩きつけられる。

紙めくりの風圧で、室内に竜巻が発生するほどだった。

『筆記用具の耐久テストですわ』

彼女は涼しい顔でそう言いながら、一時間かかる計算書類を三秒で終わらせていた。

しかも、内容は完璧。

誤字脱字ゼロ。

計算ミスゼロ。

彼女にとって、事務処理とは『指先の筋トレ』兼『動体視力トレーニング』だったのだ。

――回想終了。

「……というわけで、ダンキア様一人で、文官五十人分の仕事をこなしておられたのです」

宰相が溜息をつく。

「その『超高性能処理マシン』を、殿下は自ら捨ててしまわれた。そのツケが今、回ってきているのです」

「そ、そんな……」

クラークはペンを取り落とした。

「あいつ、筋肉だけじゃなかったのか……事務処理能力もバケモノだったのか……」

「戻ってきていただきましょう」

宰相が進言する。

「今すぐ頭を下げて、ダンキア様を呼び戻すのです。さもなくば、この国はあと一週間で破綻します」

「ふ、ふざけるな! あの女に頭を下げるだと!?」

クラークのプライドがそれを許さなかった。

「大体、あいつは私を突き飛ばし、国を捨てた裏切り者だぞ! そんな奴に頼るなど……!」

その時。

バァァァァン!!

執務室の扉が乱暴に開かれた。

入ってきたのは、国王である。

「父上!?」

「馬鹿者ぉぉぉぉぉ!!」

国王の怒声が響き渡った。

ドスッ。

投げつけられたのは、最新の新聞だった。

そこには、隣国オルティス王国の夜会の様子が掲載されていた。

美しくドレスアップしたダンキアと、彼女をエスコートするルーファス王子の写真。

見出しは『氷の貴公子、世紀の溺愛! 未来の妃は鉄の女?』。

「見ろ! お前が捨てた『石』は、隣国で『ダイヤモンド』として磨かれているぞ!」

「ぐぬぬ……」

「しかもだ! 情報によれば、ダンキア嬢は魔王城を制圧し、魔王を下僕にしたらしいではないか!」

「はぁ!?」

クラークと宰相が同時に声を上げた。

「ま、魔王を……?」

「そうだ! つまり彼女がいれば、我が国は魔王の脅威からも解放されたのだ! それを貴様は……『ミーナがいじめられた』などという戯言で……!」

国王は怒りのあまり震えている。

「国益を損ねた罪は重いぞ、クラーク。今のままでは、廃嫡も考えねばならん」

「は、廃嫡……!?」

クラークの顔から血の気が引いた。

「ま、待ってください父上! 挽回します! 必ずダンキアを連れ戻してみせます!」

「どうやってだ? 隣国の王子が手放すわけなかろう」

「手紙です! 心を込めた手紙を書きます!」

クラークは藁にもすがる思いで言った。

「あいつは長年、私の婚約者でした。まだ私に未練があるはずです。『許してやるから戻ってこい』と言えば、泣いて喜んで帰ってくるに決まっています!」

「……その自信はどこから来るのだ?」

国王は呆れ果てたが、もはや他に手はなかった。

「好きにしろ。だが、これが最後のチャンスだと思え」

国王が出ていくと、クラークは羊皮紙を広げた。

「見ていろ……私のカリスマ性を見せてやる」

彼は自信満々に筆を走らせた。

『親愛なるダンキアへ。

君の犯した罪は重いが、私は寛大な心で許そうと思う。

今の君は、一時の感情で迷走しているだけだ。

隣国の王子などという、どこの馬の骨とも知れぬ男に騙されてはいけない。

君の居場所はここ、私の隣だ。

今すぐ戻ってきて、溜まった書類を片付けなさい。

そうすれば、再び婚約者にしてやってもいい。

愛を込めて。クラーク』

「完璧だ」

クラークは自画自賛した。

「これを読めば、彼女は感動のあまり涙を流し、裸足で駆け戻ってくるだろう」

彼は至急便で手紙を送るよう命じた。

***

数日後。オルティス王国。

ダンキアとルーファスは、森の中で焚き火を囲んでいた。

今日は『焼き芋大会』である。

「ルーファス様、見てください。サツマイモ、握力で圧縮したら早く焼けるかもしれません」

「やめておこう。ダイヤモンドになってしまうよ」

そんな穏やかな時間に、一通の手紙が届いた。

差出人はクラーク王子。

「おや、元婚約者殿からだね」

ルーファスが手紙を渡す。

ダンキアはそれを受け取り、封筒の匂いを嗅いだ。

「香水の匂いがキツイですね。鼻が曲がりそうです」

「読んでみるかい?」

「いいえ」

ダンキアは即答した。

「中身を見るまでもありません。どうせ『戻ってこい』とか『愛している』とか、寝言が書いてあるのでしょう」

彼女は手紙を開封すらしなかった。

そして、ポイッと焚き火の中に放り込んだ。

ボッ。

乾燥した羊皮紙は、一瞬で炎に包まれた。

「あ」

ルーファスが声を上げる。

「いいのかい? 読まなくて」

「ええ。ちょうど火力が足りないと思っていたところでしたから」

ダンキアは燃え盛る手紙の上に、サツマイモを投入した。

「いい燃料になりました。おかげで芋が美味しく焼けそうです」

「……あはは」

ルーファスは笑った。

(哀れだな、クラーク王子。君の「愛の言葉」は、焼き芋の燃料にしかならなかったよ)

手紙は灰となり、煙となって空へ消えた。

クラークの「最後のチャンス」は、文字通り煙に巻かれたのである。

「さあ、焼けましたよルーファス様! 熱いうちにどうぞ!」

「ありがとう。……うん、元婚約者の魂が燃えた味は格別だね」

二人はホクホクの焼き芋を頬張った。

遠く離れたアルカディア王国で、クラーク王子が「返事はまだか!」と叫び続けていることなど、知る由もなく。

国家の破綻は、着々と近づいていた。
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