悪役令嬢ダンキア、婚約破棄に「御意」と即答する。

ちゅんりー

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それから、五年後。

オルティス王国の王都は、かつてない繁栄を極めていた。

街は活気に溢れ、人々は笑顔で行き交う。

そして何より特徴的なのは、国民の平均筋肉量が世界トップクラスであることだ。

朝の挨拶は「おはよう」ではなく「ナイスバルク(いい筋肉ですね)」。

公園では老若男女がスクワットに励み、重い荷物を持つ老婆が「軽い軽い」と笑って走り去る。

これらは全て、ある一人の王妃の影響であった。

王城の広大な庭園。

そこでは、穏やかなティータイムが開かれていた。

「はい、レオン様。あーん」

「あー、うー」

芝生の上で、銀髪の幼児が離乳食を食べている。

第一王子、レオン・ド・オルティス(三歳)。

彼に食事を運んでいるのは、燕尾服を着た執事……ではなく、角の生えた元魔王ゼノンだ。

「さあ、魔界特産の栄養満点スープですよ。これを飲んで強く育つのです」

『あー!』

レオンは無邪気に笑うと、ゼノンの指をギュッと握った。

ミシッ。

「いっ、痛い痛い! レオン様! 指が折れます! 魔王の指が!」

ゼノンが涙目で悲鳴を上げる。

「あら、ゼノン。甘やかしてはいけませんよ」

優雅な声と共に現れたのは、深紅のドレスを纏った王妃ダンキアだ。

その背中には、なぜか巨大なバーベル(三百キロ)が担がれている。

「子供の握力は無限の可能性です。指の一本や二本、教育のために捧げなさい」

「スパルタすぎますオーナー! いや王妃様!」

「ふふっ」

ダンキアはバーベルを軽々と下ろし、地面を揺らした。

彼女の美貌は五年前と変わらない。

いや、日々の鍛錬により、さらに研ぎ澄まされていた。

「姉御! 本日の哨戒任務、完了しました!」

空から降りてきたのは、竜騎士の鎧を着たシルヴィアだ。

彼女は今や王国軍の総司令官を務めている。

「異常なしです! 近隣諸国も『筋肉王国には手を出すな』と恐れをなして近づきません!」

「ご苦労様、シルヴィア。筋トレの時間は確保できましたか?」

「はい! ドラゴンを担いでスクワット五百回、完了です!」

「よろしい」

「お姉様! お茶のおかわりはいかがですか?」

ワゴンを押してきたのは、メイド長のミーナだ。

かつての泣き虫令嬢の面影はない。

その二の腕は美しく引き締まり、ワゴン(鉄製)を片手で軽々と操っている。

「ありがとう、ミーナ。プロテイン入りの紅茶をお願い」

「かしこまりました! バニラ風味でございます!」

平和だ。

実に平和な光景だ。

そこへ、国王ルーファスがやってきた。

彼は少し老けた……わけではないが、目尻の笑い皺が深くなっていた。

「やあ、みんな。楽しそうだね」

「あなた! お仕事は終わりましたの?」

「うん。他国との同盟締結が済んだよ。みんな『握手攻め(物理)』を恐れて、すぐにサインしてくれた」

ルーファスは苦笑しながら、愛息レオンを抱き上げた。

「レオン、いい子にしていたかい?」

『パパ! マッスル!』

「……初めて喋った言葉が『ママ』じゃなくて『マッスル』とはね」

ルーファスは肩をすくめたが、その顔は幸せそうだ。

その時。

ウゥゥゥゥゥゥ……!

城内に警報が鳴り響いた。

「敵襲! 敵襲ーッ!」

衛兵の叫び声。

「上空より接近中! 巨大な影! 推定災害レベルSS!」

空が急に暗くなった。

雲を割って現れたのは、全身が黒い水晶で覆われた『エンシェント・クリスタル・ドラゴン』。

数千年に一度目覚めると言われる、伝説の破壊竜だ。

『グオオオオオオオオッ!!』

咆哮が王都を震わせる。

風圧でティーセットがガタガタと揺れた。

「きゃあ! せっかくのプロテイン紅茶が!」

ミーナが叫ぶ。

「総員、戦闘配置!」

シルヴィアが剣を抜く。

ゼノンも怯えながら魔力を練る。

「ひぃぃ! あれはヤバいやつだ! 魔王の私でも勝てるかどうか……!」

ルーファスがダンキアを見た。

「ダンキア、どうする? 僕が出るか?」

しかし、ダンキアは溜息をついた。

「はぁ……」

彼女は立ち上がった。

片手には、まだレオンを抱いたままだ。

「うるさいですね。レオンがお昼寝する時間なのに」

ダンキアは空を見上げた。

その瞳には、恐怖も緊張もない。

あるのは『騒音への苦情』だけだ。

「あなた、少し行ってきます」

「え? レオンを抱いたままで?」

「ええ。良い社会見学になりますから」

ダンキアは地面を蹴った。

ドォォォォォン!!

轟音と共に、彼女の体が弾丸のように空へ舞い上がる。

上空百メートル。

ドラゴンの目の前に、ダンキアは到達した。

『グルァ!?』

ドラゴンが驚いて目を丸くする。

こんな小さな人間が、赤子を抱いて飛んでくるとは思わなかったのだろう。

「静かにしなさい」

ダンキアは人差し指を口に当てた。

「シーッ」

『ガァッ!』

ドラゴンが炎を吐こうと口を開ける。

「聞き分けのない子は、お尻ペンペンですよ」

ダンキアは空中で体を捻った。

右手にレオンを抱いたまま、空いた左手で裏拳を繰り出す。

狙うはドラゴンの顎。

「『安眠・拳(サイレント・ナックル)』!」

ズドォォォォォォォォン!!

衝撃波が空を裂いた。

ドラゴンの巨体が、くの字に折れ曲がる。

『ギャ……ン……』

悲鳴すら上げられず、ドラゴンは白目を剥いて墜落した。

ズシィィィィン!!

王城の裏山(ダンキア専用ゴミ捨て場)に、巨大なトカゲが突き刺さる。

一撃。

伝説の破壊竜が、秒殺された。

ダンキアはふわりと庭に着地した。

「ふぅ、静かになりました」

腕の中のレオンは、キャッキャと喜んでいる。

『ママ、つよい!』

「ええ、レオン。暴力はいけませんが、筋肉による平和維持活動は大切ですよ」

ダンキアは慈愛に満ちた顔で教え諭した。

庭にいた全員が、改めて戦慄し、そして歓声を上げた。

「さすが王妃様!」

「一生ついていきます!」

ルーファスが歩み寄り、ダンキアとレオンを抱きしめた。

「おかえり。……相変わらずだね」

「ただいま戻りました。少し運動不足解消になりましたわ」

ダンキアは微笑んだ。

「それにしても」

彼女は周囲を見渡した。

夫がいて、子供がいて、信頼できる仲間たちがいる。

そして、美味しいご飯と、頑丈なトレーニング器具がある。

「幸せですね」

ダンキアが呟く。

「かつて婚約破棄された時はどうなるかと思いましたが、筋肉を信じて生きてきて本当によかったです」

「そうだね。……君の筋肉が、運命をねじ伏せたんだ」

ルーファスは彼女の手を取った。

その薬指には、あの日贈ったアダマンタイトの指輪が、傷ひとつなく輝いている。

「ねえ、ダンキア」

「はい?」

「平穏だね」

ルーファスが空を見上げる。

ドラゴンの墜落現場から黒煙が上がっているが、空は青く澄み渡っている。

ダンキアも空を見上げた。

「ええ、素晴らしい平穏ですわ!」

「……君の辞書に『平穏』という文字はないと思うけどね」

ルーファスは笑った。

「君がいる限り、毎日は嵐の連続だ。でも……」

彼はダンキアの額にキスをした。

「その嵐こそが、僕の幸せだよ」

「ルーファス様……」

ダンキアは顔を赤らめた。

「私もです。あなたとの毎日が、どんなダンジョンよりもエキサイティングで大好きです!」

「それは褒め言葉として受け取っておくよ」

二人は笑い合った。

その時、レオンが持っていたオモチャ(オリハルコン製のガラガラ)を握りしめた。

ベキッ。

硬い金属が粉砕される音がした。

「あ」

「……」

全員が固まる。

「あら」

ダンキアが嬉しそうに言った。

「見ましたか、あなた! レオンにも才能がありますわ!」

「……ああ、間違いなく君の子だ」

ルーファスは遠い目をした後、覚悟を決めたように笑った。

「よし、明日から城の改修工事だ! もっと頑丈に、もっと強く! 我が家の平和を守るために!」

「はい! 私も手伝います! 柱の一本や二本、素手で立ててみせます!」

『マッスル! マッスル!』

笑い声が青空に溶けていく。

悪役令嬢ダンキア。

彼女は婚約破棄をバネに、常識を破壊し、魔王を下僕にし、そして最高の家族を手に入れた。

その手にあるのは、鋼鉄の筋肉と、壊れることのない愛。

彼女の冒険は、これからも続いていく。

世界最強の母として、そして最愛の妻として。
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