婚約破棄、喜びのあまり側転してもよろしいでしょうか?

ちゅんりー

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ダンスホールの中央、音楽が華やかに切り替わった。


私はキース様のリードに身を任せ、漆黒のドレスの裾を翻す。
装飾を一切削ぎ落としたこのドレスは、動くたびに私の体のラインを強調し、夜の静寂が形を変えたかのような不思議な存在感を放っていた。


「……ベルベット嬢。貴女、先ほどから周囲の視線に気づいていますか?」


キース様が私の腰を引き寄せ、耳元で低く囁く。


「ええ、もちろん。皆様、私のあまりの地味さに、哀れみの視線を送ってくださっているのでしょう? 作戦通りですわ」


「いいえ。男たちの目は、獲物を狙う肉食獣のそれですよ。貴女が『無垢な黒』を纏うことで、かえって彼らの征服欲を煽っていることに気づかないとは」


「あら、キース様。貴方もその肉食獣の一人だという告白かしら?」


私は挑発的に眉を上げ、彼の肩に手を置いた。
キース様のステップは完璧で、微塵の乱れもない。
さすがは騎士団の精鋭、武術だけでなく舞踏の腕も超一流というわけね。


「私は……そうですね。貴女という猛獣の檻を見張る、飼育員といったところでしょうか。他の誰にも、その扉を触れさせたくない」


「……お上手ですこと」


私が少しだけ顔を赤らめた、その時だった。
背後から、音楽の調べを切り裂くような、ひどく耳障りな声が割り込んできた。


「待て! キース、そこを代われ! その相手は、本来なら私が踊るべき女性だ!」


音楽は続いているが、私たちの周囲だけ時間が止まったような緊張感が走る。
振り返ると、そこには顔を真っ赤にして肩で息をする、セドリック様の姿があった。


「セドリック様? ダンスの最中に割り込むなんて、王族としてのマナーをどこに忘れていらしたの? お花畑の肥やしにでもしてしまったのかしら」


私は踊る足を止めず、冷ややかな視線だけを彼に向けた。


「ベルベット……! 貴様、なぜキースとそんなに親しげにしている! 私との婚約は破棄されたが、だからといって、すぐに他の男と……しかも私の側近と踊るなど、節操がなさすぎるだろう!」


「節操? まあ、面白い冗談ですわね。婚約を破棄したのは貴方ですわよ? 自由の身になった私が誰と踊ろうと、貴方には路傍の石の数を数える程度の権利もございませんわ」


「くっ……。だが、あんな地味な格好をして、同情を誘おうとしているのは見え見えだ! 可哀想な貴女を、私が一度だけ踊って救ってやろうと言っているのだ!」


セドリック様が、強引に私の手を取ろうと踏み込んでくる。
しかし、その手はキース様の逞しい腕によって、空中で静止させられた。


「殿下。申し訳ありませんが、今は私の番です。マナーを守れない方は、退場していただく決まりになっておりますが?」


「キース……貴様、私に逆らうのか!」


「逆らっているのではなく、忠告しているのです。今の貴方は、非常に『格好悪い』ですよ」


キース様の氷のような冷徹な言葉に、セドリック様が絶句する。
するとそこへ、さらなる嵐が乱入してきた。


「おーっほっほっほ! 殿下、何を手こずっていらっしゃいますの? そんなに師匠と踊りたいのなら、まずは私を倒してからになさいまし!」


カトレア様が、巨大な扇子をバサリと広げ、セドリック様と私たちの間に割って入った。
彼女の放つ圧倒的な「悪役オーラ」に、周囲の貴族たちがザッと後ずさる。


「カトレア……! 君まで何を言っているんだ!」


「師匠は今、キース様との『運命のワルツ』を楽しんでいらっしゃるのですわ! 空気を読まない殿下には、私が特別に『地獄のステップ』をお見舞いして差し上げますわよ。さあ、構いなさい!」


カトレア様がセドリック様の腕をガシッと掴み、無理やりダンスの輪へと引きずり込んでいく。
「待て、離せ! 私はベルベットと――!」という王子の悲鳴が、遠ざかっていく。


「……ふう。騒がしい方々ですわね」


私はようやく訪れた静寂(といってもカトレア様の高笑いは響いているが)の中で、小さく息を吐いた。


「お疲れ様です、ベルベット嬢。……さあ、邪魔者は消えました。続きを踊りましょうか」


キース様が再び、優雅に手を差し出す。


「……仕方ありませんわね。貴方のリードが、あの方より少しだけ上手だったから、続きを許して差し上げますわ」


私は不敵に笑い、彼の手に重ねた。
ホールの隅で、カトレア様に振り回されてボロ雑巾のようになっているセドリック様をチラリと見やりながら。


悪役令嬢を引退した私の夜会は、どうやらまだまだ終わりそうになかった。
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