悪役令嬢ドールは婚約破棄も無表情で承る!

ちゅんりー

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ワルツの調べが流れる中、アークとドールはフロアの中央に立った。

本来なら、王太子であるカイルとミナが踊るべきタイミング。

しかし、二人の圧倒的な存在感に気圧され、周囲の貴族たちは自然と道を開けてしまっていた。

「……準備はいいかい?」

アークがドールの腰に手を回す。

「いつでもどうぞ。プログラム、起動します」

ドールは無表情で答え、アークの手を握り返した。

(よし、ダンスモード・オン。脊髄反射で動くで)

(ステップの角度よし、姿勢よし。相手の足を踏んだら減給、転んだら契約解除。……命がけの業務や)

ドールの脳内で、緊急アラートが鳴り響く。

音楽が高らかに鳴り響くと同時に、二人は動き出した。

滑るように優雅なステップ。

アークのリードは力強く、ドールの動きは精密機械のように正確だ。

一切の狂いなく、二人の体が回転する。

『おお……!』

周囲から感嘆の声が漏れた。

アークの漆黒の燕尾服と、ドールの夜空色のドレスが溶け合い、まるで一つの生き物のように舞っている。

「……上手いな」

踊りながら、アークが感心したように囁いた。

「『必修科目』と言っていたが、これほどとは」

「物理法則に従っているだけです」

ドールは顔色一つ変えずに答える。

「重心移動、慣性モーメント、遠心力。……計算通りに足を運べば、転ぶことはありえません」

「色気のない説明だね。……音楽に身を委ねるとか、愛を表現するとか、そういうのはないのかい?」

「愛で足は動きません。動くのは筋肉です」

バッサリ。

アークは肩を震わせた。

「くくっ……。君と踊ると、ワルツが数学の講義に思えてくるよ」

「講義料は別途いただきます」

「払おう。……だから、もう少しこっちを見ないか?」

アークがぐっと腕を引き寄せた。

二人の距離が、危険なほど近づく。

ドールの顔が、アークの整った顔の目の前に来る。

青い瞳が、至近距離でドールを覗き込んでいた。

(ち、ちかっ!!)

ドールの心拍数が急上昇する。

(なんやこの顔面偏差値! 毛穴どこ!? つーか睫毛ながっ!)

(あかん、これ以上近づいたら、私の鉄壁の無表情が崩れて『ニパッ』としてまう!)

ドールは必死に顔筋に力を込めた。

「……閣下。距離が近すぎます。安全マージンを確保してください」

「嫌だと言ったら?」

アークは楽しそうに笑い、さらに回転の速度を上げた。

ドレスの裾が大きく広がり、美しい花を咲かせる。

周囲の視線は釘付けだ。

完全に、この空間は二人のものだった。

その様子を、フロアの隅でカイルが見ていた。

「くそっ……! なんだあいつら! 見せつけやがって!」

カイルはグラスをギリギリと握りしめる。

本来なら、そこで踊っているのは自分とミナのはずだった。

皆から羨望の眼差しを向けられ、主役として輝くはずだったのだ。

それが、どうだ。

自分たちはただの観客。しかも、引き立て役にもなれていない『背景』だ。

「カイル様ぁ……。私、踊りたかったですぅ」

ミナが恨めしそうに言う。

「うるさい! 今出て行ってみろ、恥をかくだけだぞ!」

あの完成された世界に割り込む余地など、どこにもない。

カイルはただ、指をくわえて見ているしかなかった。

          *

曲がクライマックスに近づく。

アークがドールの手を高く掲げ、最後のターンを決める。

そして、フィニッシュ。

アークがドールの体を支え、深く反らせるポーズ。

静寂。

そして、割れんばかりの拍手が巻き起こった。

「ブラボー!!」

「素晴らしい!」

「なんて美しいペアなんだ!」

貴族たちが惜しみない賛辞を送る。

アークはドールを起こすと、その手の甲に唇を寄せた。

「……完璧だったよ、私のパートナー」

熱い視線と、手の甲に触れる熱。

ドールは無表情のまま、しかし耳の先を真っ赤にしてカーテシーを返した。

「……恐れ入ります」

(終わった……! 心臓もつかと思ったわ!)

(早く帰りたい! 帰って給与明細眺めてニヤニヤしたい!)

ドールが逃亡を図ろうとした時だった。

「待て!!」

空気を読まない大声が響いた。

カイルである。

彼は我慢の限界を超え、フロアの中央に駆け寄ってきた。

「叔父上! いい加減にしてください!」

カイルは息を切らして二人を睨みつけた。

「僕のパーティを乗っ取るつもりですか! 王太子である僕を差し置いて!」

アークは冷ややかな目を向けた。

「乗っ取る? 人聞きが悪いな。君たちが踊らないから、場をつないであげただけだよ」

「嘘をつけ! あんなに見せつけやがって……!」

カイルはドールに向き直った。

「おいドール! 貴様もだ! なんだその態度は! 僕の前ではあんな風に踊ったことなどなかったくせに!」

「殿下とは身長差とリズム感が合いませんでしたので」

ドールは淡々と答えた。

「物理的に無理でした」

「物理物理とうるさいんだよ! ……分かった、もういい!」

カイルはニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。

「叔父上。その女、くれてやりますよ」

「……何?」

アークの目がすぅっと細められる。

「どうせ叔父上も、その女の『物珍しさ』に惹かれただけでしょう? 飽きるまで遊んでやってください。そのうち、その無表情にうんざりして捨てることになるでしょうがね!」

カイルは捨て台詞を吐き、ドールを指差して笑った。

「可哀想になあ、ドール! 僕に捨てられ、次は叔父上の暇つぶし道具か! お前の人生、惨めなもんだ!」

会場が凍りつく。

王太子の発言としては、あまりに品がない。

しかし、誰も注意できない。

ドールは無言だった。

(……まあ、言わせておけばええか。事実、私は金のためにここにいるわけやし)

(暇つぶし道具でもなんでも、給料さえくれれば文句はない)

ドールが諦めかけた、その時。

「……訂正しろ」

地を這うような低い声が響いた。

アークだった。

彼の表情から、笑みが消えていた。

『微笑む氷河』ですらない。ただの『氷河』。

絶対零度の怒気が、カイルに向けられている。

「お、叔父上……?」

「彼女は道具ではない。私の唯一無二の、得難いパートナーだ」

アークはドールの肩を抱き寄せ、強く抱きしめた。

「暇つぶし? とんでもない。……私は本気だぞ?」

「は……?」

カイルがポカンとする。

アークはドールを見下ろし、会場中に聞こえる声ではっきりと宣言した。

「私は彼女を、私の『妻』として迎えるつもりだ」

「「「はあぁぁぁぁぁ!?」」」

会場全員の絶叫がハモった。

ドールの無表情も、さすがに崩壊しかけた。

「……は?」

ドールは首を九〇度回転させてアークを見た。

「閣下? 契約書にそのような条項は……」

「今追加した」

アークは悪びれもせずに言った。

「カイル。君は彼女を『捨てた』と言ったな。……感謝するよ」

アークはカイルに向かって、優雅に微笑んでみせた。

それは、完全なる勝利者の笑みだった。

「おかげで私は、最高の宝石を手に入れることができた。……彼女はレイブン公爵家の女主(おんなあるじ)になる。これからは『叔母上』と呼んで敬うといい」

「お、お、叔母上ぇぇぇ!?」

カイルが白目を剥きそうになる。

ミナも悲鳴を上げて卒倒しかけた。

ドールだけが、冷静に(内心は大混乱で)計算していた。

(妻? 公爵夫人? ……えっと、それって)

(終身雇用契約確定!?)

(しかも、王太子の叔母ってことは、カイルより身分が上!?)

ドールは脳内電卓を叩き割った。

計算不能。

オーバーフロー。

アークは固まるドールを愛おしそうに見つめ、いたずらっぽく囁いた。

「……どうかな? この『契約変更』、受けてくれるかい?」

ドールは震える唇を開いた。

「……条件次第、です」

「全財産を君に預けよう」

「採用!!」

ドールの即答が、王城の大広間に響き渡った。

こうして、伝説の夜会は幕を閉じた。

悪役令嬢ドール・ヴァレンタイン。

婚約破棄からわずか一週間で、元婚約者の叔母(予定)へと華麗なる転身を遂げたのである。
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