悪役令嬢ドールは婚約破棄も無表情で承る!

ちゅんりー

文字の大きさ
10 / 24

10

しおりを挟む
カイル王太子が衛兵に引きずられて退場してから、数時間。

宰相府の執務室には、平和な静寂が戻っていた。

「……ふんふん♪」

アークが上機嫌で鼻歌を歌いながら、書類にサインをしている。

その横で、ドールは鬼の形相(無表情)で電卓を叩いていた。

「……閣下」

「なんだい? マイ・ハニー」

「その呼び方はオプション料金が発生します」

ドールは顔を上げずに釘を刺した。

「それより、先ほどのカイル殿下への『緊急コンサルティング見積書』ですが。……本当に請求してよろしいので?」

「構わないよ。カイルの小遣いから天引きしておこう。教育費だ」

アークは楽しそうに笑った。

「それにしても、君は本当に優秀だね。カイルがあそこまで狼狽える姿、初めて見たよ」

「事実を提示したまでです。……数字は嘘をつきませんので」

ドールは淡々と答えたが、内心ではガッツポーズをしていた。

(やった! これで今月の臨時収入ゲットや! カイル様様やな!)

(あのアホ王子、また来てくれへんかな。次は『出入り禁止措置解除手数料』も取れるし)

ドールが皮算用をしていると、アークがペンを置いた。

「さて。……そろそろ昼時だね」

アークが懐中時計を確認する。

「ドール君。ランチに行こうか」

「お断りします」

即答。

「持参したサンドイッチがありますので。……時間は金です。外食の移動時間が無駄です」

ドールは鞄から質素なバスケットを取り出そうとした。

しかし、アークの手がそれを制した。

「業務命令だ」

「……はい?」

「私のパートナーとしての『会食マナー』のチェックを行いたい。……もちろん、費用は全額経費(私持ち)だ」

ドールはピタリと止まった。

(経費……全額……)

その単語の響きに、ドールの脳内計算機が再起動する。

(自作サンドイッチ、原価銅貨五枚。対して、閣下が連れて行くような店のランチ、金貨三枚以上)

(……利益率、無限大)

ドールはバスケットをスッと鞄に戻した。

「承知いたしました。業務命令とあらば、拒否権はございません」

「ふっ、君のそういうところ、大好きだよ」

アークは満足げに立ち上がり、ドールをエスコートした。

          *

連れて行かれたのは、王都でも一、二を争う高級レストラン『銀の匙』だった。

予約なしでは王族でも入れないこの店に、アークは顔パスで入店し、一番奥の個室へと通された。

「好きなものを頼んでいいよ」

メニューを渡され、ドールは目を通す。

(……高っ!)

(サラダだけで銅貨五〇〇枚? ぼったくりか!)

(でも経費。……経費!)

ドールは無表情のまま、一番高いコースを指差した。

「では、こちらの『季節の特別フルコース』を」

「お目が高い。……私も同じものを」

料理が運ばれてくるまでの間、アークは頬杖をついてドールを見つめていた。

その視線が、あまりに熱烈で、そして観察するようだったため、ドールは居心地の悪さを感じた。

「……閣下。私の顔に何かついていますか?」

「いや。……君の表情を見ていると飽きないなと思ってね」

「表情? ……私は無表情だと定評がありますが」

「一般人にはね。だが、私には分かる」

アークはニヤリと笑った。

そこへ、前菜の『フォアグラのテリーヌ』が運ばれてきた。

ドールは礼儀正しくナイフを入れ、一口運ぶ。

濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。

(んんっ! なんやこれ! 美味すぎる!)

(口の中で溶けた! これ飲み物ちゃうか!?)

ドールは感動に打ち震えたが、顔の筋肉は微動だにさせなかった。

いつもの能面のまま、静かに咀嚼し、嚥下する。

「……どうかな?」

アークが問いかける。

「悪くありません。……栄養価も高そうです」

素っ気ない感想。

しかし、アークは満足そうに頷いた。

「『最高に美味しい! 生きててよかった!』……という顔だね」

「……っ!?」

ドールは思わずフォークを取り落としそうになった。

(な、なんで分かった!?)

心の中の絶叫が聞こえたのかと思うほど、ドンピシャな通訳だった。

「……なぜ、そう思われるのです?」

ドールは動揺を隠して尋ねた。

アークはワイングラスを揺らしながら解説する。

「君の左眉が、約〇・一ミリ上がった。そして瞳孔がわずかに開いた。……これは君が『快感』を感じているサインだ」

「……は?」

「さらに、咀嚼のリズムが普段より〇・二秒遅かった。味わって食べている証拠だね」

アークは人差し指を立てた。

「つまり、君は今、至福の時を過ごしている。……図星だろう?」

ドールは絶句した。

(変態や……)

(この人、私の顔面を顕微鏡レベルで観察してはる……!)

「ぐうの音も出ない、という顔だね」

「……プライバシーの侵害です」

「愛ゆえの観察だよ」

アークは悪びれもせずに言った。

次に、メインディッシュの『仔羊のロースト』が運ばれてきた。

ドールは警戒しつつ、肉を口に運ぶ。

(……うまっ!)

(柔らかっ! ソースの酸味が絶妙や!)

「『ほっぺたが落ちそう、あと三皿はおかわりしたい』……だね?」

「……正解です」

ドールは白旗を上げた。

もう隠しても無駄だ。この男には筒抜けである。

「すごいですね、閣下。……読心術のスキルでもお持ちで?」

「まさか。ただ君をずっと見ているだけさ」

アークは真剣な眼差しで言った。

「君がカイルに婚約破棄されたあの日から……いや、もっと前からかな。君のその『鉄仮面』の下にある豊かな感情に、私はずっと惹かれていたんだ」

「……前から、ですか?」

「ああ。君がカイルの隣で、退屈そうに死んだ魚のような目をしていた頃からね」

(見てたんかい)

「あの頃の君は、『早く帰って寝たい』と顔に書いてあった。……それが面白くてね」

アークはクスクスと笑った。

ドールは複雑な気分だった。

自分では完璧に隠しているつもりだった感情が、この男にはダダ漏れだったのだ。

「……お恥ずかしい限りです」

「恥じることはない。君の感情は、とても分かりやすくて、そして可愛い」

アークはデザートの皿をドールの前に押し出した。

「さあ、お食べ。……君の『美味しい顔』をもっと見せてくれ」

ドールは、出された苺のタルトを見つめた。

(……くやしい。なんか手玉に取られてる気がする)

(でも、タルトに罪はない)

ドールはタルトを頬張った。

甘酸っぱい苺と、サクサクの生地。

(ん~~~~っ! 幸せ!)

その瞬間、アークが破顔した。

「……うん。今のが一番いい顔だ」

アークは本当に嬉しそうに、ドールを見つめていた。

ドールは、熱くなる頬を必死に冷まそうと、冷水をあおった。

(あかん。この人の前やと、調子狂うわ……)

          *

食後のコーヒーを飲みながら、アークが切り出した。

「ところで、ドール君。……今後の待遇についてだが」

「はい。何か?」

ドールは即座にビジネスモードに戻った。

「君の働きぶりは素晴らしい。カイル撃退の手腕も見事だった。……そこで、基本給のベースアップを考えている」

「!」

ドールの右耳がピクリと動いた。

「反応が早いな。……具体的には、現在の三倍から、さらに二割増し。プラス、年二回の特別ボーナス支給」

(二割増し!? ボーナス!?)

ドールの脳内で、花火が上がった。

(神か! この人は神か! 一生ついていきます!)

しかし、顔は無表情を保つ。

「……過分な評価、感謝いたします。しかし、財政への負担が懸念されますが」

「私の私財から出すから問題ない。……それに、君にはそれだけの価値がある」

アークは身を乗り出した。

「ただし、条件がある」

「……条件?」

ドールは身構えた。

これだけの好条件だ。裏があるに違いない。

「休日出勤? それとも危険任務ですか?」

「いや。……毎日、私とランチを食べること」

「……は?」

「君の食事中の表情観察は、私の重要な『癒やし』兼『娯楽』でね。……これがないと、午後の仕事に支障が出る」

アークは真顔で言った。

「つまり、君が美味しいものを食べて幸せになることが、私の業務効率化につながるんだ。……協力してくれるね?」

ドールはポカンとした。

(なんやその条件。……ただ飯食わせろってこと?)

(しかも、私の食べてる顔を見るのが趣味って……やっぱり変態やないか)

しかし、条件としては破格だ。

美味しいランチがタダで食べられて、給料も上がる。

断る理由は、ドールの辞書にはなかった。

「……承知いたしました」

ドールは深く頷いた。

「閣下の業務効率化のため、誠心誠意、食欲を満たさせていただきます」

「交渉成立だね」

アークは嬉しそうにドールの手を取った。

「これからもよろしく頼むよ。……私の可愛い、食いしん坊のフィアンセ」

「……最後の形容詞は余計です」

こうして、ドールは『氷の公爵』公認の餌付け対象となった。

アークの溺愛(と観察)は、日々エスカレートしていくことになるのだが、それはまた別の話である。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛

Rj
恋愛
王子様と出会い結婚したグレイス侯爵令嬢はおとぎ話のように「幸せにくらしましたとさ」という結末を迎えられなかった。愛し合っていると思っていたアーサー王太子から結婚式の二日前に愛していないといわれ、表向きは仲睦まじい王太子夫妻だったがアーサーにはグレイス以外に愛する人がいた。次代の希望とよばれた王太子妃の物語。 全十二話。(全十一話で投稿したものに一話加えました。2/6変更)

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

過去に戻った筈の王

基本二度寝
恋愛
王太子は後悔した。 婚約者に婚約破棄を突きつけ、子爵令嬢と結ばれた。 しかし、甘い恋人の時間は終わる。 子爵令嬢は妃という重圧に耐えられなかった。 彼女だったなら、こうはならなかった。 婚約者と結婚し、子爵令嬢を側妃にしていれば。 後悔の日々だった。

悪役令嬢の涙

拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

処理中です...