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カイル王太子が衛兵に引きずられて退場してから、数時間。
宰相府の執務室には、平和な静寂が戻っていた。
「……ふんふん♪」
アークが上機嫌で鼻歌を歌いながら、書類にサインをしている。
その横で、ドールは鬼の形相(無表情)で電卓を叩いていた。
「……閣下」
「なんだい? マイ・ハニー」
「その呼び方はオプション料金が発生します」
ドールは顔を上げずに釘を刺した。
「それより、先ほどのカイル殿下への『緊急コンサルティング見積書』ですが。……本当に請求してよろしいので?」
「構わないよ。カイルの小遣いから天引きしておこう。教育費だ」
アークは楽しそうに笑った。
「それにしても、君は本当に優秀だね。カイルがあそこまで狼狽える姿、初めて見たよ」
「事実を提示したまでです。……数字は嘘をつきませんので」
ドールは淡々と答えたが、内心ではガッツポーズをしていた。
(やった! これで今月の臨時収入ゲットや! カイル様様やな!)
(あのアホ王子、また来てくれへんかな。次は『出入り禁止措置解除手数料』も取れるし)
ドールが皮算用をしていると、アークがペンを置いた。
「さて。……そろそろ昼時だね」
アークが懐中時計を確認する。
「ドール君。ランチに行こうか」
「お断りします」
即答。
「持参したサンドイッチがありますので。……時間は金です。外食の移動時間が無駄です」
ドールは鞄から質素なバスケットを取り出そうとした。
しかし、アークの手がそれを制した。
「業務命令だ」
「……はい?」
「私のパートナーとしての『会食マナー』のチェックを行いたい。……もちろん、費用は全額経費(私持ち)だ」
ドールはピタリと止まった。
(経費……全額……)
その単語の響きに、ドールの脳内計算機が再起動する。
(自作サンドイッチ、原価銅貨五枚。対して、閣下が連れて行くような店のランチ、金貨三枚以上)
(……利益率、無限大)
ドールはバスケットをスッと鞄に戻した。
「承知いたしました。業務命令とあらば、拒否権はございません」
「ふっ、君のそういうところ、大好きだよ」
アークは満足げに立ち上がり、ドールをエスコートした。
*
連れて行かれたのは、王都でも一、二を争う高級レストラン『銀の匙』だった。
予約なしでは王族でも入れないこの店に、アークは顔パスで入店し、一番奥の個室へと通された。
「好きなものを頼んでいいよ」
メニューを渡され、ドールは目を通す。
(……高っ!)
(サラダだけで銅貨五〇〇枚? ぼったくりか!)
(でも経費。……経費!)
ドールは無表情のまま、一番高いコースを指差した。
「では、こちらの『季節の特別フルコース』を」
「お目が高い。……私も同じものを」
料理が運ばれてくるまでの間、アークは頬杖をついてドールを見つめていた。
その視線が、あまりに熱烈で、そして観察するようだったため、ドールは居心地の悪さを感じた。
「……閣下。私の顔に何かついていますか?」
「いや。……君の表情を見ていると飽きないなと思ってね」
「表情? ……私は無表情だと定評がありますが」
「一般人にはね。だが、私には分かる」
アークはニヤリと笑った。
そこへ、前菜の『フォアグラのテリーヌ』が運ばれてきた。
ドールは礼儀正しくナイフを入れ、一口運ぶ。
濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。
(んんっ! なんやこれ! 美味すぎる!)
(口の中で溶けた! これ飲み物ちゃうか!?)
ドールは感動に打ち震えたが、顔の筋肉は微動だにさせなかった。
いつもの能面のまま、静かに咀嚼し、嚥下する。
「……どうかな?」
アークが問いかける。
「悪くありません。……栄養価も高そうです」
素っ気ない感想。
しかし、アークは満足そうに頷いた。
「『最高に美味しい! 生きててよかった!』……という顔だね」
「……っ!?」
ドールは思わずフォークを取り落としそうになった。
(な、なんで分かった!?)
心の中の絶叫が聞こえたのかと思うほど、ドンピシャな通訳だった。
「……なぜ、そう思われるのです?」
ドールは動揺を隠して尋ねた。
アークはワイングラスを揺らしながら解説する。
「君の左眉が、約〇・一ミリ上がった。そして瞳孔がわずかに開いた。……これは君が『快感』を感じているサインだ」
「……は?」
「さらに、咀嚼のリズムが普段より〇・二秒遅かった。味わって食べている証拠だね」
アークは人差し指を立てた。
「つまり、君は今、至福の時を過ごしている。……図星だろう?」
ドールは絶句した。
(変態や……)
(この人、私の顔面を顕微鏡レベルで観察してはる……!)
「ぐうの音も出ない、という顔だね」
「……プライバシーの侵害です」
「愛ゆえの観察だよ」
アークは悪びれもせずに言った。
次に、メインディッシュの『仔羊のロースト』が運ばれてきた。
ドールは警戒しつつ、肉を口に運ぶ。
(……うまっ!)
(柔らかっ! ソースの酸味が絶妙や!)
「『ほっぺたが落ちそう、あと三皿はおかわりしたい』……だね?」
「……正解です」
ドールは白旗を上げた。
もう隠しても無駄だ。この男には筒抜けである。
「すごいですね、閣下。……読心術のスキルでもお持ちで?」
「まさか。ただ君をずっと見ているだけさ」
アークは真剣な眼差しで言った。
「君がカイルに婚約破棄されたあの日から……いや、もっと前からかな。君のその『鉄仮面』の下にある豊かな感情に、私はずっと惹かれていたんだ」
「……前から、ですか?」
「ああ。君がカイルの隣で、退屈そうに死んだ魚のような目をしていた頃からね」
(見てたんかい)
「あの頃の君は、『早く帰って寝たい』と顔に書いてあった。……それが面白くてね」
アークはクスクスと笑った。
ドールは複雑な気分だった。
自分では完璧に隠しているつもりだった感情が、この男にはダダ漏れだったのだ。
「……お恥ずかしい限りです」
「恥じることはない。君の感情は、とても分かりやすくて、そして可愛い」
アークはデザートの皿をドールの前に押し出した。
「さあ、お食べ。……君の『美味しい顔』をもっと見せてくれ」
ドールは、出された苺のタルトを見つめた。
(……くやしい。なんか手玉に取られてる気がする)
(でも、タルトに罪はない)
ドールはタルトを頬張った。
甘酸っぱい苺と、サクサクの生地。
(ん~~~~っ! 幸せ!)
その瞬間、アークが破顔した。
「……うん。今のが一番いい顔だ」
アークは本当に嬉しそうに、ドールを見つめていた。
ドールは、熱くなる頬を必死に冷まそうと、冷水をあおった。
(あかん。この人の前やと、調子狂うわ……)
*
食後のコーヒーを飲みながら、アークが切り出した。
「ところで、ドール君。……今後の待遇についてだが」
「はい。何か?」
ドールは即座にビジネスモードに戻った。
「君の働きぶりは素晴らしい。カイル撃退の手腕も見事だった。……そこで、基本給のベースアップを考えている」
「!」
ドールの右耳がピクリと動いた。
「反応が早いな。……具体的には、現在の三倍から、さらに二割増し。プラス、年二回の特別ボーナス支給」
(二割増し!? ボーナス!?)
ドールの脳内で、花火が上がった。
(神か! この人は神か! 一生ついていきます!)
しかし、顔は無表情を保つ。
「……過分な評価、感謝いたします。しかし、財政への負担が懸念されますが」
「私の私財から出すから問題ない。……それに、君にはそれだけの価値がある」
アークは身を乗り出した。
「ただし、条件がある」
「……条件?」
ドールは身構えた。
これだけの好条件だ。裏があるに違いない。
「休日出勤? それとも危険任務ですか?」
「いや。……毎日、私とランチを食べること」
「……は?」
「君の食事中の表情観察は、私の重要な『癒やし』兼『娯楽』でね。……これがないと、午後の仕事に支障が出る」
アークは真顔で言った。
「つまり、君が美味しいものを食べて幸せになることが、私の業務効率化につながるんだ。……協力してくれるね?」
ドールはポカンとした。
(なんやその条件。……ただ飯食わせろってこと?)
(しかも、私の食べてる顔を見るのが趣味って……やっぱり変態やないか)
しかし、条件としては破格だ。
美味しいランチがタダで食べられて、給料も上がる。
断る理由は、ドールの辞書にはなかった。
「……承知いたしました」
ドールは深く頷いた。
「閣下の業務効率化のため、誠心誠意、食欲を満たさせていただきます」
「交渉成立だね」
アークは嬉しそうにドールの手を取った。
「これからもよろしく頼むよ。……私の可愛い、食いしん坊のフィアンセ」
「……最後の形容詞は余計です」
こうして、ドールは『氷の公爵』公認の餌付け対象となった。
アークの溺愛(と観察)は、日々エスカレートしていくことになるのだが、それはまた別の話である。
宰相府の執務室には、平和な静寂が戻っていた。
「……ふんふん♪」
アークが上機嫌で鼻歌を歌いながら、書類にサインをしている。
その横で、ドールは鬼の形相(無表情)で電卓を叩いていた。
「……閣下」
「なんだい? マイ・ハニー」
「その呼び方はオプション料金が発生します」
ドールは顔を上げずに釘を刺した。
「それより、先ほどのカイル殿下への『緊急コンサルティング見積書』ですが。……本当に請求してよろしいので?」
「構わないよ。カイルの小遣いから天引きしておこう。教育費だ」
アークは楽しそうに笑った。
「それにしても、君は本当に優秀だね。カイルがあそこまで狼狽える姿、初めて見たよ」
「事実を提示したまでです。……数字は嘘をつきませんので」
ドールは淡々と答えたが、内心ではガッツポーズをしていた。
(やった! これで今月の臨時収入ゲットや! カイル様様やな!)
(あのアホ王子、また来てくれへんかな。次は『出入り禁止措置解除手数料』も取れるし)
ドールが皮算用をしていると、アークがペンを置いた。
「さて。……そろそろ昼時だね」
アークが懐中時計を確認する。
「ドール君。ランチに行こうか」
「お断りします」
即答。
「持参したサンドイッチがありますので。……時間は金です。外食の移動時間が無駄です」
ドールは鞄から質素なバスケットを取り出そうとした。
しかし、アークの手がそれを制した。
「業務命令だ」
「……はい?」
「私のパートナーとしての『会食マナー』のチェックを行いたい。……もちろん、費用は全額経費(私持ち)だ」
ドールはピタリと止まった。
(経費……全額……)
その単語の響きに、ドールの脳内計算機が再起動する。
(自作サンドイッチ、原価銅貨五枚。対して、閣下が連れて行くような店のランチ、金貨三枚以上)
(……利益率、無限大)
ドールはバスケットをスッと鞄に戻した。
「承知いたしました。業務命令とあらば、拒否権はございません」
「ふっ、君のそういうところ、大好きだよ」
アークは満足げに立ち上がり、ドールをエスコートした。
*
連れて行かれたのは、王都でも一、二を争う高級レストラン『銀の匙』だった。
予約なしでは王族でも入れないこの店に、アークは顔パスで入店し、一番奥の個室へと通された。
「好きなものを頼んでいいよ」
メニューを渡され、ドールは目を通す。
(……高っ!)
(サラダだけで銅貨五〇〇枚? ぼったくりか!)
(でも経費。……経費!)
ドールは無表情のまま、一番高いコースを指差した。
「では、こちらの『季節の特別フルコース』を」
「お目が高い。……私も同じものを」
料理が運ばれてくるまでの間、アークは頬杖をついてドールを見つめていた。
その視線が、あまりに熱烈で、そして観察するようだったため、ドールは居心地の悪さを感じた。
「……閣下。私の顔に何かついていますか?」
「いや。……君の表情を見ていると飽きないなと思ってね」
「表情? ……私は無表情だと定評がありますが」
「一般人にはね。だが、私には分かる」
アークはニヤリと笑った。
そこへ、前菜の『フォアグラのテリーヌ』が運ばれてきた。
ドールは礼儀正しくナイフを入れ、一口運ぶ。
濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。
(んんっ! なんやこれ! 美味すぎる!)
(口の中で溶けた! これ飲み物ちゃうか!?)
ドールは感動に打ち震えたが、顔の筋肉は微動だにさせなかった。
いつもの能面のまま、静かに咀嚼し、嚥下する。
「……どうかな?」
アークが問いかける。
「悪くありません。……栄養価も高そうです」
素っ気ない感想。
しかし、アークは満足そうに頷いた。
「『最高に美味しい! 生きててよかった!』……という顔だね」
「……っ!?」
ドールは思わずフォークを取り落としそうになった。
(な、なんで分かった!?)
心の中の絶叫が聞こえたのかと思うほど、ドンピシャな通訳だった。
「……なぜ、そう思われるのです?」
ドールは動揺を隠して尋ねた。
アークはワイングラスを揺らしながら解説する。
「君の左眉が、約〇・一ミリ上がった。そして瞳孔がわずかに開いた。……これは君が『快感』を感じているサインだ」
「……は?」
「さらに、咀嚼のリズムが普段より〇・二秒遅かった。味わって食べている証拠だね」
アークは人差し指を立てた。
「つまり、君は今、至福の時を過ごしている。……図星だろう?」
ドールは絶句した。
(変態や……)
(この人、私の顔面を顕微鏡レベルで観察してはる……!)
「ぐうの音も出ない、という顔だね」
「……プライバシーの侵害です」
「愛ゆえの観察だよ」
アークは悪びれもせずに言った。
次に、メインディッシュの『仔羊のロースト』が運ばれてきた。
ドールは警戒しつつ、肉を口に運ぶ。
(……うまっ!)
(柔らかっ! ソースの酸味が絶妙や!)
「『ほっぺたが落ちそう、あと三皿はおかわりしたい』……だね?」
「……正解です」
ドールは白旗を上げた。
もう隠しても無駄だ。この男には筒抜けである。
「すごいですね、閣下。……読心術のスキルでもお持ちで?」
「まさか。ただ君をずっと見ているだけさ」
アークは真剣な眼差しで言った。
「君がカイルに婚約破棄されたあの日から……いや、もっと前からかな。君のその『鉄仮面』の下にある豊かな感情に、私はずっと惹かれていたんだ」
「……前から、ですか?」
「ああ。君がカイルの隣で、退屈そうに死んだ魚のような目をしていた頃からね」
(見てたんかい)
「あの頃の君は、『早く帰って寝たい』と顔に書いてあった。……それが面白くてね」
アークはクスクスと笑った。
ドールは複雑な気分だった。
自分では完璧に隠しているつもりだった感情が、この男にはダダ漏れだったのだ。
「……お恥ずかしい限りです」
「恥じることはない。君の感情は、とても分かりやすくて、そして可愛い」
アークはデザートの皿をドールの前に押し出した。
「さあ、お食べ。……君の『美味しい顔』をもっと見せてくれ」
ドールは、出された苺のタルトを見つめた。
(……くやしい。なんか手玉に取られてる気がする)
(でも、タルトに罪はない)
ドールはタルトを頬張った。
甘酸っぱい苺と、サクサクの生地。
(ん~~~~っ! 幸せ!)
その瞬間、アークが破顔した。
「……うん。今のが一番いい顔だ」
アークは本当に嬉しそうに、ドールを見つめていた。
ドールは、熱くなる頬を必死に冷まそうと、冷水をあおった。
(あかん。この人の前やと、調子狂うわ……)
*
食後のコーヒーを飲みながら、アークが切り出した。
「ところで、ドール君。……今後の待遇についてだが」
「はい。何か?」
ドールは即座にビジネスモードに戻った。
「君の働きぶりは素晴らしい。カイル撃退の手腕も見事だった。……そこで、基本給のベースアップを考えている」
「!」
ドールの右耳がピクリと動いた。
「反応が早いな。……具体的には、現在の三倍から、さらに二割増し。プラス、年二回の特別ボーナス支給」
(二割増し!? ボーナス!?)
ドールの脳内で、花火が上がった。
(神か! この人は神か! 一生ついていきます!)
しかし、顔は無表情を保つ。
「……過分な評価、感謝いたします。しかし、財政への負担が懸念されますが」
「私の私財から出すから問題ない。……それに、君にはそれだけの価値がある」
アークは身を乗り出した。
「ただし、条件がある」
「……条件?」
ドールは身構えた。
これだけの好条件だ。裏があるに違いない。
「休日出勤? それとも危険任務ですか?」
「いや。……毎日、私とランチを食べること」
「……は?」
「君の食事中の表情観察は、私の重要な『癒やし』兼『娯楽』でね。……これがないと、午後の仕事に支障が出る」
アークは真顔で言った。
「つまり、君が美味しいものを食べて幸せになることが、私の業務効率化につながるんだ。……協力してくれるね?」
ドールはポカンとした。
(なんやその条件。……ただ飯食わせろってこと?)
(しかも、私の食べてる顔を見るのが趣味って……やっぱり変態やないか)
しかし、条件としては破格だ。
美味しいランチがタダで食べられて、給料も上がる。
断る理由は、ドールの辞書にはなかった。
「……承知いたしました」
ドールは深く頷いた。
「閣下の業務効率化のため、誠心誠意、食欲を満たさせていただきます」
「交渉成立だね」
アークは嬉しそうにドールの手を取った。
「これからもよろしく頼むよ。……私の可愛い、食いしん坊のフィアンセ」
「……最後の形容詞は余計です」
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