悪役令嬢ドールは婚約破棄も無表情で承る!

ちゅんりー

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宰相府での日々は、ドールにとって快適そのものだった。

給料は三倍(+ボーナス)。

ランチは最高級(タダ)。

上司は変態(視線が)だが、業務能力は極めて高いのでストレスはない。

(ここが天国か……)

ドールは無表情で書類の山を崩しながら、心の中で合掌した。

しかし、光あるところには影が差し、優良物件(アーク)あるところにはハイエナが群がるのが世の常である。

「アーク様ぁ~! いらっしゃいますかぁ~?」

甘ったるい猫なで声と共に、執務室のドアが少しだけ開いた。

隙間から顔を覗かせたのは、ピンクブロンドの男爵令嬢、ミナだった。

(……また来たんか、あの懲りない女)

ドールの心の声が低く唸る。

ミナは先日、給仕係として潜入し失敗したばかりだ。

しかし今日の彼女は、給仕服ではなく、気合の入ったパステルカラーの訪問着を身に纏っている。

手には可愛らしいラッピングが施されたバスケット。

「失礼しますぅ。私、先日のお詫びに伺いましたの」

ミナは誰の許可も待たずに、するりと部屋に入ってきた。

その瞳は、獲物(アーク)をロックオンしている。

カイル王太子の「金欠」と「無能」が露呈した今、計算高い彼女は素早くターゲットを変更したのだ。

『次期国王』の肩書きよりも、『現宰相』の『財力』と『実務能力』。

沈みゆく泥船(カイル)から、豪華客船(アーク)への乗り換えを画策しているのである。

「アーク様、先日は失礼いたしましたぁ。私、反省して……お詫びのクッキーを焼いてきたんですぅ」

ミナは上目遣いでアークのデスクに歩み寄ろうとする。

しかし。

ガッ!!

ミナの目の前に、物理的な『壁』が立ちはだかった。

ドールである。

彼女は無表情のまま、分厚いファイル(広辞苑サイズ)を盾のように構え、ミナの進路を塞いでいた。

「……何の真似ですか、ドール様」

ミナが顔を引きつらせる。

「アポイントメントの確認です」

ドールは事務的に告げた。

「現在、宰相閣下は公務中です。事前の予約なき面会は、王族であってもお断りしております」

「堅いこと言わないでくださいよぉ。私とアーク様の仲じゃないですかぁ」

「存じ上げません。私が把握しているのは、あなたが『元・給仕係』であり、現在は『部外者』であるという事実のみです」

ドールは一歩も引かない。

「それに、そのクッキー」

ドールはバスケットを指差した。

「食品衛生法上の許可は取られていますか? 毒物混入の検査は? アレルギー物質の表示は?」

「はあ!? 手作りですよ!? 愛がこもってるんです!」

「愛で安全は保証されません。宰相閣下は国の要人です。出所不明の食品を摂取させるわけにはいきません」

正論である。

セキュリティ担当者としては満点の対応だ。

しかし、ミナは諦めない。

「ひどいですぅ! 私、指に絆創膏を貼りながら一生懸命焼いたのに……!」

ミナは涙を浮かべ(る演技をし)、アークに向かって叫んだ。

「アーク様ぁ! ドール様がいじめるんです! せっかくの好意を無にするなんて、ひどくないですかぁ?」

奥のデスクで、アークが面白そうに頬杖をついていた。

彼はドールとミナの攻防を、まるで特等席で観劇するかのように楽しんでいる。

「……閣下。助け舟を出していただけますか?」

ドールが振り返らずに言う。

アークは口元を緩めた。

「君の対応が完璧すぎて、出る幕がないなと思ってね」

「業務妨害です。……『害虫駆除手当』を請求しますよ」

「払おう。……徹底的にやってくれたまえ」

お墨付きが出た。

ドールは向き直り、ミナを見据えた。

「だそうです。お引き取りください」

「い、嫌よ! 私はアーク様とお話ししに来たの!」

ミナは強行突破に出た。

ドールの横をすり抜けようと、身をひねる。

だが、ドールの動きはそれを上回っていた。

サッ、ササッ!

ドールはカニのような横移動(サイドステップ)で、ミナの進路を完全にブロックした。

右へ行こうとすれば右へ。

左へ行こうとすれば左へ。

バスケットボールのディフェンスも真っ青な鉄壁の守りである。

「ちょ、ちょっと! 邪魔!」

「通行止めです」

「どいてよ! この能面女!」

「セキュリティゲートです」

「あんたなんか、カイル様に捨てられたくせに!」

「リサイクルされ、価値が向上しました」

問答しながらも、足元のステップは乱れない。

ミナは息を切らし始めたが、ドールは涼しい顔だ。

「くっ……こうなったら!」

ミナはバランスを崩したふりをして、アークの方へ倒れ込もうとした。

古典的奥義『ドジっ子ダイブ』である。

「きゃあぁぁっ! アーク様、受け止めてぇぇ!」

ミナの体が宙を舞う。

その落下地点は、アークの膝の上。

(計算通り!)

ミナが勝利を確信した、その瞬間。

ズドンッ!!

鈍い音が響いた。

「……ぐぇっ!?」

ミナの体が受け止められた。

アークの腕にではない。

ドールが瞬時に積み上げた、高さ一メートルの『未決裁書類タワー』によってである。

ミナの顔面は、書類の山に埋もれていた。

「……ナイスブロック」

アークがパチパチと拍手をする。

ドールは書類タワーの横に立ち、淡々と言った。

「閣下への接触は阻止しました。……この書類は『今年度の堆肥予算案』ですので、多少汚れても問題ありません」

「ぶはっ! 堆肥!」

アークが吹き出す。

ミナは書類の山から顔を上げた。

髪はぐしゃぐしゃ、頬にはインクがつき、何よりプライドがズタズタだった。

「あ、あんた……! よくも……!」

「お怪我はありませんか? クッション材(紙)があって幸いでしたね」

ドールは無表情で見下ろした。

「次は『国営鉱山の岩石サンプル』で受け止めることになりますが、よろしいですか?」

「ひぃっ……!」

ドールの目がマジだった。

物理攻撃も辞さない構えだ。

ミナは恐怖に顔を引きつらせ、バスケットをひっつかんで立ち上がった。

「お、覚えてなさいよ! アーク様だって、こんな可愛げのない女、すぐに飽きるんだから!」

捨て台詞を残し、ミナは逃げ出した。

バタン! と扉が閉まる。

静寂が戻った執務室で、ドールは崩れた書類タワーをテキパキと直し始めた。

「……ふぅ。業務再開です」

「お疲れ様。……見事なディフェンスだったよ、私のゴールキーパー」

アークが笑いながら近づいてくる。

「君のおかげで、私の貞操は守られたわけだ」

「貞操の危機管理も秘書の仕事ですので」

「しかし、岩石サンプルというのは?」

「机の下に用意してあります。文鎮代わりです」

「……君を怒らせないように気をつけよう」

アークはドールの手を取り、指先についたインクをハンカチで拭った。

「それで、先ほどの『害虫駆除手当』だが」

「はい。金貨五枚で計上しておきます」

「金貨でもいいが……別の支払い方法も提案したい」

「却下します」

ドールは即答した。

どうせ「ランチのデザート追加」とか「キスの雨」とか、ロクな提案ではないだろう。

「まあ聞きたまえ。……来週、領地の視察に行くんだが」

「視察、ですか?」

「ああ。温泉地として有名な保養地だ。……同行してくれれば、視察後の自由時間は温泉入り放題、旅館の懐石料理も食べ放題だ」

ドールの耳がピクリと動いた。

(温泉……懐石料理……)

(それって、実質『慰安旅行』ちゃうか?)

「……交通費は?」

「全額公費(または私費)だ」

「残業代は?」

「宿泊手当込みで弾もう」

ドールはコホンと咳払いをした。

「……その提案、検討に値します。駆除手当の代わりとして、受諾いたしましょう」

「交渉成立だね」

アークは嬉しそうに微笑んだ。

(やった! タダで温泉旅行ゲットや!)

ドールは内心で小躍りしたが、アークの本当の狙いが『湯上がり姿の観察』にあることには、まだ気づいていなかった。
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