悪役令嬢ドールは婚約破棄も無表情で承る!

ちゅんりー

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温泉地『ユグドラシル』からの帰りの馬車。

ドールは揺れる車内で、パチパチとそろばん(携帯用)を弾いていた。

「……計算完了です」

ドールは一枚の請求書をアークに突きつけた。

「今回の出張旅費および手当の精算書です」

「仕事が早いね。……どれどれ」

アークが目を通す。

「宿泊費、交通費、危険手当(ミナ対策)……ふむ。妥当だね」

アークの指が、最後の一行で止まった。

「……この『早朝特別対応費』というのは?」

「今朝の件(キス)です」

ドールは真顔で答えた。

「就業時間前の不意打ちは、労働基準法における『時間外の拘束』に該当します。よって、割増料金を請求させていただきました」

「……なるほど」

アークは口元を押さえて笑いを堪えた。

「『キス一回につき金貨一〇枚』か。……安いものだ」

「高いですよ? 高級ランチ三回分です」

「私にとっては、君の唇の価値は国家予算にも匹敵するからね。……バーゲンセールだ」

アークはサインペンを取り出し、サラサラと署名した。

「承認しよう。……帰ったらすぐに振り込ませるよ」

(よっしゃ! 臨時ボーナス確定!)

ドールは心の中でガッツポーズをした。

アークとのキスが金貨に換算できるなら、これほど効率の良い錬金術はない。

(唇が減るわけじゃなし、歯磨きすれば元通り。……コスパ最高やな)

色気のないことを考えていると、馬車が王城の門をくぐった。

しかし、向かった先は宰相府の裏口ではなく、王城の正面玄関だった。

「……閣下。行き先が違いますが」

「ああ、言っていなかったかな?」

アークは何でもないことのように言った。

「兄上が君に会いたいと騒いでいてね。……このまま謁見に向かう」

「……は?」

ドールの思考が一瞬停止した。

「兄上、とは……?」

「国王陛下だよ」

「……今から、ですか?」

「うん。アポなしだけど、家族だからいいだろう」

(よくないわ!!)

ドールは内心で叫んだ。

国王陛下。この国の最高権力者。

そんな雲の上の存在に、旅行帰りのパンツスーツ姿で、しかも心の準備なしに会えと言うのか。

「……閣下。ビジネスマナーをご存知ですか? トップ会談には事前の根回しと準備が必要です」

「大丈夫さ。君なら『ありのまま』で勝てる」

「勝負ではありません、謁見です」

抗議も虚しく、馬車は赤絨毯の前に停車した。

          *

王城、玉座の間。

重厚な扉が開かれると、そこには煌びやかな空間が広がっていた。

玉座に座るのは、アークによく似た面差しだが、より柔和で、少し頼りなさげな男性。

ランバート国王陛下である。

「やあ、アーク。お帰り」

国王は親戚の叔父さんのような軽いノリで手を振った。

「急に呼び出してごめんね。……そちらが噂の?」

「はい。私の婚約者、ドール・ヴァレンタインです」

アークがドールの背中を押す。

ドールは流れるような動作でカーテシーをした。

「お初にお目にかかります、国王陛下。ドール・ヴァレンタインでございます」

「うむ、楽にしてくれ。……ふーむ」

国王はドールをまじまじと観察した。

「噂通りの『人形姫』だね。本当に表情が動かない。……アーク、お前よくこんな冷たそうな子を口説いたな?」

「失礼なことを言わないでください、兄上。彼女は中身が熱いんです」

「熱い? どこが?」

国王が不思議そうに首を傾げる。

ドールは無表情のまま、ゆっくりと顔を上げた。

そして、玉座の間を見渡した。

(……無駄が多い)

ドールの『経営コンサルタント眼(アイ)』が発動した。

(あのシャンデリア、蝋燭(ろうそく)の数が多すぎて空調効率が悪い。壁のタペストリー、湿気でカビが生えかけてるから修繕費がかさむはず。衛兵の配置、死角が多くて警備コストの割にザルやな)

ドールは瞬時に王城の『無駄』をスキャンした。

「……あの、ドール嬢? 何をそんなにキョロキョロと?」

国王が気まずそうに声をかける。

ドールは視線を国王に戻し、淡々と言った。

「……陛下。恐れながら申し上げます」

「な、なんだい?」

「この『玉座の間』の維持費、年間で金貨五〇〇〇枚ほど掛かっておられますね?」

「えっ? あ、うん、たぶんそのくらいかな……」

「照明の配置変更と、清掃業者の見直し、あとあちらの窓の断熱改修を行えば、維持費を二割カットできます」

「……はい?」

国王が目を丸くする。

ドールは止まらない。

「さらに、衛兵のシフト表を見直せば、人件費を削減しつつ警備レベルを上げることが可能です。……提案書を作成いたしましょうか?」

「え、えっと……君、初対面でいきなり予算の話?」

「国王陛下は国家の経営者(CEO)です。経営者にとって最も重要なのは、見栄ではなく利益(国益)の最大化かと存じます」

ドールはズバリと言い切った。

「無駄な経費は、国民の血税の浪費です。……それとも、陛下は浪費がお好きで?」

「い、いや! 好きじゃないよ! むしろ財務大臣にいつも怒られてるよ!」

国王が慌てて弁明する。

ドールはニッコリ(無表情で)と頷いた。

「では、私にお任せください。宰相閣下の補佐として、王城の『大掃除(リストラ)』をご提案させていただきます」

国王はポカンと口を開け、それからアークを見た。

「……アーク。この子、すごいな」

「でしょう? 私の自慢のパートナーです」

アークは鼻高々だ。

「カイルが手放した理由が分かったよ。……あいつには、この子の『切れ味』は扱いきれなかったんだな」

国王は苦笑した。

「でも、アーク。君も大変だろう? こんなにしっかりした奥さんをもらうと、へそくりも隠せないぞ?」

「全財産を預けるつもりですので、問題ありません」

「お前も極端だなあ……」

国王は玉座から立ち上がり、ドールの近くまで歩み寄った。

そして、小声で尋ねた。

「……なあ、ドール嬢。ぶっちゃけ、アークのどこが良かったんだ?」

「はい?」

「こいつ、『氷の公爵』とか言われてるけど、中身はかなり面倒くさい奴だろう? 執着質だし、サディストだし、一度狙った獲物は逃がさないし……」

国王は弟の本性をよく理解していた。

「君みたいな合理的な子が、なんでこんな『地雷物件』を選んだんだい?」

ドールはアークをチラリと見た。

アークはニコニコと笑っているが、その目は「変なこと言ったらお仕置きだぞ」と語っている。

ドールは視線を国王に戻し、即答した。

「……提示された条件が、破格でしたので」

「条件?」

「給与三倍、定時退社、福利厚生完備、さらにボーナス(臨時収入)多数。……これほどの優良物件(ホワイト企業)は、他にはございません」

「……金か」

「金です」

「愛は?」

「金が愛を育みます」

国王は絶句し、そして爆笑した。

「はははは! 『金が愛を育む』か! 名言だ!」

国王は涙を拭いながら、ドールの肩を叩いた。

「気に入った! アークの嫁には、これくらい肝が据わってないと務まらん!」

国王は高らかに宣言した。

「許そう! 二人の婚約を、王家として正式に承認する!」

「ありがとうございます、兄上」

アークが優雅に一礼する。

ドールも倣って頭を下げた。

(よし! 王様のお墨付きゲット! これでカイルからの妨害も法的になくなる!)

ドールが内心で勝利宣言をしていると、国王が付け加えた。

「あ、そうだドール嬢。さっきの『経費削減案』だけど」

「はい」

「後で本当に詳しく教えてくれる? ……実は王妃のドレス代が凄くてさあ……なんとかしたいんだよね……」

「承知いたしました。別料金(コンサル料)にて承ります」

「……君、本当にブレないね」

          *

謁見を終え、廊下に出た二人。

「お疲れ様。見事な交渉術だったよ」

アークがドールをねぎらう。

「陛下があんなに気さくな方で助かりました。……カイル殿下とは大違いですね」

「ああ。兄上は人が良すぎるのが欠点だがね。……だからこそ、私が泥を被って国を守っているんだが」

アークの表情に、ふと影が差した。

『氷の公爵』としての孤独。

汚れ役を一手に引き受け、冷徹に振る舞う彼の苦労。

ドールはそれを見て、無意識に口を開いていた。

「……でしたら」

「ん?」

「私が泥除けになりますよ」

「……え?」

アークが立ち止まる。

ドールは自分でも驚いたが、言葉は止まらなかった。

「閣下が泥を被るなら、私がその泥を乾燥させて、肥料として売りさばきます。……転んでもただでは起きませんので」

それはドールなりの、精一杯の「支えます」という言葉だった。

アークは目を見開き、そして……今までで一番、優しく笑った。

「……参ったな」

アークはドールを抱きしめた。

王城の廊下の真ん中で。

「! か、閣下! 人目が……!」

「構うものか。……ああ、愛しているよ、ドール。君が金目当てでも、なんでもいい」

アークの腕に力がこもる。

「君以外には考えられない。……一生、私の側で『計算』していてくれ」

ドールはアークの胸の中で、カッと顔を赤くした。

(……ずるい)

(こんなん言われたら……『割増料金』も請求できへんやんか)

ドールはおずおずと、アークの背中に手を回した。

「……善処します」

それが、今の彼女に出せる精一杯のデレ(回答)だった。

だが、この幸せな時間は長くは続かなかった。

王城の影で、追い詰められた二つの影が、最後の悪あがきを画策していたからだ。

「……許さない。絶対に許さないわ、ドール……!」

「見ていろ……僕をコケにした報いを受けさせてやる……!」

ミナとカイル。

破滅へと突き進む二人の暴走が、始まろうとしていた。
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