悪役令嬢ドールは婚約破棄も無表情で承る!

ちゅんりー

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プロポーズの翌日。

ドールとアークは、ヴァレンタイン公爵邸の門をくぐっていた。

目的は、ドールの父への結婚報告である。

「……緊張するな」

アークが珍しくネクタイを締め直した。

「一国の宰相ともあろう方が、たかが一貴族への挨拶で何を?」

「相手は君の父親だよ? 『娘さんをください』と言うのは、国王への奏上より緊張する」

アークは苦笑したが、その目は真剣だ。

「それに、君をここまで完璧な『合理的令嬢』に育て上げた人物だ。……相当な傑物に違いない」

「……どうでしょうね」

ドールは無表情で答えた。

「ただの仕事中毒(ワーカーホリック)ですよ。会話の九割が数字で構成されているような人です」

「君とそっくりじゃないか」

「私はあそこまで情緒欠落していません」

ドールは心外だと言わんばかりに鼻を鳴らした(心の中で)。

(父様は筋金入りの『利益至上主義者』や。アーク様との結婚も、メリットがないと判断されたら反対されるかもしれん)

(ま、その時はアーク様の財産目録を叩きつけて説得するけどな)

二人は執事のセバスチャンに案内され、当主の書斎へと通された。

          *

書斎に入ると、重厚なデスクの奥に、一人の男が座っていた。

ロベルト・ヴァレンタイン公爵。

ドールと同じ漆黒の髪に、鋭い眼光。そして、氷のように冷徹な無表情。

まさに、ドールの男性版とも言える威圧感を持った人物だった。

「……よく来たな、ドール」

ロベルトは書類から顔を上げ、娘を見た。

声に抑揚はない。

「久しぶりでございます、お父様」

ドールもまた、同じ顔でカーテシーをする。

親子の再会というより、敵対する企業同士のトップ会談のような空気だ。

「そして……宰相閣下。ご足労いただき恐縮です」

ロベルトは立ち上がり、アークに一礼した。

「突然の訪問、失礼する。……今日は重要な話があって参った」

アークが切り出す。

ロベルトは無言でソファを勧めた。

三人が着席する。

沈黙。

重苦しい空気が流れる中、アークが口を開こうとした。

「ヴァレンタイン公、実は――」

「結論からお願いします。時間はコストですので」

ロベルトが遮った。

(出た。父様の必殺技『挨拶省略』)

ドールは心の中で解説を入れる。

アークは一瞬目を丸くしたが、すぐにニヤリと笑った。

「いいだろう。単刀直入に言おう。……お嬢さんを、私の妻にしたい」

直球勝負。

ロベルトの眉が、ピクリとも動かない。

「……理由(メリット)は?」

「彼女を愛しているからだ」

「『愛』という不確定要素は、資産計上に適しません。具体的かつ定量的な根拠を提示してください」

ロベルトは冷淡に返した。

普通ならここで怯むか怒るところだが、アークは楽しそうに懐から分厚いファイルを取り出した。

「想定済みだ。……こちらをご覧いただきたい」

アークはファイルをテーブルに滑らせた。

タイトルは『ドール・ヴァレンタイン嬢との婚姻によるシナジー効果および長期的利益計画書』。

(……いつの間にこんなん作ったん!?)

ドールが驚愕する横で、ロベルトは無表情でページをめくり始めた。

「……ふむ。宰相家との縁戚関係による政治的影響力の拡大……当家の事業に対する税制優遇措置の確約……」

「さらに、私の私財の一部をドール名義に移転する。これは貴家にとっても担保になるはずだ」

アークが補足する。

ロベルトの目が、高速で数字を追っていく。

「……ページ一五、『ドールの精神的安定による業務効率の向上』とは?」

「彼女は私の側で最も能力を発揮する。……つまり、私が彼女の夫になることで、彼女の(ひいては貴家の)生産性は最大化されるという計算だ」

「なるほど。論理的だ」

ロベルトは頷いた。

「しかし、リスクヘッジは? 閣下は多忙な身。もし家庭を顧みず、娘が精神的摩耗(ストレス)により減価償却した場合の補償は?」

「その場合は、違約金として私の全資産を没収してくれて構わない」

「ほう……全資産?」

「ああ。命も含めてね」

アークはロベルトの目を真っ直ぐに見据えた。

その瞳には、一点の曇りもない。

ロベルトはしばらくアークを凝視していたが、やがてパタンとファイルを閉じた。

「……悪くない条件(ディール)だ」

ロベルトは初めて、わずかに口角を上げた。

「採用しよう。……この合併案件(けっこん)、承認する」

「感謝する」

アークが安堵の息をつく。

ドールもホッとした。

(よかった。父様の『採算ライン』はクリアしたようや)

しかし、ロベルトの視線が不意にドールの左手に注がれた。

「……その指輪」

「はい。いただいた婚約指輪です」

ドールは左手をかざして見せた。

大粒のダイヤモンドが、書斎の照明を受けてギラリと輝く。

ロベルトは懐からルーペを取り出し、ドールの指を掴んで観察し始めた。

「……カラーD、クラリティIF、カットはトリプルエクセレント。……推定五〇〇〇枚、いや、今の相場なら六〇〇〇枚か」

「えっ、値上がりしてます?」

「先週、ダイヤモンド鉱山でストライキがあった。供給減により相場が高騰している」

「なんと! では、今売れば差益が……」

「馬鹿者。今は売り時ではない。長期保有して更なる高騰を待て」

「はい、勉強になります」

親子の会話である。

アークはポカンとしていた。

「……あの、私の愛の証なんだが、売る前提で話さないでくれないか?」

「失礼。……職業病です」

ロベルトはルーペをしまい、アークに向き直った。

「閣下。……娘は見ての通り、可愛げのない、金にうるさい女です。それでもよろしいのですか?」

「父様、言い方に語弊があります。『経済観念がしっかりしている』と言ってください」

ドールが抗議するが、ロベルトは無視する。

アークは微笑んだ。

「ええ。その『可愛げのなさ』こそが、私にとっての最大の魅力ですので」

「……物好きですね」

「よく言われます」

ロベルトは、ふっと息を吐いた。

その表情が、ほんの少しだけ緩んだように見えた。

「……ドール」

「はい」

「お前は昔から、感情を表に出すのが下手だった。……損ばかりする性格だと思っていたが」

ロベルトは立ち上がり、窓の外を見た。

「まさか、その『鉄仮面』を好む奇特な男を捕まえてくるとはな。……お前の『投資眼』は、私を超えたようだ」

「……恐縮です」

それは、不器用な父親なりの、最大限の賛辞だった。

(父様……)

ドールは少しだけ目頭が熱くなったが、すぐに冷静さを取り戻した。

ここで泣いたら、水分補給のコストが無駄になる。

「では、結納金の額について詰めましょうか」

「うむ。……相場の三倍からスタートしよう」

「五倍はいけます」

「よし、交渉だ」

ドールとロベルトが電卓を構える。

アークは天を仰いだ。

「……この親子、似たもの同士すぎる」

          *

数時間後。

激しい(金銭的な)交渉を終え、二人は屋敷を後にした。

「……疲れた」

アークが馬車の中でぐったりしている。

「あんなにハードな商談は、隣国との通商条約以来だよ」

「お疲れ様でした。でも、おかげで実家の屋根の修理費どころか、別荘が一軒建つくらいの結納金が決まりました」

ドールはホクホク顔(無表情)で契約書を眺めている。

「君ねぇ……私の財布が軽くなったことは気にならないのかい?」

「閣下の財布と私の財布は、結婚すれば『共有財産』です。右のポケットから左のポケットに移っただけですよ」

「……まあ、君が管理してくれるなら、増えることはあっても減ることはないか」

アークは諦めたように笑い、ドールの肩に頭を乗せた。

「それにしても……君のお父上、最後には笑っていたね」

「え? 父様が?」

「ああ。君が馬車に乗る時、『娘を頼む』と言った顔……あれは、普通の父親の顔だったよ」

ドールは窓の外を振り返った。

門の前に、小さくロベルトの姿が見える。

彼は無表情で立っていたが、その手が微かに振られているのが見えた。

(……ほんま、不器用な人や)

ドールは小さく会釈を返した。

「さて、次は結婚式の準備だな」

アークが顔を上げた。

「式場、ドレス、招待客のリストアップ。……やることが山積みだ」

「そうですね。……予算管理は私がやりますので、閣下は口を出さないでくださいね」

「えー? 派手にやりたいんだけどなぁ」

「却下です。無駄な装飾はカット、引き出物は実用性重視、お色直しは一回まで」

「厳しいなぁ……。一生に一度なのに」

「一生に一度だからこそ、後の生活に響かないようにするんです」

二人の会話は、もはや長年連れ添った夫婦のようだった。

馬車は夕暮れの王都を走る。

その道程は、二人の明るい(そして黒字の)未来へと続いていた。
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