悪役令嬢ドールは婚約破棄も無表情で承る!

ちゅんりー

文字の大きさ
17 / 24

17

しおりを挟む
プロポーズの翌日。

ドールとアークは、ヴァレンタイン公爵邸の門をくぐっていた。

目的は、ドールの父への結婚報告である。

「……緊張するな」

アークが珍しくネクタイを締め直した。

「一国の宰相ともあろう方が、たかが一貴族への挨拶で何を?」

「相手は君の父親だよ? 『娘さんをください』と言うのは、国王への奏上より緊張する」

アークは苦笑したが、その目は真剣だ。

「それに、君をここまで完璧な『合理的令嬢』に育て上げた人物だ。……相当な傑物に違いない」

「……どうでしょうね」

ドールは無表情で答えた。

「ただの仕事中毒(ワーカーホリック)ですよ。会話の九割が数字で構成されているような人です」

「君とそっくりじゃないか」

「私はあそこまで情緒欠落していません」

ドールは心外だと言わんばかりに鼻を鳴らした(心の中で)。

(父様は筋金入りの『利益至上主義者』や。アーク様との結婚も、メリットがないと判断されたら反対されるかもしれん)

(ま、その時はアーク様の財産目録を叩きつけて説得するけどな)

二人は執事のセバスチャンに案内され、当主の書斎へと通された。

          *

書斎に入ると、重厚なデスクの奥に、一人の男が座っていた。

ロベルト・ヴァレンタイン公爵。

ドールと同じ漆黒の髪に、鋭い眼光。そして、氷のように冷徹な無表情。

まさに、ドールの男性版とも言える威圧感を持った人物だった。

「……よく来たな、ドール」

ロベルトは書類から顔を上げ、娘を見た。

声に抑揚はない。

「久しぶりでございます、お父様」

ドールもまた、同じ顔でカーテシーをする。

親子の再会というより、敵対する企業同士のトップ会談のような空気だ。

「そして……宰相閣下。ご足労いただき恐縮です」

ロベルトは立ち上がり、アークに一礼した。

「突然の訪問、失礼する。……今日は重要な話があって参った」

アークが切り出す。

ロベルトは無言でソファを勧めた。

三人が着席する。

沈黙。

重苦しい空気が流れる中、アークが口を開こうとした。

「ヴァレンタイン公、実は――」

「結論からお願いします。時間はコストですので」

ロベルトが遮った。

(出た。父様の必殺技『挨拶省略』)

ドールは心の中で解説を入れる。

アークは一瞬目を丸くしたが、すぐにニヤリと笑った。

「いいだろう。単刀直入に言おう。……お嬢さんを、私の妻にしたい」

直球勝負。

ロベルトの眉が、ピクリとも動かない。

「……理由(メリット)は?」

「彼女を愛しているからだ」

「『愛』という不確定要素は、資産計上に適しません。具体的かつ定量的な根拠を提示してください」

ロベルトは冷淡に返した。

普通ならここで怯むか怒るところだが、アークは楽しそうに懐から分厚いファイルを取り出した。

「想定済みだ。……こちらをご覧いただきたい」

アークはファイルをテーブルに滑らせた。

タイトルは『ドール・ヴァレンタイン嬢との婚姻によるシナジー効果および長期的利益計画書』。

(……いつの間にこんなん作ったん!?)

ドールが驚愕する横で、ロベルトは無表情でページをめくり始めた。

「……ふむ。宰相家との縁戚関係による政治的影響力の拡大……当家の事業に対する税制優遇措置の確約……」

「さらに、私の私財の一部をドール名義に移転する。これは貴家にとっても担保になるはずだ」

アークが補足する。

ロベルトの目が、高速で数字を追っていく。

「……ページ一五、『ドールの精神的安定による業務効率の向上』とは?」

「彼女は私の側で最も能力を発揮する。……つまり、私が彼女の夫になることで、彼女の(ひいては貴家の)生産性は最大化されるという計算だ」

「なるほど。論理的だ」

ロベルトは頷いた。

「しかし、リスクヘッジは? 閣下は多忙な身。もし家庭を顧みず、娘が精神的摩耗(ストレス)により減価償却した場合の補償は?」

「その場合は、違約金として私の全資産を没収してくれて構わない」

「ほう……全資産?」

「ああ。命も含めてね」

アークはロベルトの目を真っ直ぐに見据えた。

その瞳には、一点の曇りもない。

ロベルトはしばらくアークを凝視していたが、やがてパタンとファイルを閉じた。

「……悪くない条件(ディール)だ」

ロベルトは初めて、わずかに口角を上げた。

「採用しよう。……この合併案件(けっこん)、承認する」

「感謝する」

アークが安堵の息をつく。

ドールもホッとした。

(よかった。父様の『採算ライン』はクリアしたようや)

しかし、ロベルトの視線が不意にドールの左手に注がれた。

「……その指輪」

「はい。いただいた婚約指輪です」

ドールは左手をかざして見せた。

大粒のダイヤモンドが、書斎の照明を受けてギラリと輝く。

ロベルトは懐からルーペを取り出し、ドールの指を掴んで観察し始めた。

「……カラーD、クラリティIF、カットはトリプルエクセレント。……推定五〇〇〇枚、いや、今の相場なら六〇〇〇枚か」

「えっ、値上がりしてます?」

「先週、ダイヤモンド鉱山でストライキがあった。供給減により相場が高騰している」

「なんと! では、今売れば差益が……」

「馬鹿者。今は売り時ではない。長期保有して更なる高騰を待て」

「はい、勉強になります」

親子の会話である。

アークはポカンとしていた。

「……あの、私の愛の証なんだが、売る前提で話さないでくれないか?」

「失礼。……職業病です」

ロベルトはルーペをしまい、アークに向き直った。

「閣下。……娘は見ての通り、可愛げのない、金にうるさい女です。それでもよろしいのですか?」

「父様、言い方に語弊があります。『経済観念がしっかりしている』と言ってください」

ドールが抗議するが、ロベルトは無視する。

アークは微笑んだ。

「ええ。その『可愛げのなさ』こそが、私にとっての最大の魅力ですので」

「……物好きですね」

「よく言われます」

ロベルトは、ふっと息を吐いた。

その表情が、ほんの少しだけ緩んだように見えた。

「……ドール」

「はい」

「お前は昔から、感情を表に出すのが下手だった。……損ばかりする性格だと思っていたが」

ロベルトは立ち上がり、窓の外を見た。

「まさか、その『鉄仮面』を好む奇特な男を捕まえてくるとはな。……お前の『投資眼』は、私を超えたようだ」

「……恐縮です」

それは、不器用な父親なりの、最大限の賛辞だった。

(父様……)

ドールは少しだけ目頭が熱くなったが、すぐに冷静さを取り戻した。

ここで泣いたら、水分補給のコストが無駄になる。

「では、結納金の額について詰めましょうか」

「うむ。……相場の三倍からスタートしよう」

「五倍はいけます」

「よし、交渉だ」

ドールとロベルトが電卓を構える。

アークは天を仰いだ。

「……この親子、似たもの同士すぎる」

          *

数時間後。

激しい(金銭的な)交渉を終え、二人は屋敷を後にした。

「……疲れた」

アークが馬車の中でぐったりしている。

「あんなにハードな商談は、隣国との通商条約以来だよ」

「お疲れ様でした。でも、おかげで実家の屋根の修理費どころか、別荘が一軒建つくらいの結納金が決まりました」

ドールはホクホク顔(無表情)で契約書を眺めている。

「君ねぇ……私の財布が軽くなったことは気にならないのかい?」

「閣下の財布と私の財布は、結婚すれば『共有財産』です。右のポケットから左のポケットに移っただけですよ」

「……まあ、君が管理してくれるなら、増えることはあっても減ることはないか」

アークは諦めたように笑い、ドールの肩に頭を乗せた。

「それにしても……君のお父上、最後には笑っていたね」

「え? 父様が?」

「ああ。君が馬車に乗る時、『娘を頼む』と言った顔……あれは、普通の父親の顔だったよ」

ドールは窓の外を振り返った。

門の前に、小さくロベルトの姿が見える。

彼は無表情で立っていたが、その手が微かに振られているのが見えた。

(……ほんま、不器用な人や)

ドールは小さく会釈を返した。

「さて、次は結婚式の準備だな」

アークが顔を上げた。

「式場、ドレス、招待客のリストアップ。……やることが山積みだ」

「そうですね。……予算管理は私がやりますので、閣下は口を出さないでくださいね」

「えー? 派手にやりたいんだけどなぁ」

「却下です。無駄な装飾はカット、引き出物は実用性重視、お色直しは一回まで」

「厳しいなぁ……。一生に一度なのに」

「一生に一度だからこそ、後の生活に響かないようにするんです」

二人の会話は、もはや長年連れ添った夫婦のようだった。

馬車は夕暮れの王都を走る。

その道程は、二人の明るい(そして黒字の)未来へと続いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛

Rj
恋愛
王子様と出会い結婚したグレイス侯爵令嬢はおとぎ話のように「幸せにくらしましたとさ」という結末を迎えられなかった。愛し合っていると思っていたアーサー王太子から結婚式の二日前に愛していないといわれ、表向きは仲睦まじい王太子夫妻だったがアーサーにはグレイス以外に愛する人がいた。次代の希望とよばれた王太子妃の物語。 全十二話。(全十一話で投稿したものに一話加えました。2/6変更)

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

過去に戻った筈の王

基本二度寝
恋愛
王太子は後悔した。 婚約者に婚約破棄を突きつけ、子爵令嬢と結ばれた。 しかし、甘い恋人の時間は終わる。 子爵令嬢は妃という重圧に耐えられなかった。 彼女だったなら、こうはならなかった。 婚約者と結婚し、子爵令嬢を側妃にしていれば。 後悔の日々だった。

悪役令嬢の涙

拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

処理中です...