「戻ってきてもいいぞ?」という傲慢――許せませんわ。

ちゅんりー

文字の大きさ
5 / 28

5

しおりを挟む
管理小屋の扉を開けた瞬間、大量の埃と、何かが朽ちたような匂いが鼻を突いた。
普通ならここで鼻をつまんで後ずさりするところだが、私はむしろ目を輝かせて小屋の中へと踏み込んだ。

「見てください、閣下! この素晴らしい梁(はり)を! これなら、大きな銅鍋を吊るしてもびくともしませんわ!」

「……ポジティブにも程があるぞ、マーマレード嬢。私の目には、ただの崩れかけのボロ屋にしか見えんが」

アールグレイ公爵が、ハンカチで口元を抑えながら、恐る恐る中に入ってくる。
彼の磨き上げられた革靴が、埃まみれの床を踏むたびにパキパキと乾いた音を立てた。

「何を仰いますか。磨けば光る原石ですわ。ほら、そこの窓際の棚なんて、瓶を並べるのに完璧なサイズではありませんか!」

「それより先に、その床を這い回っている大きな蜘蛛をどうにかしろ。私を睨んでいるぞ」

「あら、ご機嫌よう、スパイダー氏。今日からここをジャム工場にしますから、お引越しをお願いしますね。あ、そこの隅の茂みまでなら、家賃無料でいいですわよ」

私が箒代わりに持ってきた枝で蜘蛛を優しく追い払うと、公爵は深いため息をついた。

「君と話していると、常識という言葉がゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。……おい、そこの者たち! 小屋の周りの雑草をすべて刈り取れ。不潔でかなわん」

公爵が外で待機していた男たちに命じると、彼らは「合点承知!」とばかりに鎌を振り上げた。
しかし、その刃が地面に振り下ろされる直前、私は叫びながら外へ飛び出した。

「待って! ストップ! 止まってください!」

「うおっ!? なんだ、お嬢さん、急に飛び出してきて危ねえな!」

男たちが驚いて手を止める。私は彼らの足元にある、もっさりと生い茂った「雑草」の前に跪いた。

「これ、これを刈り取るなんて、神をも恐れぬ所業ですわ! これを見てください!」

「これって……ただの草だろう? 足に絡まって邪魔なだけの」

「いいえ! これはローズマリー、そっちはワイルドミント、そしてこの地を這うように生えているのはタイムですわ! それも、この森の厳しい環境で育ったせいか、香りが驚くほど濃い……!」

私はタイムの葉を一枝ちぎり、男たちの鼻先に突き出した。

「嗅いでみてください。この、鼻にツンと抜けるような力強いアロマを。これこそ、甘いオレンジジャムに一さじの魔法を加える、最高のスパイスですわ!」

「……本当だ。なんだ、いい匂いがするな」

「だ、だろ? ただの草だと思ってたが、意外とやるじゃねえか」

男たちがクンクンと鼻を鳴らしていると、公爵が不思議そうな顔で近づいてきた。

「雑草……ではなく、ハーブというわけか。しかし、なぜこんな呪われた地に、そんなものが自生している?」

「呪われているからこそですわ、閣下。普通の土地では他の植物に負けてしまうハーブたちも、この酸性の強い、険しい土地では独壇場だったのでしょう。まさに、『逆境こそが最高のスパイス』というわけですわね!」

私は立ち上がり、男たちに新たな指示を出した。

「皆さん! 刈り取るのはこの種類以外の、本当の雑草だけにしてください。ハーブたちは根こそぎにせず、丁寧に剪定して。後でこれをたっぷり使った、『お疲れ様ランチ』を作りますから!」

「お、お疲れ様ランチ!? またあのジャムが食えるのか!?」

「いいえ。今度はこのハーブと、皆さんが収穫してくれたビターオレンジを使った、特製チキンソテーをご用意しますわ!」

「「「うおおおおおおお!!」」」

男たちのやる気が最高潮に達し、草刈りのスピードが三倍に跳ね上がった。
彼らが一心不乱に地面を掃除する中、私は公爵を振り返り、ニッコリと微笑んだ。

「閣下、お腹が空きましたでしょう? そこの石を積んで、即席のコンロを作っていただけませんか?」

「……私がか? 一国の公爵に、石運びをさせるつもりか?」

「あら、閣下こそ、この『呪われた森の食材』を最初に味わう栄誉に預かるべきお方ですわ。そのための労働は、最高の調味料になりますわよ?」

「……君の言い分は、いつも強引だが、妙に納得させられてしまうな」

公爵は観念したように上着を脱ぎ捨て、ワイシャツの袖を捲り上げた。
白く細い、しかし意外にもしっかりとした筋肉のついた腕が露わになる。

「いいだろう。世界一の美食のためだ。石の一つや二つ、運んでやろうではないか」

「まあ、頼もしい! では私は、その間にハーブを洗ってきますわね!」

一時間後。
管理小屋の前には、即席の石窯と、ハーブの香ばしい匂いが漂う食卓が整っていた。
男たちが収穫したオレンジの果汁に、先ほどのハーブと塩胡椒を揉み込んだ鶏肉が、じゅうじゅうと良い音を立てて焼けていく。

「さあ、召し上がれ! 『呪いの森のハーブチキン・オレンジソース仕立て』です!」

男たちが肉を頬張る。
「う、美味すぎる……! このオレンジの酸味と、草……いや、ハーブの香りが、肉の脂をさっぱりさせて、いくらでも食えるぞ!」

「ああ、力がみなぎる……。これで午後も、大岩の一つや二つ動かせるぜ!」

そして、公爵も一口。
彼は咀嚼するごとに目を閉じ、その味を深く噛み締めているようだった。

「……信じられない。この地を呪いと呼び、放置していた王族たちは、皆盲目だったのか。この複雑で奥行きのある味わい……王都のどのレストランでも、これほどのものは出せないだろう」

「ふふん、当然ですわ。食材は正直ですもの。愛した分だけ、味で返してくれますわ」

私は満足げに頷き、まだ手付かずの荒れ地を見つめた。
雑草だと思っていたものがお宝に変わり、ボロ屋が工房に変わっていく。
私の新しい人生は、今、最高に「美味しく」なり始めていた。

「閣下、明日はあそこの池を掃除しましょう。そこにはきっと、クレソンが自生しているはずですわ!」

「……わかった、わかった。だが、その前にデザートのジャムを出すのを忘れるなよ」

「もちろんですわ! おかわり、たっぷりありますからね!」

笑い声が、かつての「呪われた森」に響き渡る。
それは、どんな魔法よりも強力に、この地を浄化していくようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「お幸せに」と微笑んだ悪役令嬢は、二度と戻らなかった。

パリパリかぷちーの
恋愛
王太子から婚約破棄を告げられたその日、 クラリーチェ=ヴァレンティナは微笑んでこう言った。 「どうか、お幸せに」──そして姿を消した。 完璧すぎる令嬢。誰にも本心を明かさなかった彼女が、 “何も持たずに”去ったその先にあったものとは。 これは誰かのために生きることをやめ、 「私自身の幸せ」を選びなおした、 ひとりの元・悪役令嬢の再生と静かな愛の物語。

悪役令嬢は永眠しました

詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」 長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。 だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。 ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」 *思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~

tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!! 壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは??? 一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

笑う令嬢は毒の杯を傾ける

無色
恋愛
 その笑顔は、甘い毒の味がした。  父親に虐げられ、義妹によって婚約者を奪われた令嬢は復讐のために毒を喰む。

婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。

パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢カルルは、ある夜会で王太子ジェラールから婚約破棄を言い渡される。しかし、カルルは泣くどころか、これまで立て替えていた経費や労働対価の「莫大な請求書」をその場で叩きつけた。

【完結】婚約破棄され毒杯処分された悪役令嬢は影から王子の愛と後悔を見届ける

堀 和三盆
恋愛
「クアリフィカ・アートルム公爵令嬢! 貴様との婚約は破棄する」  王太子との結婚を半年後に控え、卒業パーティーで婚約を破棄されてしまったクアリフィカ。目の前でクアリフィカの婚約者に寄り添い、歪んだ嗤いを浮かべているのは異母妹のルシクラージュだ。  クアリフィカは既に王妃教育を終えているため、このタイミングでの婚約破棄は未来を奪われるも同然。こうなるとクアリフィカにとれる選択肢は多くない。  せめてこれまで努力してきた王妃教育の成果を見てもらいたくて。  キレイな姿を婚約者の記憶にとどめてほしくて。  クアリフィカは荒れ狂う感情をしっかりと覆い隠し、この場で最後の公務に臨む。  卒業パーティー会場に響き渡る悲鳴。  目にした惨状にバタバタと倒れるパーティー参加者達。  淑女の鑑とまで言われたクアリフィカの最期の姿は、良くも悪くも多くの者の記憶に刻まれることになる。  そうして――王太子とルシクラージュの、後悔と懺悔の日々が始まった。

あの日々に戻りたくない!自称聖女の義妹に夫と娘を奪われた妃は、死に戻り聖女の力で復讐を果たす

青の雀
恋愛
公爵令嬢スカーレット・ロッテンマイヤーには、前世の記憶がある。 幼いときに政略で結ばれたジェミニ王国の第1王子ロベルトと20歳の時に結婚した。 スカーレットには、7歳年下の義妹リリアーヌがいるが、なぜかリリアーヌは、ロッテンマイヤー家に来た時から聖女様を名乗っている。 ロッテンマイヤーは、代々異能を輩出している家柄で、元は王族 物語は、前世、夫に殺されたところから始まる。

公爵令嬢を虐げた自称ヒロインの末路

八代奏多
恋愛
 公爵令嬢のレシアはヒロインを自称する伯爵令嬢のセラフィから毎日のように嫌がらせを受けていた。  王子殿下の婚約者はレシアではなく私が相応しいとセラフィは言うが……  ……そんなこと、絶対にさせませんわよ?

処理中です...