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ガタゴトと馬車に揺られること数日。
たどり着いたのは、王都の華やかさとは無縁の、最果ての地だった。
「……ここが、私の新しい拠点ですの?」
馬車から降りた私は、目の前の光景に思わず口を半開きにした。
そこには、私の胸の高さまで伸びきった雑草と、まるで意思を持っているかのようにねじれ曲がった樹木が立ち並ぶ、不気味な森が広がっていた。
「ああ。通称『ビターオレンジの森』だ。かつては王室御用達の果樹園だったらしいが、あまりにも実が苦すぎて、今では誰も近づかない呪われた地と言われている」
隣に立つアールグレイ公爵が、淡々と説明を付け加える。
「呪われた地……。素敵じゃありませんか」
「……正気か? 普通の令嬢なら、ここで泣いて王宮に帰らせてくれと縋り付く場面だぞ」
「そんな勿体ないこといたしませんわ! 見てください、閣下。この樹皮の質感、そして微かに漂う、野生味溢れる力強い香りを!」
私はドレスの汚れも気にせず、生い茂る草をかき分けて一本の木に駆け寄った。
枝には、小ぶりでゴツゴツとした、お世辞にも美しいとは言えない果実が実っている。
私はそれを一つもぎ取ると、爪で皮を少し傷つけた。
その瞬間、弾けるような、鋭くも深い香りが鼻腔を突く。
「……これですわ! これこそが、私が求めていた『究極の苦味』です!」
「……苦いのが好きなのか? 君は変わっているな」
「閣下、甘いだけの人生なんて、ただの砂糖水と同じですわ。このビターオレンジ……おそらく、ダイダイの原種に近いものですわね。ペクチンが豊富で、ジャムにすれば最高の粘り気とコクが出るはずです!」
私は興奮のあまり、公爵の胸ぐらを掴んで激しく揺さぶった。
「閣下! ここは呪われた地などではありません! 黄金が実る約束の地ですわ! 今すぐ草を刈り、木を剪定し、私の工房を建てましょう!」
「……わかった、わかったから揺らすのをやめろ。私の脳がシェイクされてマーマレードになりそうだ」
公爵は私の手を優しく(しかし力強く)引き剥がすと、やれやれといった様子で周囲を見渡した。
「とはいえ、この荒れ果てた惨状だ。整備には時間がかかるだろう。君を住まわせる予定の管理小屋も、おそらく中身は蜘蛛の巣だらけだぞ」
「蜘蛛の巣? ちょうどいいですわ。天然のレースカーテンだと思えば風情があります。それより閣下、人手をお願いできますか? 私一人では、この広大な森を愛でるのに時間が足りませんの」
「……手配はしてある。だが、この土地の噂を聞いて、誰も近寄ろうとしないのだ。今日連れてきたのは、私の配下のうち、味覚を失ったのではないかと疑われるほどの大食漢たちだけだ」
公爵が合図を送ると、馬車の後ろから屈強な男たちが十数人現れた。
彼らは皆、手には斧や鎌を持ち、やる気に満ちている……というよりは、何やら怯えた表情を浮かべている。
「おい、聞いたか……? この森のオレンジを食べると、三日三晩、口の中が苦くてのたうち回るらしいぞ」
「ああ、しかもその苦味で幽霊が出るっていう噂だ……」
男たちのヒソヒソ話が聞こえてきたが、私はそんな彼らの前に立ちはだかり、腰に手を当てた。
「皆様! ご機嫌よう! 今日から皆さんは、世界最高のジャム工場の建設スタッフですわ!」
「お、お嬢さん。悪いことは言わねえ、ここは引き返したほうがいい。この森の実は、悪魔が作った食い物だって言われてるんだ」
一人の大男が、心配そうに私を見下ろした。
私はフッと不敵な笑みを浮かべ、懐から一瓶のジャムを取り出した。
「悪魔の食い物、ですか。では、天使の味を教えて差し上げますわ。……閣下、あのパンを」
「ああ。わかっている」
公爵が、昨日私が焼いておいたブリオッシュを取り出す。
私はその場でジャムの蓋を開け、黄金色のマーマレードをたっぷりとのせた。
「さあ、一口召し上がれ。この森のポテンシャルを、その舌で確かめるのです!」
男たちは顔を見合わせたが、公爵の鋭い視線に逆らえず、恐る恐るパンを口にした。
「……う、うわっ!」
「なんだこれ!? 最初は苦いのに、その後に来るこの……暴力的なまでの爽やかさは!」
「美味い……! なんだこれ、力が湧いてくるぞ! このジャムがあれば、森の一つや二つ、一晩で更地にできそうだ!」
男たちの目が、一瞬で変わった。
彼らにとって、私のジャムはもはやただの食品ではなく、最強のドーピング剤となったらしい。
「よし、お嬢さん! どこから手をつければいい!? 指図してくれ!」
「まずはあの枯れ枝の撤去ですわ! それから、あそこの日当たりの悪い場所の草刈りを! 丁寧に、でも大胆にやってちょうだい!」
「「「おおおおおーっ!!」」」
男たちが咆哮を上げ、森の中へと突っ込んでいく。
凄まじい勢いで木々が整備され、草がなぎ倒されていく光景は、圧巻の一言だった。
「……私の配下が、ジャム一つでここまで野性を取り戻すとはな」
公爵が呆れたように呟く。
「食欲は、恐怖をも凌駕するのですわ、閣下。さて、私もじっとしていられません。まずはあの管理小屋へ乗り込み、掃除と同時に『とりあえずの竈』を作りましょう!」
「君も行くのか? 掃除なら彼らに任せればいい」
「いいえ! 自分の城の守り神(蜘蛛)には、自分でお別れを告げるのが礼儀ですわ。それに……」
私は公爵を振り返り、悪戯っぽく微笑んだ。
「掃除が終わった頃には、お腹が空くでしょう? 皆さんのために、山盛りのパンを焼かなければ」
「……私の分も、忘れるなよ」
「もちろんですわ、閣下。特大のやつをご用意しますわね!」
私は軽やかな足取りで、不気味な管理小屋へと突き進んでいった。
婚約破棄され、実家を追われ、たどり着いたのは呪われた森。
客観的に見ればどん底のはずなのに、私の鼻には、すでに輝かしい成功の香りが届いていた。
それは、ほろ苦くて、とびきり甘い。
最高級のマーマレードの香りそのものだった。
たどり着いたのは、王都の華やかさとは無縁の、最果ての地だった。
「……ここが、私の新しい拠点ですの?」
馬車から降りた私は、目の前の光景に思わず口を半開きにした。
そこには、私の胸の高さまで伸びきった雑草と、まるで意思を持っているかのようにねじれ曲がった樹木が立ち並ぶ、不気味な森が広がっていた。
「ああ。通称『ビターオレンジの森』だ。かつては王室御用達の果樹園だったらしいが、あまりにも実が苦すぎて、今では誰も近づかない呪われた地と言われている」
隣に立つアールグレイ公爵が、淡々と説明を付け加える。
「呪われた地……。素敵じゃありませんか」
「……正気か? 普通の令嬢なら、ここで泣いて王宮に帰らせてくれと縋り付く場面だぞ」
「そんな勿体ないこといたしませんわ! 見てください、閣下。この樹皮の質感、そして微かに漂う、野生味溢れる力強い香りを!」
私はドレスの汚れも気にせず、生い茂る草をかき分けて一本の木に駆け寄った。
枝には、小ぶりでゴツゴツとした、お世辞にも美しいとは言えない果実が実っている。
私はそれを一つもぎ取ると、爪で皮を少し傷つけた。
その瞬間、弾けるような、鋭くも深い香りが鼻腔を突く。
「……これですわ! これこそが、私が求めていた『究極の苦味』です!」
「……苦いのが好きなのか? 君は変わっているな」
「閣下、甘いだけの人生なんて、ただの砂糖水と同じですわ。このビターオレンジ……おそらく、ダイダイの原種に近いものですわね。ペクチンが豊富で、ジャムにすれば最高の粘り気とコクが出るはずです!」
私は興奮のあまり、公爵の胸ぐらを掴んで激しく揺さぶった。
「閣下! ここは呪われた地などではありません! 黄金が実る約束の地ですわ! 今すぐ草を刈り、木を剪定し、私の工房を建てましょう!」
「……わかった、わかったから揺らすのをやめろ。私の脳がシェイクされてマーマレードになりそうだ」
公爵は私の手を優しく(しかし力強く)引き剥がすと、やれやれといった様子で周囲を見渡した。
「とはいえ、この荒れ果てた惨状だ。整備には時間がかかるだろう。君を住まわせる予定の管理小屋も、おそらく中身は蜘蛛の巣だらけだぞ」
「蜘蛛の巣? ちょうどいいですわ。天然のレースカーテンだと思えば風情があります。それより閣下、人手をお願いできますか? 私一人では、この広大な森を愛でるのに時間が足りませんの」
「……手配はしてある。だが、この土地の噂を聞いて、誰も近寄ろうとしないのだ。今日連れてきたのは、私の配下のうち、味覚を失ったのではないかと疑われるほどの大食漢たちだけだ」
公爵が合図を送ると、馬車の後ろから屈強な男たちが十数人現れた。
彼らは皆、手には斧や鎌を持ち、やる気に満ちている……というよりは、何やら怯えた表情を浮かべている。
「おい、聞いたか……? この森のオレンジを食べると、三日三晩、口の中が苦くてのたうち回るらしいぞ」
「ああ、しかもその苦味で幽霊が出るっていう噂だ……」
男たちのヒソヒソ話が聞こえてきたが、私はそんな彼らの前に立ちはだかり、腰に手を当てた。
「皆様! ご機嫌よう! 今日から皆さんは、世界最高のジャム工場の建設スタッフですわ!」
「お、お嬢さん。悪いことは言わねえ、ここは引き返したほうがいい。この森の実は、悪魔が作った食い物だって言われてるんだ」
一人の大男が、心配そうに私を見下ろした。
私はフッと不敵な笑みを浮かべ、懐から一瓶のジャムを取り出した。
「悪魔の食い物、ですか。では、天使の味を教えて差し上げますわ。……閣下、あのパンを」
「ああ。わかっている」
公爵が、昨日私が焼いておいたブリオッシュを取り出す。
私はその場でジャムの蓋を開け、黄金色のマーマレードをたっぷりとのせた。
「さあ、一口召し上がれ。この森のポテンシャルを、その舌で確かめるのです!」
男たちは顔を見合わせたが、公爵の鋭い視線に逆らえず、恐る恐るパンを口にした。
「……う、うわっ!」
「なんだこれ!? 最初は苦いのに、その後に来るこの……暴力的なまでの爽やかさは!」
「美味い……! なんだこれ、力が湧いてくるぞ! このジャムがあれば、森の一つや二つ、一晩で更地にできそうだ!」
男たちの目が、一瞬で変わった。
彼らにとって、私のジャムはもはやただの食品ではなく、最強のドーピング剤となったらしい。
「よし、お嬢さん! どこから手をつければいい!? 指図してくれ!」
「まずはあの枯れ枝の撤去ですわ! それから、あそこの日当たりの悪い場所の草刈りを! 丁寧に、でも大胆にやってちょうだい!」
「「「おおおおおーっ!!」」」
男たちが咆哮を上げ、森の中へと突っ込んでいく。
凄まじい勢いで木々が整備され、草がなぎ倒されていく光景は、圧巻の一言だった。
「……私の配下が、ジャム一つでここまで野性を取り戻すとはな」
公爵が呆れたように呟く。
「食欲は、恐怖をも凌駕するのですわ、閣下。さて、私もじっとしていられません。まずはあの管理小屋へ乗り込み、掃除と同時に『とりあえずの竈』を作りましょう!」
「君も行くのか? 掃除なら彼らに任せればいい」
「いいえ! 自分の城の守り神(蜘蛛)には、自分でお別れを告げるのが礼儀ですわ。それに……」
私は公爵を振り返り、悪戯っぽく微笑んだ。
「掃除が終わった頃には、お腹が空くでしょう? 皆さんのために、山盛りのパンを焼かなければ」
「……私の分も、忘れるなよ」
「もちろんですわ、閣下。特大のやつをご用意しますわね!」
私は軽やかな足取りで、不気味な管理小屋へと突き進んでいった。
婚約破棄され、実家を追われ、たどり着いたのは呪われた森。
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