「戻ってきてもいいぞ?」という傲慢――許せませんわ。

ちゅんりー

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アールグレイ公爵の領地を越え、私たちは隣国の王都へと足を踏み入れた。
馬車の窓から見える景色は、私の故郷よりもさらに洗練され、どこか石造りの冷たさと気品が同居している。

しかし、私の関心は建物の装飾よりも、街角の菓子店に並ぶ商品の色合いに向いていた。

「……閣下。あそこのお店のショーケース、見ました? なんだか、全体的に『真っ白』ですわね」

「……ああ。この国の貴族は、砂糖の白さを富の象徴だと思い込んでいるからな。何にでもこれでもかと砂糖をぶちまけるのが『おもてなし』だという悪習がある」

公爵が、心底嫌そうに鼻を鳴らした。
彼の隣には、相変わらず派手な刺繍の入った上着を纏ったダージリン様が、優雅に扇子を動かしている。

「ですから、僕の出番なんです。お嬢さん。今から向かうのは、社交界の重鎮、ペコ侯爵夫人のティーパーティーです。彼女の心を掴めば、この国の砂糖漬けの歴史が塗り替えられますよ」

「侯爵夫人……。なんだか、厳しそうな方ですわね」

「厳しいどころか、彼女の舌を満足させられなかった菓子職人は、二度と王都で商売ができないと言われるほどです。さあ、着きましたよ。戦場(サロン)へようこそ」

馬車が止まったのは、バラの生垣に囲まれた白亜の邸宅だった。
中に入ると、そこには豪華なドレスを着飾った貴族の女性たちが、所狭しと並べられたお菓子を囲んでいた。

しかし、不思議なことに、彼女たちの表情はどこか晴れない。

「……あら。アールグレイ公爵、お久しぶりですわね。そちらの方は?」

部屋の中央、ひときわ高い椅子に座っていた壮年の女性――ペコ侯爵夫人が、鋭い眼光をこちらに向けた。

「私の客人だ。マーマレード・オレンジ嬢。……それと、うるさい商人が一人」

「商人はさておき。マーマレード嬢、とおっしゃいましたか。オレンジ伯爵家の方ね。……例の、レモン王子に婚約破棄されたという」

会場に、忍び笑いとヒソヒソ話が広がる。
私は一歩前に出ると、深く、優雅なカーテシーを披露した。

「左様でございます、侯爵夫人。身に覚えのない罪で追い出された、ただのオレンジ愛好家でございますわ」

「ふふ、潔いわね。それで? 婚約破棄された傷心旅行のついでに、私のパーティーに何を届けに来たのかしら。まさか、あそこのテーブルにあるような『砂糖の塊』ではないでしょうね?」

侯爵夫人が指差したテーブルには、高さ三十センチはあろうかという、クリームと砂糖細工で塗り固められたケーキが鎮座していた。

「……見てください。一口食べるだけで、一週間分のカロリーを摂取できそうな代物ですわ。今の流行りだそうですけれど、私はもう、甘すぎて吐き気がしますの」

周囲の貴婦人たちも、小声で「実は私も……」「最近、胃もたれが……」と同意し合っている。
この国の社交界は、今まさに「糖分過多による飽和状態」に陥っていたのだ。

「なるほど。皆様、口の中がベタついて、本当の『美味しさ』を忘れてしまっているのですね」

私は、ダージリン様に合図を送った。
彼は待ってましたとばかりに、宝石箱のような小さな箱を取り出し、蓋を開けた。

「……まあ、なんて綺麗な瓶かしら」

「宝石かしら? いいえ、中に何か入っているわ」

私は自ら瓶を取り出し、侯爵夫人の前に置かれた真っ白なスコーンへと、琥珀色のジャムをたっぷりと乗せた。

「侯爵夫人。これは、砂糖の甘さで誤魔化すためのものではありません。果実が持つ本来の苦味、そして大地が育んだ酸味を味わうための『魔法』ですわ。どうぞ、召し上がれ」

侯爵夫人は、怪訝そうに眉を寄せながらも、スコーンを一口口にした。

一瞬。
会場の空気が止まった。

侯爵夫人の瞳が大きく見開かれ、手に持っていたフォークが微かに震える。

「…………っ!!」

「奥様? いかがなさいましたか?」

「……何よ、これ。……何なのよ、これ!!」

侯爵夫人が、突然声を荒らげた。
周囲の貴婦人たちが「やはり毒味が必要だったのでは!」と騒ぎ出す中、夫人は私の腕をガシッと掴んだ。

「苦い……! なのに、その苦味がこんなにも心地よいなんて! オレンジの皮が弾けるたびに、私の口の中のどんよりした砂糖が、すべて洗い流されていくようですわ!」

「お気に召しましたかしら?」

「ええ! 最高ですわ! あなた、これが本当のマーマレードなの? 私が今まで食べてきた、あのベタベタしたオレンジ色の糊は何だったのよ!」

夫人は次々とスコーンを口に運び、さらにはジャムをそのままスプーンですくって食べ始めた。
その姿を見て、他の貴婦人たちも我先にと瓶を囲み出す。

「私にもちょうだい!」「この苦味、クセになるわ!」「なんだか、肌の調子まで良くなりそうな爽やかさね!」

一瞬にして、サロンは「マーマレード争奪戦」の場と化した。

「……ふん。だから言っただろう。彼女のジャムは、人を狂わせる」

公爵が、自慢げに腕を組んで呟く。

「閣下、あなたが一番狂っていますわよ。昨日も寝る前に瓶半分空けていたではありませんか」

「……あれは、その、夜食だ。脳に栄養が必要だったんだ」

公爵が顔を背ける中、ダージリン様が私の耳元で囁いた。

「大成功ですね、お嬢さん。見てください、あの侯爵夫人の顔。明日には、王都中の商人が僕の元へ注文に殺到しますよ。金貨の雨が降る音が聞こえますね……」

「ダージリン様、商売の話は後ですわ。……侯爵夫人、もう一ついかがですか? 今度は、こちらの『タイム』の香りを加えた試作品を」

「まあ! まだ種類があるの!? あなた、今日から私の専属契約を結ばないかしら?」

「お断りします」

横から、公爵の冷徹な声が割って入った。

「彼女は私の領地で、私のためにパンを焼く。……侯爵夫人、あまり調子に乗るなら、あなたの夫の裏帳簿を公開するぞ」

「……アールグレイ公爵、相変わらず冗談がキツイわね。でも、それほどまでに彼女を独占したいのね?」

侯爵夫人がニヤリと笑い、私と公爵を交互に見た。
公爵は無表情を貫いたが、その耳の端がわずかに赤くなっているのを、私は見逃さなかった。

「……さて。皆様、お口直しは済みましたかしら? 次は、このジャムに合う『最高の紅茶』の淹れ方を、ダージリン様が伝授してくださいますわよ!」

「えっ、僕がですか!? ……まあいいでしょう、女神の頼みなら!」

サロンは、今まで見たこともないような熱狂に包まれていた。
砂糖漬けの王都に、初めて「大人のほろ苦さ」が勝利した瞬間だった。

私は、空になった瓶を見つめながら、故郷の方角を想った。
レモン殿下、シュガー様。
あなたたちが「ゴミ」として捨てたものは、今、異国で「黄金」として崇められていますわよ。

「ふふふ。リベンジは、始まったばかりですわ」

私は、新しい瓶を開ける準備を始めた。
私のジャムで、この国の味覚をすべて「オレンジ色」に染め替えてやるために。
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