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追いかけてきた王太子
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朝靄が消え、エヴァンス領の大地に朝日が降り注ぐ頃、リディアは新たな生活の静けさに胸を躍らせていた。館の庭には露がきらめき、風にそよぐ木々のざわめきが、かつての王宮での重圧とはまるで違う、穏やかで自由な世界を感じさせた。昨夜の決意が、今もなお彼女の心を温かく照らしている。館の中では、家族や侍女たちの温かな声が響き、リディアはその全てに感謝しながら、自らの未来に静かなる期待を重ねていた。
その日、リディアは庭の一角に設けられた小さな読書室にこもり、好きな本に没頭していた。古びた頁の香りと、窓越しに見える青空、そして遠くに連なる山々――それらは、彼女がかつて夢見た「本当の自由」の象徴であった。外の世界は、これまでの閉塞感を一掃し、彼女に無限の可能性を囁いているように思えた。
しかし、そんな穏やかな時間は、突如として乱されることとなる。読書に没頭していた矢先、窓の外から重い馬蹄の音が響き渡った。リディアは一瞬、心拍が速まるのを感じ、そっと窓辺に歩み寄った。視界に映ったのは、埃をまといながらも堂々たる姿――それは、あの王太子エドワードであった。
彼は、王宮からの華やかな装いとは対照的な、やや乱れた衣服に身を包み、険しい表情とともに馬上からこちらを睨むように見つめていた。その眼差しには、これまでの冷淡な印象とは打って変わり、深い後悔と、そして何か切実な思いが宿っているように感じられた。
――「リディア、どこへ逃げ込んだのか」
エドワードの声は、遠くから風に乗ってかすかに聞こえたが、その響きは確かに彼の決意を物語っていた。リディアは一瞬、息を呑み、心の中で「どうして……」と問いかけた。彼女は、かつての婚約破棄の日の冷静な決断を振り返りながらも、今こうして彼が現れるとは思ってもみなかった。
館の中でその知らせは瞬く間に広まり、家族や侍女たちのざわめきが一層高まる中、リディアは静かに立ち上がった。彼女の顔には驚きと戸惑いが交錯していたが、その瞳には依然として自由への揺るぎない決意が宿っていた。しばらくの間、心の中で迷いがよぎった――「本当に、あの人のことを、もう忘れたはずなのに……」と。しかし、すぐに思い直す。自分はもう過去に縛られるつもりはなく、これからの人生は自分の選んだ自由で満たされるべきだと。
屋敷の正面玄関に集まった親族たちの中、リディアは静かに扉を開け、外の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。遠くに見える埃を巻き上げる馬車の群れ、その中に確かにエドワードの姿があった。彼は馬から降り、ゆっくりと足を運びながら、リディアに近づいてくる。彼の足取りは確固たるものの、どこかためらいを感じさせ、まるで心の奥底で自分自身を問うかのような、不安と希望が入り混じったものだった。
「リディア……」
と、彼は低い声で呼びかけた。
その声は、王宮で聞いたときとは違い、温かみがあり、どこか切実な響きを帯びていた。リディアは、警戒と好奇心が交錯する複雑な表情で彼を見つめた。これまで自分を突き放したその人が、今、なぜここに現れたのか――彼女の心は、過去の痛みと現在の自由との間で揺れ動いていた。
「エドワード……どうして、こんなところに?」
リディアは、ためらいながらも尋ねた。その声は、普段の冷静さを失いかけ、ほんの少し震えていた。
エドワードは一瞬目を伏せ、深く息をついた後、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「リディア、君がいなくなって、やっと分かった。君こそが、本当に必要な存在だと……」
彼の言葉には、これまでの強硬さや自己中心的な態度とは異なり、真摯な後悔と、そして何よりも君への想いが込められているように感じられた。リディアは、その声に一瞬心を揺さぶられながらも、自分が守りたかった自由が今、再び危うくなるのではないかという不安を抱いた。
「でも、どうして……こんなに急に……」
彼女は、思いもよらぬ再会に戸惑いながらも、その目に映るエドワードの真剣な表情に、かすかな温もりを感じずにはいられなかった。
エドワードは、リディアの手を取り、そっと自分の胸に引き寄せるように近づいた。
「君の笑顔が、僕にとってどれほど大切か、君がいないと全てが色を失ってしまうんだ。あの日、君に冷たく別れを告げた自分が、こんなにも愚かだったと、今さらながら痛感している」
その言葉と共に、彼の瞳には深い涙のような光が宿っていた。リディアは一瞬、言葉を失い、ただその真摯な眼差しを見つめた。彼女の中には、かつて感じた痛みと、今新たに芽生え始めた複雑な感情が入り混じっていた。自分はかつて、王太子という立場のもとに生きる義務に縛られ、いつしか自分の本心を見失っていた。しかし、今日この瞬間、エドワードの言葉がその忘れかけていた情熱を、密かに呼び覚ますかのように響いていた。
「リディア、お願いだ。もう一度だけ、僕に君の心を見せてほしい。君が必要だと、君がいかに僕にとってかけがえのない存在か、今度こそ分かってほしいんだ」
リディアは、一歩引きながらもその強い言葉に心が揺れるのを感じた。自分が望んでいたのは、静かで平穏な生活であり、過去の鎖から解き放たれた自由な日々だった。しかし、エドワードの眼差しの中には、決して無理強いするものではなく、むしろ自らの過ちを認め、改めようとする優しさがあった。彼の追求は、まるで春風が厳しい冬を溶かすように、リディアの心の中で静かに温度を上げていく。
そのとき、館の庭に一陣の風が吹き抜け、花々が一斉に揺れるように見えた。自然の息吹が二人の間に流れ込み、まるで新たな季節の始まりを告げるかのようだった。リディアは、ふと遠い記憶を思い出す。幼い頃、庭で遊んだあの日々。無邪気な笑い声、青空の下で感じた自由な風。あの記憶が、今再び心の奥底から蘇る。自由と愛情、そして真実の幸福――その全てが、ここにあるのだと、彼女は静かに感じ取った。
「エドワード……」
リディアは、言葉を選ぶように静かに口を開いた。
「あなたの想いは、確かに伝わってくるわ。でも、私は今、自分自身のために生きると決めたの。あの王宮での日々や、義務としての婚約生活は、もう二度と戻らない。私には、守りたい自由があるの」
エドワードは、リディアの言葉に胸を痛めながらも、しっかりと彼女の瞳を見つめ返した。
「僕も、あの頃は自分の立場に囚われ、君の気持ちを無視していた。本当に愚かだった。今の僕は、君の自由を奪うつもりはない。ただ、君の笑顔を、君の存在そのものを失いたくないだけなんだ」
二人の間には、かつてあった高圧的な空気は消え、代わりに温かな対話が流れ始めた。庭に咲く花々の柔らかな色彩が、二人の心を穏やかに染め上げるかのようだった。リディアは、心の中で葛藤とともに、かすかにエドワードへの未練を感じ始める自分に気づいた。あの冷たく突き放された日の痛みは、今や遠い記憶となり、代わりに彼が見せる真摯な眼差しが、彼女の中で新たな疑問と期待を呼び起こしていた。
「私が……もし、あなたの気持ちに応えるとしたら……」
リディアは、慎重な口調で問いかけた。
「それは、私が自由を手放すことになるのかしら? あなたは、私にどんな未来を約束してくれるの?」
エドワードは、少しの沈黙の後、ゆっくりと答えた。
「僕は、君の未来を奪うどころか、君が望む自由な未来を共に歩んでいきたい。君が笑い、泣き、喜びを感じるその全てを、君自身が選び取るための支えになりたいんだ」
その言葉に、リディアは心の奥底で小さな温かさを感じた。彼女は、これまで自分が信じてきた「孤独な自由」と、エドワードが示す「共に歩む未来」との狭間で、戸惑いながらも、どこか心の奥で答えを探し求めていた。館の庭に広がる花壇や、遠くに連なる山々の景色が、二人の心をそっと包み込み、時間の流れを忘れさせるかのようだった。
しばらくの静寂の中、エドワードはふと手を差し伸べ、リディアの頬に触れる。彼の指先は、かつての冷たさではなく、真心のこもった温もりを伝えていた。
「リディア、君の自由は君だけのもの。だからこそ、僕は君に無理強いはしない。ただ、君が本当に求めるものを、共に見つけ出せたらと思う」
その瞬間、リディアは自分の中に渦巻く感情に気づかずにはいられなかった。過去の記憶、そして今目の前にある真実の気持ち。王宮での決別の瞬間から、これまでずっと自分が求めていたもの――それは、誰かに縛られることではなく、真実の愛情と、共に歩む未来の可能性であったのかもしれない。彼女は、自らの心に問いかける。自由と愛、どちらも失いたくない。両方が共存する道は、本当に存在するのだろうか。
エドワードの眼差しは、彼女の心の奥にある疑問に優しく語りかけるようだった。
「どんなに困難な道であっても、君が望むなら、僕はいつでも君のそばにいる。君が笑い、君が泣くそのすべてを、共に分かち合いたい」
風が再び吹き抜け、庭の花々が軽やかに舞い上がる中、リディアはゆっくりと深呼吸をした。自分が長い間忘れていた、あの心の奥底の温もりが、ふとした瞬間に蘇ってくるのを感じた。過去の痛みも、今の穏やかな時間も、すべてが彼女を形作る一部であり、決して消えてはならない大切なものだと気づかせるかのように。
「エドワード……」
リディアは、ついに決意を込めた声で再び問いかけた。
「私にはまだ、確固たる自由が必要なの。でも、あなたの本気の想いを否定することもできない。もしあなたが、本当に私の未来を一緒に創りたいなら……」
エドワードは、静かに頷き、そしてその頬に真摯な微笑みを浮かべた。
「君が選ぶ道がどんなものでも、僕は君を信じ、支え続ける。君の自由を奪うことなど決してしない。むしろ、君が輝くための光となりたい」
その言葉とともに、二人の間には長い年月を経た静かな和解と、未来への淡い期待が流れ始めた。エヴァンス領の大地は、ただの逃避の場ではなく、二人が新たな物語を刻む舞台となる予感に満ちていた。リディアは、かすかに揺れる心を抱えながらも、エドワードの真摯な想いに心を開く準備が、少しずつ整いつつあることを感じた。
その後、庭先に集まった家族や侍女たちは、二人の対話を静かに見守る中、これまでとは異なる新たな空気が漂い始めるのを感じた。館の外では、青空の下に広がる大地が、これから訪れる変化を予感させるかのように穏やかに広がっていた。リディアは、ふと遠くの山並みを見つめ、これからどのような未来が待っているのか、心の中で静かに問いかけた。
「私たちは、本当に共に歩むことができるのだろうか?」
その問いは、風に乗って静かに流れ、遠い過去の痛みと、これからの希望を一つに溶け合わせるように、二人の心をつなげた。
時はゆっくりと流れ、やがて日中の陽光が一層強くなり、リディアはエドワードと共に館の中へと歩み寄る。彼らは、言葉にできないほどの複雑な想いを胸に、今後の未来について静かに話し合うこととなった。かつては互いに拒絶しあっていた二人が、今や新たな一歩を踏み出そうとしている――それは、ただの過去の清算ではなく、未来への大きな転換点であった。
館の広間に戻ると、家族は温かな笑顔と共に二人を迎えた。リディアは、今まで感じたことのない穏やかな安心感と共に、エドワードの存在を受け入れ始めていた。彼女は、自由と愛情、どちらも失わずに生きる道を模索しながら、静かに未来を見据える覚悟を新たにしたのだった。
その夜、館の中は柔らかな灯りに包まれ、窓の外には星々が瞬いていた。リディアは、一人部屋に戻ると、窓際に座りながら今日一日の出来事を胸に刻む。エドワードの言葉、彼の真摯な眼差し、そして庭先で交わされた温かな対話が、心の奥深くにしっかりと根を下ろしていくのを感じた。過去の傷も、これから歩む未来への希望も、すべてが彼女の物語の一部であり、決して消えることはない――そう確信しながら、リディアは静かに目を閉じた。
翌朝、エヴァンス領の新たな一日は、昨日とは違う空気をまとって始まった。リディアは、再び庭に出て、柔らかな朝日を浴びながら、エドワードとの対話を反芻する。彼女の心の中には、まだ自由への執着と、彼への微かな情熱が混在していた。だが、そのどちらもが、彼女自身の一部として、これからの物語をより豊かなものにしていくと信じていた。
エドワードもまた、王宮の厳格な枠組みから解放された今、彼自身の本当の姿と向き合おうとしていた。かつては誇り高き王太子としての顔だけが先行していたが、今は一人の人間として、リディアに対する深い愛情と後悔、そして未来への希望を胸に秘めていた。二人は、互いに傷つきながらも、再び歩み寄る道を模索し、その歩みの一歩一歩が、確かな未来へと続いていることを感じていた。
こうして、追いかけてきた王太子と、自由を求める麗しき女性の物語は、また新たな局面へと進んでいく。エヴァンス領の大地は、二人の心の葛藤と調和を映し出す鏡のように、今日も静かに、しかし確実に変化の兆しを見せ始めていた。未来への不安と期待、自由への執着と共に歩む決意――その全てが、今この瞬間、二人の運命を大きく左右する要素となっているのだ。
リディアは、今後の道が決して平坦ではないことを知りながらも、自ら選び取った未来に向かって、しっかりと歩む覚悟を持ち始めていた。そして、エドワードの真摯な姿勢に、かつて失われた愛情の温もりを再び感じ取った。互いに歩むべき未来は、ただ一人では辿り着けない、二人が支え合うことで初めて輝くものなのだと、静かに心に誓うのであった。
その日、リディアは庭の一角に設けられた小さな読書室にこもり、好きな本に没頭していた。古びた頁の香りと、窓越しに見える青空、そして遠くに連なる山々――それらは、彼女がかつて夢見た「本当の自由」の象徴であった。外の世界は、これまでの閉塞感を一掃し、彼女に無限の可能性を囁いているように思えた。
しかし、そんな穏やかな時間は、突如として乱されることとなる。読書に没頭していた矢先、窓の外から重い馬蹄の音が響き渡った。リディアは一瞬、心拍が速まるのを感じ、そっと窓辺に歩み寄った。視界に映ったのは、埃をまといながらも堂々たる姿――それは、あの王太子エドワードであった。
彼は、王宮からの華やかな装いとは対照的な、やや乱れた衣服に身を包み、険しい表情とともに馬上からこちらを睨むように見つめていた。その眼差しには、これまでの冷淡な印象とは打って変わり、深い後悔と、そして何か切実な思いが宿っているように感じられた。
――「リディア、どこへ逃げ込んだのか」
エドワードの声は、遠くから風に乗ってかすかに聞こえたが、その響きは確かに彼の決意を物語っていた。リディアは一瞬、息を呑み、心の中で「どうして……」と問いかけた。彼女は、かつての婚約破棄の日の冷静な決断を振り返りながらも、今こうして彼が現れるとは思ってもみなかった。
館の中でその知らせは瞬く間に広まり、家族や侍女たちのざわめきが一層高まる中、リディアは静かに立ち上がった。彼女の顔には驚きと戸惑いが交錯していたが、その瞳には依然として自由への揺るぎない決意が宿っていた。しばらくの間、心の中で迷いがよぎった――「本当に、あの人のことを、もう忘れたはずなのに……」と。しかし、すぐに思い直す。自分はもう過去に縛られるつもりはなく、これからの人生は自分の選んだ自由で満たされるべきだと。
屋敷の正面玄関に集まった親族たちの中、リディアは静かに扉を開け、外の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。遠くに見える埃を巻き上げる馬車の群れ、その中に確かにエドワードの姿があった。彼は馬から降り、ゆっくりと足を運びながら、リディアに近づいてくる。彼の足取りは確固たるものの、どこかためらいを感じさせ、まるで心の奥底で自分自身を問うかのような、不安と希望が入り混じったものだった。
「リディア……」
と、彼は低い声で呼びかけた。
その声は、王宮で聞いたときとは違い、温かみがあり、どこか切実な響きを帯びていた。リディアは、警戒と好奇心が交錯する複雑な表情で彼を見つめた。これまで自分を突き放したその人が、今、なぜここに現れたのか――彼女の心は、過去の痛みと現在の自由との間で揺れ動いていた。
「エドワード……どうして、こんなところに?」
リディアは、ためらいながらも尋ねた。その声は、普段の冷静さを失いかけ、ほんの少し震えていた。
エドワードは一瞬目を伏せ、深く息をついた後、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「リディア、君がいなくなって、やっと分かった。君こそが、本当に必要な存在だと……」
彼の言葉には、これまでの強硬さや自己中心的な態度とは異なり、真摯な後悔と、そして何よりも君への想いが込められているように感じられた。リディアは、その声に一瞬心を揺さぶられながらも、自分が守りたかった自由が今、再び危うくなるのではないかという不安を抱いた。
「でも、どうして……こんなに急に……」
彼女は、思いもよらぬ再会に戸惑いながらも、その目に映るエドワードの真剣な表情に、かすかな温もりを感じずにはいられなかった。
エドワードは、リディアの手を取り、そっと自分の胸に引き寄せるように近づいた。
「君の笑顔が、僕にとってどれほど大切か、君がいないと全てが色を失ってしまうんだ。あの日、君に冷たく別れを告げた自分が、こんなにも愚かだったと、今さらながら痛感している」
その言葉と共に、彼の瞳には深い涙のような光が宿っていた。リディアは一瞬、言葉を失い、ただその真摯な眼差しを見つめた。彼女の中には、かつて感じた痛みと、今新たに芽生え始めた複雑な感情が入り混じっていた。自分はかつて、王太子という立場のもとに生きる義務に縛られ、いつしか自分の本心を見失っていた。しかし、今日この瞬間、エドワードの言葉がその忘れかけていた情熱を、密かに呼び覚ますかのように響いていた。
「リディア、お願いだ。もう一度だけ、僕に君の心を見せてほしい。君が必要だと、君がいかに僕にとってかけがえのない存在か、今度こそ分かってほしいんだ」
リディアは、一歩引きながらもその強い言葉に心が揺れるのを感じた。自分が望んでいたのは、静かで平穏な生活であり、過去の鎖から解き放たれた自由な日々だった。しかし、エドワードの眼差しの中には、決して無理強いするものではなく、むしろ自らの過ちを認め、改めようとする優しさがあった。彼の追求は、まるで春風が厳しい冬を溶かすように、リディアの心の中で静かに温度を上げていく。
そのとき、館の庭に一陣の風が吹き抜け、花々が一斉に揺れるように見えた。自然の息吹が二人の間に流れ込み、まるで新たな季節の始まりを告げるかのようだった。リディアは、ふと遠い記憶を思い出す。幼い頃、庭で遊んだあの日々。無邪気な笑い声、青空の下で感じた自由な風。あの記憶が、今再び心の奥底から蘇る。自由と愛情、そして真実の幸福――その全てが、ここにあるのだと、彼女は静かに感じ取った。
「エドワード……」
リディアは、言葉を選ぶように静かに口を開いた。
「あなたの想いは、確かに伝わってくるわ。でも、私は今、自分自身のために生きると決めたの。あの王宮での日々や、義務としての婚約生活は、もう二度と戻らない。私には、守りたい自由があるの」
エドワードは、リディアの言葉に胸を痛めながらも、しっかりと彼女の瞳を見つめ返した。
「僕も、あの頃は自分の立場に囚われ、君の気持ちを無視していた。本当に愚かだった。今の僕は、君の自由を奪うつもりはない。ただ、君の笑顔を、君の存在そのものを失いたくないだけなんだ」
二人の間には、かつてあった高圧的な空気は消え、代わりに温かな対話が流れ始めた。庭に咲く花々の柔らかな色彩が、二人の心を穏やかに染め上げるかのようだった。リディアは、心の中で葛藤とともに、かすかにエドワードへの未練を感じ始める自分に気づいた。あの冷たく突き放された日の痛みは、今や遠い記憶となり、代わりに彼が見せる真摯な眼差しが、彼女の中で新たな疑問と期待を呼び起こしていた。
「私が……もし、あなたの気持ちに応えるとしたら……」
リディアは、慎重な口調で問いかけた。
「それは、私が自由を手放すことになるのかしら? あなたは、私にどんな未来を約束してくれるの?」
エドワードは、少しの沈黙の後、ゆっくりと答えた。
「僕は、君の未来を奪うどころか、君が望む自由な未来を共に歩んでいきたい。君が笑い、泣き、喜びを感じるその全てを、君自身が選び取るための支えになりたいんだ」
その言葉に、リディアは心の奥底で小さな温かさを感じた。彼女は、これまで自分が信じてきた「孤独な自由」と、エドワードが示す「共に歩む未来」との狭間で、戸惑いながらも、どこか心の奥で答えを探し求めていた。館の庭に広がる花壇や、遠くに連なる山々の景色が、二人の心をそっと包み込み、時間の流れを忘れさせるかのようだった。
しばらくの静寂の中、エドワードはふと手を差し伸べ、リディアの頬に触れる。彼の指先は、かつての冷たさではなく、真心のこもった温もりを伝えていた。
「リディア、君の自由は君だけのもの。だからこそ、僕は君に無理強いはしない。ただ、君が本当に求めるものを、共に見つけ出せたらと思う」
その瞬間、リディアは自分の中に渦巻く感情に気づかずにはいられなかった。過去の記憶、そして今目の前にある真実の気持ち。王宮での決別の瞬間から、これまでずっと自分が求めていたもの――それは、誰かに縛られることではなく、真実の愛情と、共に歩む未来の可能性であったのかもしれない。彼女は、自らの心に問いかける。自由と愛、どちらも失いたくない。両方が共存する道は、本当に存在するのだろうか。
エドワードの眼差しは、彼女の心の奥にある疑問に優しく語りかけるようだった。
「どんなに困難な道であっても、君が望むなら、僕はいつでも君のそばにいる。君が笑い、君が泣くそのすべてを、共に分かち合いたい」
風が再び吹き抜け、庭の花々が軽やかに舞い上がる中、リディアはゆっくりと深呼吸をした。自分が長い間忘れていた、あの心の奥底の温もりが、ふとした瞬間に蘇ってくるのを感じた。過去の痛みも、今の穏やかな時間も、すべてが彼女を形作る一部であり、決して消えてはならない大切なものだと気づかせるかのように。
「エドワード……」
リディアは、ついに決意を込めた声で再び問いかけた。
「私にはまだ、確固たる自由が必要なの。でも、あなたの本気の想いを否定することもできない。もしあなたが、本当に私の未来を一緒に創りたいなら……」
エドワードは、静かに頷き、そしてその頬に真摯な微笑みを浮かべた。
「君が選ぶ道がどんなものでも、僕は君を信じ、支え続ける。君の自由を奪うことなど決してしない。むしろ、君が輝くための光となりたい」
その言葉とともに、二人の間には長い年月を経た静かな和解と、未来への淡い期待が流れ始めた。エヴァンス領の大地は、ただの逃避の場ではなく、二人が新たな物語を刻む舞台となる予感に満ちていた。リディアは、かすかに揺れる心を抱えながらも、エドワードの真摯な想いに心を開く準備が、少しずつ整いつつあることを感じた。
その後、庭先に集まった家族や侍女たちは、二人の対話を静かに見守る中、これまでとは異なる新たな空気が漂い始めるのを感じた。館の外では、青空の下に広がる大地が、これから訪れる変化を予感させるかのように穏やかに広がっていた。リディアは、ふと遠くの山並みを見つめ、これからどのような未来が待っているのか、心の中で静かに問いかけた。
「私たちは、本当に共に歩むことができるのだろうか?」
その問いは、風に乗って静かに流れ、遠い過去の痛みと、これからの希望を一つに溶け合わせるように、二人の心をつなげた。
時はゆっくりと流れ、やがて日中の陽光が一層強くなり、リディアはエドワードと共に館の中へと歩み寄る。彼らは、言葉にできないほどの複雑な想いを胸に、今後の未来について静かに話し合うこととなった。かつては互いに拒絶しあっていた二人が、今や新たな一歩を踏み出そうとしている――それは、ただの過去の清算ではなく、未来への大きな転換点であった。
館の広間に戻ると、家族は温かな笑顔と共に二人を迎えた。リディアは、今まで感じたことのない穏やかな安心感と共に、エドワードの存在を受け入れ始めていた。彼女は、自由と愛情、どちらも失わずに生きる道を模索しながら、静かに未来を見据える覚悟を新たにしたのだった。
その夜、館の中は柔らかな灯りに包まれ、窓の外には星々が瞬いていた。リディアは、一人部屋に戻ると、窓際に座りながら今日一日の出来事を胸に刻む。エドワードの言葉、彼の真摯な眼差し、そして庭先で交わされた温かな対話が、心の奥深くにしっかりと根を下ろしていくのを感じた。過去の傷も、これから歩む未来への希望も、すべてが彼女の物語の一部であり、決して消えることはない――そう確信しながら、リディアは静かに目を閉じた。
翌朝、エヴァンス領の新たな一日は、昨日とは違う空気をまとって始まった。リディアは、再び庭に出て、柔らかな朝日を浴びながら、エドワードとの対話を反芻する。彼女の心の中には、まだ自由への執着と、彼への微かな情熱が混在していた。だが、そのどちらもが、彼女自身の一部として、これからの物語をより豊かなものにしていくと信じていた。
エドワードもまた、王宮の厳格な枠組みから解放された今、彼自身の本当の姿と向き合おうとしていた。かつては誇り高き王太子としての顔だけが先行していたが、今は一人の人間として、リディアに対する深い愛情と後悔、そして未来への希望を胸に秘めていた。二人は、互いに傷つきながらも、再び歩み寄る道を模索し、その歩みの一歩一歩が、確かな未来へと続いていることを感じていた。
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リディアは、今後の道が決して平坦ではないことを知りながらも、自ら選び取った未来に向かって、しっかりと歩む覚悟を持ち始めていた。そして、エドワードの真摯な姿勢に、かつて失われた愛情の温もりを再び感じ取った。互いに歩むべき未来は、ただ一人では辿り着けない、二人が支え合うことで初めて輝くものなのだと、静かに心に誓うのであった。
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