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王宮舞踏会と、囁かれた『正式な婚約』の噂
しおりを挟む王宮・舞踏会準備室
「それで、殿下は……正式に紹介なさると?」
「……そんな噂、誰から?」
使用人のミレーネが言った言葉に、私は手に持っていた刺繍針を落としそうになった。
「噂ですわ。侍女たちの間で、ひそかに話題になっております」
「私、仮の婚約者ですのに……」
「でも実際、殿下が貴女を連れてお忍び外出なさったと聞いて、それがきっかけになっているようで」
(そんなことまで広まっているの……!?)
私は内心で顔を覆った。
確かに、あの日のレオニス殿下の言葉は――“仮ではあるが、本気だ”――だった。
でもそれは、優しさの延長線上にあるものだと思っていた。
「……殿下がどういうおつもりか、聞いてもいいものかしら……」
「聞かない方がいいかと。殿下が何をお考えでも、貴女の口から尋ねれば“追い詰める”ことになるかもしれません」
「……そうですね」
ミレーネの言葉に頷きつつも、胸の内にはざわめきが残る。
⸻
舞踏会当日・夜
ガルディア王宮の大広間は、無数の灯りと宝石のような装飾に包まれていた。
各国の使節、貴族、そして王族の面々が集まり、きらびやかな音楽と笑い声が響く。
(圧倒されそう……)
けれど、私の手は――しっかりと、レオニス殿下に握られていた。
「緊張しているか?」
「……はい、少し」
「安心しろ。今夜は、俺の隣にいればいい」
「……はい」
シンプルながら上質なロイヤルブルーのドレス。首元にはガルディアの紋章を模したペンダント。
それは、“彼の傍にいる者”としての印でもあった。
⸻
舞踏会・王族の紹介
「ガルディア王国・第一王太子、レオニス殿下。そしてその隣には――」
会場に司会の声が響いた瞬間、ざわり、と空気が変わる。
「ラウディス王国元侯爵令嬢――リリエル・クローデル殿下にございます」
紹介された瞬間、会場がどよめいた。
「クローデル……?」
「あの冤罪で処刑された……?」
「王太子妃候補だと……?」
ざわざわとしたざわめきが耳に届き、私は胸がぎゅっと縮むような思いがした。
(これが“世間の目”……)
それでも、私の手は震えていなかった。
レオニス殿下が、指先にそっと力を込めてくれていたから。
「気にするな。お前は、堂々としていればいい」
「……はい、殿下」
⸻
舞踏会・控室
踊りの合間に控室で一息ついていたところ、静かに扉が開いた。
「リリエル様。お久しぶりでございますね」
そこにいたのは――
「……フィオナ様」
ラウディス王国の第2王女、かつての私の友人だった令嬢だった。
「あなたが……ガルディアの王子に庇護されていると聞いて、まさかと思っていました」
「……私も、お目にかかれるとは」
「でも、あのとき“死んだ”はずのあなたが、こうして堂々と舞踏会に現れるとは。まるで……」
「まるで?」
「亡霊のようですわ」
言葉に棘があった。
「……それでも私は、生きています。正しくない裁判で命を奪われかけましたが、運よく救われたのです」
「それが“運”だけで片付けられるのかしら」
フィオナ様の瞳に嫉妬と苛立ちがにじんでいた。
(ああ……彼女は、殿下の隣に立つ私が許せないのね)
「嫉妬なさっているのですか?」
「……っ、嫉妬? あなたに? 冗談でしょう?」
「けれど、私は今、レオニス殿下の隣におります。それが事実です」
「……ふふ。あなたは“仮”の婚約者に過ぎない。正式な婚約者になるのは、きっと別の誰か」
フィオナ様は笑いながら去っていった。
(“仮”だから……)
心の奥に冷たい石が沈んだような感覚があった。
⸻
舞踏会・バルコニー
夜風に当たろうとバルコニーに出たとき、レオニス殿下が静かにやってきた。
「顔色が悪いな。何かあったか?」
「いえ……」
「嘘だな。フィオナと会ったか?」
「……少しだけ、お話しました」
殿下はため息をひとつつき、私の手を取った。
「リリエル。お前は何を怖れている?」
「……“仮”の立場が、いつまで続くのか分からないこと、です」
「……なら、はっきりさせよう」
「え……?」
「“仮”は、今日限りだ」
「えっ……?」
彼はゆっくりと、膝をついた。
「リリエル・クローデル。俺の正式な婚約者となる意思はあるか?」
「…………」
「答えは、今じゃなくてもいい。だが、お前が望むなら、俺はすぐにでも婚約を発表するつもりだ」
心臓が、大きく跳ねた。
(この人は……本当に、私を“選んでくれる”)
「……はい。私でよろしければ、喜んで」
「……よし」
レオニス殿下の手が、私の手をしっかりと包む。
月明かりの下でかわされた“約束”は、誰にも邪魔されない、ふたりだけのものだった。
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