朱に交われば蒼くなる

スケキヨ

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第二章:朱莉、かまぼこで餌付けされる

8. 朱莉、って呼んでもいい?

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「あぁ、鮫島さめじまさーん!」

 よかった、ちゃんと落ち合えて。
 慣れない場所で知り合いを見つけた安堵感で、思わず顔が緩んじゃう。
 分厚い回転ドアをすり抜けて、あっという間に私の隣までやって来た鮫島さんはめずらしくパリッとしたグレーのスーツを着込んでいる。店のハッピ姿を見慣れているせいか、一瞬だけ違和感を覚えたけど、よく見ると、それはそれでとても似合っていた。

「ごめんねー。急に呼び出して」

 口では謝りつつ、内心は微塵も悪いとは思っていなさそうな様子で言うと、鮫島さんは目線を上げたり下げたりして私の全身を見回した。

「うんうん、良い感じ。今日も可愛いよー」

 完全にお世辞だとはわかっているものの、褒められて悪い気はしない。
 私が「そうですかぁ?」なんて言いながら照れ隠しで頭を掻いていると、鮫島さんがサラッと私の肩に手を置いた。

 んん? 今日はやけに距離が近いな。

「ねぇ、今日だけ堀ノ内ほりのうちさんのこと、朱莉あかり、って呼んでもいい?」

「へ?」

「呼んでもいい? ……っていうか、呼ぶから」

 そう言って、私の顔を覗き込むように首を傾げてニッコリと微笑んだ鮫島さん。
 言葉づかいは柔らかいが、有無を言わせぬ迫力があった。だって目が笑ってない。
 ふいに高校の頃の近寄りがたかった鮫島先輩を思い出した。いまの黒髪短髪さわやかイケメン御曹司とは違う、金髪(軽くヤンキー入ってた)時代の先輩を――。

「ちょっと時間押してるから、説明は歩きながらする。じゃあ行こうか」

 鮫島さんは私の手首を掴んで大股で歩き出した。

 え? え? え?

 頭の中が「?」だらけなんですけど。
 私は何が何やらわからないまま、鮫島さんの歩幅に合わせて、その後ろを小走りでついていくしかなかった。





*****

 鮫島さんに連れてこられたのは、ホテルの最上階にあるフレンチレストランだった。
 壁一面がガラス張りになっていて、ガラスの向こうには雲ひとつない青空が広がっている。
 んん~、いい天気。
 周りを空に囲まれて、まるで空中にでも浮かんでいるような気分だ。
 内装も凝っていて、あちこちに見たこともない観葉植物が置かれている。
 なんて言うか……空に浮かんだ庭みたいな感じ。完全にラピュタ。
 しかし眺めが良すぎて、逆にどこを見たらいいのかわからないよ!

 鮫島さんはレストランの入り口から誰かを探すように首を動かしていたが、すぐに私の手をぎゅっと握って、目当ての場所へと迷いのない足取りでズンズン進んでいく。
 鮫島さんの手は熱くて、少し汗ばんでいるようだ。

 ……えーと。

 この手は、握り返したほうがいいんだろうか?
 いやいや、そこまで求められてないでしょ?
 あ、でも敵を欺くにはまず味方から(?)っ言うし……。
 えー、どうしよう?

 ……なぁんて、ごちゃごちゃ考えているあいだに、鮫島さんの足はとっくに止まっていて、ロクに前を見ていなかった私は思わず、つんのめってしまった。
 バランスを崩してよろめいた私を鮫島さんの手が力強く支えてくれる。
 そうだった。
 タイミングを逸した私の右手は、握り返すことも、振り払うこともできず、結局いまも中途半端な状態で鮫島さんの手のひらに包まれたままなのである。

海斗かいと、遅かったな」

 窓際の奥のテーブルにたどり着いた私たちの方を向いて、すでに着席していた初老の男性が口を開いた。

 少し嗄れた低い声。
 でもその声が店のどこにいてもよく通るということを私は知っている。

 久しぶりに会ったその人は、私の記憶よりもちょっとだけ老けていたけれど、スマートな体型は昔とちっとも変わらない。
 でも髪に混ざる白いものが少しだけ増えた気がする。顔に刻まれたシワの数も……。

 まぁ、私は皺フェチだから大歓迎だけどね!
 特に年配の人のシワって大好き。
 私ってば、ち○まる子ちゃんにも負けないくらいのおじいちゃん子だったからさ、お年寄りのシワを見ると、ついつい死んだおじいちゃんを思い出しちゃうんだよねぇ……。

 おっと、感傷に浸っている場合ではなかった。

 場所と服装が違うせいで印象がだいぶ違うけど……間違いない。この人は――

「ごめん、親父」

 そう、鮫島さんのお父さん――つまり『魚貴族うおきぞく』の大将だよ!
 あ、今は「社長」と呼ぶのが正しいのかな。

「……そのひとは?」

 大将が首を捻って、鮫島さんの傍らに立つ私の顔を伺っている。ジロジロと露骨に訝しげな視線を向けられて、思わず腰が引けてしまう。

 鮫島さんはチラッと私に目を寄越してから、大将の質問にこう答えた。

「いま、お付き合いしてるひとです」

「は?」

 鮫島さんのセリフにいち早く反応したのは、私でも大将でもなく――

 テーブルを挟んで大将の向かい側に座る妙齢の女性であった。

 ん? 自分で思っておいてアレだけど、「妙齢」って、つまり何歳? 三十歳くらいってことでいいんだっけ? 違う? あれ? もしかして私も妙齢なのかな?

 ……ま、いっか。
 とりあえず大将の奥さんでないことは確かだ。私たちと同世代か、少し年上くらいに見える。
 アップに結った髪とラベンダー色のシフォンのワンピースが、彼女のしっとりとした色気を引き立てている。細くて長い首と涼しげな目元も相まって、着物を着たら映えるだろうなー……と思わせる和風美人だ。

 その美人さんはもう一度「は?」と、その華奢な体格には似つかわしくない野太い声で発したかと思うと、眉間にシワを寄せて、一直線に私の顔を睨みつけてきた。

 ……コワいんですけど。

「海斗、どういうことだ?」

 大将の眉間にもシワが寄っている。
 こりゃ完全に怒ってるわ。
 そりゃ怒るわなー。

 だって――

 お得意さんの娘さんとの見合いの席に、息子が別の女を連れてきたんだから。


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