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一章 付喪神奉行の護り手
付喪神奉行所
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「ここが桜麟の部屋だよ」
「うわぁ……広い」
玄亀に案内された部屋で、桜麟は感動していた。
八畳ほどの広々とした部屋で、真新しい畳の香りが心地よい。行李や書き物机など、生活に必要な家具の一式も揃っている。床の間に目を向ければ、高そうな唐物の壺。壁には鶴と亀を描いた見事な掛け軸が掛かっていた。徳次郎の屋敷では、これは客人向けの部屋に値するような部屋だ。
「こんなに立派なお部屋……いいんですか?」
「もちろん! 脅すわけじゃないけど、護り手は妖魔にやられちゃうこともあるからね。そんな危険なことをさせるんだから日常生活だけでも快適に、っていうのが輝久の方針なんだ。だから、心置きなく使っちゃって!」
抱き締めてしまいたいような、人懐こい笑みで玄亀がこたえてくれる。
護り手を取らない主義――その台詞に桜麟が驚いている間に、輝久は「溜まっている仕事がある」と言って、さっさと屋敷の別の部屋へと引き上げてしまった。ポツンと取り残された桜麟は、当然ながら何をすればいいか、どこに行けばいいかすらわからない。途方に暮れていたところで、玄亀が屋敷の案内を買い出てくれたというところだ。
(わわっ、お布団まである!)
徳次郎の屋敷にいたときは、自分が占有して使える家具はほとんどなかった。それがここでは、全てを好きに使っていいらしい。感激しないわけがない。桜麟はさっそく背中の風呂敷を広げていた。
「輝久も酷いよね~。せっかく来てくれたのに放置とか」
桜麟が少ない荷物をしまうのを見ながら、プンスカとばかりに玄亀が憤る。う~ん、と桜麟は首を傾げた。
「どうしてわたしは選ばれたのですかね。そういえば買われる時に、弱そうだからちょうどいいとか……」
「え~! あいつ、そんなことほざいたの!?」
怒髪天を衝く勢いで玄亀が叫んで、片付けの終わった桜麟へ詰め寄って来る。
「めっちゃ失礼だよね! 言っとくけど桜麟のその霊力、ぜんぜん弱くないからね?」
「い、いえ……弱いというのは事実ですし……」
部屋の隅に追い詰められながら、桜麟は身体の前でぱたぱたと手を振った。
妖魔を倒せないという意味では、輝久の評価は間違っていない。護り手という特殊性を考えれば、いくら霊力が高くても使えなければないのと一緒だ。
「ひと月限定って……本当なのでしょうか」
さっきは驚きのあまり問いかけられなかったのだが、わざわざ千両も払ってひと月とかあり得ない。付喪神屋で徳次郎を手伝っていた桜麟にはわかる。
人間は付喪神を、道具と同じような感覚で買う。勝手に掃除をする箒とか、命令すればいくらでも扇いでくれる団扇のように。人型であるならばお給金のいらない労働力として。犬や猫、金魚のように愛でるためではなく、何かしら目的があって求める。
その付喪神に付けられる値段は、有用性によって大きく変動する。人型であればできることは広いので高くなる傾向にある。
それでも千両は……桜麟の記憶にもない値段だ。まだ買われて二日しか経過していないが、輝久は桜麟に対して何も期待していないようにも見える。
「……う~ん。どうだろうね。能力が足りなくて帰される護り手はいるけど、桜麟は霊力的には問題ないと思うんだ」
憤っていた玄亀の声が、少しだけ小さくなって桜麟は違和感を覚えた。
「自慢するわけではないですけど、わたしに千両も払ったんですよ? 護り手の相場は知りませんけど、ひと月ならわざわざ買わずとも貸し出しで十分です」
「せ、千……輝久も奮発したんだね……」
さすがに高いお値段らしい。玄亀の頬が引き攣った。
「もしかして、何か理由があるんですか?」
付喪神屋でずっと売れ残り、最後に妓楼行きは嫌だと思っていた。やっと買われたと喜んでいたのに、ひと月で帰されると決まっていたとか、さすがに酷い仕打ちだ。少なくとも徳次郎の元よりは大切にしてもらえそうな雰囲気を感じているだけに、自分で解決できる理由ならば何とかしたい。
「う~ん……」
「知っているなら教えてほしいのですが。わたしの未来のために!」
ずずい、と今度は桜麟が玄亀を部屋の隅に追い詰める。困り果てた玄亀の表情は、絶対に何かを知っている。
「――まあまあ、桜麟。落ち着くんだよ」
そこへ現れたのは左近だった。部屋の中を覗きながら言う。
「そろそろ夕餉だ。もしもここで長く働きたいと思うのなら、輝久に直接聞いてみるといいよ」
「はい……。たしかにその通りです。ごめんなさい、玄亀」
目を伏せて桜麟は謝った。新参者なのに先輩の付喪神を困らせてしまった。
「いいっていいって、桜麟の気持ちもわかるから! とりあえず、一緒に夕餉の準備をしよう」
幸いにも怒られることもなく、桜麟は台所へ案内される。そこでは包丁、鍋、竈……等々、様々な付喪神が料理の仕上げをしているところだった。人型ではなくその物の姿のままだが霊力を持っていて、食材がひとりでに焼かれ、炊かれたご飯は茶碗が宙に浮いて勝手に盛り付けられる。ここまで付喪神が揃っているのは初めて見た。
「さすが付喪神奉行所……すごい」
「そうだろ? 輝久が集めてきたんだよ。おかげで毎日、美味しいご飯が食べられるんだ。みんなありがとな」
ほんわかした霊力の波動が台所に満ちる。桜麟は「はじめまして」と挨拶をしてから、用意されていた膳を二つと、お櫃を持った。焼き魚に吸い物、卵焼き、野菜の煮つけ。香の物の小鉢もある。
同じように二つの膳を持った玄亀と並んで歩きながら桜麟は問いかけた。
「あの、四つもありますけど、わたしたちも同じ物をいただくのですか?」
「うん、そうだよ。桜麟はどうだったか知らないけど、ここでは食事も同じだよ」
へえ……と桜麟は感動する。付喪神屋敷では白米なんて滅多になかった。
廊下を歩いて広間に向かうと、そこでは輝久と左近が談笑をしながら待っていた。入ります、と一言断ってから四つ分の膳を並べる。玄亀が左近の隣に座り、桜麟は残った一つである、輝久の隣に座ることになる。
「いただきま~す!」
大きな玄亀の声が響いて、人間の二人も両手を合わせた。
これは、自分も食べていいのだろうか。徳次郎の屋敷では、主が食べ終わってから自分の番だと教わってきた。三人を見回していると輝久が不思議そうに首を傾げた。
「嫌いなものでもあるのか?」
「い、いえ……」
「ならばさっさと食え。冷めてしまうぞ」
ぶっきらぼうな口調だが、護り手は取らないと言った時のような冷たい調子ではない。桜麟はおずおずと箸を取った。
(う~ん……美味しい)
焼き魚を一口食べてから、うっとりと頬に両手を当ててしまった。絶妙な塩加減と、固くならないふんわりとした焼き加減。ここの付喪神の料理の腕は確かなようだ。
(……って、自分のことばかりしているわけにはいかない)
食事に夢中になりそうな自分を押しとどめて、ちらちらと輝久と左近の手元を気にする。左近の茶碗が空になった頃合いで声を掛ける。
「左近様。お代わりはいりませんか?」
「ん? ああ、ありがとう」
ご飯を左近の茶碗によそっている間に輝久の茶碗も空になる。すかさず桜麟は、輝久へ右手を差し出した。
「輝久様はいかがですか?」
「……飯くらい自分でできるが」
「お櫃はわたしが抱えていますので」
大真面目に言ったつもりだったのだが、それを聞いた玄亀がなぜか爆笑した。
「あははは! 桜麟は典型的な教育された付喪神って感じだよね~」
「え? え? これが普通だと思っていたんですけど……」
どこかおかしいだろうか。首を捻って考えるも、今は輝久のことだ。ご飯を大盛りにした茶碗を渡しながら訊ねる。
「護り手を取らない主義とはどういうことでしょう。わたしは本当にひと月で終わりなのでしょうか?」
「ああ、最初から決めていたことだ」
飯の時にそんな話をするな、と心の声が聞こえてきそうな表情。だが、いくら従う立場であっても、黙ってお払い箱になるわけにはいかない。
「どうしてですか? わたしが何か粗相をしたならわかりますけど、納得がいきません」
妖魔を倒せないということは、とりあえず伏せておく。何とか克服するつもりだったし、別のところで勝算があった。ここで何も見られずに判断されるのは、桜麟にとって自分の道が閉ざされてしまうことを意味する。徳次郎の元に帰されたらどうなるかは、火を見るよりも明らかなのだから。
黙っていても桜麟は引き下がらないと思ったのだろう。輝久が食べていた箸を止めた。
「……付喪神奉行や、その配下の同心、与力は護り手を取る。これは決まりだ」
「でしたら、ひと月と言わず、末永く……」
「護り手も付喪神なら何でもいいわけではない。まず一つに完全な人型であること。もう一つは主の霊力に見合う霊力を持つことだ。自分で評価するのもなんだが、俺の霊力は高い。ひと月も雇えば、とりあえずの体面は保てる。強い霊力を持つ付喪神がいないから、護り手を持っていないだけだとな」
それを聞いて、桜麟はやっとどうして自分が選ばれたのか理解した。
輝久は弱そうな人型の付喪神を探していたのだ。それに合致したのが桜麟だった。「弱そうだ」というのは、輝久にとって都合がいいというわけだ。
さすがに桜麟は腹が立った。町の件や屋敷の待遇で、何と付喪神に優しい人だろうと思っていたのに。これでは裏切られた気分だ。
「ひ、酷い……。これでは、わたしは使い捨てではないですか!」
「何を言っているのだ。お前だって俺が買うと聞いた時には、とても嫌そうな顔をしていただろうが」
真正面から言い返され、うっ、と桜麟は視線を彷徨わせた。
確かにそう思ったのは事実だ。付喪神奉行の護り手とか務まる自信はない。主にしたくない見立番付を、下から数えて二番目くらいに位置する主だ。
それでも、ここで引き下がるわけにはいかないと食い下がる。
「で、でも……千両ですよ? 少しはもったいないとか思ってください」
「それはお前が出戻った時に、肩身が狭くないようにと考えたから値切らなかった」
思いもよらない輝久の理由に、桜麟は目を見開いた。
「徳次郎とかいう奴は、付喪神にとってあまりいい主には見えなかったからな。だが、千両も払ったとあれば、戻った後の待遇も少しはよくなるだろうよ」
単なる酔狂で払った値段ではなかった。自分のその後のことまで考えてくれていた。何と素晴らしい主だろうと、不覚にも感激してしまった。これでお払い箱にされるのでなければ完璧なのに……。
しかし、輝久は甘い。あの欲張りな徳次郎が、その程度で待遇を変えるものか。ただ飯食いの付喪神を手元には置かない。千両で元は取れたとばかりに、二束三文で簡単にどこかに売り払う。その先が桜麟にとって地獄だろうが、あの男は知ったことではないだろう。
「桜麟よ。付喪神奉行の護り手は危険だ。長生きしたくば、大人しくひと月待つのだな」
「そ、それは――」
やっぱり困ります、と反論しようとした時だった。廊下を走る足音が聞こえ、息を切らした小者が部屋に顔を出した。
「お食事中すみません! 町に妖魔が出たとの騒ぎが!」
「何だと!」
輝久は素早く立ち上がると、脇に置いていた斬妖刀を腰に差した。
「お前はここで待機していろ」
「え、わたしもお手伝いに……」
「これは命令だ。死にたくなければそこにいろ!」
厳しい口調で告げられ、腰を上げかけた姿勢で桜麟はその場に硬直する。
「左近、玄亀。急いでいくぞ!」
輝久の後に左近が続き、玄亀が一瞬だけすまなそうな視線を向けてから部屋を出る。
(ひと月……)
ぽつんと一人残された部屋で、その単語がぐるぐると頭の中を回る。
きっとこの屋敷では、無下に扱われることはないだろう。それはここまでの会話で確信していた。輝久はぶっきらぼうでとっつきにくい主だが、食事や千両の経緯からするに、それは桜麟が嫌いだからではない。
(何か他に理由がある……? ううん、それを考えるのはあと)
着物の裾を握っている場所に皺が寄った。呆然としていた瞳に力が籠る。
護り手として役に立たないことを桜麟には期待されている。さすがにそれはあんまりだ。
(弱そうだから雇われたのですよね)
すっ、と立ち上がり、帯に自分の霊力の源でもある斬妖刀を差す。
素直に輝久の言葉に従い、徳次郎の屋敷へ戻されるわけにはいかない。それに、こんなに馬鹿にされたままだと腹が立って仕方がない。そのためには、妖魔を倒せないなどと言っている場合ではなかった。
輝久を見返す機会を得るために、桜麟は部屋を後にした。
「うわぁ……広い」
玄亀に案内された部屋で、桜麟は感動していた。
八畳ほどの広々とした部屋で、真新しい畳の香りが心地よい。行李や書き物机など、生活に必要な家具の一式も揃っている。床の間に目を向ければ、高そうな唐物の壺。壁には鶴と亀を描いた見事な掛け軸が掛かっていた。徳次郎の屋敷では、これは客人向けの部屋に値するような部屋だ。
「こんなに立派なお部屋……いいんですか?」
「もちろん! 脅すわけじゃないけど、護り手は妖魔にやられちゃうこともあるからね。そんな危険なことをさせるんだから日常生活だけでも快適に、っていうのが輝久の方針なんだ。だから、心置きなく使っちゃって!」
抱き締めてしまいたいような、人懐こい笑みで玄亀がこたえてくれる。
護り手を取らない主義――その台詞に桜麟が驚いている間に、輝久は「溜まっている仕事がある」と言って、さっさと屋敷の別の部屋へと引き上げてしまった。ポツンと取り残された桜麟は、当然ながら何をすればいいか、どこに行けばいいかすらわからない。途方に暮れていたところで、玄亀が屋敷の案内を買い出てくれたというところだ。
(わわっ、お布団まである!)
徳次郎の屋敷にいたときは、自分が占有して使える家具はほとんどなかった。それがここでは、全てを好きに使っていいらしい。感激しないわけがない。桜麟はさっそく背中の風呂敷を広げていた。
「輝久も酷いよね~。せっかく来てくれたのに放置とか」
桜麟が少ない荷物をしまうのを見ながら、プンスカとばかりに玄亀が憤る。う~ん、と桜麟は首を傾げた。
「どうしてわたしは選ばれたのですかね。そういえば買われる時に、弱そうだからちょうどいいとか……」
「え~! あいつ、そんなことほざいたの!?」
怒髪天を衝く勢いで玄亀が叫んで、片付けの終わった桜麟へ詰め寄って来る。
「めっちゃ失礼だよね! 言っとくけど桜麟のその霊力、ぜんぜん弱くないからね?」
「い、いえ……弱いというのは事実ですし……」
部屋の隅に追い詰められながら、桜麟は身体の前でぱたぱたと手を振った。
妖魔を倒せないという意味では、輝久の評価は間違っていない。護り手という特殊性を考えれば、いくら霊力が高くても使えなければないのと一緒だ。
「ひと月限定って……本当なのでしょうか」
さっきは驚きのあまり問いかけられなかったのだが、わざわざ千両も払ってひと月とかあり得ない。付喪神屋で徳次郎を手伝っていた桜麟にはわかる。
人間は付喪神を、道具と同じような感覚で買う。勝手に掃除をする箒とか、命令すればいくらでも扇いでくれる団扇のように。人型であるならばお給金のいらない労働力として。犬や猫、金魚のように愛でるためではなく、何かしら目的があって求める。
その付喪神に付けられる値段は、有用性によって大きく変動する。人型であればできることは広いので高くなる傾向にある。
それでも千両は……桜麟の記憶にもない値段だ。まだ買われて二日しか経過していないが、輝久は桜麟に対して何も期待していないようにも見える。
「……う~ん。どうだろうね。能力が足りなくて帰される護り手はいるけど、桜麟は霊力的には問題ないと思うんだ」
憤っていた玄亀の声が、少しだけ小さくなって桜麟は違和感を覚えた。
「自慢するわけではないですけど、わたしに千両も払ったんですよ? 護り手の相場は知りませんけど、ひと月ならわざわざ買わずとも貸し出しで十分です」
「せ、千……輝久も奮発したんだね……」
さすがに高いお値段らしい。玄亀の頬が引き攣った。
「もしかして、何か理由があるんですか?」
付喪神屋でずっと売れ残り、最後に妓楼行きは嫌だと思っていた。やっと買われたと喜んでいたのに、ひと月で帰されると決まっていたとか、さすがに酷い仕打ちだ。少なくとも徳次郎の元よりは大切にしてもらえそうな雰囲気を感じているだけに、自分で解決できる理由ならば何とかしたい。
「う~ん……」
「知っているなら教えてほしいのですが。わたしの未来のために!」
ずずい、と今度は桜麟が玄亀を部屋の隅に追い詰める。困り果てた玄亀の表情は、絶対に何かを知っている。
「――まあまあ、桜麟。落ち着くんだよ」
そこへ現れたのは左近だった。部屋の中を覗きながら言う。
「そろそろ夕餉だ。もしもここで長く働きたいと思うのなら、輝久に直接聞いてみるといいよ」
「はい……。たしかにその通りです。ごめんなさい、玄亀」
目を伏せて桜麟は謝った。新参者なのに先輩の付喪神を困らせてしまった。
「いいっていいって、桜麟の気持ちもわかるから! とりあえず、一緒に夕餉の準備をしよう」
幸いにも怒られることもなく、桜麟は台所へ案内される。そこでは包丁、鍋、竈……等々、様々な付喪神が料理の仕上げをしているところだった。人型ではなくその物の姿のままだが霊力を持っていて、食材がひとりでに焼かれ、炊かれたご飯は茶碗が宙に浮いて勝手に盛り付けられる。ここまで付喪神が揃っているのは初めて見た。
「さすが付喪神奉行所……すごい」
「そうだろ? 輝久が集めてきたんだよ。おかげで毎日、美味しいご飯が食べられるんだ。みんなありがとな」
ほんわかした霊力の波動が台所に満ちる。桜麟は「はじめまして」と挨拶をしてから、用意されていた膳を二つと、お櫃を持った。焼き魚に吸い物、卵焼き、野菜の煮つけ。香の物の小鉢もある。
同じように二つの膳を持った玄亀と並んで歩きながら桜麟は問いかけた。
「あの、四つもありますけど、わたしたちも同じ物をいただくのですか?」
「うん、そうだよ。桜麟はどうだったか知らないけど、ここでは食事も同じだよ」
へえ……と桜麟は感動する。付喪神屋敷では白米なんて滅多になかった。
廊下を歩いて広間に向かうと、そこでは輝久と左近が談笑をしながら待っていた。入ります、と一言断ってから四つ分の膳を並べる。玄亀が左近の隣に座り、桜麟は残った一つである、輝久の隣に座ることになる。
「いただきま~す!」
大きな玄亀の声が響いて、人間の二人も両手を合わせた。
これは、自分も食べていいのだろうか。徳次郎の屋敷では、主が食べ終わってから自分の番だと教わってきた。三人を見回していると輝久が不思議そうに首を傾げた。
「嫌いなものでもあるのか?」
「い、いえ……」
「ならばさっさと食え。冷めてしまうぞ」
ぶっきらぼうな口調だが、護り手は取らないと言った時のような冷たい調子ではない。桜麟はおずおずと箸を取った。
(う~ん……美味しい)
焼き魚を一口食べてから、うっとりと頬に両手を当ててしまった。絶妙な塩加減と、固くならないふんわりとした焼き加減。ここの付喪神の料理の腕は確かなようだ。
(……って、自分のことばかりしているわけにはいかない)
食事に夢中になりそうな自分を押しとどめて、ちらちらと輝久と左近の手元を気にする。左近の茶碗が空になった頃合いで声を掛ける。
「左近様。お代わりはいりませんか?」
「ん? ああ、ありがとう」
ご飯を左近の茶碗によそっている間に輝久の茶碗も空になる。すかさず桜麟は、輝久へ右手を差し出した。
「輝久様はいかがですか?」
「……飯くらい自分でできるが」
「お櫃はわたしが抱えていますので」
大真面目に言ったつもりだったのだが、それを聞いた玄亀がなぜか爆笑した。
「あははは! 桜麟は典型的な教育された付喪神って感じだよね~」
「え? え? これが普通だと思っていたんですけど……」
どこかおかしいだろうか。首を捻って考えるも、今は輝久のことだ。ご飯を大盛りにした茶碗を渡しながら訊ねる。
「護り手を取らない主義とはどういうことでしょう。わたしは本当にひと月で終わりなのでしょうか?」
「ああ、最初から決めていたことだ」
飯の時にそんな話をするな、と心の声が聞こえてきそうな表情。だが、いくら従う立場であっても、黙ってお払い箱になるわけにはいかない。
「どうしてですか? わたしが何か粗相をしたならわかりますけど、納得がいきません」
妖魔を倒せないということは、とりあえず伏せておく。何とか克服するつもりだったし、別のところで勝算があった。ここで何も見られずに判断されるのは、桜麟にとって自分の道が閉ざされてしまうことを意味する。徳次郎の元に帰されたらどうなるかは、火を見るよりも明らかなのだから。
黙っていても桜麟は引き下がらないと思ったのだろう。輝久が食べていた箸を止めた。
「……付喪神奉行や、その配下の同心、与力は護り手を取る。これは決まりだ」
「でしたら、ひと月と言わず、末永く……」
「護り手も付喪神なら何でもいいわけではない。まず一つに完全な人型であること。もう一つは主の霊力に見合う霊力を持つことだ。自分で評価するのもなんだが、俺の霊力は高い。ひと月も雇えば、とりあえずの体面は保てる。強い霊力を持つ付喪神がいないから、護り手を持っていないだけだとな」
それを聞いて、桜麟はやっとどうして自分が選ばれたのか理解した。
輝久は弱そうな人型の付喪神を探していたのだ。それに合致したのが桜麟だった。「弱そうだ」というのは、輝久にとって都合がいいというわけだ。
さすがに桜麟は腹が立った。町の件や屋敷の待遇で、何と付喪神に優しい人だろうと思っていたのに。これでは裏切られた気分だ。
「ひ、酷い……。これでは、わたしは使い捨てではないですか!」
「何を言っているのだ。お前だって俺が買うと聞いた時には、とても嫌そうな顔をしていただろうが」
真正面から言い返され、うっ、と桜麟は視線を彷徨わせた。
確かにそう思ったのは事実だ。付喪神奉行の護り手とか務まる自信はない。主にしたくない見立番付を、下から数えて二番目くらいに位置する主だ。
それでも、ここで引き下がるわけにはいかないと食い下がる。
「で、でも……千両ですよ? 少しはもったいないとか思ってください」
「それはお前が出戻った時に、肩身が狭くないようにと考えたから値切らなかった」
思いもよらない輝久の理由に、桜麟は目を見開いた。
「徳次郎とかいう奴は、付喪神にとってあまりいい主には見えなかったからな。だが、千両も払ったとあれば、戻った後の待遇も少しはよくなるだろうよ」
単なる酔狂で払った値段ではなかった。自分のその後のことまで考えてくれていた。何と素晴らしい主だろうと、不覚にも感激してしまった。これでお払い箱にされるのでなければ完璧なのに……。
しかし、輝久は甘い。あの欲張りな徳次郎が、その程度で待遇を変えるものか。ただ飯食いの付喪神を手元には置かない。千両で元は取れたとばかりに、二束三文で簡単にどこかに売り払う。その先が桜麟にとって地獄だろうが、あの男は知ったことではないだろう。
「桜麟よ。付喪神奉行の護り手は危険だ。長生きしたくば、大人しくひと月待つのだな」
「そ、それは――」
やっぱり困ります、と反論しようとした時だった。廊下を走る足音が聞こえ、息を切らした小者が部屋に顔を出した。
「お食事中すみません! 町に妖魔が出たとの騒ぎが!」
「何だと!」
輝久は素早く立ち上がると、脇に置いていた斬妖刀を腰に差した。
「お前はここで待機していろ」
「え、わたしもお手伝いに……」
「これは命令だ。死にたくなければそこにいろ!」
厳しい口調で告げられ、腰を上げかけた姿勢で桜麟はその場に硬直する。
「左近、玄亀。急いでいくぞ!」
輝久の後に左近が続き、玄亀が一瞬だけすまなそうな視線を向けてから部屋を出る。
(ひと月……)
ぽつんと一人残された部屋で、その単語がぐるぐると頭の中を回る。
きっとこの屋敷では、無下に扱われることはないだろう。それはここまでの会話で確信していた。輝久はぶっきらぼうでとっつきにくい主だが、食事や千両の経緯からするに、それは桜麟が嫌いだからではない。
(何か他に理由がある……? ううん、それを考えるのはあと)
着物の裾を握っている場所に皺が寄った。呆然としていた瞳に力が籠る。
護り手として役に立たないことを桜麟には期待されている。さすがにそれはあんまりだ。
(弱そうだから雇われたのですよね)
すっ、と立ち上がり、帯に自分の霊力の源でもある斬妖刀を差す。
素直に輝久の言葉に従い、徳次郎の屋敷へ戻されるわけにはいかない。それに、こんなに馬鹿にされたままだと腹が立って仕方がない。そのためには、妖魔を倒せないなどと言っている場合ではなかった。
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