塩対応の悪役令嬢ですが、婚約破棄?わかりましたわ。

パリパリかぷちーの

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辺境への旅は、馬車に揺られて数日を要する。
王都の喧騒が遠ざかるにつれ、車窓の景色は日に日に緑を濃くしていった。

わたくしは、優雅に読書をしているふりをしながら、カーテンの隙間から熱心な観察を続けていた。
その対象は、もちろん、馬車のすぐ横を馬で並走してくださっている、アレクシス騎士団長閣下だ。

(ああ、なんと絵になるお姿でしょう……)

馬上での閣下は、彫像のように微動だにしない。
それでいて、手綱を握るその手には力がみなぎり、馬と一体となっているのがわかる。
黒い騎士服が、鍛え上げられたその肉体の輪郭をくっきりと浮かび上がらせていた。
あの背中の広さ、引き締まった腰から鐙を踏む脚へと続く筋肉のライン……。
全てが完璧なフォルム。これぞ機能美の極致ですわ!

「お嬢様…? どこか、具合でもお悪いのですか?」

心配そうにアンナが声をかけてくる。
わたくしが恍惚とした表情で窓の外を見つめているのを、婚約破棄のショックで上の空になっているとでも思ったのだろう。

「いいえ、アンナ。わたくしは至って元気よ。むしろ、人生で一番、気分がいいくらいだわ」

「は、はあ……」

わたくしの言葉に、アンナはますます困惑したようだった。



旅の三日目。前日の雨でぬかるんだ道に、馬車の車輪が深くはまり込んでしまった。

「くそっ、動かん!」
「もっと強く押せ!」

護衛の騎士たちが数人がかりで車輪を押すが、びくともしない。
その時だった。

「そこをどけ」

低く、しかしよく通る声が響いた。
アレクシス様が、ひらりと馬から降り立つ。

「おい、お前はそこの倒木をここまで。てことして使う。残りの者は、俺の合図で一気に後ろから押せ。御者はそれに合わせろ。いいな」

淀みなく、的確な指示が飛ぶ。
その場にいた者たちが、まるで魔法にでもかかったかのように、彼の指示に従って統率された動きを見せる。
そして、あれほど手こずっていた車輪が、一度の試みでいとも簡単にぬかるみから脱出したのだ。

わたくしは馬車の中で、その一部始終を固唾を飲んで見守っていた。

(ああ、素晴らしい……! あのリーダーシップ! 危機的状況でこそ輝く、本物の将の器! そして、何よりあのお声! あの声でなら、わたくし、いくらでも罵られたいですわ!)

昼食休憩のため一行が足を止めた時、わたくしは意を決して馬車を降り、アレクシス様の元へと向かった。

「騎士団長閣下」

「……何か用か、リリアンヌ嬢」

彼は、木陰に寄りかかりながら、無表情にこちらを見返す。
その冷たい視線に一瞬怯むが、ここで伝えなければ女が廃る。

「先ほどは見事なご采配でしたわ。さすがは王国騎士団を率いる方です」

「当然のことをしたまでだ」

素っ気ない返事。だが、それがいい。それがアレクシス様ですわ。

「いいえ、素晴らしいですわ。特に、あの丸太をテコの原理で応用する際の、腕の僧帽筋から三角筋にかけての隆起。ほれぼれいたしましたわ」

「…………は?」

アレクシス様の眉が、ぴくりと動いた。
その美しいお顔に、初めて「困惑」という感情が浮かぶのを、わたくしは見逃さなかった。

「それから、馬を御する際の姿勢も、本当に見事ですわね。背筋が常にまっすぐで、体幹が全くぶれていない。日頃のどれほど厳しい鍛錬を積んでいらっしゃるのか、想像に難くありませんわ。実に、実に美しい……」

わたくしは、心からの賞賛を言葉に乗せた。
しかし、アレクシス様は何も答えない。ただ、じっとわたくしを見つめている。
その青い瞳の奥に、「この女は一体何を言っているんだ?」という警戒の色が浮かんでいることに、この時のわたくしは全く気づいていなかった。



旅の途中、わたくしは「少し外の空気を吸いたいですわ」と申し出て、馬車の外を歩かせてもらうことにした。
もちろん、監視役であるアレクシス様が、数歩後ろを無言でついてくる。

(ああ、夢のようですわ! 推しと二人きり(護衛は遠くにいますが)で、緑の中をお散歩だなんて!)

わたくしは内心の喜びを噛み締めながら、道端の植物や土の状態に目を向けた。

「この辺りの土は鉄分が多そうですわね。これなら、寒さに強い品種の麦なら育つかもしれませんわ」

「……」

「あら、これはリュウノヒゲ。根は薬になりますのよ。乾燥させれば、滋養強壮に効きますの」

「……」

アレクシス様は何も答えない。
だが、その沈黙さえも、今は心地よかった。

ふと、彼の腰に差された剣に目が留まる。
戦場で使い込まれたであろう、実用的なつくりの長剣。

「閣下。その剣、少し拝見してもよろしいかしら」

「……何のために」

警戒心も露わに、彼が問い返す。

「いえ、ただ、素晴らしい鍛えですわね、と感心しておりましたの」

わたくしが純粋な好奇心だけでそう言うと、彼は少しだけ躊躇った後、抜かずに鞘ごと剣を差し出した。

「ああ、やはり……! この重心のバランス、そして血溝の深さ。見せかけの装飾を排し、実用性のみを追求した、まさしく戦士の剣ですわ。これならば、振るった際に刃筋がぶれることもないでしょうね」

熱っぽく語るわたくしを、アレクシス様は、もはや理解不能な生き物を見るような目で見ていた。

公爵令嬢が悪役令嬢に変わったという噂は聞いていた。
だが、婚約破棄のショックで、筋肉と土と武器を語る、意味不明な女に変貌したなどとは、誰も報告してくれていない。

アレクシス・フォン・シュライバーは、このリリアンヌという女に対する警戒レベルを、静かに最大まで引き上げた。

一方、わたくしはといえば。

(今日も、閣下の素晴らしいお姿を間近で観察できて、本当に幸せですわ……)

そんな満足感に浸りながら、馬車へと戻った。
わたくしたち二人の間に、とてつもなく巨大で、絶望的なまでの認識のズレが生じていることなど、知る由もなかった。
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