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王都を出発してから、実に五日が過ぎていた。
長い馬車の旅路の果て、ようやく目的地である西の別邸の姿が丘の上に見えてきた時、馬車の中ではアンナが安堵のため息を漏らした。
「まあ、お嬢様! ようやく到着ですわね!」
「ええ、懐かしいですわね」
わたくしにとって、この質実剛健ながらも美しい館は、幼い頃の思い出が詰まった大切な場所だ。
出迎えてくれた老執事のゼバスチャンに旅の労をねぎらわれ、わたくしたちはようやく固い馬車のシートから解放された。
「皆様、長旅お疲れ様でございました。まずはゆっくりとお休みください。お部屋の準備は整っております」
ゼバスチャンの言葉に、護衛の騎士たちも、そしてわたくしの隣に立つアレクシス様も、わずかに表情を緩めたのが分かった。
彼も、この奇妙な監視対象との旅に、相当疲れていたに違いない。
しかし。
わたくしには、休んでいる暇などなかった。
「アンナ」
「はい、お嬢様」
「動きやすい服を用意してちょうだい。乗馬用のパンツスタイルがいいわ」
わたくしが荷解きもそこそこにそう命じると、アンナはきょとんとした顔をした。
「お嬢様? お疲れでしょうに、どちらへお出かけになるのですか?」
「決まっているでしょう?」
わたくしは窓の外に広がる領地を眺めながら、きっぱりと言い放った。
「領地の視察よ。まずは、この館から一番近い農村から見て回るわ」
「ええっ!?」
アンナの素っ頓狂な声が、静かなロビーに響き渡る。
その声に、壁際に控えていたアレクシス様の眉が、面白いくらいにひそめられたのを、わたくしは見逃さなかった。
(到着したばかりだぞ? 正気か、この女は)とでも言いたげな顔だ。
わたくしは、そんな彼の方へと向き直る。
「騎士団長閣下」
「……なんだ」
「貴方はわたくしの監視役ですわよね? わたくし、これから領地の視察へ参りますが、どうなさいますか?」
にっこりと、完璧な淑女の笑みで問いかける。
「お疲れでしたら、この館でゆっくりお休みになっていても、わたくしは一向に構いませんことよ?」
これは、わたくしなりの意趣返しだ。
監視対象が目の前からいなくなることを、監視役が許すはずがない。
アレクシス様は、チッと舌打ちでもしたいだろう表情を隠しもせず、低い声で答えた。
「……同行する」
「まあ、ご親切にどうも」
わたくしは満足して頷くと、意気揚々と部屋へ向かった。
◇
手早く着替えを済ませ、馬に乗って向かった農村は、わたくしの記憶にある姿よりも、少しだけ寂れているように見えた。
黄金色に輝いていたはずの麦畑は、まばらで色も薄い。
道端で遊ぶ子供の数も少なく、すれ違う農民たちの顔にも活気がなかった。
わたくしとアレクシス様という、場違いなほどに着飾った二人の登場に、農作業をしていた村人たちは皆、警戒した目でこちらを見ている。
やがて、村長らしき腰の曲がった老人が、おずおずと前に出てきた。
わたくしは馬からひらりと降りると、埃っぽい地面にスカートの裾が付くのも構わず、優雅に一礼した。
「ごきげんよう。わたくし、本日よりこの地の別邸で過ごすことになりました、リリアンヌ・フォン・ヴェルナーと申します」
「ヴェ、ヴェルナー様のお嬢様で……!?」
村長の声が裏返り、他の村人たちにも動揺が走る。
「しばらくの間、こちらでお世話になりますわね。早速で恐縮なのだけれど、少し畑の様子を見させていただいても?」
「は、はあ……どうぞ……」
わたくしは、返事もそこそこに畑の中へ足を踏み入れた。
そして、ためらうことなく痩せた麦の根元の土をひと掴みする。
その匂いを嗅ぎ、指先で感触を確かめた。
「村長」
「は、はいっ」
「畑を拝見しましたが、今年の作物の出来はあまり良くないようですわね。何か問題でもありましたの?」
「いえ、その……ここ数年、天候が、あまり良くありませんで……」
しどろもどろに答える村長に、わたくしは乾いた土を払いながら、静かに告げた。
「天候だけが原因ではなさそうですわね。土が、すっかり痩せてしまっているわ。……ここ数年、同じ作物ばかりを植えていませんこと?」
「なっ……!」
図星だったのだろう。村長は息を飲んだ。
「典型的な連作障害ですわ。土の中の栄養が、すっかり偏ってしまっている。これでは、どんなに種を蒔いても、まともな収穫は望めませんわよ」
「そ、そんな……」
「それから、あちらの水路。流れがひどく滞っているように見受けられますが。おそらく、上流から流れてきた土砂が溜まっているのではなくて? あれでは、大雨が降ればすぐに水が溢れてしまいますわ」
わたくしの的確すぎる指摘に、村人たちは顔を見合わせるばかりだ。
口調はどこまでも傲慢な貴族令嬢。しかし、言っていることは、この村が抱える問題を的確に言い当てていた。
その全てを、アレクシス様は馬上から黙って見下ろしていた。
公爵令嬢が、まるで熟練の代官のように土を掴み、農民と専門的な問答を繰り広げる。
その光景が、彼の理解の範疇を完全に超えていることは、その硬直した表情から明らかだった。
(この女は、一体何者なんだ……?)
彼の心の声が聞こえてくるようだ。
悪役令嬢という噂。道中の理解不能な奇行の数々。そして今、目の前で繰り広げられる、有能な領主のような振る舞い。
点と点が、全く繋がらない。
わたくしは、そんな彼の困惑など露知らず、村長に最後の言葉を告げた。
「改善策は、追って考えますわ。まずは、この領地全体の現状を把握しませんとね」
そう言い残し、再び馬上の人となる。
「さあ、閣下。感心している暇はございませんことよ。次の村へ参りますわ」
わたくしは馬の手綱を引き、振り返りもせずに次の目的地へと馬を進めた。
背後で、氷の騎士団長が、深い深いため息をついたような気がした。
長い馬車の旅路の果て、ようやく目的地である西の別邸の姿が丘の上に見えてきた時、馬車の中ではアンナが安堵のため息を漏らした。
「まあ、お嬢様! ようやく到着ですわね!」
「ええ、懐かしいですわね」
わたくしにとって、この質実剛健ながらも美しい館は、幼い頃の思い出が詰まった大切な場所だ。
出迎えてくれた老執事のゼバスチャンに旅の労をねぎらわれ、わたくしたちはようやく固い馬車のシートから解放された。
「皆様、長旅お疲れ様でございました。まずはゆっくりとお休みください。お部屋の準備は整っております」
ゼバスチャンの言葉に、護衛の騎士たちも、そしてわたくしの隣に立つアレクシス様も、わずかに表情を緩めたのが分かった。
彼も、この奇妙な監視対象との旅に、相当疲れていたに違いない。
しかし。
わたくしには、休んでいる暇などなかった。
「アンナ」
「はい、お嬢様」
「動きやすい服を用意してちょうだい。乗馬用のパンツスタイルがいいわ」
わたくしが荷解きもそこそこにそう命じると、アンナはきょとんとした顔をした。
「お嬢様? お疲れでしょうに、どちらへお出かけになるのですか?」
「決まっているでしょう?」
わたくしは窓の外に広がる領地を眺めながら、きっぱりと言い放った。
「領地の視察よ。まずは、この館から一番近い農村から見て回るわ」
「ええっ!?」
アンナの素っ頓狂な声が、静かなロビーに響き渡る。
その声に、壁際に控えていたアレクシス様の眉が、面白いくらいにひそめられたのを、わたくしは見逃さなかった。
(到着したばかりだぞ? 正気か、この女は)とでも言いたげな顔だ。
わたくしは、そんな彼の方へと向き直る。
「騎士団長閣下」
「……なんだ」
「貴方はわたくしの監視役ですわよね? わたくし、これから領地の視察へ参りますが、どうなさいますか?」
にっこりと、完璧な淑女の笑みで問いかける。
「お疲れでしたら、この館でゆっくりお休みになっていても、わたくしは一向に構いませんことよ?」
これは、わたくしなりの意趣返しだ。
監視対象が目の前からいなくなることを、監視役が許すはずがない。
アレクシス様は、チッと舌打ちでもしたいだろう表情を隠しもせず、低い声で答えた。
「……同行する」
「まあ、ご親切にどうも」
わたくしは満足して頷くと、意気揚々と部屋へ向かった。
◇
手早く着替えを済ませ、馬に乗って向かった農村は、わたくしの記憶にある姿よりも、少しだけ寂れているように見えた。
黄金色に輝いていたはずの麦畑は、まばらで色も薄い。
道端で遊ぶ子供の数も少なく、すれ違う農民たちの顔にも活気がなかった。
わたくしとアレクシス様という、場違いなほどに着飾った二人の登場に、農作業をしていた村人たちは皆、警戒した目でこちらを見ている。
やがて、村長らしき腰の曲がった老人が、おずおずと前に出てきた。
わたくしは馬からひらりと降りると、埃っぽい地面にスカートの裾が付くのも構わず、優雅に一礼した。
「ごきげんよう。わたくし、本日よりこの地の別邸で過ごすことになりました、リリアンヌ・フォン・ヴェルナーと申します」
「ヴェ、ヴェルナー様のお嬢様で……!?」
村長の声が裏返り、他の村人たちにも動揺が走る。
「しばらくの間、こちらでお世話になりますわね。早速で恐縮なのだけれど、少し畑の様子を見させていただいても?」
「は、はあ……どうぞ……」
わたくしは、返事もそこそこに畑の中へ足を踏み入れた。
そして、ためらうことなく痩せた麦の根元の土をひと掴みする。
その匂いを嗅ぎ、指先で感触を確かめた。
「村長」
「は、はいっ」
「畑を拝見しましたが、今年の作物の出来はあまり良くないようですわね。何か問題でもありましたの?」
「いえ、その……ここ数年、天候が、あまり良くありませんで……」
しどろもどろに答える村長に、わたくしは乾いた土を払いながら、静かに告げた。
「天候だけが原因ではなさそうですわね。土が、すっかり痩せてしまっているわ。……ここ数年、同じ作物ばかりを植えていませんこと?」
「なっ……!」
図星だったのだろう。村長は息を飲んだ。
「典型的な連作障害ですわ。土の中の栄養が、すっかり偏ってしまっている。これでは、どんなに種を蒔いても、まともな収穫は望めませんわよ」
「そ、そんな……」
「それから、あちらの水路。流れがひどく滞っているように見受けられますが。おそらく、上流から流れてきた土砂が溜まっているのではなくて? あれでは、大雨が降ればすぐに水が溢れてしまいますわ」
わたくしの的確すぎる指摘に、村人たちは顔を見合わせるばかりだ。
口調はどこまでも傲慢な貴族令嬢。しかし、言っていることは、この村が抱える問題を的確に言い当てていた。
その全てを、アレクシス様は馬上から黙って見下ろしていた。
公爵令嬢が、まるで熟練の代官のように土を掴み、農民と専門的な問答を繰り広げる。
その光景が、彼の理解の範疇を完全に超えていることは、その硬直した表情から明らかだった。
(この女は、一体何者なんだ……?)
彼の心の声が聞こえてくるようだ。
悪役令嬢という噂。道中の理解不能な奇行の数々。そして今、目の前で繰り広げられる、有能な領主のような振る舞い。
点と点が、全く繋がらない。
わたくしは、そんな彼の困惑など露知らず、村長に最後の言葉を告げた。
「改善策は、追って考えますわ。まずは、この領地全体の現状を把握しませんとね」
そう言い残し、再び馬上の人となる。
「さあ、閣下。感心している暇はございませんことよ。次の村へ参りますわ」
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