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園遊会の喧騒から少し離れた、静かなテラスの陰。
そこには、いつもは太陽のように高飛車なイザベラ様が、枯れた花のように項垂れていました。
「……イザベラ様」
わたくし、カテリーナが恐る恐る声をかけると、彼女の肩がビクリと跳ねました。
ゆっくりと振り向いたその顔を見て、わたくしは息を呑みました。
いつも完璧に引かれているアイラインが滲み、大きな瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちていたのです。
「カ、カテリーナ様……」
「泣いていらっしゃるのですか? やはり、先ほどの『焼却炉』発言が……」
わたくしは慌ててハンカチを差し出しました。
言いすぎました。
反省しています。
いくら殿下が危険物だからといって、公爵令嬢を産業廃棄物処理施設扱いするのは、人としてどうかと思います。
「ごめんなさい! あれは言葉の綾で、貴女様をゴミ処理係だなんて思って……」
「違いますの……」
イザベラ様はハンカチを受け取り、力なく首を横に振りました。
「あなたの発言に傷ついたのではありませんわ。むしろ、あそこまで言ってくださってスカッとしましたもの」
「え? では、なぜ?」
「……自信がないのです」
イザベラ様はギュッとハンカチを握りしめました。
「ソフィア王女の言う通りですわ。わたくしには『輝き』が足りないのかもしれません」
「輝き?」
「あの方は、隣国の宝石姫。若くて、可愛らしくて、欲しいものを素直に欲しがるエネルギーに満ちています。それに引き換え、わたくしは……ただ殿下の後ろをついて回るだけの、退屈な女になってしまったようで……」
イザベラ様が唇を噛みました。
「殿下も、ソフィア王女と話している時の方が楽しそうでした。……わたくしのような『壁』よりも、あのような『宝石』の方が、殿下にはお似合いなのではないかと……」
ポツリと漏らされた弱音。
それは、常に自信満々だった悪役令嬢が見せた、等身大の少女の不安でした。
わたくしは、ハッとしました。
わたくしは彼女に「壁になれ」「聞き流せ」と教えました。
それは殿下を制御するための最適解でしたが、同時に、イザベラ様自身の「魅力」や「個性」を殺すことになっていたのかもしれません。
彼女は本来、もっと情熱的で、少しおバカで、でも真っ直ぐな可愛らしい女性なのです。
(……責任、感じますわね)
わたくしは隣に座り、深く息を吸いました。
ここは、聖女として、そして友として(お菓子友達として)、本気で励まさねばなりません。
「イザベラ様。……鏡をお持ちですか?」
「え? ええ、持っていますけれど」
イザベラ様はポーチから手鏡を取り出しました。
「ご覧になってください。そこに映っているのは誰ですか?」
「……泣き腫らした顔の、わたくしですわ」
「いいえ、違います。そこには『一人の男性を愛しすぎて、悩み苦しむほど健気な乙女』が映っております」
わたくしは鏡の中の彼女を指差しました。
「イザベラ様。貴女様はご自分のことを『退屈』だと仰いましたね? とんでもない間違いです!」
「間違い?」
「はい! 考えてもみてください。殿下のあの理解不能なポエムを暗記し、五時間も見守り続け、あまつさえ『影を踏まない忍者ごっこ』まで真面目にこなす……そんな奇特な……いえ、情熱的な女性が、世界中探してどこにおりますか!?」
「あ……」
「ソフィア王女には絶対に無理です。彼女は三日で飽きて、殿下をポイ捨てするでしょう。ですが、貴女様は違います。貴女様には『継続する力』がある。それこそが、何よりも尊い才能なのです!」
わたくしは熱弁しました。
アレクセイ様との作戦会議で聞いた言葉の受け売りですが、今はわたくしの本心として伝えます。
「いいですか、宝石の輝きは美しいですが、冷たく硬いものです。でも、貴女様の情熱は『炎』です。暖かく、時に激しく、殿下を包み込むことができる!」
「……炎」
「はい。殿下が必要としているのは、ただ飾っておく宝石ではなく、自分を燃え上がらせてくれる炎なのです! そして何より……」
わたくしはイザベラ様の手を取りました。
「貴女様は、可愛いですわ」
「えっ」
「性格はちょっとアレで、思い込みが激しくて、突っ走るところもありますが……素直で、努力家で、泣き虫な貴女様は、とても可愛らしいです」
イザベラ様の瞳が大きく見開かれました。
そして、見る見るうちに赤くなっていきます。
「か、可愛いだなんて……カテリーナ様……!」
「自信を持ってください。貴女様は最高の『焼却炉』……じゃなかった、最高の『ヒロイン』ですわ!」
「うあぁぁぁん! カテリーナ様ぁぁぁ!!」
イザベラ様が号泣して抱きついてきました。
ドレスが涙と鼻水で汚れそうですが、今は許容しましょう。
「わたくし、頑張りますわ! 殿下を絶対に諦めません! 燃やし尽くしてみせますわ!」
「ええ、その意気です(物理的に燃やすのはナシでお願いしますね)」
わたくしは彼女の背中をポンポンと優しく叩きました。
不思議なものです。
最初は「厄介払い」のために利用していただけなのに、いつの間にか、彼女の幸せを本気で願っている自分がいます。
これが、友情というやつでしょうか。
……あるいは、単に「お菓子仲間」としての情かもしれませんが。
「……良い光景だな」
頭上から声がしました。
見上げれば、テラスの柵に腰掛けたアレクセイ様が、優しい目をしてこちらを見ていました。
「猛獣使いというより、姉妹のようだな」
「公爵様……見ていたのですか?」
「ああ。お前がいつ『やっぱり面倒くさいから帰る』と言い出すか賭けていたのだが……俺の負けらしい」
アレクセイ様は軽やかにテラスに降り立つと、泣きじゃくるイザベラ様の頭を、くしゃりと撫でました。
「イザベラ。カテリーナの言う通りだ。お前はお前のままでいい」
「お兄様……!」
「ただし、化粧は直してこい。その顔で王太子に会ったら、魔物が出たと思われるぞ」
「ひどいですわ! でも……ありがとうございます!」
イザベラ様は泣き笑いのような顔で立ち上がりました。
「見ていてください! わたくし、ソフィア王女に負けませんわ! 今すぐ化粧を直して、殿下を奪還してまいります!」
彼女は拳を握りしめ、パウダールームへと走っていきました。
その背中には、もう迷いはありません。
完全復活です。
「……ふぅ。やれやれ」
わたくしはベンチに深く座り直しました。
エネルギーを使い果たしました。
今すぐここで寝たいくらいです。
「お疲れ様、聖女様」
アレクセイ様が隣に座り、わたくしの肩を引き寄せました。
「……重いです、公爵様」
「支えているんだ。感謝しろ」
「はいはい、ありがとうございます」
アレクセイ様の体温が、心地よく伝わってきます。
先ほどの熱弁で乾いた喉に、夜風が涼しい。
「……カテリーナ」
「なんですか?」
「お前も、可愛いぞ」
「……っ!?」
不意打ちでした。
耳元で囁かれたその言葉に、わたくしの心臓が跳ね上がりました。
「い、いきなり何を……!」
「本音だ。友のために必死になれるお前は、いつもの怠惰な姿より……数倍魅力的だった」
アレクセイ様は悪戯っぽく笑い、わたくしの頬をつつきました。
「さて、イザベラも復活したことだし、次は俺たちの番だな」
「俺たち?」
「ソフィア王女へのとどめだ。……王太子を完全にイザベラの方へ向けさせるための、最後の仕上げが必要だろう?」
「……何か策がおありで?」
「ああ。……『嫉妬作戦』だ」
アレクセイ様の目が、怪しく光りました。
「王太子は、他人の物は欲しがるが、自分の物が奪われそうになると執着する。……イザベラが他の男になびきそうになれば、奴は焦るはずだ」
「なるほど。……でも、誰がイザベラ様の相手役を?」
「それは……」
アレクセイ様が何か言いかけたその時、テラスの下から大きな歓声が上がりました。
どうやら、園遊会のメインイベント、ダンスタイムが始まるようです。
そして、それが今回の騒動のクライマックスへの幕開けとなるのでした。
そこには、いつもは太陽のように高飛車なイザベラ様が、枯れた花のように項垂れていました。
「……イザベラ様」
わたくし、カテリーナが恐る恐る声をかけると、彼女の肩がビクリと跳ねました。
ゆっくりと振り向いたその顔を見て、わたくしは息を呑みました。
いつも完璧に引かれているアイラインが滲み、大きな瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちていたのです。
「カ、カテリーナ様……」
「泣いていらっしゃるのですか? やはり、先ほどの『焼却炉』発言が……」
わたくしは慌ててハンカチを差し出しました。
言いすぎました。
反省しています。
いくら殿下が危険物だからといって、公爵令嬢を産業廃棄物処理施設扱いするのは、人としてどうかと思います。
「ごめんなさい! あれは言葉の綾で、貴女様をゴミ処理係だなんて思って……」
「違いますの……」
イザベラ様はハンカチを受け取り、力なく首を横に振りました。
「あなたの発言に傷ついたのではありませんわ。むしろ、あそこまで言ってくださってスカッとしましたもの」
「え? では、なぜ?」
「……自信がないのです」
イザベラ様はギュッとハンカチを握りしめました。
「ソフィア王女の言う通りですわ。わたくしには『輝き』が足りないのかもしれません」
「輝き?」
「あの方は、隣国の宝石姫。若くて、可愛らしくて、欲しいものを素直に欲しがるエネルギーに満ちています。それに引き換え、わたくしは……ただ殿下の後ろをついて回るだけの、退屈な女になってしまったようで……」
イザベラ様が唇を噛みました。
「殿下も、ソフィア王女と話している時の方が楽しそうでした。……わたくしのような『壁』よりも、あのような『宝石』の方が、殿下にはお似合いなのではないかと……」
ポツリと漏らされた弱音。
それは、常に自信満々だった悪役令嬢が見せた、等身大の少女の不安でした。
わたくしは、ハッとしました。
わたくしは彼女に「壁になれ」「聞き流せ」と教えました。
それは殿下を制御するための最適解でしたが、同時に、イザベラ様自身の「魅力」や「個性」を殺すことになっていたのかもしれません。
彼女は本来、もっと情熱的で、少しおバカで、でも真っ直ぐな可愛らしい女性なのです。
(……責任、感じますわね)
わたくしは隣に座り、深く息を吸いました。
ここは、聖女として、そして友として(お菓子友達として)、本気で励まさねばなりません。
「イザベラ様。……鏡をお持ちですか?」
「え? ええ、持っていますけれど」
イザベラ様はポーチから手鏡を取り出しました。
「ご覧になってください。そこに映っているのは誰ですか?」
「……泣き腫らした顔の、わたくしですわ」
「いいえ、違います。そこには『一人の男性を愛しすぎて、悩み苦しむほど健気な乙女』が映っております」
わたくしは鏡の中の彼女を指差しました。
「イザベラ様。貴女様はご自分のことを『退屈』だと仰いましたね? とんでもない間違いです!」
「間違い?」
「はい! 考えてもみてください。殿下のあの理解不能なポエムを暗記し、五時間も見守り続け、あまつさえ『影を踏まない忍者ごっこ』まで真面目にこなす……そんな奇特な……いえ、情熱的な女性が、世界中探してどこにおりますか!?」
「あ……」
「ソフィア王女には絶対に無理です。彼女は三日で飽きて、殿下をポイ捨てするでしょう。ですが、貴女様は違います。貴女様には『継続する力』がある。それこそが、何よりも尊い才能なのです!」
わたくしは熱弁しました。
アレクセイ様との作戦会議で聞いた言葉の受け売りですが、今はわたくしの本心として伝えます。
「いいですか、宝石の輝きは美しいですが、冷たく硬いものです。でも、貴女様の情熱は『炎』です。暖かく、時に激しく、殿下を包み込むことができる!」
「……炎」
「はい。殿下が必要としているのは、ただ飾っておく宝石ではなく、自分を燃え上がらせてくれる炎なのです! そして何より……」
わたくしはイザベラ様の手を取りました。
「貴女様は、可愛いですわ」
「えっ」
「性格はちょっとアレで、思い込みが激しくて、突っ走るところもありますが……素直で、努力家で、泣き虫な貴女様は、とても可愛らしいです」
イザベラ様の瞳が大きく見開かれました。
そして、見る見るうちに赤くなっていきます。
「か、可愛いだなんて……カテリーナ様……!」
「自信を持ってください。貴女様は最高の『焼却炉』……じゃなかった、最高の『ヒロイン』ですわ!」
「うあぁぁぁん! カテリーナ様ぁぁぁ!!」
イザベラ様が号泣して抱きついてきました。
ドレスが涙と鼻水で汚れそうですが、今は許容しましょう。
「わたくし、頑張りますわ! 殿下を絶対に諦めません! 燃やし尽くしてみせますわ!」
「ええ、その意気です(物理的に燃やすのはナシでお願いしますね)」
わたくしは彼女の背中をポンポンと優しく叩きました。
不思議なものです。
最初は「厄介払い」のために利用していただけなのに、いつの間にか、彼女の幸せを本気で願っている自分がいます。
これが、友情というやつでしょうか。
……あるいは、単に「お菓子仲間」としての情かもしれませんが。
「……良い光景だな」
頭上から声がしました。
見上げれば、テラスの柵に腰掛けたアレクセイ様が、優しい目をしてこちらを見ていました。
「猛獣使いというより、姉妹のようだな」
「公爵様……見ていたのですか?」
「ああ。お前がいつ『やっぱり面倒くさいから帰る』と言い出すか賭けていたのだが……俺の負けらしい」
アレクセイ様は軽やかにテラスに降り立つと、泣きじゃくるイザベラ様の頭を、くしゃりと撫でました。
「イザベラ。カテリーナの言う通りだ。お前はお前のままでいい」
「お兄様……!」
「ただし、化粧は直してこい。その顔で王太子に会ったら、魔物が出たと思われるぞ」
「ひどいですわ! でも……ありがとうございます!」
イザベラ様は泣き笑いのような顔で立ち上がりました。
「見ていてください! わたくし、ソフィア王女に負けませんわ! 今すぐ化粧を直して、殿下を奪還してまいります!」
彼女は拳を握りしめ、パウダールームへと走っていきました。
その背中には、もう迷いはありません。
完全復活です。
「……ふぅ。やれやれ」
わたくしはベンチに深く座り直しました。
エネルギーを使い果たしました。
今すぐここで寝たいくらいです。
「お疲れ様、聖女様」
アレクセイ様が隣に座り、わたくしの肩を引き寄せました。
「……重いです、公爵様」
「支えているんだ。感謝しろ」
「はいはい、ありがとうございます」
アレクセイ様の体温が、心地よく伝わってきます。
先ほどの熱弁で乾いた喉に、夜風が涼しい。
「……カテリーナ」
「なんですか?」
「お前も、可愛いぞ」
「……っ!?」
不意打ちでした。
耳元で囁かれたその言葉に、わたくしの心臓が跳ね上がりました。
「い、いきなり何を……!」
「本音だ。友のために必死になれるお前は、いつもの怠惰な姿より……数倍魅力的だった」
アレクセイ様は悪戯っぽく笑い、わたくしの頬をつつきました。
「さて、イザベラも復活したことだし、次は俺たちの番だな」
「俺たち?」
「ソフィア王女へのとどめだ。……王太子を完全にイザベラの方へ向けさせるための、最後の仕上げが必要だろう?」
「……何か策がおありで?」
「ああ。……『嫉妬作戦』だ」
アレクセイ様の目が、怪しく光りました。
「王太子は、他人の物は欲しがるが、自分の物が奪われそうになると執着する。……イザベラが他の男になびきそうになれば、奴は焦るはずだ」
「なるほど。……でも、誰がイザベラ様の相手役を?」
「それは……」
アレクセイ様が何か言いかけたその時、テラスの下から大きな歓声が上がりました。
どうやら、園遊会のメインイベント、ダンスタイムが始まるようです。
そして、それが今回の騒動のクライマックスへの幕開けとなるのでした。
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