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「セリーナ・エルバート! 貴様のような、慈悲の心のかけらもない冷酷な女との婚約は、今この瞬間をもって破棄とする!」
シャンデリアの光が降り注ぐ王宮の夜会会場。その中央で、私の婚約者であるウィルフレッド皇太子が、喉をこれでもかと震わせて叫びました。
会場の視線が一斉に私に突き刺さります。憐れみ、蔑み、そして期待。
そんな中、私は手に持っていた扇をパチンと閉じ、深く息を吐き出しました。
「……殿下、今、何とおっしゃいましたか?」
「ふん、あまりのショックに耳まで悪くなったか! もう一度言ってやろう、婚約破棄だ! これからは私の隣に相応しい、心優しきミーナこそが妃となるのだ!」
殿下の隣では、男爵令嬢のミーナ様が、これぞお手本というような「か弱き乙女」の表情で彼にしがみついています。
「……そうですか。つまり、私はもう明日から、殿下の好物でもない激甘なお菓子の感想を無理に捻り出したり、殿下の絶望的にセンスのないポエムを聞かされたりしなくて良い、ということですね?」
「なっ……! 貴様、今さら強がりを!」
「いえ、強がりではありませんわ。事実の確認です。殿下、そのお言葉、後で『やっぱり冗談だった』なんておっしゃいませんよね? 公衆の面前での宣言。これには重大な公的責任が伴うことを、まさか王位継承者としてご存知ないわけではありませんわよね?」
私はドレスの隠しポケットから、手のひらサイズの青い魔石を取り出しました。
「これは……『音声記録の魔導具』? なぜそんなものを持ち歩いている!」
「公爵令嬢たるもの、いつ何時、重要な言質を取る必要があるか分かりませんもの。さあ、殿下。念のため、もう一度ハッキリとお願いしますわ。私、セリーナ・エルバートとの婚約を一方的に解消し、今後一切の復縁を求めないと」
ウィルフレッド殿下は顔を真っ赤にして、私の差し出した魔石に向かって吠えました。
「ええい、しつこい! ああ、約束してやる! 二度と貴様の顔など見たくもないわ! これで満足か!」
「はい、大変満足いたしました。録音完了ですわ」
私は満足げに魔石をしまい、周囲を驚かせるほどの爽やかな笑顔を浮かべました。
「さて、ミーナ様。殿下を差し上げます。その代わり、殿下の『深夜に突然始まる自作ポエムの朗読会』と『一時間続く、自分がいかに優秀かを語る自慢話』の全権利もセットで譲渡いたしますわね。あ、返品は不可ですので悪しからず」
「えっ、あ、あの……セリーナ様?」
ミーナ様が困惑したように目を瞬かせますが、私は止まりません。
頭の中では、これまで婚約者としての義務に費やしてきた膨大な時間が、キラキラとした「自由時間」に変換されていく計算が始まっていました。
「殿下、婚約破棄に伴う慰謝料、および私の実家が王家に貸し付けている諸々の資金の返済計画については、明日、私の代理人である弁護士から正式に書面を送らせていただきますわ」
「い、慰謝料だと!? 悪役は貴様だろう!」
「悪役かどうかは司法が決めることですわ。少なくとも、私は殿下の浮気の証拠を、日付・場所・ミーナ様が召し上がったケーキの種類に至るまで詳細に記録しております。一方、殿下が私に突きつけた『いじめの事実』とやらは、証拠が一つもございませんわよね?」
「それは……これから集めるつもりだったのだ!」
「順番が逆ですわよ。そんな計画性で、将来この国を背負っていくつもりですの? ……まあ、もう私の知ったことではありませんけれど」
私は深々とカーテシーをしました。
それは、今までで一番心のこもった、そして一番適当な、お別れの挨拶でした。
「では皆様、お騒がせいたしました。私は明日から、朝寝坊をして、好きなだけ読書をして、殿下の顔色を窺わずに済むバラ色の人生を謳歌させていただきますわ。それではごきげんよう!」
私は背筋をピンと伸ばし、出口へと向かいました。
後ろで殿下が「待て! まだ話は終わっていない!」と叫んでいるのが聞こえましたが、私の耳はもう、自分の自由な足音しか拾いません。
会場を出ると、夜風が驚くほど心地よく感じられました。
「あー……せいせいしましたわ! さて、帰ったらまず何をしましょう? そうだわ、あのバカ高いドレスを売り飛ばして、領地の開発資金にするのも悪くありませんわね」
独り言を言いながら馬車に乗り込もうとした時、影から一人の男が現れました。
隣国の第三王子、レオナード殿下です。
「……素晴らしい手際だったな、セリーナ嬢」
「あら、レオナード殿下。見ていらしたのですか?」
「ああ。あんなに楽しそうに婚約破棄を受け入れる人間を、私は初めて見たよ。……君は、思っていたよりもずっと『面白い』女性のようだ」
レオナード殿下は、彫刻のような美しい顔に、どこか挑戦的な笑みを浮かべていました。
「お褒めに預かり光栄ですわ。ですが殿下、私は今、猛烈に忙しいのです」
「忙しい? 婚約を破棄されたばかりの令嬢が、何をするというんだ」
「決まっておりますわ。これからの『自由な独身生活』をいかに効率よく、かつ贅沢に楽しむかという、百年に一度の長期計画を立てなければならないのです。王子様とのお喋りに割く時間は、今の一分一秒すら惜しいのですわ!」
私はレオナード殿下を置き去りにするように馬車に飛び乗り、御者に「全速力で出してちょうだい!」と命じました。
馬車が走り出す中、私は夜空を見上げて確信しました。
悪役令嬢と呼ばれようが何だろうが、明日からの私は、間違いなくこの国で一番幸せな女になるだろう、と。
「さようなら、無能な元婚約者様! こんにちは、私の素晴らしい自由!」
セリーナ・エルバート、十六歳。
人生最大のピンチ(世間体)を、人生最大のチャンス(自由)に変える戦いが、今ここから始まったのです。
シャンデリアの光が降り注ぐ王宮の夜会会場。その中央で、私の婚約者であるウィルフレッド皇太子が、喉をこれでもかと震わせて叫びました。
会場の視線が一斉に私に突き刺さります。憐れみ、蔑み、そして期待。
そんな中、私は手に持っていた扇をパチンと閉じ、深く息を吐き出しました。
「……殿下、今、何とおっしゃいましたか?」
「ふん、あまりのショックに耳まで悪くなったか! もう一度言ってやろう、婚約破棄だ! これからは私の隣に相応しい、心優しきミーナこそが妃となるのだ!」
殿下の隣では、男爵令嬢のミーナ様が、これぞお手本というような「か弱き乙女」の表情で彼にしがみついています。
「……そうですか。つまり、私はもう明日から、殿下の好物でもない激甘なお菓子の感想を無理に捻り出したり、殿下の絶望的にセンスのないポエムを聞かされたりしなくて良い、ということですね?」
「なっ……! 貴様、今さら強がりを!」
「いえ、強がりではありませんわ。事実の確認です。殿下、そのお言葉、後で『やっぱり冗談だった』なんておっしゃいませんよね? 公衆の面前での宣言。これには重大な公的責任が伴うことを、まさか王位継承者としてご存知ないわけではありませんわよね?」
私はドレスの隠しポケットから、手のひらサイズの青い魔石を取り出しました。
「これは……『音声記録の魔導具』? なぜそんなものを持ち歩いている!」
「公爵令嬢たるもの、いつ何時、重要な言質を取る必要があるか分かりませんもの。さあ、殿下。念のため、もう一度ハッキリとお願いしますわ。私、セリーナ・エルバートとの婚約を一方的に解消し、今後一切の復縁を求めないと」
ウィルフレッド殿下は顔を真っ赤にして、私の差し出した魔石に向かって吠えました。
「ええい、しつこい! ああ、約束してやる! 二度と貴様の顔など見たくもないわ! これで満足か!」
「はい、大変満足いたしました。録音完了ですわ」
私は満足げに魔石をしまい、周囲を驚かせるほどの爽やかな笑顔を浮かべました。
「さて、ミーナ様。殿下を差し上げます。その代わり、殿下の『深夜に突然始まる自作ポエムの朗読会』と『一時間続く、自分がいかに優秀かを語る自慢話』の全権利もセットで譲渡いたしますわね。あ、返品は不可ですので悪しからず」
「えっ、あ、あの……セリーナ様?」
ミーナ様が困惑したように目を瞬かせますが、私は止まりません。
頭の中では、これまで婚約者としての義務に費やしてきた膨大な時間が、キラキラとした「自由時間」に変換されていく計算が始まっていました。
「殿下、婚約破棄に伴う慰謝料、および私の実家が王家に貸し付けている諸々の資金の返済計画については、明日、私の代理人である弁護士から正式に書面を送らせていただきますわ」
「い、慰謝料だと!? 悪役は貴様だろう!」
「悪役かどうかは司法が決めることですわ。少なくとも、私は殿下の浮気の証拠を、日付・場所・ミーナ様が召し上がったケーキの種類に至るまで詳細に記録しております。一方、殿下が私に突きつけた『いじめの事実』とやらは、証拠が一つもございませんわよね?」
「それは……これから集めるつもりだったのだ!」
「順番が逆ですわよ。そんな計画性で、将来この国を背負っていくつもりですの? ……まあ、もう私の知ったことではありませんけれど」
私は深々とカーテシーをしました。
それは、今までで一番心のこもった、そして一番適当な、お別れの挨拶でした。
「では皆様、お騒がせいたしました。私は明日から、朝寝坊をして、好きなだけ読書をして、殿下の顔色を窺わずに済むバラ色の人生を謳歌させていただきますわ。それではごきげんよう!」
私は背筋をピンと伸ばし、出口へと向かいました。
後ろで殿下が「待て! まだ話は終わっていない!」と叫んでいるのが聞こえましたが、私の耳はもう、自分の自由な足音しか拾いません。
会場を出ると、夜風が驚くほど心地よく感じられました。
「あー……せいせいしましたわ! さて、帰ったらまず何をしましょう? そうだわ、あのバカ高いドレスを売り飛ばして、領地の開発資金にするのも悪くありませんわね」
独り言を言いながら馬車に乗り込もうとした時、影から一人の男が現れました。
隣国の第三王子、レオナード殿下です。
「……素晴らしい手際だったな、セリーナ嬢」
「あら、レオナード殿下。見ていらしたのですか?」
「ああ。あんなに楽しそうに婚約破棄を受け入れる人間を、私は初めて見たよ。……君は、思っていたよりもずっと『面白い』女性のようだ」
レオナード殿下は、彫刻のような美しい顔に、どこか挑戦的な笑みを浮かべていました。
「お褒めに預かり光栄ですわ。ですが殿下、私は今、猛烈に忙しいのです」
「忙しい? 婚約を破棄されたばかりの令嬢が、何をするというんだ」
「決まっておりますわ。これからの『自由な独身生活』をいかに効率よく、かつ贅沢に楽しむかという、百年に一度の長期計画を立てなければならないのです。王子様とのお喋りに割く時間は、今の一分一秒すら惜しいのですわ!」
私はレオナード殿下を置き去りにするように馬車に飛び乗り、御者に「全速力で出してちょうだい!」と命じました。
馬車が走り出す中、私は夜空を見上げて確信しました。
悪役令嬢と呼ばれようが何だろうが、明日からの私は、間違いなくこの国で一番幸せな女になるだろう、と。
「さようなら、無能な元婚約者様! こんにちは、私の素晴らしい自由!」
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