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「殿下、モップの持ち方が甘いですわ! 遠心力を最大限に利用して、床の摩擦係数を一気にゼロにする勢いで滑らせてくださいまし!」
私の鋭い叱咤が、磨き上げられたばかりのロビーに響き渡りました。
隣国の第三王子という、大陸中の女性が憧れる至宝のようなお方を相手に、私は一切の容赦をしません。
効率化の前に身分などという不確かな概念を持ち込むのは、論理的ではありませんから。
「……セリーナ嬢。私は一応、これでも剣術では自国で一、二を争う腕前なのだが。まさか、掃除用具の扱いでここまで細かく指導を受けることになるとは思わなかったよ」
レオナード殿下は、額の汗を拭いながら、どこか遠い目をして私を見ました。
その端正な顔立ちには、王宮での彼を知る者が驚愕するであろう「困惑」の色が滲んでいます。
「剣術と清掃術は、力のベクトルが似て非なるものですわ。殿下の筋肉の使い方は非常に合理的ですが、いかんせん『埃を殲滅する』という殺意が足りませんの。ほら、見ていてくださいませ!」
私はドレスの裾をさらに高く捲り上げ、腰の入った見事なスイングでモップを振るいました。
魔導回路を一時的にブーストした私の全身から放たれる清掃エネルギーが、床の一角を鏡のように変えていきます。
「……ふっ、くくく……」
「あら、殿下? 今、何かおっしゃいましたか?」
不意に聞こえた奇妙な音に、私は手を止めて彼を睨みつけました。
「いや、済まない。……ただ、君があまりにも真剣に『埃の殲滅』を語るものだから。その格好と、その顔の真剣さのギャップが……あまりにも、な」
レオナード殿下は口元を拳で隠し、肩を小刻みに震わせています。
その瞳は潤み、普段の「氷の王子」の面影はどこにもありません。
「失礼ですわね。私は常に真剣ですわ。ウィルフレッド殿下との婚約期間中、どれだけ私が『無駄』を削ぎ落とすために尽力してきたか、ご存知ないのでしょう? あの殿下の散らかした書類と、無計画な公務スケジュールを整理する日々に比べれば、この廃屋の掃除など赤子の手を捻るようなものですわ」
「ああ、噂には聞いていたよ。エルバート公爵令嬢は、美しき毒を吐く能吏(のうり)だと。だが、実物はその百倍は破壊力がある」
レオナード殿下はついに堪えきれなくなったのか、壁に背を預けて低く笑い声を漏らしました。
「くっ、ははは! まさか、追放された翌日に、元婚約者の悪口を言いながら隣国の王子に雑巾掛けをさせる令嬢が実在するとは。……セリーナ嬢、君は本当に、最高のエンターテイナーだな」
「エンターテイナーではなく、公爵令嬢ですわ。……まあ、今は『元』が付きますけれど」
私はフンと鼻を鳴らし、再び床に向き合いました。
笑われても一向に構いません。
彼が笑うたびに、この屋敷の澱んだ空気が少しずつ浄化されていくような、そんな妙な感覚があるからです。
「殿下、笑っている暇があるなら、あちらの棚の上の蜘蛛の巣を払ってくださいまし。あそこは殿下の身長があれば、踏み台なしで届くはずですわ。これぞ身体的特徴の最適活用です」
「分かった、分かった。……仰せのままに、私の司令官殿」
レオナード殿下はまだ口角を上げたまま、指示された場所へと向かいました。
その足取りは、先ほどよりもどこか軽やかです。
「……お嬢様。あのお二人の様子、どう見ても『追放された令嬢と、それを憐れむ王子』には見えませんわね」
柱の陰で、ベティが別の侍女とヒソヒソと話しているのが聞こえます。
「ええ。どっちかというと『スパルタ女将と、それに懐いた大型犬の新人バイト』に見えるわ……」
「聞こえていますわよ、ベティ。おしゃべりする時間があるなら、あそこの窓枠のサンを磨きなさいな。一ミリの妥協も許しませんわよ!」
「ひえっ! はいっ、ただいま!」
ベティたちが慌てて作業に戻る音を聞きながら、私はふと、レオナード殿下の背中を見つめました。
王都にいた頃、彼は常に冷徹で、誰に対しても一定の距離を保つ「氷の壁」のような存在だと言われていました。
ですが、今の彼はどうでしょう。
泥に汚れ、掃除道具を手にし、あんなにも愉快そうに笑っています。
「……ふん。笑う門には福来る、と言いますしね」
私は小さく独り言をこぼし、モップに込める魔力を一段階上げました。
「殿下! そこ、拭き残しがありますわよ! 私の目と魔導センサーは欺けませんわ!」
「おっと、手厳しいな。……だが、嫌いじゃないよ」
屋敷を吹き抜ける風が、埃っぽさを少しずつ運び出していきます。
壊れかけた別荘が、私たちの手によって、少しずつ「家」としての体裁を整え始めていました。
婚約破棄されてから、まだ一晩。
世間の令嬢が泣き腫らしているであろう時間に、私は隣国の王子をこき使い、最高に充実した筋肉痛を味わっていました。
「さあ、次はキッチンの魔導配管の洗浄ですわ! 殿下、物理的な洗浄は任せましたわよ!」
「ああ、任せてくれ。君の論理的な指示に従うのは、案外、心地が良いからな」
こうして、氷の王子様の仮面は、私という名の「強風」によって少しずつ剥がれ落ちていくのでした。
私の鋭い叱咤が、磨き上げられたばかりのロビーに響き渡りました。
隣国の第三王子という、大陸中の女性が憧れる至宝のようなお方を相手に、私は一切の容赦をしません。
効率化の前に身分などという不確かな概念を持ち込むのは、論理的ではありませんから。
「……セリーナ嬢。私は一応、これでも剣術では自国で一、二を争う腕前なのだが。まさか、掃除用具の扱いでここまで細かく指導を受けることになるとは思わなかったよ」
レオナード殿下は、額の汗を拭いながら、どこか遠い目をして私を見ました。
その端正な顔立ちには、王宮での彼を知る者が驚愕するであろう「困惑」の色が滲んでいます。
「剣術と清掃術は、力のベクトルが似て非なるものですわ。殿下の筋肉の使い方は非常に合理的ですが、いかんせん『埃を殲滅する』という殺意が足りませんの。ほら、見ていてくださいませ!」
私はドレスの裾をさらに高く捲り上げ、腰の入った見事なスイングでモップを振るいました。
魔導回路を一時的にブーストした私の全身から放たれる清掃エネルギーが、床の一角を鏡のように変えていきます。
「……ふっ、くくく……」
「あら、殿下? 今、何かおっしゃいましたか?」
不意に聞こえた奇妙な音に、私は手を止めて彼を睨みつけました。
「いや、済まない。……ただ、君があまりにも真剣に『埃の殲滅』を語るものだから。その格好と、その顔の真剣さのギャップが……あまりにも、な」
レオナード殿下は口元を拳で隠し、肩を小刻みに震わせています。
その瞳は潤み、普段の「氷の王子」の面影はどこにもありません。
「失礼ですわね。私は常に真剣ですわ。ウィルフレッド殿下との婚約期間中、どれだけ私が『無駄』を削ぎ落とすために尽力してきたか、ご存知ないのでしょう? あの殿下の散らかした書類と、無計画な公務スケジュールを整理する日々に比べれば、この廃屋の掃除など赤子の手を捻るようなものですわ」
「ああ、噂には聞いていたよ。エルバート公爵令嬢は、美しき毒を吐く能吏(のうり)だと。だが、実物はその百倍は破壊力がある」
レオナード殿下はついに堪えきれなくなったのか、壁に背を預けて低く笑い声を漏らしました。
「くっ、ははは! まさか、追放された翌日に、元婚約者の悪口を言いながら隣国の王子に雑巾掛けをさせる令嬢が実在するとは。……セリーナ嬢、君は本当に、最高のエンターテイナーだな」
「エンターテイナーではなく、公爵令嬢ですわ。……まあ、今は『元』が付きますけれど」
私はフンと鼻を鳴らし、再び床に向き合いました。
笑われても一向に構いません。
彼が笑うたびに、この屋敷の澱んだ空気が少しずつ浄化されていくような、そんな妙な感覚があるからです。
「殿下、笑っている暇があるなら、あちらの棚の上の蜘蛛の巣を払ってくださいまし。あそこは殿下の身長があれば、踏み台なしで届くはずですわ。これぞ身体的特徴の最適活用です」
「分かった、分かった。……仰せのままに、私の司令官殿」
レオナード殿下はまだ口角を上げたまま、指示された場所へと向かいました。
その足取りは、先ほどよりもどこか軽やかです。
「……お嬢様。あのお二人の様子、どう見ても『追放された令嬢と、それを憐れむ王子』には見えませんわね」
柱の陰で、ベティが別の侍女とヒソヒソと話しているのが聞こえます。
「ええ。どっちかというと『スパルタ女将と、それに懐いた大型犬の新人バイト』に見えるわ……」
「聞こえていますわよ、ベティ。おしゃべりする時間があるなら、あそこの窓枠のサンを磨きなさいな。一ミリの妥協も許しませんわよ!」
「ひえっ! はいっ、ただいま!」
ベティたちが慌てて作業に戻る音を聞きながら、私はふと、レオナード殿下の背中を見つめました。
王都にいた頃、彼は常に冷徹で、誰に対しても一定の距離を保つ「氷の壁」のような存在だと言われていました。
ですが、今の彼はどうでしょう。
泥に汚れ、掃除道具を手にし、あんなにも愉快そうに笑っています。
「……ふん。笑う門には福来る、と言いますしね」
私は小さく独り言をこぼし、モップに込める魔力を一段階上げました。
「殿下! そこ、拭き残しがありますわよ! 私の目と魔導センサーは欺けませんわ!」
「おっと、手厳しいな。……だが、嫌いじゃないよ」
屋敷を吹き抜ける風が、埃っぽさを少しずつ運び出していきます。
壊れかけた別荘が、私たちの手によって、少しずつ「家」としての体裁を整え始めていました。
婚約破棄されてから、まだ一晩。
世間の令嬢が泣き腫らしているであろう時間に、私は隣国の王子をこき使い、最高に充実した筋肉痛を味わっていました。
「さあ、次はキッチンの魔導配管の洗浄ですわ! 殿下、物理的な洗浄は任せましたわよ!」
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