「君は悪役令嬢だ!」と言われましたが、興味ありません。

パリパリかぷちーの

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王宮の異変は、王子ルキウスの執務室という小さな一点から、やがて国政を司る中枢全体へと、静かに、しかし確実に広がっていった。

宰相であるゲルハルト公爵は、執務室でこめかみを押さえながら、目の前の書類の山を睨みつけていた。

それは、各省庁から提出が遅延している報告書の催促状であり、予算案の不備を指摘する会計監査室からの警告書であり、近隣諸国から届いた外交文書への返答を催促する手紙だった。

「いったい、どうなっているのだ……」

ここ半月、明らかに王宮全体の業務効率が低下している。

まるで、巨大な機構から重要な歯車が一つ、忽然と抜け落ちてしまったかのように、あらゆることがギシギシと音を立てて軋んでいた。

「皆を集めろ。緊急会議を開く!」

宰相の号令一下、各省庁の大臣や高級官僚たちが、重苦しい顔で会議室に集められた。

「単刀直入に聞く。この業務停滞の原因は何だ。財務大臣、貴省から提出された次期予算案は、計算ミスや矛盾点が多すぎると会計監査室から突き返されているぞ。どういうことだ!」

宰相の厳しい追及に、恰幅のいい財務大臣が冷や汗を流しながら答える。

「も、申し訳ございません、宰相閣下! 例年、最終調整の段階で、いくつか見つかる細かなミスではあるのですが、今年はなぜか、その数が……」

「なぜか、ではないだろう! 原因を究明しろと言っている!」

「そ、それが……その……」

財務大臣が口ごもっていると、隣に座っていた若い財務官僚が、意を決したように口を開いた。

「申し上げます! 実は、例年の予算案の最終チェックは、非公式ながら、アーリヤ様にお願いしておりました……」

「……何?」

宰相の眉が、ぴくりと動いた。

「アーリヤ様は、この分厚い予算案の矛盾点を、たった一晩で、それこそ1ページに3つ以上の割合で的確に指摘してくださったのです。我々が数日かけても見つけられないような、巧妙に隠された数字の偽装までも見抜いておられました。しかし、今年はそれがなく……」

会議室が、しんと静まり返る。

宰相は、次に外務大臣へと視線を向けた。

「外務大臣。隣国との貿易協定の更新に関する文書が、まだ完成していないと聞いているが」

痩身の外務大臣は、青い顔で答えた。

「はっ……。文章の細かな表現について、意見がまとまらず……。下手に送って、相手国の機嫌を損ねては一大事かと……」

すると、今度は外務省の書記官が、おずおずと手を挙げた。

「あ、あの……! 以前、アーリヤ様は、外交文書の一語一句を厳しくチェックしてくださっておりました。『この単語は、かの国では侮蔑的な意味合いを含む可能性があるため、こちらの類義語に差し替えるべきです』と、我々が気づかぬような些細な点まで、完璧にご指導いただいていたのです……」

ざわっ、と会議室に動揺が広がる。

財務省に、外務省。まさか、とは思いつつ、宰相は最後に内務大臣を見た。

内務大臣は、聞かれる前に、観念したように口を開いた。

「……我が内務省も、同様でございます。各領地から送られてくる膨大な陳情書や報告書の整理と要約……その大部分を、アーリヤ様がボランティアで、とんでもない速さと正確さで片付けてくださっておりました。おかげで、我々は重要案件の審議に集中できていたのです。しかし、今は……」

大臣は、言葉を失い、机に積まれた未処理書類のリストに目を落とした。

北の伯爵領からの治水工事の陳情。
南の男爵領からの税率変更の嘆願。
西の商業都市からのギルド設立許可申請。

その全てが、アーリヤという名の、あまりにも有能すぎるフィルターを失った今、生の情報の奔流となって押し寄せ、官僚たちを溺れさせていた。

彼女は、ただの王子の婚約者ではなかったのだ。

王妃教育の一環、と言いながら、実際には、この国の行政システムの、最も重要で、最も負荷のかかる部分を、たった一人で、しかも完璧に担っていた「影の宰相」とも言うべき存在だった。

誰もが、彼女の存在を当たり前のものだと思っていた。

彼女の完璧な仕事の上に、自分たちの凡庸な仕事が成り立っていたことに、誰も気づいていなかった。

失って、初めてその存在の大きさを知る。

「……馬鹿な……」

宰相は、額を押さえて呻いた。

一人の少女が、いなくなった。

たったそれだけで、長年安定していたこの国の行政が、麻痺寸前にまで追い込まれている。

これが、ルキウス王子が「悪役令嬢」と断罪し、追放した女性の、真の姿だったのだ。

その時、会議室の扉が慌ただしくノックされた。

「失礼します! 緊急報告です!」

血相を変えて飛び込んできたのは、宰相の秘書官だった。

「隣国の使者が、貿易協定の件で、至急回答を求めてきております! このままでは、協定は我が国に著しく不利な条件で締結されることになりかねません!」

とどめの一撃だった。

会議室の誰もが、青ざめて言葉を失う。

国の未来を左右する重大な局面。

しかし、この難局を乗り切るための「切り札」は、もうこの王宮には存在しない。

いや、ただ一人だけ、存在する。

宰相ゲルハルトは、ゆっくりと顔を上げた。その目には、苦渋と、そしてわずかな希望の光が宿っていた。

彼は、傍に控える側近に、絞り出すような声で命じた。

「……もはや、手段を選んではいられん」

「……はっ?」

「王家のプライドがどうとか、言っている場合ではないのだ。……クライネルト侯爵家に、連絡を取れ」

その視線は、窓の外、今はもう王宮にはいない、規格外の才女がいるであろう方角を、まっすぐに見据えていた。
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