婚約破棄される前に、帰らせていただきます!

パリパリかぷちーの

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「……はあ。改めて数字で見せられると、胃に穴が開きそうだよ、クロナ嬢」

マリス国王エドワード三世は、執務机の上に広げられた「ロベール家・資産移転計画書」を眺め、深く、重い溜息を吐き出した。

そこには、ロベール侯爵家がこれまで国内で運用してきた広大な土地、商権、そして莫大な預貯金を、いかに効率よく隣国へ移動させるかが、緻密なグラフと共に記されていた。

「あら、陛下。これはあくまで、一企業の拠点の移動に過ぎませんわ。倒産間近の……いえ、将来性に不安のある市場から、より活発な市場へ投資先を変えるのは、経済の基本ですもの」

クロナは、差し出された最上級の茶菓子を優雅に口に運びながら、事も無げに言った。

「その『将来性に不安のある市場』というのが、我が国のことなのが辛いところだ。……だが、認めざるを得ないな。ジュリアンがしでかした不祥事の数々を思えば、君をこの国に縛り付ける権利など、私には一ミクロンも残っていない」

国王は羽ペンを取り、書類の最後に力強い署名を書き入れた。
これによって、クロナ・フォン・ロベールとロベール侯爵家一族は、法的に一切のペナルティを受けることなく、全財産を持って隣国へ移住することが許可された。

事実上の「国外追放」だが、その実態は「国家最大の納税者による、最後通牒(デッドライン)の行使」であった。

「感謝いたします、陛下。……あ、おまけとして、こちらの『マリス王国・財政再建アドバイス』も置いていきますわ。私が去った後、少しは役に立つはずです」

「……『無駄な夜会の八割削減』、『王族用高級ワインの配給制移行』、『有能な平民登用による中間管理職のリストラ』。……うむ、実行すれば間違いなく国は立ち直るだろうが、貴族たちの悲鳴が今から聞こえてきそうだよ」

「悲鳴は、変化の産声(うぶごえ)ですわ。……さて、陛下。最後にお願いがございます」

クロナの瞳が、いたずらっぽく光った。

「なんだ? これ以上の資産持ち出しは、さすがに勘弁してくれよ」

「いいえ。明日の卒業パーティー、ジュリアン殿下はまだ『自分が婚約破棄を宣言する』という夢を見ているようですけれど……。私が会場に入場する際、陛下自ら『特別な許可』を与えてくださいますかしら?」

「特別な許可だと?」

「ええ。――『この国の法が及ばない、隣国の貴賓』としての扱いですわ」

国王は一瞬だけ呆気に取られたが、やがて腹の底から絞り出すような笑い声を上げた。

「く、くははは! なるほど。君を『婚約者』としてではなく、『他国の有力者のパートナー』として迎えろと言うのだな。……いいだろう。ジュリアンが君を糾弾しようと口を開いた瞬間、私が全力でその鼻っ柱を折ってやると約束しよう」

「最高に素敵な演出になりそうですわね。……あ、あと、リリィ様が着る予定の『代替ドレス』ですが。もし彼女がボロボロの格好で現れても、どうか王室の品位を守るために、私が手配した『清掃員用の制服』を貸し出してあげてくださいな」

「清掃員の制服か……。彼女には、それが一番似合う役職かもしれんな」

国王は、どこか吹っ切れたような顔で頷いた。

クロナが執務室を辞し、王宮の廊下を歩いていると、窓から見える夕焼けが、まるで金貨の海のように輝いていた。

「お嬢様、いよいよ準備完了ですね。ゼクス閣下からも『国境付近に、お迎えの馬車を十五台待機させてある。荷物が多いなら、さらに十台追加しよう』と伝言が届いておりますわ」

「十五台! ふふ、さすがはゼクス閣下。私の資産規模を正確に把握していらっしゃるわね」

クロナは、満足げに頷いた。

「(愛だの恋だの、そんな不確かなものに人生を賭けるなんて、やっぱり私には向いていないわ。……こうして、数字と計算で未来を切り開く。これこそが、私の生きる道ですもの)」

翌日の卒業パーティー。
それは、一人の悪役令嬢が「婚約破棄」をされる絶望の舞台ではない。
彼女がこの国を見限り、新しい世界への第一歩を記す、最高に華々しい「出航式」になるはずだった。

「さあ、ジュリアン。せいぜい喉を震わせて、その無能な叫びを会場に響かせなさいな。貴方の声が聞こえるたびに、私の『移住お祝い金』が、跳ね上がる計算になっているのだから」

クロナの足取りは、王宮のどの王族よりも堂々と、そして確かな勝利の予感に満ちていた。
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