婚約破棄された悪役令嬢、念願の相談所を始めたら溺愛?

パリパリかぷちーの

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「……ふう。少し休もうか」

ラシード公爵がグラスを片手に、バルコニーへの扉を開けた。
私も後に続く。

夜風が火照った頬に心地よい。
会場内の熱気と、何十人もの貴族を相手にした「営業トーク(及び脅迫)」で、私の喉はカラカラだった。

「お疲れ様です、閣下。本日の成果は上々ですね」

私は手帳を開き、月明かりの下で確認した。

「財務大臣の裏帳簿の在り処を吐かせたのが三件、建設業者との癒着を暴いたのが二件。そして、私の相談所の新規顧問契約が五件。……時給換算すると、過去最高益です」

「……お前は、この状況でも計算か」

公爵が手すりにもたれかかり、苦笑する。
その横顔は、いつもの厳しい表情ではなく、どこか憑き物が落ちたように穏やかだった。

「計算は私のライフワークですから。……それに、閣下こそ楽しそうでしたよ? あんなに生き生きと貴族を追い詰める姿、初めて見ました」

「否定はせん。……お前が隣にいると、不思議と迷いがなくなる」

公爵が夜空を見上げる。

「これまでは、貴族たちの顔色を窺い、利害調整に奔走するのが私の仕事だと思っていた。だが、お前は違う。『不正はコストの無駄』と切り捨て、『無能は排除すべきリスク』と断言する」

「事実ですから」

「ああ。その潔さが……私には救いだった」

公爵がグラスの中の液体を飲み干し、ゆっくりと私に向き直った。
その瞳が、夜の闇の中で青く光る。

「……コンシュ」

「はい?」

一歩、彼が近づいてくる。
私は反射的に半歩下がろうとしたが、背後は石造りの壁だった。

「……あ」

逃げ場がない。
公爵の長身が、私を覆うように迫る。
そして。

ドンッ!!

耳元で、硬質な音が響いた。
公爵の右手が、私の顔の横の壁に叩きつけられている。
いわゆる『壁ドン』だ。

至近距離。
整いすぎた彼の顔が、すぐ目の前にある。
吐息がかかるほどの距離だ。

「か、閣下……?」

さすがの私も、少し動揺した。
これは何の威嚇行動だ?
請求書の金額に不服があったのか?
それとも、さっき食べたカナッペのソースが口についているのか?

「……お前を、誰にも渡したくないと思った」

公爵が低い、熱を帯びた声で囁く。

「ジェラルドにも、他の男にも、そして金という名の魔物にも。……お前は、私の傍にいるべきだ」

甘い言葉。
夜会の魔法か、アルコールのせいか。
普段の彼からは想像もつかないセリフだ。

普通の令嬢なら、ここで頬を染めて「ラシード様……」と瞳を潤ませる場面だろう。
心臓が早鐘を打つシチュエーションだ。

だが、私の脳内CPUは、別の処理を開始していた。

『キーワード検出:誰にも渡したくない、傍にいるべき』
『翻訳:独占契約の希望、常駐義務の発生』
『結論:条件交渉の開始』

私は冷静に瞬きをし、公爵を見返した。

「……つまり、閣下」

「……なんだ」

「単発の依頼ではなく、『月額固定の専属顧問契約(フルタイム)』に切り替えたい、というお話ですね?」

「…………は?」

公爵の動きが止まった。
甘い雰囲気に、冷水がぶっかけられたような顔をしている。

私は構わず、ポケットから万年筆を取り出した。

「『誰にも渡したくない』ということは、他社との契約を禁止する『独占業務条項』が含まれます。これには高い拘束料が発生しますが、よろしいですか?」

「……い、いや、私はそういう法的な話をしておるのではなく……」

「さらに『傍にいるべき』ということは、相談所を離れて公爵邸、あるいは王城に常駐する必要があります。これには『出張手当』および『住居手当』、さらには『深夜対応手当』が加算されます」

私は壁に手をついたままの公爵の胸に、手帳を押し当てた。

「提示額は、現在の月額の三倍。加えて、ボーナスは年二回。有給休暇は完全消化。……いかがでしょう、この条件で?」

「…………」

ラシード公爵の手が、壁からずり落ちた。
彼は深い、深い溜息をつき、ガックリと項垂れた。

「……勝てん」

「はい?」

「このムードで、金の話ができるお前には……完敗だ」

公爵は私の肩に額を預けた。
その体から力が抜けている。

「……私は、お前の『心』が欲しいと言ったつもりだったのだが」

「心?」

私は首を傾げた。

「心なら、契約書に『誠心誠意尽くすこと』という条項を入れれば済みますよ。私の誠意は、報酬額に比例しますから」

「……くっ、ふふっ」

公爵の肩が震え始めた。
泣いているのかと思ったら、笑っていた。

「ははは! そうだ、そうだったな! お前はそういう女だった!」

彼は顔を上げ、涙が出るほど笑っていた。
先ほどの情熱的な表情は消え、代わりに晴れやかな笑顔が浮かんでいる。

「いいだろう、コンシュ・ワイズマン! その契約、乗った!」

「ありがとうございます! では、後ほど正式な書類を作成します!」

「ただし!」

公爵は私の鼻先を、指でツンと突いた。

「『報酬額に比例した誠意』だぞ? 私が全財産を投げ出したら、お前は私に『愛』ごとくれるのか?」

「全財産……?」

私は一瞬、計算した。
公爵家の資産総額。
国家予算に匹敵する莫大な金額だ。
それがあれば、相談所どころか、国の一つや二つ買える。

「……検討します。前向きに」

私が答えると、公爵は満足げに頷いた。

「悪くない答えだ。……いつか、その『見積もり』を出させてやる」

彼は私の手を取り、その甲に恭しく口づけを落とした。
それは契約の印のようで、けれど微かに熱く、私の胸の奥を少しだけざわつかせた。

「さあ、戻ろうか。私の『専属顧問』殿」

「ええ。残業代はしっかりつけておきますからね」

私たちはバルコニーを後にした。
壁ドンの結果は、甘いキスではなく、高額な契約成立だった。
けれど、繋がれた手の温もりは、どんな契約書よりも確かなものに感じられた。

……まあ、それはそれとして。
「独占契約料」の項目、しっかり上乗せしておかなくちゃね。
私は心の中でニヤリと笑い、輝く会場へと戻っていった。
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