婚約破棄された悪役令嬢、念願の相談所を始めたら溺愛?

パリパリかぷちーの

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「……次の方、どうぞ」

『ワイズマン万事相談所』は、今日も戦場だった。

「ワイズマン様! 隣国の商人と契約トラブルになりまして!」
「うちの息子がまたカジノで……!」
「屋根裏にドラゴンが住み着いたのですが、駆除費用はいくらですか?」

開店と同時に長蛇の列。
王都のあらゆるトラブルが、私の元へ集まってくる。
それは私の名声が高まった証拠であり、すなわち「儲け時」であることを意味していた。

「……契約書、第4条に不備があります。修正して再提出を。ドラゴンの駆除は管轄外ですが、交渉による立ち退きなら承ります。着手金は金貨五十枚」

私は機械のように処理を続けた。
右手にペン、左手に電卓。
脳内は高速回転し、休む暇もない。

(……少し、視界が揺れるわね)

ふと、文字が二重に見えた。
頭の奥で鈍い痛みがする。
だが、私は頭を振って無視した。

「疲れ? いいえ、これは『利益への渇望』が足りないだけよ。……さあ、次の案件!」

私は栄養ドリンク(ミナが持ってきた怪しい色の液体だが、背に腹は代えられない)を一気飲みし、笑顔を作った。

そこに、聞き慣れた低い声が響いた。

「……おい、コンシュ。顔色が悪いぞ」

いつもの席で書類仕事をしていたラシード公爵が、心配そうにこちらを見ている。

「気のせいです、閣下。……それより、その書類の決裁は終わりましたか? 午後から建設省との折衝がありますよ」

「そんなことはどうでもいい。……休憩しろ。手が震えている」

「震えていません。これは『高速処理による残像』です」

私は強がった。
今ここで休むわけにはいかない。
目の前には、助けを求める顧客(カモ)たちが山ほどいるのだ。
彼らを逃せば、機会損失は計り知れない。

「次の方!」

私は公爵の制止を振り切り、次の客を呼んだ。
入ってきたのは、恰幅のいい商人だった。

「へへへ、ワイズマン様。実は脱税……いや、節税のご相談でして」

「……脱税は犯罪です。ですが、合法的な節税スキームなら提案できます。……うっ」

突然、世界が回った。
強烈な目眩。
地面が斜めになり、天井が落ちてくるような感覚。

「……あれ?」

私の体が、意思に反して傾いていく。
デスクの角が迫ってくる。
ぶつかる――!

そう思った瞬間。

ガシッ!!

強い衝撃と共に、誰かの腕に抱き留められた。
硬い胸板の感触。
そして、微かに香る高級なインクと珈琲の匂い。

「……馬鹿者が」

頭上から降ってきたのは、怒気を含んだ、けれど焦りに満ちたラシード公爵の声だった。

「か、閣下……?」

「黙れ。……おい、全員帰れ!!」

公爵が叫んだ。
その一喝で、店内の空気が凍りつく。

「本日の営業は終了だ! 急患だ! さっさと出ていけ!」

「え、でも公爵様、私たちは予約を……」

「聞こえんのか! これ以上この女に仕事をさせるなら、私が相手になるぞ! 貴様らの商売、この国でできなくしてやってもいいんだぞ!」

『氷の閣下』の本気の恫喝。
客たちは「ひいいっ!」と悲鳴を上げ、我先にと逃げ出した。
一分とかからず、店内は空っぽになった。

「……あ」

私は公爵の腕の中で、呆然とそれを見ていた。

「……何をするんですか、閣下。私の……私の売上が……」

「まだ金の話か!」

公爵が私を抱き上げたまま、ソファへと運ぶ。
その手つきは乱暴だが、私を置く動作は壊れ物を扱うように慎重だった。

「熱があるじゃないか。……働きすぎだ、アホ」

公爵の手が私の額に触れる。
冷たくて気持ちいい。
そこで初めて、自分が発熱していることに気づいた。

「……ただの知恵熱です。三十分寝れば治ります」

「治るか。三日は寝ていろ」

「三日!? 無理です! 明日は王子の内職の検品がありますし、明後日は隣国の大使と会食が……!」

私が起き上がろうとすると、公爵は容赦なく私を押し倒した。
そして、私の顔の横に『未決裁の重要書類』の束をドサリと置いた。

「……なんだと思いますか、これ」

「燃やすぞ」

「は?」

公爵は片手に火魔法(着火用)を灯した。
ゆらめく炎が、書類の端を舐める。

「お前が今すぐ寝ないなら、この国の重要書類、およびお前の帳簿、さらには金庫の中の権利書まで、すべて燃やす」

「なっ……!?」

私は青ざめた。
権利書! 私の城(相談所)の権利書が!

「や、やめてください! それは私の命より重いものです!」

「なら寝ろ。……私が許可するまで、一歩も布団から出るな」

「……独裁者」

「なんとでも言え。……お前が倒れたら、誰が私の書類を片付けるんだ」

公爵はフンと鼻を鳴らし、火を消した。
そして、どこからか毛布を持ってきて、私をぐるぐる巻きにした。
まるで芋虫だ。

「……医者を呼ぶ。それまで大人しくしていろ」

「医者なんて高い……」

「私の専属医だ。タダで診させる」

「……なら、お願いします」

無料なら文句はない。
私は抵抗を諦め、ソファに沈み込んだ。
途端に、鉛のような倦怠感が襲ってくる。
ああ、私、本当に疲れていたんだ……。

薄れゆく意識の中で、公爵が私の手を握っているのが分かった。

「……すまない」

小さな声。

「私が頼りすぎた。……お前が頑丈だからと、甘えていた」

そんなことないですよ、閣下。
私が好きで働いていただけです。
そう言いたかったが、声が出なかった。

「……ゆっくり休め。仕事のことは忘れて」

公爵の手は、驚くほど温かかった。
その温もりに包まれて、私は深い眠りへと落ちていった。

   ◇

次に目を覚ました時、窓の外は夕焼けに染まっていた。
体のだるさは少しマシになっている。

「……気がついたか」

枕元に、ラシード公爵が座っていた。
椅子を持ってきて、ずっと看病していたらしい。
上着を脱ぎ、シャツの袖をまくっている。
その手には、濡れタオルと、なぜか『りんご』が握られていた。

「……閣下。仕事は?」

「休んだ。……部下に丸投げした」

「職務放棄ですね。減給対象ですよ」

「うるさい。……喉、乾いてないか?」

公爵は不器用な手つきでりんごを剥き始めた。
皮が途切れ途切れになり、実の半分くらいが削ぎ落とされていく。
見ていられない。

「……貸してください。私がやります」

「寝てろと言っているだろう! ……くそっ、なぜ剣より難しいんだ」

公爵は悪戦苦闘している。
『氷の閣下』が、りんご一つにムキになっている姿。
なんだか、とてもおかしくて。

「ふふっ」

私は思わず笑ってしまった。

「……何がおかしい」

「いえ。……不器用だなと思って」

「……誰のせいだと思っている」

公爵は少し顔を赤くして、不格好に切られたりんごの一欠片を差し出した。

「ほら、食え。……毒は入ってない」

「いただきます」

シャリッ。
口に入れると、甘酸っぱい果汁が広がった。
形は悪いけれど、味は最高だった。

「……美味しいです」

「そうか。……なら、よかった」

公爵が安堵の表情を浮かべる。
その顔を見て、私はふと思った。

(ああ、この人は……)

いつも偉そうで、冷徹で、仕事人間だけど。
本当は、誰よりも私のことを気にかけてくれている。
金や契約だけじゃない。
もっと別の、温かい何かで。

「……閣下」

「なんだ」

「看病代、請求しませんから」

「……当たり前だ」

「その代わり……もう少しだけ、ここにいてください。一人だと、また仕事をしてしまいそうなので」

「……監視役か。いいだろう、引き受けた」

公爵は私の手を握り直した。
その手は大きく、頼もしかった。

「……おやすみ、コンシュ」

「おやすみなさい、ラシード様」

私は初めて、彼のことを名前で呼んだ。
彼は少し驚いたように目を見開いたが、何も言わずに優しく微笑んだ。

相談所は静かだった。
書類の山も、客の喧騒もない。
ただ、夕暮れの光と、大切な人の温もりだけがあった。

……たまには、休むのも悪くないかもしれない。
ただし、明日からは倍働いて、今日の損失を取り戻すけどね!

私は心の中でそう誓い、再び甘い微睡みの中へと落ちていった。
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