悪役令嬢は婚約破棄に「異議なし」です!

パリパリかぷちーの

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「待てと言っているだろう! ピース!」

夜会会場から続く長い廊下に、ジェラルド王子の声が響いた。

ピースは天を仰いだ。

せっかくの「自由への第一歩」であるスキップが中断されてしまったからだ。

彼女はわざとらしく大きなため息をつき、くるりと振り返った。

そこには、肩で息をするジェラルド王子と、遅れてやってきたミナ、そして野次馬根性丸出しの貴族たちがいた。

「……殿下。サインは頂きましたし、契約は成立したはずです。これ以上、何か御用でしょうか? ちなみに今の私はフリーランスですので、これからの拘束時間は相談料が発生しますけれど」

「そ、相談料だと……? 貴様、どこまで金に汚いんだ!」

「時は金なり。私の座右の銘です」

ピースは懐中時計を取り出し、チラリと確認した。

「今から一分ごとに金貨一枚を請求させていただきますね」

「ふざけるな! 僕が追いかけてきたのは、貴様のその減らず口を封じるためだ!」

王子は顔を真っ赤にして、ピースに指を突きつけた。

彼は納得がいっていないのだ。

婚約破棄をされた女は、泣いて縋るか、絶望して膝をつくものだという固定観念があるからだ。

こんなに晴れ晴れとした顔で、しかも早足で帰ろうとするなど、彼のプライドが許さない。

「貴様は強がっているだけだ! 本当は悔しくてたまらないんだろう? だから先ほども、あんな苦しい言い訳を並べ立てて……」

「言い訳? 事実陳列罪の間違いでは?」

「黙れ! まだあるぞ、貴様の悪行は! ミナが言っていたぞ。貴様に『怪しげな薬』を盛られそうになったと!」

観衆が「おお……」とどよめく。

毒殺未遂となれば、ただの婚約破棄では済まされない。

ミナが王子の後ろから、涙目で顔を出す。

「そ、そうですぅ……。ピース様、こないだ私の部屋に、ドクロマークの瓶を持ってこられたじゃないですかぁ……怖かったですぅ……」

ピースは記憶の検索をかけた。

検索時間、〇・二秒。

「ああ、あれですね」

ピースはポンと手を打った。

「あれは『劇薬』ではなく『激辛スパイス』です」

「は?」

「ミナ様、食堂のご飯が味気ない、刺激が足りないと嘆いておられたでしょう? ですから、私が懇意にしている南の貿易商から取り寄せた、『死神も逃げ出す激辛デスソース』を差し入れしたのです」

「デ、デスソース……?」

「はい。ドクロマークはブランドロゴです。一滴で火を吹く辛さですが、美容と代謝アップには効果的ですよ。実際、ミナ様は最近お肌のツヤが良いのでは?」

ミナが思わず自分の頬を触る。

「あ、確かに……最近化粧ノリがいいかも……」

「だまされるなミナ! それは偶然だ!」

王子が慌ててミナの手を引いた。

「じゃ、じゃあ、これはどうだ! 貴様、夜な夜な森の奥で『藁人形』を木に打ち付けていただろう! 僕とミナを呪うために!」

再びのどよめき。

呪術は重罪である。

しかし、ピースは涼しい顔で首をかしげた。

「藁人形? ああ、剣術の稽古用の案山子のことですね」

「か、案山子だと?」

「はい。最近運動不足でしたので、ストレス発散……いえ、護身のために毎晩打ち込み稽古をしておりました。確かに藁で作りましたが、別に誰かを模したわけではありません」

「嘘をつけ! その人形の胸には『バカ王子』と書かれた紙が貼ってあったという証言がある!」

一瞬、沈黙が落ちた。

ピースは視線を斜め上に逸らした。

「……それは、モチベーションを高めるための『概念的な敵』の名前であり、特定の個人を指したものではありません」

「完全に僕のことじゃないかッ!!」

「自意識過剰はお止めください。世の中にバカな王子は五万といます」

「この国の王子は僕と兄上だけだ!」

「では二分の一の確率ですね」

「貴様ぁぁぁ!!」

王子が地団駄を踏む。

何を言っても暖簾に腕押し、糠に釘。

ピースの鉄壁の防御(と言い逃れ)に、王子のライフポイントは削がれていくばかりだ。

だが、王子は諦めない。

最後にして最大のカードを切った。

「これなら言い逃れできまい! 貴様、王家の予算を横領しただろう!」

シーン、と廊下が静まり返った。

これは笑い事では済まされない。

横領。

それが事実なら、アスター公爵家そのものが取り潰しになる大罪だ。

王子は勝ち誇った顔で言った。

「調べはついているんだ。貴様が婚約者として王城に出入りするようになってから、予算の一部が不明瞭な動きをしている! その金で、私腹を肥やしていたんだろう!」

ミナも「最低ですぅ……」と眉をひそめる。

周囲の貴族たちも、さすがに軽蔑の眼差しを向けた。

だが。

ピースだけは、あきれ返ったようにため息をついた。

「殿下。算数はおできになりますか?」

「なっ、馬鹿にするな!」

「ではお聞きします。私が管理に関わってから、王家の年間支出はどうなりましたか?」

「え……?」

王子は答えられない。

そもそも予算書など見たこともないのだ。

ピースは懐から、先ほどの契約書とは別の、分厚い手帳を取り出した。

「お答えしましょう。私が介入する前と比較して、無駄な経費を三〇パーセント削減しました。浮いた予算は、老朽化していた城壁の修繕と、兵士たちの給与ベースアップ、そして孤児院への寄付に回しています」

ピースは手帳をパラパラとめくり、一枚のペラ紙を王子に見せつけた。

そこには複雑なグラフと数字が羅列されている。

「殿下が仰る『不明瞭な動き』というのは、私が裏帳簿を作って資金洗浄(マネーロンダリング)……ではなく、資産運用をした記録のことでしょう」

「し、資産運用……?」

「はい。ただ金庫に眠らせておくのは死に金です。ですから、安全性の高い国債と有望な新興商会への投資に回し、年間で約一五パーセントの運用益を出しました。その利益は全額、国庫に納めております」

ピースはピシャリと手帳を閉じた。

「つまり、私は横領どころか、王家の資産を増やした功労者です。感謝状の一枚も頂きたいところですが?」

ぐうの音も出ないとはこのことだ。

王子は口をパクパクと開閉させ、金魚のようになっていた。

横領だと思っていたものが、まさかの敏腕ファンドマネージャー並みの神業だったとは。

「嘘だ……そんなの、女にできるわけが……」

「性別は関係ありません。必要なのは数字への愛と、無駄を許さない心です」

ピースは冷ややかに言い放つと、懐中時計をパチンと閉じた。

「さて。これ以上お話ししても、殿下の理解力を超えるようですので、この辺りで失礼します。あ、今の会話時間は五分ですので、金貨五枚。後ほど請求書に追加しておきますね」

「金取るのかよ!?」

「当然です。コンサルタントは体が資本ですから」

ピースは優雅に微笑み、呆然とする王子とミナを置き去りにして、再び歩き出した。

今度こそ、誰も彼女を止めようとはしなかった。

あまりにも鮮やかすぎる論破劇に、貴族たちは恐怖すら覚えていたのだ。

(ふふん、勝った!)

ピースは心の中でVサインを作る。

これで王城ともおさらばだ。

あとは馬車に乗って、実家に帰って、南の島への逃亡計画を実行に移すだけ。

そう思っていた、その時だった。

「……おい」

不意に、背後から低く、重厚な声がかかった。

王子のヒステリックな声とは違う。

もっと腹の底に響くような、威圧感と色気を孕んだ声。

ピースは反射的に立ち止まった。

ゆっくりと振り返ると、そこには夜会の喧騒から切り離されたかのような、一人の男が立っていた。

黒髪に、氷のような青い瞳。

長身を包むのは、飾り気のない、しかし仕立ての良い軍服風の礼装。

「……サイラス・グレイヴ辺境伯?」

ピースは眉をひそめた。

なぜ、「氷の魔術師」と呼ばれる国の英雄が、自分に声をかけてくるのか。

サイラスは無表情のまま、ピースに近づいてきた。

その手には、先ほどピースが落とした(と思われる)ハンカチが握られている。

「落とし物だ」

「あ、すみません。……って、これ雑巾ですけど」

ピースは素直に言った。

そう、それはハンカチではなく、馬車の車輪を拭くために持っていた古布だったのだ。

サイラスの眉がピクリと動く。

「……雑巾?」

「はい。安物の綿です。捨てておいてください」

ピースは興味なさそうに手を振った。

だが、サイラスはそのボロボロの布を、まるで聖遺物か何かのようにじっと見つめ、それから懐にしまい込んだ。

「いや。貰っておく」

「はい?」

「お前の『事実陳列罪』とやら、面白かった。……特に、あの馬鹿王子への切り返しは芸術的だ」

サイラスの口元が、微かに、本当に微かに弧を描いた。

笑ったのだ。

あの「氷の魔術師」が。

ピースは背筋に寒気を感じた。

(え、何この人。怖いんですけど)

「お褒めにあずかり光栄ですが、私は急ぎますので!」

ピースは逃げるようにその場を後にした。

関わってはいけない。

彼女の「トラブル回避センサー」がガンガンと警鐘を鳴らしていた。

だが、彼女はまだ知らない。

この瞬間、サイラスの中で「興味」という名の種が蒔かれてしまったことを。

そして、その種が異常な速度で「執着」という大樹に育つ未来を。

ピースが去った後。

サイラスは懐から「雑巾」を取り出し、愛おしそうに匂いを嗅いだ。

「……油と、ほのかなラベンダーの香りか。悪くない」

周囲の貴族たちは、王子以上にドン引きしていた。
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