最強の悪役令嬢、婚約破棄で逃げます!

パリパリかぷちーの

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チュンチュン、と小鳥のさえずりが聞こえる。

木漏れ日が瞼(まぶた)を優しく撫でる。

爽やかな風が、頬をくすぐる。

「……んぅ……」

私はゆっくりと目を開けた。

体が軽い。

頭が痛くない。

吐き気がしない。

「……奇跡だわ」

私は天井(の穴から見える青空)を見上げて呟いた。

時計を見ると、時刻は昼の十二時を回っている。

昨夜、泥のように眠りに落ちたのが夜の八時頃だから、実に十六時間も眠り続けたことになる。

「十六時間……!」

公爵令嬢として、また王太子の婚約者として生きてきた十八年間で、これほどの長時間睡眠をとった記憶はない。

最高記録でも、風邪で高熱を出した時の八時間だ。

「幸せって、こういうことなのね……」

私は感動に打ち震えながら、二度寝を決め込もうと布団(ソファ)に潜り込んだ。

その時だ。

『グゥゥゥゥ……』

腹の虫が、盛大なファンファーレを奏でた。

「……そういえば、昨日から何も食べていないんだったわ」

睡眠欲と食欲。

究極の二択を前に、私は数秒間葛藤したが、漂ってくる「ある匂い」に負けて体を起こした。

香ばしい香り。

野菜をじっくりと煮込んだスープの匂いだ。

「起きたかい? 眠り姫」

リビングの入り口から、昨夜の不法侵入者――アレンが顔を覗かせた。

彼は腕まくりをして、湯気の立つ鍋を手に持っている。

「……おはようございます。まだいたんですか」

「酷い挨拶だね。せっかく朝食――いや、昼食を作って待っていたのに」

アレンは部屋の中央にあるテーブル(ここだけ彼が掃除したらしい)に鍋を置いた。

「君、何も食べずに寝ただろう? 顔色が悪いよ」

「これは地顔です。……で、そのスープは何ですか? 毒入り?」

「森で採れたキノコと山菜、それに僕が持っていた干し肉を煮込んだポトフだよ。毒見は済ませてある」

アレンが器によそって差し出してくる。

私は疑り深い目を向けたが、空腹には勝てなかった。

おずおずとスプーンを口に運ぶ。

「……!」

美味しい。

シンプルな塩味だが、素材の出汁(だし)がよく出ている。冷え切った体に、温かいスープが染み渡っていく。

「どう?」

「……悔しいですが、絶品です」

「それはよかった」

アレンは満足そうに微笑み、向かいの席に座ってリンゴを齧り始めた。

「君、名前は?」

「……カグヤです」

「カグヤか。いい名前だね。僕はアレン。改めてよろしく」

「よろしくしません。食べ終わったら出て行ってください」

私はスープを飲み干し、二杯目を要求しながら言った。

「昨夜も言いましたけど、私はここで静かに暮らしたいんです。貴方のような得体の知れない美青年がいると、平穏が乱れます」

「美青年と認めてくれるのは嬉しいけど、僕も行く当てがなくてね」

アレンは大げさに肩をすくめた。

「実は、故郷でちょっとしたトラブルがあってね。逃げてきたんだ」

「トラブル?」

「ああ。実家の家業を継げとしつこく言われてね。僕は自由人だから、縛られるのが嫌いなんだ」

「……ふーん」

私は興味なさそうに相槌を打った。

(よくある貴族の放蕩息子の家出ね)

親近感が湧かないこともないが、同居する理由にはならない。

「それはお気の毒ですね。でも、ここは私の城です。定員一名です」

「そう言わずに。僕を置いておけばメリットはあるよ?」

アレンが身を乗り出してくる。

「見ての通り、料理はできる。掃除も洗濯もそこそこやれる。森での狩りも得意だ。君、一人でこの廃屋を管理するのは無理だろう?」

「……」

痛いところを突かれた。

確かに、私の生活能力は「書類仕事」と「根回し」に全振りされており、家事スキルは壊滅的だ。

このままでは、三日後にはゴミ屋敷の中で餓死している可能性がある。

「それに、君を見ていて思ったんだ」

アレンの瞳が、すっと細められた。

先ほどまでの人懐っこい雰囲気から一変、値踏みするような鋭い光が宿る。

「君、ただの『家出令嬢』じゃないね?」

「……何のことでしょう」

「昨夜の気配の消し方、短剣の構え、そして今の警戒心。普通の令嬢なら、こんな場所で十六時間も爆睡できない」

アレンは口元に笑みを浮かべているが、目は笑っていない。

「君、相当な『修羅場』を潜り抜けてきただろう? 軍師か、あるいは密偵の類(たぐ)いかな?」

(……勘が鋭い男)

私は心の中で舌打ちをした。

やはり、コイツはただの遊び人ではない。

「誤解です。私はただの、労働に疲れた一般市民です」

「ははっ、一般市民はそんな殺気を放たないよ。……ねえ、カグヤ」

アレンがテーブル越しに手を伸ばし、私の手を取ろうとした。

私は即座にスプーンで彼の手を叩き落とす。

「痛っ! ……まあいいや。単刀直入に言おう。僕の下で働かないか?」

「は?」

「君のその度胸と能力、気に入った。僕の補佐官として雇いたい。給料は弾むよ? 王都の役人の倍は出そう」

予想外の提案に、私はポカンと口を開けた。

スカウト?

この私が、婚約破棄されてニートになった翌日に、森の廃屋で再就職の勧誘を受けている?

「……お断りします」

私は即答した。

「なぜ? 条件は悪くないはずだよ」

「条件の問題ではありません。私は誓ったんです」

私はスプーンをマイクのように握りしめ、高らかに宣言した。

「私は今後、一切の労働をしません。上司も部下も持ちません。納期も締め切りも定時も存在しない世界で生きるんです」

「……」

「私の恋人は布団です。親友は枕です。生き甲斐は二度寝です。それ以外の一切を拒絶します」

キリッとした顔で言い放つ私に、アレンは呆気にとられたように瞬きをした。

しばしの沈黙。

やがて、彼は腹を抱えて笑い出した。

「くっ……はははは! 最高だ! 『恋人は布団』だって!?」

「笑い事ではありません。私は本気です」

「いやあ、面白い。君、本当に面白いよ」

アレンは涙を拭いながら、私を真っ直ぐに見つめた。

「益々気に入ったよ、カグヤ。君を諦めるのは惜しい」

「諦めてください」

「嫌だね。僕は欲しいものは手に入れる主義なんだ」

アレンは立ち上がり、ニカッと笑った。

「決めたよ。僕もここに住む」

「はあ!?」

「家賃として、君の食事と身の回りの世話は僕がしよう。その代わり、君は僕の隣にいてくれればいい。どうだ?」

「……家政夫(ハウスキーパー)になるということですか?」

「まあ、そんなところだ。君の堕落した生活を、僕が全力でサポートしてあげる」

悪魔の囁きだ。

掃除、洗濯、料理。

それらを全て丸投げできるなら、私のスローライフはより盤石なものになる。

しかし、その代償として、この得体の知れない男と同居することになる。

(……背に腹は代えられない、か)

私は空になったスープ皿を見た。

美味しいご飯は、正義だ。

「……条件があります」

「なんだい?」

「私に仕事を振らないこと。私の睡眠を妨害しないこと。そして、私が『あっち行け』と言ったら、大人しく庭のテントにでも退避すること」

「厳しいねえ。でも、交渉成立だ」

アレンが手を差し出す。

私は渋々、その手を握り返した。

「契約成立ですね。……では、早速ですが」

「うん?」

「お腹がいっぱいになったので、昼寝をします。片付けは任せました」

私は言い終わるや否や、再びソファにダイブし、シーツを頭から被った。

「えっ、本当に寝るの!? 起きてからまだ三十分だよ!?」

「おやすみなさい……」

「……凄まじいな」

アレンの呆れ声を聞きながら、私は再び幸福な微睡(まどろ)みの中へと落ちていった。

こうして。

私の隠居生活は、「謎の万能イケメン執事(自称)」付きという、予想外の形でスタートすることになったのである。

だが、私はまだ知らなかった。

彼が、私の元婚約者であるバカ王子よりも遥かに地位が高く、そして遥かに厄介な「仕事」を抱え込んでいる人物であることを。
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