最強の悪役令嬢、婚約破棄で逃げます!

パリパリかぷちーの

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「……拒否します」

私の平和な昼下がりは、玄関先での門前払いから始まった。

目の前にいるのは、近くの村の村長だと名乗る老人と、数人の村人たち。

彼らは土下座せんばかりの勢いで頭を下げていたが、私は冷酷に言い放った。

「お引き取りください。ここは『何でも屋』ではありません。私は静養中なんです」

「そ、そう言わずに! そこをなんとか! このままでは村の畑が全滅してしまいますぅ!」

村長が涙ながらにすがりついてくる。

「ですから、それは領主である父……ムーンライト公爵に陳情すべき案件でしょう」

「代官所に訴えましたが、『書類を出せ』『調査に一ヶ月かかる』の一点張りで……。一ヶ月も待っていたら、作物は干からびてしまいます!」

「お役所仕事ですね。心中お察しします。では」

私はバタンと扉を閉めようとした。

「おいおい、カグヤ」

背後からアレンがひょっこりと顔を出した。

「話くらい聞いてあげたら? 『水が出ない』って騒いでいるみたいだけど」

「聞いたら最後よ。私の貴重な睡眠時間が削られるわ」

私は頑(かたく)なだった。

一度関われば、なし崩し的に「村の相談役」にされるのが目に見えている。

私は知っているのだ。田舎のコミュニティにおける「あそこの家の人は頼りになる」という噂の拡散速度が、光の速さを超えることを。

「頼みます! 村の若い衆が総出で『バケツリレー』をやろうとしているんですが、川まで往復二時間もかかって……!」

扉の隙間から、村長の悲痛な声が漏れてきた。

ピタリ。

私の手が止まった。

「……今、なんと?」

私はゆっくりと扉を開けた。

「バ、バケツリレーでございます……。隣の山にある水源から、村人五十人で手分けして、バケツで水を運ぼうかと……」

「……期間は?」

「えっと、計算では……不眠不休でやって、一週間くらいかと」

「……」

ブチッ。

またしても。

またしても、私の脳内で「理性の安全装置」が焼き切れる音がした。

「……バカなの?」

私は低い声で呟いた。

「え?」

「往復二時間!? 五十人でバケツリレー!? 蒸発率と運搬ロスを計算に入れているんですか!? 畑に必要な水量はトン単位ですよ!? 五十人の労力を一週間費やして、得られる成果が『焼け石に水』!? 非効率にも程があるわ!」

私は扉を蹴り開け、仁王立ちになった。

「あーもう! イライラする! その計画を聞いているだけで蕁麻疹(じんましん)が出そうよ!」

「ひぃっ! も、申し訳ございません!」

「案内しなさい! その現場へ! 私が三十分で終わらせてやるわ!」

「えっ……?」

「行くと言っているの! さっさと歩く!」

私はズカズカと歩き出した。

「やれやれ。また始まった」

アレンが楽しそうに肩をすくめ、私の後ろをついてくる。

「カグヤ、君って本当に『無能な働き』を見ると放っておけないんだね」

「うるさいわね! これは人助けじゃないの! 精神衛生上の自衛措置よ!」

私は叫びながら、山道を進んでいった。



現場は、村の上流にある用水路の取水口だった。

そこには、巨大な岩が崩落して水路を完全に塞(ふさ)いでおり、水がせき止められていた。

村の男たちが数人がかりで岩を押したり、ツルハシで叩いたりしているが、岩はびくともしない。

「どいて!」

私は到着するなり、男たちを一喝した。

「あ、あんた誰だ!?」

「通りすがりのニートよ! 状況確認!」

私は岩の周りを一周し、地盤と水流を確認した。

さらに、男たちが持っている道具(ボロボロのツルハシと、数本の丸太)を見る。

「……なるほど。力任せに押しても動くわけがないわ。摩擦係数が高すぎる」

私は腕組みをして、即座に計算式を組み立てた。

この岩の推定重量は二トン。

人間の力で動かすのは不可能だが、ここには「水」と「傾斜」がある。

「いいですか、よく聞きなさい! これから物理学の授業を始めます!」

私は岩の上に飛び乗り、村人たちを見下ろした。

「そこの三人! 丸太を持ってきて! 岩の下に噛ませなさい! 支点はここ! 作用点はここ!」

「は、はい!」

私の剣幕に押され、男たちが慌てて動く。

「アレン! 貴方はそこの水門を少しだけ開けて! 水圧を利用して岩を浮かせます!」

「了解(ラジャー)。人使いが荒いなあ」

アレンが軽々と水門のハンドルを回す。

ゴゴゴ……と水が流れ込み、岩の底面を洗う。

「今よ! 浮力が発生した瞬間に、テコの原理で押し込む! タイミングを合わせて! せーのっ!」

「「「うおおおおっ!」」」

男たちが丸太に体重をかける。

水圧でわずかに浮いた岩に、テコの力が加わる。

ズズズ……。

巨大な岩が、音を立てて動き出した。

「動いた!?」

「まだよ! そのまま転がして! あそこの窪(くぼ)みに落とすの! 角度三十度! 右に修正!」

「はいっ! 右だ! 右へ押せぇ!」

「もっと腰を入れて! リズムよ! ワン、ツー! ワン、ツー!」

現場はさながら、熟練の現場監督による指揮の下で動く建設現場と化した。

そして。

ガコンッ! ドッボーン!

巨大な岩は私の計算通りに転がり、水路の脇にある排泥用の穴へと綺麗に落下した。

その瞬間。

ザァァァァァァッ!

せき止められていた水が、猛烈な勢いで水路へと流れ込んだ。

「開通した……!」

「水だ! 水が流れたぞぉぉぉ!」

村人たちが歓声を上げ、抱き合って喜ぶ。

所要時間、十五分。

私はパンパンと手の汚れを払い、岩から降りた。

「……ふん。こんなものね」

息一つ切らしていない。

頭脳労働しかしていないのだから当然だ。

「す、すげぇ……」

「あの岩を、たった十数分で……」

「魔法も使わずに……」

村人たちが、ポカンとした顔で私を見ている。

そこへ、村長が震えながら近づいてきた。

「あ、ありがとうございますぅ……! なんと御礼を申し上げればよいか……! あなたは、もしや水の女神様の使いですか……?」

「いいえ。通りすがりの一般人です」

私はピシャリと言った。

「二度とバケツリレーなんてバカなことを考えないでください。道具を使いなさい。頭を使いなさい。それが人間です」

「は、はいぃぃ! 肝に銘じますぅ!」

「では、私は帰ります。お昼寝の続きがあるので」

私は踵(きびす)を返し、颯爽と立ち去ろうとした。

「ま、待ってください!」

村長が呼び止める。

「せめてお礼を! 村一番の野菜と、採れたての卵を! あと、今夜は宴を開きますので是非!」

「宴はいりません。騒がしいのは嫌いです」

私は振り返らずに手を振った。

「でも、野菜と卵は置いておいてください。後でアレンに取りに行かせます」

「へっ? 僕?」

アレンが目を丸くしたが、私は無視して歩き続けた。

帰り道。

アレンがニヤニヤしながら並んで歩く。

「いやあ、見事な指揮だったね。『物理学の授業』、痺(しび)れたよ」

「……茶化さないで」

「茶化してないさ。君のおかげで村は救われた。これは事実だ」

アレンは私の頭をポンと撫でた。

「偉い偉い」

「……子供扱いしないで」

私は彼の手を払いのけたが、悪い気はしなかった。

効率的に問題が解決した時の爽快感(カタルシス)。
それは、何物にも代えがたい私の「快感」なのだ。

(……まあ、たまにはこういうのも悪くないわね)

私は少しだけ口元を緩めた。

だが、私はこの時、重大なミスを犯していたことに気づいていなかった。

「通りすがりの一般人」と名乗ったものの、公爵令嬢としての気品あふれる所作、上質な服、そして圧倒的な指揮能力。

これらを田舎の村人たちが見て、「ただの一般人」と信じるはずがないということを。

翌日。

私の別荘の前に、とんでもないものが供えられることになる。

それは、野菜や卵だけではなかった。

「お供え物」と書かれた木箱の中に、村人たちが書いた「悩み相談の手紙」が山のように入っていたのである。

私のスローライフは、こうして「村のご意見番(強制)」という新たなステージへと突入していった。
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