最強の悪役令嬢、婚約破棄で逃げます!

パリパリかぷちーの

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「おーっほっほっほ! パンがないなら、お菓子を食べればいいじゃないですぅ!」

爽やかな朝の森に、似合わない高笑いが響き渡った。

私は庭のロッキングチェアで本を読んでいたが、パタンと閉じてため息をついた。

「……ミナ様。そのセリフ、歴史的背景を理解して使っていますか?」

「えっ? 違うんですかぁ? 悪役令嬢の必修科目だって本に書いてありましたけど」

庭の真ん中で、扇子(私の予備)を片手にポーズを取っているミナが首を傾げる。

「あれは無知な王妃の発言ではなく、捏造(ねつぞう)されたプロパガンダという説が有力です。それに、今の貴女が言うと『ただの食いしん坊』にしか聞こえません」

「むぅ……悪役への道は険しいですねぇ」

ミナはしょんぼりと肩を落としたが、すぐに復活した。

「じゃあ次は、『この泥棒猫!』の練習をします! アレン様、猫役をお願いします!」

「はいはい。ニャー」

洗濯物を干していたアレンが、ノリノリで猫の真似をする。

「……平和ね」

私は呆れつつも、再び本を開いた。

ミナが転がり込んできてから三日。
騒がしくはなったが、意外にも私のストレスはそこまで溜まっていなかった。

ミナは「悪女修行」と称して、私の指示には絶対服従するからだ。
「肩を揉みなさい(悪女は部下をこき使うものよ)」と言えば、「はいっ! 揉みますぅ!」と喜んでマッサージをしてくれる。
単純すぎて心配になるレベルだが、労働力としては悪くない。

この奇妙な三人暮らしも、板についてきた。

そう思っていた矢先のことだ。

ヒュオオオオ……ッ!

空から鋭い風切り音が聞こえた。

「ん?」

見上げると、一羽の立派な猛禽(もうきん)類――鷹(タカ)が、旋回しながら急降下してくるところだった。
その脚には、赤い筒が結び付けられている。

「わぁ、大きな鳥さんですぅ! 焼き鳥ですかぁ?」

「違うよ、ミナちゃん。あれは僕の国の『軍用伝書鷹』だ」

アレンの声から、ふっと笑いが消えた。

鷹はアレンの腕に正確に着地した。
鋭い爪、鋼のような羽。
明らかに、そこら辺の鳩とは格が違う。

「……クロウの奴、直接来られないからって、空から来たか」

アレンは鷹の脚から筒を外し、中から一枚の紙を取り出した。

私はその時のアレンの横顔を見て、ドキリとした。

いつもの「優男」の顔ではない。
瞳が冷たく細められ、口元が真一文字に引き結ばれている。
それは、彼が「スターダスト公爵」という、一国の重鎮であることを思い出させる表情だった。

「……アレン?」

私が声をかけると、彼はハッと我に返り、いつもの笑顔を貼り付けた。

「ああ、ごめんごめん。実家からのラブレターだよ。『元気? お金ある?』ってね」

「嘘をおっしゃい」

私は本を置き、彼に近づいた。

「貴方の国で『赤い筒』は、緊急事態(コード・レッド)を意味するはずよ。戦争か、クーデターか、あるいは大規模災害か」

「……詳しいね、カグヤは」

アレンは観念したように肩をすくめた。

「戦争じゃないよ。今のところはね」

彼は手紙を私に見せてくれた。
そこには、短く、しかし切迫した筆致でこう書かれていた。

『隣国(東の軍事国家)が、不穏な動きを見せている。国境付近に砦(とりで)を建設中。外交交渉による解決が必要だが、相手側の将軍は閣下(あなた)しか交渉に応じないと言っている。至急戻られたし。さもなくば、開戦の恐れあり』

「……」

私は息を飲んだ。

ヘリオスの時のような「書類が終わらない」というレベルの話ではない。
数万人の命に関わる、本物の危機だ。

「……帰るの?」

私が聞くと、アレンは手紙をくしゃりと握りつぶした。

「嫌だと言ったら?」

「……」

「僕は今、君との生活が気に入っているんだ。毎日美味しいご飯を食べて、君とくだらない話をして、ミナちゃんの漫才を見る。この平和を手放したくない」

アレンは私の目を見て、子供のように訴えた。

「向こうに戻れば、また『殺し合い』と『騙し合い』の日々だ。僕はもう疲れたんだよ」

彼の言葉は本音だろう。
震える手がそれを物語っていた。

でも。

「……アレン」

私は静かに言った。

「貴方は、ヘリオスとは違うわ」

「え?」

「あのバカ王子は、自分の快楽のために仕事を放棄した。でも貴方は、仕事を放棄しても、その責任の重さを理解している」

私は彼の手を取り、握りつぶされた手紙を開かせた。

「貴方が戻らなければ、多くの人が死ぬかもしれない。それを知っていて、ここで笑っていられるほど……貴方はバカじゃないし、冷酷でもないでしょう?」

「……カグヤ」

アレンは苦しげに顔を歪めた。

「君は厳しいなあ。そこは『私が守ってあげるから行かないで』って言ってくれるところじゃないの?」

「言わないわ。非合理的だもの」

私は淡々と返したが、胸の奥がチクリと痛んだ。

行かないでほしい。
本心ではそう思っている。
彼がいなくなれば、誰が料理を作るのか。誰が屋根を直すのか。
いや、そんなことよりも。
誰が、夜の星空の下で、私の隣にいてくれるのか。

「……分かっているよ」

アレンは深いため息をつき、鷹の頭を撫でた。

「少し、考えさせてくれ。今すぐには決められない」

「ええ。夕食までには決めてね」

私は背を向けた。
これ以上彼の顔を見ていると、私の「合理性」が揺らぎそうだったからだ。

「……カグヤ様ぁ」

空気を読んだのか読んでいないのか、ミナがおずおずと近づいてきた。

「アレン様、いなくなっちゃうんですかぁ? 私、寂しいですぅ……」

「まだ決まっていないわ。それに、貴女がいるじゃない」

「私じゃ、ご飯作れませんよぉ! 黒焦げになっちゃいます!」

「……そこは練習しなさい」

その日の午後は、屋敷の中に重苦しい沈黙が流れた。
アレンは庭で薪(まき)を割り続けていた。
無心で体を動かすことで、迷いを断ち切ろうとしているように見えた。

私はリビングで紅茶を飲んでいたが、味がしなかった。

(……もし彼がいなくなったら)

私は想像してみた。
広い屋敷。静かな夜。
一人で飲む紅茶。一人で寝るソファ。

以前はそれが「理想」だったはずだ。
誰にも邪魔されない、孤独で自由な生活。

でも今は、その想像の中に「色のない寂しさ」が漂っているように感じられた。

(……バカね、私も)

私はカップを置いた。

いつの間にか、私はこの「逃亡者」に依存していたのだ。
労働力としてではない。
精神的な支柱として。

夕暮れ時。
薪割りを終えたアレンが戻ってきた。

「カグヤ」

「決まった?」

「ああ」

彼は汗を拭い、清々しい表情で私を見た。

「条件がある」

「条件?」

「僕が国へ戻るなら、君も一緒に来てほしい」

「は?」

私は耳を疑った。

「君の知恵が必要なんだ。今回の外交交渉、相手は古狸(ふるだぬき)の将軍だ。僕一人じゃ手玉に取られるかもしれない。でも、君がいれば……君のその『悪役令嬢』としてのハッタリと交渉術があれば、戦争を回避できる」

アレンは真剣な眼差しで手を差し出した。

「僕を助けてくれないか、カグヤ。これは雇用契約じゃない。パートナーとしての頼みだ」

「……」

予想外の展開だった。
私が? 隣国へ?
それはつまり、この「スローライフ」を完全に捨てることを意味する。
再び、政治と策謀の渦中へ飛び込むということだ。

「断るわ」

私は即答するつもりだった。
口を開きかけた。

「……と言いたいところだけど」

言葉が勝手に変わった。

「その交渉が終わったら、確実に休みは取れるの?」

「約束する。週休四日……いや、君の好きなだけ休んでいい。僕の領地には、ここよりずっと快適な別荘もあるし、温泉もある」

「……温泉」

私の心が揺れた。
温泉。それは、疲れた現代人(転生者ではないが)にとって最強のキラーワードだ。

それに。

(彼を一人で行かせるのは……心配だわ)

ヘリオスほどではないにせよ、アレンもお人好しなところがある。
私がついていって、後ろから指示を出してやった方が、効率的かつ安全に事が運ぶだろう。

「……はぁ」

私は大きなため息をつき、彼の手を取った。

「仕方ないわね。乗りかかった船よ。私のコンサルティング料は高いわよ?」

「ありがとう、カグヤ!」

アレンがパァッと顔を輝かせ、私を抱きしめようとした。

「ストップ。汗臭いわ」

私は扇子で彼を止めた。

「でも……一つ問題があるわ」

私は後ろを振り返った。
そこには、不安そうな顔で立ち尽くすミナがいた。

「ミナ様をどうするかよ。連れて行くわけにはいかないし、ここに一人で置いていくわけにも……」

「私も行きますぅ!」

ミナが手を挙げた。

「私、カグヤ様の弟子ですから! 地獄の果てまでついていきますぅ!」

「地獄じゃなくて隣国よ。それに、外交の場に貴女のような爆弾を持ち込んだら……」

「大丈夫です! 私、最近『愛想笑い』を覚えました!」

ミナがニカッと笑う。引きつっているが、進歩はしている。

「……アレン」

「まあ、なんとかなるんじゃないかな? 彼女、意外と度胸はあるし」

アレンは楽観的だ。

こうして。
私の「森の隠居生活」は、わずか二週間足らずで幕を閉じることになった。
まさかの「隣国への出張(外交戦争)」という、最も働きたくない展開を迎えて。

だが、私の心は不思議と高揚していた。
アレンと共に、新しい舞台へ行く。
それは、かつての「やらされる仕事」とは違う、自分たちで選んだ「戦い」だったからかもしれない。

「出発は明日の朝よ。荷造りを始めなさい」

「はいっ! 師匠!」

「了解、相棒」

私たちは動き出した。
目指すは西の国。
待っていろ、好戦的な将軍よ。
私のスローライフを邪魔する奴は、物理法則と言葉のナイフで叩き潰してやる。
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