最強の悪役令嬢、婚約破棄で逃げます!

パリパリかぷちーの

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「……荷造り、終わったわね」

最後の夜。

月明かりだけが差し込む静かなリビングで、私は積み上げられた木箱を見上げた。

中には、私の服、アレンの調理器具、そしてミナの大量の「悪女修行ノート」が詰め込まれている。
部屋はガランとして、少し広くなったように感じる。

「寂しいかい? カグヤ」

暖炉の残り火を眺めていたアレンが、ワイングラスを片手に振り返る。

「まさか。ただの空間認識の確認よ。家具が減った分、音響効果が変わったわね」

私は強がりを言って、ソファ(これだけは梱包せずに残しておいた)に腰を下ろした。

隅の方では、ミナが毛布にくるまって「むにゃ……ヘリオス様のばかぁ……」と寝言を言いながら爆睡している。
この子の神経の図太さも、ある意味才能だ。

「……ねえ、アレン」

「ん?」

「本当によかったの? 私なんかを連れて行って」

私はワインを含みながら、ふと漏らした。

「貴方の国には、もっと優秀な軍師や参謀がいるでしょう? わざわざ隣国の、しかも『元・悪役令嬢』を連れて行くなんて、リスクしかないわよ」

これは謙遜ではない。
客観的なリスク分析だ。
私が隣国へ行けば、ヘリオスたちが「国家機密の漏洩(ろうえい)」だと騒ぐかもしれない。外交問題に発展する可能性もある。

それでも、アレンは私を選んだ。

彼はグラスを置き、私の隣に座った。

「言っただろう? 君がいいんだ」

「理由は?」

「君と一緒にいると、僕が『人間』に戻れるからさ」

アレンは穏やかに微笑んだ。

「国にいた頃の僕は、ただの『機能』だった。公爵としての機能、将軍としての機能。誰も僕自身を見てくれなかった。……でも、君は違う」

彼は私の手を取り、指先で遊ぶように触れた。

「君は僕を『便利な執事』とか『抱き枕』とか呼んで、こき使う。公爵として崇めることもなければ、遠慮もしない。……それが、たまらなく心地いいんだ」

「……ドMなの?」

「違うよ。対等ってことさ」

アレンは私の目を覗き込んだ。

「それに、僕も気づいてしまったんだ。君のいない夜は、寒すぎて眠れないってね」

「……」

ズキン。
胸の奥が甘く疼(うず)いた。

私も同じだ。
この二週間、アレンの作った料理を食べ、アレンの淹れた紅茶を飲み、アレンの修理した屋根の下で眠った。
彼がいない生活?
想像しただけで、色褪せて見える。

「……私もよ」

私は視線を逸らし、ボソリと言った。

「え?」

「私も……計算してみたの」

私は指を折りながら、早口でまくし立てた。

「私がここで一人で暮らし続けた場合のメリット。完全な自由、睡眠時間の確保。デメリットは、食事の質が低下すること、防犯上の不安、そして……話し相手がいないことによる言語野の衰退」

「言語野……」

「対して、貴方について行った場合のメリット。高水準の食事、温泉、そして……最適な『睡眠環境』の確保」

「睡眠環境?」

「ええ」

私は意を決して、彼の方を向いた。

「認めるわ。最近、貴方が近くにいないと……熟睡できないの」

王宮時代、私は常に悪夢を見ていた。
書類に埋もれる夢。王子に罵倒される夢。
でも、ここに来てからは一度も見ていない。
夜中にふと目が覚めた時、隣のソファからアレンの寝息が聞こえると、不思議とまたすぐに眠りにつけるのだ。

「貴方は私にとって、最高級の安眠素材……いえ、『生きた抱き枕』なのよ」

「抱き枕……」

アレンが目を丸くし、それから吹き出した。

「くっ……あははは! 公爵を抱き枕扱いするのは、世界中で君だけだよ」

「光栄に思いなさい。私は寝具にはうるさいのよ」

「ああ、光栄だとも」

アレンは笑いを収めると、そっと腕を広げた。

「じゃあ、試してみるかい? その抱き枕の性能を」

「……性能テストよ」

私は言い訳をして、彼の腕の中に滑り込んだ。

温かい。
硬い胸板と、包み込むような腕。
彼の体温が、私の冷えた体にじんわりと伝わってくる。

「……合格ね」

「それはよかった」

アレンが私の髪に頬を寄せる。

「カグヤ。僕の国に行っても、君を守るよ。もう二度と、あんな書類地獄には合わせない」

「期待しているわ。もし約束を破ったら、貴方の城を乗っ取って『ニート帝国』を建国するから」

「はは、それは怖いな」

私たちは身を寄せ合ったまま、しばらく動かなかった。

窓の外では、虫たちが静かに鳴いている。
明日は早朝に出発だ。
馬車に揺られ、国境を越え、戦場(外交の場)へと向かう。
きっと、面倒なことが山ほど待っているだろう。

でも。
この「抱き枕」がいれば、なんとかなる気がした。

「……ねえ、アレン」

「ん?」

「向こうに着いたら、まず温泉ね」

「了解。貸切風呂を用意させるよ」

「……一緒に入る?」

「えっ!?」

アレンの心拍数が跳ね上がったのが、背中越しに伝わってきた。

「冗談よ。……でも、背中くらい流させてあげてもいいわ」

「……君って奴は、本当に心臓に悪いな」

アレンが溜め息をつき、私を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。

「おやすみ、カグヤ」

「おやすみ、アレン」

私は目を閉じた。
意識が落ちていくその瞬間、私は確信した。

私は「昼寝」を選んだのではない。
「アレンという極上のベッド」を選んだのだと。
それはつまり、世間一般では「恋」と呼ばれるエラーに近い感情なのかもしれないが――今の私には、単なる「合理的判断」ということにしておこう。

翌朝。
朝霧の中、一台の馬車がボロ別荘を後にした。
御者台にはアレン。
荷台には私とミナ。

「さようなら、私の楽園!」

私は小さくなる別荘に手を振った。

「行ってきます、ヘリオス様! 私、ビッグな女になって戻ってきますからねぇ!」

ミナが窓から身を乗り出して叫ぶ。

「落ちるわよ、座りなさい」

「はいっ!」

馬車はガタゴトと街道を進む。
目指すは西。
スターダスト公爵領。

そこでは、頑固者の将軍と、きな臭い陰謀と、そして新たな「美味しい生活」が私たちを待っているはずだ。

「さあ、行きましょうか。私の第二の人生……『隣国出張編』の始まりよ」

私は不敵に笑い、懐中時計の蓋をパチンと閉じた。
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