婚約破棄ですって!? 実はただの無自覚天然なだけです。

パリパリかぷちーの

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リリィ様から届いた招待状を手に、私は意気揚々と彼女の屋敷へと向かった。
目的はただ一つ。招待状の隅に小さく書かれていた「当家自慢の極上スイーツをご用意しております」という文言である。
「決着をつけましょう」という物騒な言葉は、私の脳内にある「美味しいものフォルダ」によって自動的に消去されていた。

「お嬢様、顔が怖いです。獲物を狙う野獣の瞳になっていますよ」

「失礼な。私はただ、極上の甘味に敬意を表しているだけです、アン」

「リリィ様は間違いなく何か仕掛けてきます。絶対に、出されたものをすぐ口に入れないでくださいね?」

「……善処します」

リリィ様の屋敷の庭園には、すでにご令嬢たちが数人集まっていた。
皆、私を見るなり「まあ、泥沼令嬢が本当に来たわ」と扇子で口元を隠してヒソヒソと笑っている。
私はそんな視線をスルーし、真っ先にテーブルの上のラインナップを確認した。

「……ふむ。スコーンにマカロン、そして……あれは新作のタルトですね」

「あら、ポンド様。本当にお見えになるなんて、よほどお暇なんですのね」

リリィ様が、取り巻きを引き連れて優雅に(と本人は思っているであろう動きで)近づいてきた。
彼女は私の無表情な顔をジロリと睨みつけ、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「婚約破棄されて、さぞやお辛い日々を過ごされているかと思いましたのに。その不気味な顔を見れば、反省など微塵もしていないことが分かりますわ」

「反省……。そうですね、昨日は少し食べすぎて胃もたれしました。反省しています」

「食べすぎの話なんてしていませんわ! 殿下を困らせ、私をいじめた罪のことを言っていますの!」

リリィ様がキーキーと叫ぶが、私の視線は彼女の背後にあるタルトに釘付けだった。
あのタルト、少し傾いている。今にも崩れそうだ。私が支えてあげなければ。

「……リリィ様。それより、あのタルトをいただいても?」

「はあ!? 今、私が話している最中……。ええい、よろしいわ。それを食べて、毒……ではなく、私の寛大さを思い知りなさい!」

リリィ様が合図をすると、メイドが恭しく一皿のタルトを運んできた。
だが、そのタルトには、明らかに不自然な量の白い粉が振りかけられている。
……砂糖にしては、少し粒が荒いような。

「さあ、召し上がれ。当家特製の『絶叫タルト』ですわ!」

「絶叫……。そんなに美味しいのですか?」

「ええ、食べた瞬間に声が出なくなるほどですわ。おーっほっほっほ!」

私は疑うことなく、フォークでタルトを大きく切り分けた。
アンが後ろで「お嬢様、止めてください!」と小声で叫んでいるが、私の食欲にブレーキという機能は備わっていない。
パクり、と一口。

「…………」

「……どうかしら? あまりの美味しさに言葉も出ないのではないかしら?」

リリィ様が期待に満ちた目で私を見つめる。
私は咀嚼し、ゴクリと飲み込んだ。
……なるほど。

「……これ、塩ですね。しかもかなり良質な粗塩です。どこの産地のものでしょうか」

「……は?」

「甘いタルトに塩を合わせることで、リンゴの甘みを引き立てる。いわゆる『スイカに塩』の原理ですね。斬新ですが、少し量が多すぎます。リリィ様は、血圧を心配されるお年頃なのでしょうか」

「なっ、なんですって!? それは嫌がらせで入れた……じゃなくて! 塩!? 死ぬほどしょっぱかったはずよ!?」

「いえ、私の実家ではこれくらいの味付けは日常茶飯事ですので。お父様がよく、隠し味に味噌を入れたりしますから」

嘘である。公爵邸の食事は至って普通だ。
だが、私の舌は幼少期からの「つまみ食い」によって、多少の刺激には動じない鋼の仕様に進化していた。
驚愕するリリィ様をよそに、私は次の獲物を探した。

「次はあちらの紅茶を。……おや、この香りは」

「ふ、ふん! その紅茶には、特別な香料が入っていますのよ!」

「なるほど、お酢ですね。しかもバルサミコ酢。紅茶の苦みと酸味のハーモニー……。健康志向ですね、リリィ様。ダイエット中ですか?」

「…………っ!」

リリィ様が顔を真っ赤にしてプルプルと震えだした。
良かれと思って健康を気遣ったのだが、どうやら逆鱗に触れてしまったらしい。
やはり乙女にダイエットの話は禁句だったか。

「ポンド・フォン・マーガリン! 貴様、いい加減にしろ!」

聞き慣れた怒鳴り声とともに、庭の木陰からセドリック殿下が現れた。
どうやら最初から隠れて様子を伺っていたらしい。
殿下はリリィ様の肩を抱き、私を親の敵のように睨みつける。

「リリィが用意した心尽くしのおもてなしを、そんな風に侮辱するとは! どこまで根性が腐っているのだ!」

「殿下、侮辱など。私はただ、健康に配慮した素晴らしいメニューだと褒め称えていたのです」

「お酢の入った紅茶を誰が飲むか! 貴様の胃袋は泥沼でできているのか!」

「殿下、それは褒め言葉ですか? 泥沼のように、何でも受け入れる包容力があるということでしょうか」

「違うわ! 不気味だと言っているのだ!」

殿下の叫びが響く中、不意に、庭園の入り口に黒い影が落ちた。
冷気を纏ったその人物は、迷いのない足取りでこちらへと歩いてくる。

「……そこで何をしている、セドリック殿下」

「ギ、ギルバート卿!? なぜ、また貴殿が!」

ギルバート卿は、私の隣に立つと、テーブルの上の「絶叫タルト」をじっと見つめた。
そして、おもむろにフォークを取ると、私が残していた部分を一口食べた。

「……アイゼン卿、それを食べてはいけません! それは塩の塊……」

「…………」

ギルバート卿の表情が、一瞬で消えた。
元から無表情な彼だが、今は「絶対零度」と呼ぶにふさわしい冷たさを放っている。
彼は無言でティーカップを取り、お酢入りの紅茶を飲み干した。

「……アイゼン卿!? 大丈夫ですか!?」

「……ポンド。君は、毎日こんなものを食べているのか」

「いえ、今日は特別にリリィ様が……」

「…………そうか」

ギルバート卿の視線が、セドリック殿下とリリィ様へ向かう。
その瞬間、庭園の噴水がバキバキと音を立てて凍りついた。
周囲のご令嬢たちが悲鳴を上げて逃げ出す。

「殿下。……そしてリリィ嬢。公爵令嬢に対し、このような粗末な、毒にも等しい食事を強要するとは。これは王家に対する不敬、ひいては私に対する宣戦布告と受け取ってもよろしいか?」

「なっ、宣戦布告!? ギルバート卿、貴殿はたかが食事ごときで何を……!」

「たかが、ではない。食事は命の源だ。……そして、ポンドの笑顔(心の中の)を奪う行為は、私が許さん」

ギルバート卿の手から、氷の剣が顕現する。
殿下は顔を青くして、リリィ様を置いて一目散に逃げ出した。
リリィ様も「覚えてなさい!」と定番の捨て台詞を残して、屋敷の中へと消えていった。

「……アイゼン卿。助かりましたが、噴水を凍らせるのはやりすぎではないでしょうか。庭師さんが困ります」

「……君を守るためだ。それより、ポンド。口直しに行こう」

「口直し?」

「ああ。城下の一番良い店を貸し切った。そこには塩まみれのタルトも、お酢入りの紅茶もない。……君が望むなら、モンブランも用意させてある」

「……アイゼン卿。あなた、実は天使だったのですか?」

「……騎士だと言っているだろう」

ギルバート卿が、少しだけ耳を赤くして私の手を取った。
私はその手に引かれながら、心の中で「今日の戦果:タルト一個(塩味)、紅茶一杯(酢味)、そして高級モンブラン確定」と、勝利のファンファーレを鳴らした。

泥沼令嬢の胃袋は、今日も平穏である。
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