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リリィ様の屋敷を後にした私は、ギルバート卿の馬車に揺られていた。
馬車の中は、驚くほど静かだ。
ギルバート卿は腕を組み、彫刻のように端正な顔立ちで窓の外を見つめている。
だが、その周囲には微かな冷気が漂っており、明らかに機嫌が悪いことが見て取れた。
「……アイゼン卿。そんなに怒らないでください。おかげで馬車の中が天然の冷蔵庫のようですよ」
「怒っていない。……いや、怒っているな。君があのような扱いを受けて、なぜ平然としていられるのか理解に苦しむ」
「慣れですよ。それに、塩味のタルトも新鮮な驚きがありましたし」
「……君のその強靭すぎる精神(胃袋)には脱帽する。だが、これからは私が君の食事を管理する。変なものを口にさせるわけにはいかない」
「管理……。それは、毎日美味しいものを運んできてくださるということでしょうか?」
「……拡大解釈が過ぎるが、結果としてはそうなるかもしれん」
ギルバート卿が溜息をつくと同時に、馬車が止まった。
辿り着いたのは、王都でも指折りの超高級レストラン『ラ・セーヌ』。
普段なら予約で数ヶ月待ちと言われる店だが、そこには「貸切」の札が掲げられていた。
「さあ、降りろ。今日は君の胃袋を浄化する日だ」
「浄化……。なんだか聖女様のような響きですね」
店内に一歩足を踏み入れると、給仕長を筆頭に、ずらりと並んだスタッフたちが深々と頭を下げた。
私は無表情を保ちつつも、鼻をくすぐる上質なバターとハーブの香りに、内心で小躍りしていた。
案内されたのは、庭園が一望できる最高のテラス席だ。
「……アイゼン卿。ここ、お高いのでは? お父様のへそくりが飛んでいくレベルですよ」
「私の私費だ、気にするな。騎士団長の給与を使い道もなく溜め込んでいたからな」
「まあ。……独身貴族の鑑ですね」
席に着くと、すぐに前菜が運ばれてきた。
色とりどりの野菜と、宝石のように輝く魚介のマリネ。
私はフォークを手に取り、まずは一口。
「…………っ!」
「どうした。また塩か?」
「いえ……。美味しすぎて、今、私の前世の記憶が……あ、前世なんてありませんでした。今世最高の味です」
「……変な冗談を言うな。気に入ったなら何よりだ」
ギルバート卿は、私が食べる様子をじっと見つめている。
自分はほとんど手をつけず、私の咀嚼回数を数えているのではないかという勢いだ。
その視線が少し気になったが、食欲が勝った。
「卿。なぜ、私なのですか?」
「……何のことだ」
「世間では、私は『泥沼令嬢』です。何を考えているか分からない不気味な女として、忌み嫌われています。殿下のように、もっと可憐で分かりやすい令嬢の方が、卿にはお似合いかと」
私が尋ねると、ギルバート卿はワイングラスを揺らしながら、ふっと目を細めた。
その瞳は、凍った湖の底に眠る炎のような、熱い光を放っている。
「分かりにくい? ……冗談だろう。君ほど分かりやすい人間を、私は他に知らない」
「……えっ。丸見えですか?」
「ああ。今の君は、『このソースの隠し味は何か』と考えているだろう」
「……正解です。白ワインと、少しの蜂蜜……でしょうか」
「ほら見ろ。君は嘘をつけない。その無表情の下で、驚くほど純粋に世界を楽しんでいる。……私は、そんな君の『静かな情熱』に惹かれたのだ」
静かな情熱。
自分では「ただの食い意地」だと思っていたが、騎士様の手にかかればそんな格好いい言葉に変換されるらしい。
言葉の魔術師か、この人は。
「それに、泥沼というのも悪くない。一度足を踏み入れれば、二度と抜け出せない……。私は、自らそこに沈みに行く覚悟を決めた」
「……卿。それは、プロポーズ的な何かでしょうか」
「……そう聞こえたのなら、そういうことにしておこう」
ギルバート卿が、不器用な手つきで私の手を取った。
鉄の籠手ではなく、温かい素肌の感触。
私は、フォークを置いて、じっと彼の目を見つめ返した。
「……アイゼン卿。私は、結構食べる量が多いですよ?」
「……いくらでも食わせてやる」
「おやつも、三食とは別カウントです」
「……王都中の菓子職人を雇おう」
「……合格です。私の胃袋が、あなたを主(あるじ)と認めました」
「……胃袋か。……まあいい、入り口はどこでも構わない」
ギルバート卿は苦笑いしながら、私の手に軽く口づけをした。
周囲の給仕たちが「おお……」と感動の溜息を漏らしている。
だが、私の頭の中は、今運ばれてきたメインディッシュ――特製牛フィレ肉のトリュフソース添えでいっぱいだった。
「アイゼン卿。……愛を語るのも素敵ですが、お肉が冷めてしまいます」
「…………。ああ、そうだな。食べよう」
こうして、私たちの「口直しデート」は、愛の告白(という名の餌付け宣言)とともに幕を開けた。
泥沼令嬢と氷結騎士。
世間が何と言おうと、美味しいものを共有できる関係こそが、真実の愛だと私は思うのだ。
……でも、やっぱりモンブランは別腹ですよね。
私は、運ばれてくるデザートワゴンを虎視眈々と狙いながら、幸せな午後のひとときを噛み締めた。
馬車の中は、驚くほど静かだ。
ギルバート卿は腕を組み、彫刻のように端正な顔立ちで窓の外を見つめている。
だが、その周囲には微かな冷気が漂っており、明らかに機嫌が悪いことが見て取れた。
「……アイゼン卿。そんなに怒らないでください。おかげで馬車の中が天然の冷蔵庫のようですよ」
「怒っていない。……いや、怒っているな。君があのような扱いを受けて、なぜ平然としていられるのか理解に苦しむ」
「慣れですよ。それに、塩味のタルトも新鮮な驚きがありましたし」
「……君のその強靭すぎる精神(胃袋)には脱帽する。だが、これからは私が君の食事を管理する。変なものを口にさせるわけにはいかない」
「管理……。それは、毎日美味しいものを運んできてくださるということでしょうか?」
「……拡大解釈が過ぎるが、結果としてはそうなるかもしれん」
ギルバート卿が溜息をつくと同時に、馬車が止まった。
辿り着いたのは、王都でも指折りの超高級レストラン『ラ・セーヌ』。
普段なら予約で数ヶ月待ちと言われる店だが、そこには「貸切」の札が掲げられていた。
「さあ、降りろ。今日は君の胃袋を浄化する日だ」
「浄化……。なんだか聖女様のような響きですね」
店内に一歩足を踏み入れると、給仕長を筆頭に、ずらりと並んだスタッフたちが深々と頭を下げた。
私は無表情を保ちつつも、鼻をくすぐる上質なバターとハーブの香りに、内心で小躍りしていた。
案内されたのは、庭園が一望できる最高のテラス席だ。
「……アイゼン卿。ここ、お高いのでは? お父様のへそくりが飛んでいくレベルですよ」
「私の私費だ、気にするな。騎士団長の給与を使い道もなく溜め込んでいたからな」
「まあ。……独身貴族の鑑ですね」
席に着くと、すぐに前菜が運ばれてきた。
色とりどりの野菜と、宝石のように輝く魚介のマリネ。
私はフォークを手に取り、まずは一口。
「…………っ!」
「どうした。また塩か?」
「いえ……。美味しすぎて、今、私の前世の記憶が……あ、前世なんてありませんでした。今世最高の味です」
「……変な冗談を言うな。気に入ったなら何よりだ」
ギルバート卿は、私が食べる様子をじっと見つめている。
自分はほとんど手をつけず、私の咀嚼回数を数えているのではないかという勢いだ。
その視線が少し気になったが、食欲が勝った。
「卿。なぜ、私なのですか?」
「……何のことだ」
「世間では、私は『泥沼令嬢』です。何を考えているか分からない不気味な女として、忌み嫌われています。殿下のように、もっと可憐で分かりやすい令嬢の方が、卿にはお似合いかと」
私が尋ねると、ギルバート卿はワイングラスを揺らしながら、ふっと目を細めた。
その瞳は、凍った湖の底に眠る炎のような、熱い光を放っている。
「分かりにくい? ……冗談だろう。君ほど分かりやすい人間を、私は他に知らない」
「……えっ。丸見えですか?」
「ああ。今の君は、『このソースの隠し味は何か』と考えているだろう」
「……正解です。白ワインと、少しの蜂蜜……でしょうか」
「ほら見ろ。君は嘘をつけない。その無表情の下で、驚くほど純粋に世界を楽しんでいる。……私は、そんな君の『静かな情熱』に惹かれたのだ」
静かな情熱。
自分では「ただの食い意地」だと思っていたが、騎士様の手にかかればそんな格好いい言葉に変換されるらしい。
言葉の魔術師か、この人は。
「それに、泥沼というのも悪くない。一度足を踏み入れれば、二度と抜け出せない……。私は、自らそこに沈みに行く覚悟を決めた」
「……卿。それは、プロポーズ的な何かでしょうか」
「……そう聞こえたのなら、そういうことにしておこう」
ギルバート卿が、不器用な手つきで私の手を取った。
鉄の籠手ではなく、温かい素肌の感触。
私は、フォークを置いて、じっと彼の目を見つめ返した。
「……アイゼン卿。私は、結構食べる量が多いですよ?」
「……いくらでも食わせてやる」
「おやつも、三食とは別カウントです」
「……王都中の菓子職人を雇おう」
「……合格です。私の胃袋が、あなたを主(あるじ)と認めました」
「……胃袋か。……まあいい、入り口はどこでも構わない」
ギルバート卿は苦笑いしながら、私の手に軽く口づけをした。
周囲の給仕たちが「おお……」と感動の溜息を漏らしている。
だが、私の頭の中は、今運ばれてきたメインディッシュ――特製牛フィレ肉のトリュフソース添えでいっぱいだった。
「アイゼン卿。……愛を語るのも素敵ですが、お肉が冷めてしまいます」
「…………。ああ、そうだな。食べよう」
こうして、私たちの「口直しデート」は、愛の告白(という名の餌付け宣言)とともに幕を開けた。
泥沼令嬢と氷結騎士。
世間が何と言おうと、美味しいものを共有できる関係こそが、真実の愛だと私は思うのだ。
……でも、やっぱりモンブランは別腹ですよね。
私は、運ばれてくるデザートワゴンを虎視眈々と狙いながら、幸せな午後のひとときを噛み締めた。
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