婚約破棄ですって!? 実はただの無自覚天然なだけです。

パリパリかぷちーの

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「お嬢様、準備はよろしいですか? 今日は『市場調査』という名目の、実質的な初デートですよ。少しは顔に色気を出してください」

アンが私の髪を整えながら、溜息交じりに言った。
鏡の中に映るのは、相変わらず何を考えているか分からない虚無な瞳の私。
色気? そんなものは昨日の揚げ物と一緒に油の中に置いてきた。

「アン、色気よりも歩きやすさです。今日は屋台の食べ歩きを制覇しなければならないのですから、靴は底の厚いものにしてください」

「……デートの目的が完全に『食い倒れ』にシフトしていますね。まあ、お嬢様らしいですけど」

屋敷の前に出ると、そこには私服姿のギルバート卿が立っていた。
私服といっても、仕立てのいい濃紺のジャケットに白いシャツ。
隠しきれない騎士の体格と、周囲の空気をピリッとさせる威圧感は健在だ。

「……おはよう、ポンド。待たせたな」

「おはようございます、卿。……その服装、とても素敵ですね。なんだか、高級なチョコレートの包み紙のような気品を感じます」

「……チョコレートか。……まあ、君に褒められるなら、包み紙でも本望だ。さあ、行こう。今日は君に、世界中の美味が集まる王都の市場を見せてやりたい」

ギルバート卿が、少し照れたように手を差し出してきた。
私はその手を、まさに「最高級の麺棒」でも掴むかのような真剣さで握り返した。

王都の市場は、これまでにない熱気に包まれていた。
色とりどりの果物、焼きたてのパンの香り、そして威勢のいい商人たちの声。
私の鼻は、一瞬で「最高のお肉の脂が焦げる匂い」をキャッチした。

「……卿。あちらから、運命の予感がします」

「運命? ……あの大通りに、何か不審者でもいたか?」

「いえ、焼き鳥の屋台です。秘伝のタレに、炭火の魔法。これは放置してはいけない案件です」

私はギルバート卿をグイグイと引っ張り、人混みの中へと突き進んだ。
だが、今日の市場はいつも以上に混雑している。
肩がぶつかり、足を踏まれそうになる。

「……ポンド、危ない!」

ギルバート卿が私の肩を抱き寄せ、自分の方へ引き寄せた。
それと同時に、彼の周囲にパキパキという聞き慣れた音が響く。

「……卿、これは?」

「……『氷結結界・極小展開』だ。君の周囲一メートルの空間を保護し、他人が接触できないようにした。これで安心して食べ歩きができるだろう」

見れば、私の周りに薄っすらと透明な氷の壁が展開されていた。
ぶつかろうとした通行人が「冷たっ!?」と叫んで跳ね返されている。
……非常に便利だが、これ、魔法の無駄遣いではないだろうか。

「卿。……これでは、屋台のおじさんに代金が渡せません」

「……代金は私が外から投げる。君は、その聖域の中で好きなだけ食べるがいい」

「……騎士団長を何だと思っているのですか」

私は氷の壁越しに、焼き立ての鳥串を受け取った。
結界のおかげで、タレが服に飛ぶ心配もない。
外はカリッと、中はジューシー。

「……ふむ。卿、このタレは絶品です。少し、冷気で冷ましてから食べると、肉の旨味が凝縮されてなお良しです」

「……心得た。……氷結・微風(アイス・ブリーズ)」

ギルバート卿が指先を動かすと、私の手元の串にだけ、そよそよと心地よい冷風が吹きつけた。
完璧な温度。私は満足げに二本目を注文した。

市場を進むにつれ、私たちの「氷の移動聖域」はますます注目を集めていた。
周囲の貴族たちは「見て、氷結騎士様が泥沼令嬢を氷の檻に……!」「違うわ、あれは箱入りならぬ『氷入り娘』よ!」と騒いでいる。

「……卿、あちらに大きな鍋が見えます。あれは、伝説の『牛すじ煮込み』ではありませんか?」

「……ああ、そうだ。あれは三日三晩煮込まないと出ない色だな。……よし、道を空けさせよう」

ギルバート卿が鋭い眼光を放つと、人混みがモーゼの十戒のように割れた。
私たちは、行列を無視して(というか誰もが恐れて譲ってくれた)、鍋の前へと辿り着いた。

「ポンド。……口を開けてみろ。熱いから、私が冷ましてから運んでやる」

「……卿。それはさすがに、過保護が過ぎませんか?」

「……デートとは、こういうものだと騎士団の独身寮で教わった。……さあ、あーん、だ」

ギルバート卿が、煮込みの具をスプーンで掬い、ふーふーと息を吹きかける。
最強の騎士が、市場のど真ん中で。
周囲からの視線が、もはや刺さるどころか物理的な衝撃となって伝わってくる。

「……むぐ。……美味しいです。卿。……今、私の胃袋が、この市場の一部になったような気がします」

「……それは良かった。……君が幸せそうだと、私の魔力も安定する。……おや、あちらの店は、以前話していた『ダイヤモンドより硬いまな板』を扱っている店ではないか?」

「まな板! 行きましょう、卿! 煮込みは飲み物ですから、歩きながらでも大丈夫です!」

私たちは、氷の壁を維持したまま、調理器具の店へと突撃した。
店主は、氷を纏った騎士団長と、無表情で牛すじを啜る公爵令嬢の登場に、椅子から転げ落ちていた。

「……これだ。ポンド、君の包丁さばきに耐えうる、最高の一枚だ」

「……まあ。……この硬度、この重量。これなら、ドラゴンの肉でも叩き切れますね」

「……ドラゴンの肉。……よし、今度、北海まで狩りに行ってこよう。君のために、最高の食材を揃えるのが私の役目だ」

ギルバート卿が、まな板を小脇に抱え、満足げに微笑んだ。
初デートの戦利品が「まな板」と「牛すじ」。
ロマンチックの欠片もないが、私の心はこれまでにないほど、ホクホクとした多幸感に満たされていた。

「……卿。今日はありがとうございました。とても楽しい調査でした」

「……調査、か。……私はデートだと思っていたが。……まあ、いい。君が笑っている(ように見える)なら、それで十分だ」

帰り道。
夕焼けに染まる市場を、私たちは手を繋いで歩いた。
氷の壁はいつの間にか消えていたが、私の手にあるギルバート卿の温もりは、どんな魔法よりも確実に、私の冷えた(と思われている)心を温めてくれていた。

「……あ、卿。あちらのクレープ、まだ営業しています。……別腹、空いていますか?」

「……ああ、任せておけ。……君の別腹を満たすまで、私はどこまでも付き合うさ」

泥沼令嬢の初デート。
それは、胃袋と魔力の限界に挑む、美味しくて、少しだけ騒がしい、特別な一日になった。
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